第113話 母、現る
完全に老人衆から距離を取ったところでようやくアヤセが歩調を緩める。
これだから帰りたくなかったのだ。毎度帰るたびに絡まれて、面倒なことこの上ない。
しかもムダに昔の自分を知っている彼らと唯舞を会わせたくはなかったのに。
「ふふふ、中佐は昔から中佐だったんですね」
「…………」
菓子を抱えながらくすくすと笑う唯舞に、アヤセは複雑そうな顔をする。
何も言わずに理力を展開して、氷の蔦でカゴを編み上げると唯舞が持つ菓子類をすべて転移させてからカゴごと唯舞の手元に戻した。
キラキラと光を受けて輝くカゴに冷たさは感じないが、その美しさと完成度はさすがのアヤセだ。
「ありがとうございます。さすがにちょっと持ちにくくて」
「……呆けていたらあっという間に菓子だらけになるぞ」
「ふふ、おばあちゃん達がいろんなお菓子をくれるのはこの世界でも一緒なんですね」
いつもと変わらぬ様子で隣を歩く唯舞を、アヤセはちらと眺める。
出会った頃は、数歩後ろ。
それが半年の時間をかけてようやく隣に並んでくれるようになり、笑いかけてくれるようになった。
この世界に転移してきた時よりも表情はずっと柔らかくて、近づいた距離感を失いたくないと思うと同時に、もっと得たいとも思ってしまう。
エドヴァルトが言うように唯舞の状況はいつだって不安定で、どんなに守護を重ねても失う恐怖はなくならない。
そう思ったら両手が塞がって唯舞に触れられない現状がもどかしくて、無遠慮にこの荷物を押し渡してきた爺婆共に胸の内で恨み言を送った。
自宅までほんの数分の道さえも行き交う村人に次々と声を掛けられ、アヤセの荷物は増え、唯舞のお菓子も増えていく。
すでに機嫌が地の底まで落ちているアヤセを物珍しさに笑いながら、のどかな村道を歩いていけば周囲から少し離れた場所に一軒の家が見えた。
他の家と同じく白地の壁に屋根は淡いアイスブルーを基調とした爽やかな佇まいだ。
それを見てアヤセの足が止まり、嫌そうにため息をつく。
どうやらあの家がアヤセの実家らしい。
「ふふふ、そんなに帰りたくないならどうして今回は帰ることにしたんですか?」
「……気分転換になるだろう、お前の」
アヤセの言葉に唯舞は驚いたように目を丸くする。
出会った頃のアヤセなら、エドヴァルトの「ずっと基地にいたら唯舞ちゃん可哀想でしょ」という言葉があっても絶対に動かなかったはずだ。
でも今のアヤセはこんなにも帰りたくなさげな顔なのに、唯舞の為だといって嫌々ながらも動いてくれる。
それがなんだか、申し訳なさより嬉しさが勝ってしまって。
そんなアヤセに、唯舞が一歩分歩み寄った……その時だった。
「――あらぁ? もしかして……あーちゃん?」
実にのんびりとした声にアヤセの肩が揺れる。
動かないアヤセの代わりに唯舞が振り返れば、そこにはアヤセと同じ白銀の長い髪を肩口で緩く編んだ、愛らしい女性が買い物かご片手にアヤセの背中を見つめていた。
数秒の沈黙。
徐々に女性の大きく真ん丸とした薄桃色の瞳がうるっと潤み、買い物かごを容赦なく投げ捨てると突撃するようにアヤセの背中に全力で抱きつく。
「ほらぁぁぁ! やっぱりあーちゃん! いつ帰ってきたの?! ママ、聞いてない!」
「ッ?! く、離れろ抱きつくな!」
「ひどーい! ママに向かってその言葉遣いは駄目だと思う!」
「うるさい! 分かったから離れろ! 抱きつくなら父さんだけにしろ!」
「パパにも抱きつくけどあーちゃんにだって抱きつきたいのー! もうっ久しぶりに帰ってきたかと思ったらすぐそんなふうにママを邪見にするんだからっ!」
アヤセに歩み寄ろうとした唯舞の足が、女性の勢いに吞まれて二、三歩後ずさった。
(も、もしかして……この人が中佐の)
予想斜め上のタイプだ。しかも、話し方を含めてアヤセの姉と言われても通用しそうなほどに若い。
そんな唯舞の戸惑いの視線に気付いたのか、嫌がるアヤセの腰に抱きついた女性があら? と愛らしく首を傾げた。
「うふふ、あーちゃんが女の子を連れてくるのは初めてね。こんにちは、アヤセの母のフィアナです」
そう言ってアヤセの母を名乗ったうら若い女性は、嫌そうなアヤセとは裏腹に実にほんわかとした笑顔で唯舞に微笑んだのだ。




