16話 古き記憶の箱
極大魔法陣の暴走前になんとか海に到達し、あの島の一件から10日ほどたったある日。
「おい見ろ!大地だ!」
「ああ、ようやくだ。距離的にも方角的にも正しい。あれこそが目指している大陸だろう」
やっと終わりが見えた昂りか、エンデが駆け足で大陸に向かおうとし掛けたが、儂が咄嗟に全力でエンデの肩を掴み止める。
「な、何だ……?大陸がすぐ目の前にあるんだぞ?!」
「まぁ待て。そろそろ夕刻だ。一旦この場で野宿をして、明日改めてとしよう」
「あー……明日……大陸にー……行くー…………のか。そうか……」
ここでエンデが凍えた海の厳しさの終章を知った。
大陸が見えたとしても、距離的に一旦海上での野宿を挟むことが多く、大陸が見えた時に昂った気持ちも、その落胆とまた一夜襲い掛かる冷気でやる気がガッツリと削がれ無駄に疲れる。
儂としても、何度落胆したことか。何度無理に歩いて野宿の準備不足に襲い来る夜から後悔したことか……
どちらにせよ、無事大陸に到着できそうで本当に良かった。これで調査を再度開始できる。エンデもいるから新たな発見も期待できるだろう。
あの時はそんなことを浮かれながら考えていた。だが……あ"ー、本当に、本当についてない。
「げほっ、げほ……」
全く持ってついていない。まさかこの歳で風邪を引くとは……大陸に到着した途端にこうなってしまうとは……先日までの海の旅で頑張り過ぎたのだろうか。
毎日毎日が寒い世界だ。風邪になる原因なんて無数に存在する。
しかし、まさかの風邪か……下手に拗らせたら死にかねない。なんとか見つけた港町の薬屋に転がり込めたから、何にも無い場所で引くよりはまだマシだ。
薬屋の薬や薬草を拝借してあとは寝るだけで儂自身の心配は無い。だが、今一番心配なのは……
「本当に大丈夫か?大丈夫なのか?必要な物があれば言ってくれ!山でも川でも町でも、全部消し飛ばしても見つけるから!絶対に、絶対に生きてくれ!……お腹は空いたか?必要なら私がなんとか作って見せるから。薬はもう充分飲んだか?大丈夫か?大丈夫じゃ無かったら……」
延々とエンデが儂の心配をして来るということだろう。
「……そこのタオルを水につけて、絞って儂に渡してくれるか?」
「分かった、できた!はい、このタオルを額に当てれば良いのだろう?それくらい知っている」
……早いな。そして不味いな。早くエンデにやることを与えないと、心配がさっきのように口から溢れるだろう。
心配で胃に穴が開きそうな勢いだ。何かエンデの気を紛らわせるようなことは……あったな。
「これを解読してくれ」
「これはなんだ?」
儂の荷物から取り出した一冊の本を、エンデは訝しみながら受け取った。
「それは儂の意味深コレクションその4、魔害の本だ」
エンデに出会う前のある時。とある街のスラム街に打ち捨てられていた、どうやっても開かない本。触り心地から材質は紙だし、本の背には魔害の本と言うタイトルが付けられていたから本だとは思う。
なんとなく気になったので開けないまま荷物の重しになっていたが、ここでエンデに頼むのも良いだろう。開ければそれで良いし、開けなくとも風が治るまで時間を稼げる。儂ながら良い時間稼ぎだ。
「……おい、この前の魔法具といい、なんでお前はこんな物を持っているんだ?下手したら死ぬぞ?」
「今まで死ななかったから良いだろう」
ふむ、魔法具だったか。中々に良い誤算だ。これでかなり時間が稼げる。
「それはたまたま拾った物でな。今までどうやっても開けなかったが、エンデにならその魔害の本を開けるか?」
「簡単だぞ?魔力を流せば……ほら開いた」
「おお、そんなすんなりと。これで魔害の本を物理的に破壊しなくて良くなった」
そしてただの荷物の肥やしとならず良かった。
頭の中がぼんやりとする。確か、どこにいたんだっけ。あまり思い出せないな。儂は……俺は……
「……よくそんな恰好で酒場に来れるな」
「俺が無事に帰って来たら酒を奢るって約束。忘れたわけじゃ無いだろ?その為に俺はここにいる」
「はぁ……聞いたぞ。調査先で他国との戦争に巻き込まれたって。考古学者のサガってやつですぐに逃げずに遺跡を守り、全身打撲に切り傷にあばらと右腕骨折。良く生きてるな……」
「いやぁ、本当になんで生きてるんだろうな。俺」
「……約束さえなければ寝所に縛り付けたかったが」
「やめろやめろ!せっかく酒がタダで飲めるんだ。この機会は捨てさせねぇよ!」
いつも明るく、自身の信条を曲げない考古学者の友人。名前は憶えているはずなのに、なぜか喉に引っかかるように出てこない。そのことを考えようとしても、なぜか考えられない。
「そうだ!前の遺跡で俺が思い付いた仮説を教えてやる。今回だけの、未来の新発見を先に知る貴重な機会だぞぉ?」
「今回だけって、それ何度目だ。十回以上なのは覚えているが、そもそもお前の仮説は学会を通ったこと一度も無いだろ」
「だから貴重なんだよ」
「はぁ、で、今度はどんな仮説なんだ?ゴーレムは無しだぞ。前に何回も聞いたからな」
「違う違う。今回は遺跡の壁画に描かれていた、魔王について——」
「……」
ここは……
頭の中がスッキリとしている。さっきまで酒場にいて、考古学者の友人と話して……あぁ、夢か。随分と懐かしい夢だったな。
「あ、やっと起きたか。もう半日が過ぎたが、大丈夫そうか?」
「……」
エンデが心配そうに儂の顔を覗き込んで来る。
もう叶わないとして封じていた記憶の箱を、古き片隅に置いてあったその箱の中身を、頭の上から被った気分だ。かつての日常が、凄まじく恋しい。
「どうした?大丈夫か?まさかまだ治ってないのか?!」
「……いや、大丈夫だ」
こんな夢を見てしまっては、延々と凍えた原因に辿り着けるか分からない旅路に、少しずつ蓄積していた諦めの感情がもう全て吹き飛んだ。
「山を越えたばかりで完全復活には多少遠いが、充分に動けるし熱も無い。ほぼ治ったな」
「そうか、それなら良かった……ハッ!ならこれを食べてみてくれ。お前の真似をして作ってみたんだ。先に試食したが、悪くない味だと思うぞ!」
エンデが木の皿に盛りつけた料理を、緊迫した面持ちで儂に渡して来た。今までエンデの料理というものを食べたことが無いから少しだけ不安だったが、見た目はまぁまぁ、一口食べてみると不味くは無いし凄く美味しいという訳でも無い。普通だ。だが、見様見真似で普通まで行けたのか。
「普通」
「えぇぇ……私の全力を持って作り上げたのに……」
「だが、見様見真似で作ったにしては、上出来と言って差し支えない」
「ほ、本当か?!」
儂がそう言うと、エンデの顔が急激に明るくなった。こう言った日々も、悪くはないな。




