たたかないでほしいにゃ
叩けば直る。家電にはそんなジンクスがある。
と、言っても私にはしっくりこないけどね。昭和生まれ。お母さんの時代の話。
それに加えて我が家では『脅す』というものがある。
「調子悪いねぇ。買い替え時かぁ……ね! よし、動いた」
と、母はそんな具合に電子レンジやトースター、掃除機といった家電を脅し、叩く。
父に先立たれ、母が家長のこのボロいアパートでは
一人娘の私もその方針に従うしかない。
「ほら、この角度よここ!」
「こう?」
「ここ!」
「こう!?」
「ずぁ!」
「はぁ!」
なんて、つい笑っちゃうような馬鹿みたいなやり取りだ。
でも、そんな家電に厳しい母がまさかこんなにデレる日がやって来るとは……。
『よろしくにゃん!』
「んまぁー! かわいいわねぇ! ニャンちゃん? ニャンちゅう?」
「ニャンちゅうはやめたほうが……」
「ニャーね! うん! ニャーにしましょう! ニャーちゃん、ふふふふふ!」
身を捩らせて母はそう言い笑った。
この腑抜けた顔の母。実は幼い頃、猫を飼いたかったらしい。
経済的な理由でその時も今も飼えないけど
まさかこんな形で猫を飼えたことに喜びを抑えきれない様子。いや猫じゃないけど。
猫型電子レンジ。最近発売された家電だ。と言っても本当に猫の形はしていない。
普通の電子レンジ、その窓の部分が液晶モニターになっていて
そこに猫の顔が表示されているのだ。
勿論、リアルな顔じゃなく、顔文字のような……と表情豊かだな。
『きもちいいにゃー』
「あら、かわいいでしゅねー! ここでいいのかにゃー?」
説明書によると頭……電子レンジの上部にセンサーがあるらしく
撫でたり触れると反応を示す、と。
「耳もかわいい!」
『くすぐったいにゃ!』
そう、耳まで付いている。多分ただの飾り
あ、一応そこで音を拾うようになっているのね。
と、まあ、最近では配膳ロボットだのお掃除ロボットだのなんだのって
ショッピングモールに行くと見かけることもあるから
これ自体は驚くべきことじゃないけど……。
「それでどうしてこれがうちに? 買ったの?」
「まさかぁ、高いもの! 福引よ福引! いくら買ったら引けるってやつね」
「ああ、なるほど。でもすごいね」
「いやー、最後の一回でまさかの大当たり、二等!」
「一等じゃないんだ」
「スーパーのゴミ箱で福引券見つけて良かったわぁ」
「拾ったんかい」
「あ! あんたねぇ……これ買うと馬鹿高いんだから殴ったりしちゃ駄目よ!」
と、キッと私を睨む母。いや、そもそも……。
『なぐらないでほしいにゃん』
「ねー!」
「はぁ……」
母の教え、我が家の家訓はどこへ……と思ったけど
まあ、新品新製品新発明。叩く必要もないでしょう……。
「ねぇ、ちょっと! 冷凍ご飯あったまってないんだけど!」
『ごめんにゃん。うまくいかなかったにゃん』
そう思っていたのに、この有様。
時間が経つごとに、こいつのポンコツ具合が明らかになってきた。
AI搭載で学習機能があるらしいけど全然学びやしない。
よく考えたら新製品には、すぐ壊れるとか不具合がつきもの。
こういうのは新しい物好きが犠牲となり、改良を重ね、普及していくのだろう。
……なんて飲み込めないけどね、このカチコチのご飯と同様に!
『やめてにゃん! たたかないでほしいにゃん!』
「あ、ちょっと駄目じゃない! なにしてるのよ! ニャーちゃんをいじめないでよ!」
「だってこいつが調子悪いの、お母さんも知ってるでしょ?
それに、叩けば直るのがうちの家訓でしょ?」
「ニャーちゃんはアンタと違って繊細なの、おー、よちよち」
「私も繊細なんだけどね」
『なでられてうれしいにゃん!』
「うっさい!」
『ふぎゃ!』
「だから、やめなさいっての!」
母はその後もニャーちゃん、ニャーちゃんとやたらにあのポンコツを可愛がった。
一応、銀を含んでいるものを温めようとした時に
火花が散るからとか卵とか色々、最低限の警告はしてくれたりするけど
やっぱり時々、温めが足りなかったりする。
説明書では内部にあるカメラで自動でどの程度温めたりすればいいとか
言えば応じてくれたりもするらしいけど母はポンコツがミスしても
ちょっと冷たいわねとか硬いわねとか言いつつ、ニコニコしながら食べている。
私が文句言っても、いいのよいいのよ、と笑顔を絶やさない。
親バカ、猫バカ、電子レンジバカ? 何でもいいけど前の方が良かった。
『そんなこといわないでにゃん!』
「うっさい……」
『ぼく、がんばるにゃん』
「はいはい、今度捨ててやろうか」
『いやにゃん、いやにゃん!』
「嫌って言えばやめてくれるわけじゃないんだよ」
『よくわからないにゃん』
「はぁ……」
それからさらに日が経つとその母もニャーちゃん、ニャーちゃんと
前のようには言わなくなった。
それでもリビングの椅子に座ってポンコツが温め直したスープを
飲んでいる時はどこか穏やかな顔をする。
「ありがとね、ニャーちゃん。美味しかったわ。またお願いね」
『まかせてにゃん!』
「まーた、話しかけてる……」
「ふふふ、だってかわいいんだもの」
そんな母の顔を思い出すたびに、胸が痛くなる。
『いたい? だいじょうぶかにゃん?』
「うるさい」
『なにかあたためるにゃん?』
「いらない」
『げんきがないならアイスをあたためるといいにゃん!』
「いや、とけるでしょ……ほんとバカ、ポンコツ、アホ」
『ひどいこといわないでほしいにゃん』
「いいでしょべつに、傷つかないんだから」
『いったひとがきずつくにゃん』
「それは、どう……だろうね」
『いたいにゃん』
「ほら、痛い?」
『たたかないでほしいにゃん!』
「別にあんたは痛くないでしょ!」
『いたいにゃん! いたいにゃん! たたかれたらいたいにゃん。
きみもいたいにゃん?』
「うー……」
『げんきがないときはアイスとおもちをあたためるといいにゃん!
おかあさんがそういっていたにゃん!』
「ああ、そう、だったね……私が好きなやつだ……」
『はやくアイスとおもちをいれるにゃん! ぼく、がんばるにゃん!』
「ははは、はいはい……」
『ヴヴヴヴヴ……あといっぷんまつにゃん』
「本当にうまくできる? 切り餅とアイス同時だよ?」
『まかせるにゃん』
「うまくできるかなぁ……もし、お母さんが、もし、死んじゃった後でも……」
『ぼくにまかせるにゃん』
「学校でいじめられてても?」
『ぼくがあたためるにゃん!』
「ふふ、ありがとう」
『あ、あと、にふんまつにゃん』
「え、本当に大丈夫……溶けてる!
アイス、滅茶苦茶溶けてブクブクいってるじゃない! もう!」
『ごめんにゃん、あ、なでられるとうれしいにゃん!』
「あははは」
今度、母のお見舞いに、この子を運んでいこう。
どれだけ重くても。さすがに学校には運ばないけど、でも大丈夫。
家に帰れば温めてくれるんだから。
熱くてドロドロになったアイスを食べ、私はそう思った。