第105話 戸惑いの感情
朝、まだ外が暗いうちに唯舞は目が覚める。
天照大神の加護によって身体は問題ないのに、どうしても頭が疲弊してしまい、昨日はほぼ一日中寝て終わってしまった。
手首のシルバーバングルが通知を示しているのに気付いた唯舞は、まだ覚醒しきらないまどろみの意識のままメッセージを開く。
《嬢ちゃん、遠慮はいらねぇから何かあったらすぐに言ってこい、いいな?》
《私もエドも今、帰ってきたわ。もしも寂しくなったらすぐに行くから呼んでちょうだいね?》
《唯舞ちゃん、ただいま。もしも起きて体に異変があったらすぐ教えてね》
《何時でもいい。起きたら連絡しろ》
「……ふふ」
四者四様のメッセージに思わず笑いがこぼれる。
しかもあのアヤセにまで気遣われるなんてと、その貴重なメッセージをただぼんやりと眺めながら唯舞はとりとめのない思考に耽った。
一昨日、ロウの突然のプロポーズで少し険悪な雰囲気になってしまった唯舞とアヤセだったが、昨日の夕食時にはいつも通りの距離感に戻っていてどこかほっとしたのを覚えてる。
ロウには上司と部下だと伝えたけれど、なんだかその関係性はしっくりこなくて、唯舞は布団に潜り込んだまま頭を悩ませた。
(同僚……? でもそれなら上司と部下でも間違ってないし……先輩後輩? ううん、それも何か違う気がする。……でも男友達、とも違うもんなぁ)
慰めるように何度か抱きしめてくれた彼の体温はとても心地良かったけれど、冷静に考えれば気恥しさが襲ってくる。
あのアヤセが誰にでもするとは思えないから、あれこそきっと身内待遇だったのだろう。
(ザールムガンドは西洋文化が強いから、色々と距離が近いんだろうなぁ……カイリさんも抱きしめてくれるし、ハグとかほっぺにキスくらいは親愛の証なんだろうけど)
まさか自分が唯舞とアヤセの恋の弊害になっているとは露ほども思っていないカイリなのだが、唯舞の中では文化の違いという一言でまとめられてしまった。
それでもやっぱり、日本人の唯舞からしたら抱きしめられたり頬とはいえキスをされると表情には出なくともちょっとドキドキしてしまう。
でもそう意識すればするほど、自分以外の女の子にも同じ扱いをしているのだと思ってなんだか複雑な気分になった。
(……なんで今ちょっと寂しかったんだろう)
つきん、と痛んだ胸の感覚に唯舞は戸惑う。
脳裏に浮かんだのは手を繋ぎ、ハグをして頬にキスをしてくれるカイリではなかった。
いつも不機嫌そうに眉を寄せて、ぶっきらぼうで少し意地悪な物言いしか出来ない、それでいて不器用なほどに優しい抱きしめ方をする薄氷色の瞳。
『――唯舞』
彼の声が耳朶に残ったように脳内に反響する。
何度か繰り返すその時の感覚は、唯舞が経験したことのある切なさと同じで。
あー……と長いため息を吐きながら唯舞は顔を枕に押し付けた。
抱きしめられたことは今まで深く考えないようにしていたのに、ちょっと考えただけでこの有り様だ。
この感覚なら……この胸がぎゅっと痛むような感覚ならば、唯舞は知っているのだ。
熱に浮かされたような恥ずかしさに、唯舞はそろりと手首に嵌めたシルバーバングルを見つめて小さくため息をつく。
銀色が、彼の髪色に一番近い色だと思ってしまうのは中々に重症だ。
(…………だめだなぁ)
ふいにかつて別れた恋人達の言葉が蘇った。
自分には他の女の子のような可愛げがあるわけでも、守りたくなるような愛くるしさがあるわけでもない。
言葉選びが上手いわけでも、誰かに頼ったり、駆け引きをしたりするようなことだって苦手だ。
自立してる、と言われればそれまでだが、弱い表情筋が相手を不安にさせると分かっているから。
だから恋愛には消極的になってしまったし、今のこの状況にも戸惑いを隠せないのだが、それでも気付いてしまったからには今後は上手く隠していくしかない。
同じ職場である以上ぎこちなくなるのは嫌だし、何よりも平凡な自分が、見目麗しくも才能あふれる彼の隣に並べるとは思えなかったから。
――それでも。
「……中、佐……」
誰となく呟いた言葉はあっという間に布団に吸われてしまう。
せめてこの熱がいつか冷めるその日まで……そう思って唯舞は苦しくなった胸を守るようにぎゅっと体を丸めて布団を被り直した。
手首に触れる冷たく無機質なバングルは、冷たくも温かい、ぶっきらぼうな誰かの名残のような気がして、少し切なくなる。
(でも、これでいい……)
忘れかけてた恋心に泣きそうになりながら。
唯舞は云えない気持ちを胸の奥にそっとしまいこみ、静かに瞼を閉じた。




