13話 大海を渡る術
エンデと出会い、旅をして来た大陸の最北部。そこに位置するかつて年中雪に包まれた極寒の港町。
この地を最後に、この大陸の陸地を進むのは最後となるだろう。
「さっむ……」
「……もう一枚着るか?」
「着る」
世界は凍えた冷えた極寒と成ったが、この地の気温だけなら昔とそう変わらないだろうし、ここは一段と冷えている気がする。元々極寒だったからか……?
エンデが寒がりもう一枚の防寒着を着るかどうかの質問に即答するほどの気温。
今までのエンデを見て来た儂からすれば、自ら全く寒いと言わないし防寒着を即答するほどに欲するのは完全に初めて見る。知らないエンデだ。何だか新鮮な気分……
すぐそこに海をバックにして告白か結婚を申し込んでいる男とされている女がいる分、さらに変で新鮮な気分になる。
この街の景色は中々に壮観だ。今儂とエンデがいる港町の入り口付近の高台から見る景色は、元々雪国だったこともあって暗雲の空を忘れさせるほど。それほどだ。こんな気持ちになるのは、雲を突き抜ける山での日を見た時以来だろう。
「暖かい……」
嬉しそうにエンデが微笑んだ。
……さて気を取り直し、この街の調査を始めよう。
何も無かった。逆に珍しいほどに何も無かった。
清々しいほどに伝承やお伽話は全くなく、あるとしても世界中に流通している絵本等だけ。珍しいと呼べない物ばかり。
だがこの街に然程期待はしていない。期待しているのはこの大陸から別の大陸まで行く物資の調達。
必要なのは2人分の数週間分の食糧。充分な量の薪。そして次の大陸までの地図。それとそれ等を乗せて移動する為のソリ。
馬を使えぬこの凍えた世界では、ソリは自らの手で引っ張り進めなければならない。
過去に何度か経験があるが、稀に薪が足りなくなりソリを解体して薪にしなければならなくなったり、食糧が尽きて餓死寸前になったりと、碌な思い出がない。ほぼ全てが苦く不味い記憶だ。
数日に及ぶ綿密な物資の調達と計画の構築。
もうあの失態を犯さない為に、できうる準備は全てする。食糧の状態は三度確認し、地図を凝視し向かう大陸までの距離を何度も確認し、ソリの耐久性は大丈夫なのかを何度も叩いて叩いて検証し、今まで荷物の奥底に眠っていた秘蔵のコンパスを取り出し、方角が真に正しいかどうかを確認し、思い付く限りの検証と確認を試し、そして……終えた。
念の為丸一日休憩し、港町で調達したソリに大量の薪と食糧を乗せ、出発する準備はできた。
エンデはこんなに慎重にならなくても、と心配気味に聞いて来るが、それは凍った海上の厳しさを知らないからだ。通常なら船を使えば済む話。だが世界が凍えてしまって船は使えず、風は吹かないから帆も使えず、全て人力で進まなければならない。
海に出れば嫌と言うほど理解するはずだ。
「もう嫌だー!」
港町を出発してから半日が経過した。
予想通りエンデが凍えた海の厳しさの序章を知った。何も無い何も無さ過ぎる地平線。結果的に方向感覚とどれだけ進んだかの歩行距離がおかしくなり、嫌になる。
大地の上なら土地の起伏や景色で飽きずに足を進められるが、海の上は多少波の起伏があるだけで何も無い。あるとしてもソリが波の起伏に引っ掛かるから邪魔なだけだ。
昔は体力がまだ衰えていない分まだ何とかなったが、今はもう老体になってしまい体力も衰え、体力の食糧と薪を抱えたソリを動かすことすら一苦労。日数が経てばソリは軽くなるが、果たして何日掛かるか……
「……海を溶かすか」
「おいやめろ!そんなことをしたら儂とソリが海に沈んでお陀仏だぞ!!」
急に火を生み出し足元に向けて放とうとした……危なかった…………危なかった……!
「言って置くが、儂は泳ぎが苦手なんだ。しかもこんな場所でそれが放たれたら溺死は免れん。無論儂がな!」
「……ご、ごめん」
ふぅぅ……果たして、生きて大陸まで辿り着けるのだろうか。かなり、かなり不安になって来た。
「もう嫌だーっ!」
港町を出発してから約2日が過ぎた。
日は完全に落ち、暗闇と成って夜になった。ここでエンデが凍えた海の厳しさの一章を知った。足元から湧き上がる冷気。寝袋を貫通する冷気に身震いの絶えない夜。
今までにエンデとは何度か凍った川の上で夜を過ごした記憶があるが、今回はそれの比ではない。
何日も何日も延々とこの氷の上で夜を過ごさなくてはならない。今までは一夜だけで済んだが、ここは海上だ。そして今は大陸から大陸への移動中。当然かなりの日数になる。それを想像しただけで、嫌になるのは当然のことだ。無論儂も極力そんなことをしたく無い。絶対に嫌だ。
「飛びたい……飛んで一気に大地まで……」
「なら儂とこの荷物と共に飛ばせれるか?」
「……無理…………私、浮遊の魔法は少し苦手だから……」
やはりか。エンデの反応的に、今まで使わなかった行動的に、あまり乱発と制御が叶わないか。苦手で無ければ酷使するほど使い倒したいところだったものだが……
もし思いのまま使えたとしても、エンデを酷使するのは駄目だな。儂には充分に歩ける足がある。酷使すれば足が衰えるのは確実だろう。決してこれはエンデの為ではない。儂の、儂の為に…………変な気分になってしまいそうだ。
「もう、もう嫌だ。もう嫌だー!!」
港町を出発してから7日ほど、一週間が過ぎた。
ここに来て、エンデが凍えた海の厳しさの二章を知った。終わりの見えない海上の旅路と身体を蝕む終わらぬ冷気。
本来ならその辺の木を切って薪にできるが、生憎ここは海の上。燃える物体なんて存在しないし、流木を稀に見つけても深い深い海の中。凍った海を掘り流木を手に入れるのは単純に労力の無駄。
ソリに乗せている薪の量は限界がある。こんな寒い世界で火が無いのは洒落にならない為、底を尽きないようにいつも以上に切り詰めてる。故に充分な暖かさを得られず、嫌になる。
だがそこはある程度何とかなる……と思っていた。エンデの魔法の火で暖を取り、薪を節約すればかなりの日数を肉体的、精神的に耐えられる。しかし、そんな理想は絶望的だ。
魔法には体力と同じく、限界がある。それは今までのエンデの様子的に分かっていた。だが魔法は精神と深く結びついているそうで、海上で既に一週間が経過しているエンデの精神はかなり疲れ、魔法の火は熱を失った。
通常の火のように薪に燃え移るし、光源としても充分に使える。だがそれだけだ。今重要なのは熱。この寒さを和らげる暖かさが無ければ、終わらぬ寒さにゴリゴリと精神が擦り減って行く。
「…………っ!お、おいお前!陸地が見えたぞ?!」
「陸地……?そんなはずは……取り敢えず向かってみよう」
予想ではあと二週間ほど掛かるはずだが……
「やっと、地獄から抜け出せる……」
そう簡単に地獄から抜け出せれば良いんだがな。
「……」
「残念。ただの孤島だ」
海岸に到着し、すぐ近くにある高い場所である崖上に登り、この場所の周囲を見渡し、そしてその結果はただの孤島。大陸では無くただの島。地獄はまだ続く。儂も少なからず期待してしまっていたが……
崖上から見渡した孤島は、かなりの広さはあるものの、その程度だ。国ができるほどの広さは無いし、あまり植生豊かだとは言い難い。
ただ、この場所なら港町程度はありそうなものだが、全く見当たらない。儂が入手した地図にはこの島の存在が描かれていないし、砂浜に大量の難破船と墓標が立ち並んでいるのが、気掛かりだ。




