金貸しの聖女
ベルデは下町の狭い民家で、子どもの玩具を取り上げていた。
「こんなものしかないのかい。利息にもならないよ」
足元で幼子が泣いていた。
ベルデは意に解さない。
取り上げた人形の縫製を確認し、汚れが少ないことに満足していた。
「お、お願いします。明日には、用意できますから」
子どもの母親が縋りついた。
ベルデは、大根よりも太いあしを振り上げる。
痩せほそった女がひっくり返る。
「明日用意できるなら、明日まで待ってやる。それまで預かるよ。嘘をついたら、明後日にはその子どもは売り飛ばす。もう7歳だろう。人買いなら、二束三文でも買ってくれるからね」
女は、子どもを抱きしめながら泣き続けた。
ベルデは子どもの人形を懐に入れると、荒々しく扉を閉めて外に出た。
ベルデは、金貸しを生業とする中年の女だった。
大きな体格は直立する豚に喩えられるが、喩えた奴は殴り伏せてきた。
ベルデは情け容赦なく借金を取り立てるが、もとより貸した金であり、利息も契約通りである。
決して法を犯してはいない。
ただ、約束通りに返済しない場合には、どんなことをしても取り立てるだけだ。
日中の暑い太陽が傾き、ベルデが汗を拭きながら街を歩くと、多くの者は怖がって道を開ける。
パンを買って帰ろうと角を曲がった。
街角に、物乞いがいた。
ベルデは気にせず素通りし、パンを買うために懐に手を入れた。
財布と一緒に、さっきの家から巻き上げた人形が転がり落ちた。
ベルデが拾うと、ベルデが無視した物乞いが声を出した。
「素晴らしい人形をお持ちのようですな。少し見せていただけませんか?」
ベルデは振り返る。
物乞いは、年老いた汚い男だった。
だが、物乞いとは思えない、鋭い目つきをしていた。
「『素晴らしい人形』だって? あんた、目利きができるのかい?」
ベルデは、拾い上げた人形を見つめた。
確かに、金のない家の子供が持つには高価な人形だ。
だからこそ、借金のかたに持ってきたのだ。
「ええ。その人形が、何を言いたいかぐらいはね」
「人形が話すっていうのかい?」
「ええ。ちょっと貸していただければ」
「ふうん。汚すんじゃないよ」
男の奇妙な様子に、ベルデは人形を渡すことにした。
いざとなれば、殴りつけてでも奪い返すつもりだった。
浮浪者の男は、人形に顔を近づけて、目を見開いた。
「ほうほう。あんたのご主人は、あんたをよほど大切にしていたんだね。あんたがいなくなると死んでしまうってのかい? ああ。お母ちゃんが首を吊って、ご主人も巻き添えかぁ」
ベルデは、男から人形を奪い取った。
「変ないちゃもんをつけて、私から財産を巻き上げようって魂胆だね。お見通しなんだよ」
「ああ。お嬢さん、乱暴に扱うから」
男は、手のひらを見せた。
男の手には、小さな人形の顔が載っていた。
ベルデが見ると、人形の首から上がなくなっていた。
「もともと、取れるようになっていたのさ」
「そうかもしれませんね。でも、人形は帰りたがっているよ。その子の持ち主は、全員死んでしまうよ。お嬢さん、罪なことをするね」
「わ、私は、金を貸したんだ。借りた金は返すのが当然だろう」
「そりゃそうだね。でも、もうちょっと待ってあげたらいいのに。その人形の恨みを買うよ」
「人形の恨みをかったら、どうだって言うんだい」
ベルデは、男の手から人形の首を取り返そうとした。
男は直前で手を引っ込める。
「人形の恨みを甘く見ちゃいけない。俺なら、うまく宥められるけどね」
「ほらっ! この人形が値打ちモンだからって、私から奪おうっていうんだろう」
「別に、値打ちもんじゃないよ。ただ、とっても大切にされていたってだけだよ。お嬢さんが、この人形にこだわる理由はないだろう。どうだい? 俺の財産は、この本だけだ。この本と交換しないかい?」
男は、どこから出したのか、分厚い本を取り出した。
本は珍しく、高価である。
浮浪者が持てるようなものではない。
「ちゃんと、中身はあるんだろうね?」
「もちろんさ」
男は、本のページをめくってみせた。
ベルデは男の手元を覗き込む。
「……ふん。まあいいさ。あの母親が、借金を返せるとも思えない。この人形は、私のものだ。どうしようが、非難されることはないさ。こっちの本の方が、価値がありそうだ。交換してやるよ」
「ああ。よかった」
浮浪者は言うと、本を差し出し、代わりに人形を受けとった。
※
金貸しのベルデは、本を持ち帰った。
手広く金貸し業を営んでいるとは思えないほど、ベルデの生活は質素で、住居は寂れていた。
金貸し業は儲かっている。
借りた金は、利息を含めて大半はきちんと返ってくる。
たまに、返せない者が出る。
その場合は、金に替えるためだという理由で、大切なものを強奪する。
あえて、返せないとわかっている者に貸すのだ。
それは、強引な取り立てをすることで、ベルデに借りた金は返さなくてはならないと、町の人間に知らしめるためである。
家に帰ったが、出迎える者はいない。
薄暗いテーブルにつき、交換した本を投げ出した。
朝淹れた冷めたお茶を注ぎ、硬いパンにカビが生えていないことを確認して口に入れる。
ベルデは硬いベッドに横になった。
今日も、苛立たしい一日だった。
金を貸したのだ。返すのが当たり前だ。
なぜ、街の人々から、冷たい目で見られなければならないのだ。
ベルデは、鼻息を荒々しく吐き出した。
ベッドに頭を投げ出す。
ランプの油がもったいない。
すぐに寝ようかと思ったとき、投げ出した本が目に止まった。
少しだけ、覗いてみようか。
そんな気になった。
ランプの油が勿体無いが、少しぐらいはいいだろう。
本を手に取り、ページを捲った。
たわいのない物語だった。
だが、最近の流行りでもある。
本は高価であり、字を読める市民も限られている。
貴族の道楽から、物語は民衆の道楽に進化しつつあった。
寄り合いで、本の読み合いをするのだと聞いたことがあった。
何処の馬の骨とも知れない他人が書いた物語だ。
どこまで本当なのかわからない。
物語は、短編集だった。
さまざまな物語が収められていた。
全て、聖女が人助けをする物語だった。
本当に、世の中にはこんな奴がいるのだろうか。
ベルデは不思議に思った。
ランプの油が切れかけていることに気づき、ベルデは油を足した。
半信半疑になりながら読み続け、いつしか実話であることを疑っていなかった。
朝を迎えた。
本を読みながら、いつしか眠っていた。
玄関の扉を叩く音に起こされる。
ベルデはベッドから立ち上がった。
扉を開ける。
「も、もうしわけありません。妻が病気で……返済を、もう少しだけ待っていただけませんか」
骨と皮ばかりに見える、貧相な男だった。
金を貸していた。
ベルデは全てを覚えていた。
ベルデが男の肩を叩いた。
男が怯える。
ベルデは言った。
「私は、金貸しの聖女ベルデ、借りたものを返すのは当然だ。だけど、待ってやるのは問題ない」
「ありがとうございます!」
男は平伏して帰っていった。
ベルデは、手にしたままの本を見つめた。
「そうか……あたしは、聖女だった」
ベルデは、人助けのために旅立つことを決心していた。