第111話 故郷
あれから三日後、重い足を引きずるようにアヤセは実家に戻ることになった。
色々と面倒なので当日の朝、父親にだけ帰宅の連絡を入れ、これから起こるであろう波乱にため息をつく。
――母には、出来る限り会いたくない。
「えぇと、今更なんですけど……本当に私が行ってもいいんですか?」
私服姿の唯舞がやや躊躇いがちにアヤセを見上げれば、そんな悩みもほんの少し和らいだ。
甘くなり過ぎない柔らかなリブ編みニットワンピースから覗くクラシカルなロングスカートが、唯舞が歩く度に軽やかに揺れる。
異性の服装など、今まで気にも留めず興味も持たなかったアヤセにとっては、過去が消し飛ぶ勢いの観察眼だ。
「俺がいなくてもやってくる他の奴らを平然と迎えるような家だから気にするな。……ところで、そんな服持ってたか?」
もしも今、他の誰かがいれば「嘘でしょ……服まで覚えてるの?」という絶望のツッコミが入るのだが、残念ながらそれを言う者はおらず、アヤセと視線を交わした唯舞だけがちょっとだけ驚いた表情を浮かべる。
「え? あ、あぁこの服ですか? この前ミーアさんが送ってきてくれたんです。私に似合いそうだったからって。新しい服ってよく分かりましたね」
「見ない服だと思っただけだ」
「ふふふ、男性ってこういう服装とかあまり興味がないかと思ってました」
「…………」
男、という枠に一括りにされてしまうと少々納得がいかないが、実際、興味はなかったのだ。
――唯舞に出会うまでは。
唯舞だからこそ意味があって、唯舞以外では意味がない。
実に単純明快で笑えるほど簡単な"恋"とやらは、どこまでもアヤセの感情を振り回すようだ。
唯舞を連れ、故郷・ゴルゼ村の入り口まで一瞬で移動したアヤセは、村を見るなり嫌そうに眉を寄せて唯舞の腰に回していた手を僅かに力ませる。
別に対象者に触れなくても同時転移自体は可能なのだが、慣れないうちは瞬時移動の衝撃によろめく人間が多いからこうやって支えてやるのが一番なのだ。
(特にこいつは理力移動が苦手らしいからな)
なのでこの状況は唯舞の安全性を考慮した結果であり、触れたいだとか、そんなやましい気持ちなどはないのである。……多分。
結局手こそは離れたが、密着して距離は近いままに、移動の衝撃を逃がしていた唯舞がゆっくりと目を開けた。
「ここが……」
初めて見るアヤセの故郷に唯舞の感嘆の声が漏れる。
村、というから、てっきり小さな集落をイメージしていたのにその予想は大いに外れた。
眼前に広がるゴルゼ村は、周囲を高い山々に囲われ、理力が減少しているザールムガンド帝国とは思えぬほどに緑豊かで穏やかな村だった。
石畳の道は歩きやすく舗装されているし、白い壁は同じだが屋根だけはどの家も花が咲いたようにカラフルで、あちこちから人の気配や話し声、子供達の笑い声が聞こえてくる。
村の中心部から少し離れた場所には、入り口から分かるほど立派な教会が山々をバックに堂々と鎮座しており、そういえばザールムガンド帝国は海外色が強かったなと唯舞は思い直して、どこか中世の面影を残した小さなテーマパークのような村に一歩足を踏み入れた。
その時だ。
「あんれまぁ~? もしかしてイアンんちの子じゃないかねぇ?」
「……ち」
朗らかなのんびりとした声に呼び止められ、アヤセが舌打ちする。
ちょうど通り過ぎた家屋の花壇の手入れをしていた三人の老婆達が目ざとくアヤセの姿を見つけ、その目が興味津々ぎらんぎらんと輝いたのだ。
「やっぱりそうじゃ! ほら、フィーちゃんの息子の……!」
「……んあぁあぁぁ! 怒りんぼのあーちゃんか! おんやまぁ、前見た時よりずいぶんと背ぇ伸びたんじゃないかい?! いつのまに大きくなって!」
「ほんとじゃ! わしらが見てた時なんてこぉぉぉぉんなに小さかったのにのぉ」
「何言ってんだい! これだから婆は! そげに小さかったらまだ生まれとらんじゃろ」
「あたしゃが婆ならお前さんも大婆じゃろうに! にしてもあの怒りんぼがついに嫁を連れてきたぞぃ。明日は季節外れの大雪か台風かのぉ」
「お嬢さんや、本当にその子で大丈夫なのかい? 老婆心じゃが、その子の良いところは顔だけじゃぞ? お、もしや体の相性でも良かったのかや?」
「へ……?!」
いきなり、高齢とは思えぬ身のこなしでズササササーッ! っと唯舞に近付いてとんでもない事を口走った老婆はアヤセによって止められる。
その顔にはあからさまにこう書いてあった。
だから帰ってきたくなかったのだと。




