ざまぁされた王子と婚約させられた辺境伯令嬢は、徹底的に教育する
「お嬢様、婚約者様が到着いたしました」
専属メイドからその言葉を聞いた瞬間、わたしは思わず「は?」とドスの利いた声を出していた。
慌てて振り返れば、そこにはすまし顔でこちらを見つめるメイドの姿。彼女は微動だにせずもう一度同じ言葉を繰り返す。
「お嬢様、婚約者様が到着いたしました」
……これでわたしの聞き間違いではないことが明らかになった。聞き間違いであったならどれほど良かっただろう。
「あんた、何言ってんの? わたしに婚約者なんていないんだけど」
「あら、いらっしゃるではないですか。今日から」
「――説明したら許す」
当然のような顔で言うメイドに腹を立てながらも、わたしはできるだけ冷静を装ってそう言葉を返した。
しかし胸中は決して冷静とは言えず、理解不能な状況への疑問の声を上げていたが。
「第二王子殿下の噂はご存知ですか」
「あー、まあなんとなく」
「彼でございます、あなたの婚約者様は」
わけがわからない。
どうしてやらかした第二王子がこの辺境へやって来るのか。どうしてわたしの婚約者なんて話になるのか。
まるで、わからなかった――。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
第二王子ブランドン――殿下と呼ぶのはなんだか気に入らないので呼び捨てにしよう――は、王都でぬくぬくと育ったボンボンだ。
同じ王侯貴族とはいえど、寒く厳しい環境に耐え、常に前線で身を張って魔物と戦っている辺境伯領生まれのわたしとはわけが違う。しかも婚約者はとある公爵家の令嬢で、そこへ婿入りして公爵になることが決定しているという風に聞いていた。
――しかし。
「貴様のミリィへの数々の悪行は許し難い! よって、婚約を破棄するッ!!」
何を血迷ったか、隣にいかにも意地の悪そうなピンク髪の女――ミリィとかいう名の男爵令嬢を侍らせたボンボン、もといブランドンは、そんなことを宣ったのだ。
たまたまわたしもその場に居合わせたが、バカがバカ騒ぎをやらかし始めたパーティーなど長居したくなかったので騒動の隙にささっと逃げてしまった。
故にその後のことは実際目にしたわけではないのだが、風の噂では、ブランドンは公爵令嬢からぐうの音も出ぬほどに言い返され、兄の第一王子に愚物呼ばわりされただけにとどまらず、最後には愛しの男爵令嬢にも行方をくらまされてしまったのだとか。
一方、公爵令嬢は長らく婚約者のいなかった第一王子に見初められ婚約し、今は未来の王妃となるために励んでいるらしい。
きっと王子はこっそり毒杯を賜って殺されるか男としての能力を失わされた上で追放されるかのどちらかだろうと思い、わたしは「ふーん」という気持ちで噂を耳にしていた。
だから夢にも思わなかったのだ、そんな男がこのシュガツァ辺境伯領へ足を踏み入れるなど。
「父様、ちゃんと弁明して」
「国王陛下に愚息への罰を与えたいので、辺境できっちり鍛えてこき使ってほしいと言われた。しかしそれでは示しがつかぬと、お前の婚約者に宛てがうことにした。辺境伯領への巨額の支援を条件にな」
「あ、そう。金欲しさに娘を売るってわけね、へーぇ? 王都で盛大にやらかした第二王子様の婚約者という贄にわたしを使うと。喧嘩を売られたも同然なのに殴り返しもしないわけか」
「そんな言い方をするな」
「そりゃ嫌味の十個や二十個、言いたくなるでしょうが!」
詳しいことは旦那様からお話がありますと言われ、専属メイドに連れられて入室した父のトレーニング室にて。
わたしは、シュガツァ辺境伯である父に思い切り唾を飛ばしていた。
当然だ。国中の笑い者を勝手に婚約者に据えられたのだから。
しかしわたしの怒りなどお構いなしで、父は毎朝恒例の筋トレに励んでいる。手を止めてわたしと真面目に話すなんてことはなかった。
ため息を吐きたいのをグッと我慢し、確認しておかなければならないことを口にする。
「で、王子はもう来てるわけね」
「ああ、別室で休ませている」
「バーカ!! そりゃわたしは普段身だしなみに気を使わない野生の辺境伯令嬢だけど王子に会う時くらいおめかししないとやばいでしょ色々とさ! なんで事前に言ってくれないの!」
「忘れていたのだ。まあ、気合いでなんとかなるだろう、気合いで」
父の言葉に、わたしはがっくりと肩を落とした。
父は昔からこういう人だ。根っからの脳筋。常に根性論。そして人の頼みはあっさりとなんでも引き受けてしまう。
「バーカ!!」
わたしはもう一度叫んで、膝上までしか丈のないワンピースを翻しながら父のトレーニング室を飛び出した。
シャワーで汗を流し、簡単に着脱のできる純白のツーピースドレスに身を包んで、栗色の髪をツインテールに結ったわたしはそこそこ見栄えが良くなった。
「ではお嬢様、行ってらっしゃいませ」
「面倒ごとはわたしに押し付けて自分はわたしの部屋でぐぅたらするつもり?」
ドレス選びをしただけでそれ以外の身なりを整える作業を一切手伝わなかった専属メイドは、わたしの言葉ににっこりと微笑みを返した。
これは紛れもなく肯定の意味だろう。
「この駄メイドが」
「申し訳ございません」
「微塵も思ってないことを口にしないで。ああもう、行ってくる」
わたしは専属メイドを振り返りもせず、王子を待たせている部屋へと突っ走る。
そしてドアの前に立った時、中から苛々と呟く声が聞こえた。
「どうして誰も来ないのだ。ああ、ミリィ、ミリィは一体どこにいる。そもそもどうして俺がこのような目に遭わねばならない。悪いのはアビゲイルだ。あの女が全ての元凶……」
なんだか聞いていて背筋がゾクゾクしてきたので、たまらなくなって「失礼!」と言うや否やドアを開けた。
中には、ソファに蹲る男がいた。
金髪に亜麻色の瞳の美青年。赤い紳士服はいかにも高級そうだし、身なりもしっかりと整えられている。王都の貴族たちが好みそうなスラリとした細身だった。
辺境住まいであれば、ヒョロガリの軟弱男と称されること間違いなしである。
「あなたがブランドンですね?」
「誰だ、貴様は」
直前まで呪詛のような独り言を漏らしていた王子は顔を上げ、わたしを睨みつける。
最後に彼の姿を見た婚約破棄パーティーでは隣の男爵令嬢に甘ったるい顔を向けていたのにまるで別人みたいだとわたしは思った。
質問に質問を返すのは感心しない。一応相手は王子なので慣れない敬語で丁寧に接してやるつもりでいたが、腹が立ったのでやめることにした。
「わたしはシュガツァ辺境伯の娘のジェイダ。不本意ながら、今日からあんたの婚約者よ」
「……貴様が」
「ほぼ初対面の淑女に貴様ってどうなの? 王子だかなんだか知らないけど」
「何を言うか。そちらこそ不敬だろうが。先ほどから言葉遣いを聞いていればなんだ、ど田舎の芋娘が」
ど田舎の芋娘。
確かに、王都人から見ればそうなのかも知れない。しかしそれはシュガツァ辺境伯領を侮辱する言葉であり、わたしはブチギレた。
「会って数秒でバカにしてくるとか最低なんだけど! なんでこんな奴を婚約者にしなきゃいけないわけ!?」
――まったくもって不愉快だ。
よくもまあこんな短時間で人を怒らすことができるものだ。こんなのが今日から婚約者? 冗談じゃない。
かなりの声量でブチギレたのは、王都のボンボンなら少しは怯むかと思ってのことでもあった。
だがそんなことはなく、ブランドンは不遜な態度を崩そうともせず、それどころか。
「俺だってなりたくてなったんじゃない。というかなんだお前。女ならもっと小動物みたいな可愛らしさを持て」
などと、わたしへの悪口を重ねると言う始末。
「はぁ!?!? あんた、殺されたいの!?」
確かにわたしは王都の女性たちと違い、身長は頭三つ分ほど高いしそこそこ筋肉もある。
王子が侍らせていた男爵令嬢はわたしの胸ほどの背丈しかなさそうなチビだったので、わたしがお好みでないだろうなというのは予想できた。だが、ここまで言われるとは。
婚約破棄された直後、公爵令嬢が第一王子に即座に乗り換えたことを少々不思議に思っていたが、こんな男であれば記憶から消し去ってしまいたいのも頷ける。
……けれども、その尻拭いをさせられるこちらの気持ちを考えてほしいものだ。
「そうだ貴様。貴様と婚約者になるつもりはないからそのようなバカげた話は置いておくとして」
「置いておくな!! わたしだってなるつもりがないのには同意だけど、もう勝手に結ばれてるんだよ、婚約!」
「置いておくとして」
王子はわたしの言葉に耳を貸さないまま続けた。
「貴様に尋ねたいことがある。ミリィ・カンベル男爵令嬢の行方を知らぬか」
「知ってると思う? きっと今頃隣国とかにバックレてるでしょうね」
「そんなはずはない! ミリィとは真実の愛を結んだ。俺と彼女は心が通じ合っているのだ!」
真実の愛で結ばれているのだとすれば、たとえブランドンに王子としての価値が皆無になったとしても、運命を共にすることを望むだろう。彼の傍に男爵令嬢がいない時点でお察しなのに、固執し続けている彼は愚かとしか言いようがなかった。
「居場所を知ってたらさっさと教えてその女に押し付けてやるのに……」
けれども残念ながら、それは不可能だろう。
わたしがどうにかするしかなさそうだ。
「知らないなら仕方がない。貴様、命に替えてもミリィを探し出せ」
「嫌だけど」
「なんだと!? 王子の俺に逆らうのか」
「ほんと、立場わかってないね、あんた。……ここへ送って来られたのはあんたへの罰でしょ」
ブランドンはかろうじて王族から籍を抜かれてないものの、二度と社交界に顔を出せないほどの恥を晒している。王子というのはもう本当に肩書きだけである。
そのことで自分の立場を理解し、そこそこの反省を見せているならともかく、この態度を見る限りその線は絶対にない。
だから――。
「この偉そうな王子を徹底的に教育してわからせるしかない、か」
「何か言ったか?」
「今からあんたを扱きまくろうって決めたの。あ、ちなみにこれは国王陛下の命令の一環でもあるから、不敬とかグダグダ言うのはなしで」
「待――」
「待たない」
ピシャリと言って、わたしはブランドンの服の胸元を掴み、無理矢理ソファから引き剥がす。
そして彼の体を肩の上にひょいと担いで、部屋の窓を開けてそこから外へ出た。
高さは三メートルほどあるが、これくらいは別に問題なく着地できる。
「なんだ、何なんだ! 貴様、俺をどこへ連れて行くつもりだ!? 降ろせ、降ろせ!」
「向かう先は屋敷から程近く、走って三十分のところにある、辺境騎士団。そこであんたを鍛えてあげる」
「走って三十分は程近くとは言わないッ! というかなんだこの速さは! 振り落とされるだろうが!!」
王都ではシュガツァ辺境伯領の民のことを体力お化けと呼ぶらしいと聞いたことがある。なんとも不名誉な呼び名だ。
しかしこれからブランドンも辺境人の一人となるのだし、これくらいでぎゃあぎゃあ騒がれては困る。
ここではこれが当たり前なのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
辺境騎士団には、シュガツァ辺境伯領が誇る、魔物と最前線で戦う屈強な者たちが集っている。
男も女も関係ない。強き者だけが属することができるのだ。
団長は次期辺境伯にしてわたしの長兄である人物。父は前団長だったが、歳のせいで長兄に追い抜かされた。
ちなみにわたしの家族構成は父母と兄が一人、弟が二人。母は他領から嫁いできたため、この地では珍しいほっそりとした女性。上の弟はなかなかに将来有望、下の弟はまだ幼いので剣を握らせたばかりだ。
そしてわたしは、女性騎士の中で現在最強であり、同時に辺境騎士団副団長でもある。
騎士団に着くなり、それまで稽古していた騎士たちから次々に声をかけられた。
「副団長、おはようございます」
「おはようございます! ……と、その肩に担いでいらっしゃるのは?」
「魔物被害に遭われた方ですかね? それにしては無傷に見えますけど」
「ああ、みんなおはよう。この人は訳ありの新入りよ。兄様にはきちんと話は通ってると思うけど……そっか、今は魔物退治中か。帰ってきたら兄様から話を聞いといて。わたしはこいつ鍛えなくちゃいけないから」
わたしはそれだけ言うとブランドン――わたしの走りに耐えられなかったのか気絶している――を担ぎ上げたまま、更衣室へ。
そこで彼を下ろし、ひらひらしたドレスから身軽な鎧にきちんと着替えてから、ブランドンを揺すり起こした。
「ほら、早く起きる」
「――んぁ」
腑抜けた声は出したものの、案外寝起きがいいらしく、ブランドンはぱっちりと目を開いた。
「ここは……?」
「辺境騎士団の本部。これからあんたには剣術の練習をしてもらうから」
何が何だかわからないと言いたげな顔をするブランドン。
しかしいちいち説明するのは面倒臭いので、革の鎧と騎士剣を投げ渡した。
「ほら、さっさと服を着る。それから剣を持ってみて」
「王子である俺に命令するなど――」
「いいから早く」
喋らせてはダメだと思い、反論の隙を与えぬようぴしゃりと言ってやる。
そして鋭く睨みつけたが、王子はどうにも強情で、「俺は王子だぞ!!」としきりに叫び、革の鎧に視線を向けようともしない。
やれやれと肩をすくめつつ、仕方ないのでわたしは革の鎧を拾った。
「嫌だけど仕方ない、わたしが着せる。逃げようとか思っても無駄だから」
「俺の体に触れようというのか!?」
「他にやりようがないでしょ。自分で着るかどっちか選ぶくらいの選択肢は与えてやってもいいけど」
わたしが本気だと気づいたのだろう。渋々といった様子を隠さないながらも、王子は革の鎧をわたしの手から奪い、着ることにしたらしい。
強気でいけば案外扱いやすいかも知れないとわたしは思った。
「さて、じゃあ早速稽古開始。本当はあんたみたいな新入りは子供が相手するものだけど、一応わたしの婚約者だし特別にわたしが相手してあげる」
「俺はまだ戦うなんて一言も言ってないぞ! というよりこんな辺鄙なところの騎士団に入団した覚えも」
ガタガタ言っているブランドンの首根っこを掴み、わたしは稽古場に向かった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ブランドンの剣の腕は、目も当てられないようなものだった。
わたしが剣の素振りをしただけで紙のように軽々と吹っ飛んでしまったり、剣を握っただけで重さに耐え切れずに地面に崩れ落ちるという始末で、手合わせなんていう次元ではなかったのだ。
「ほら、ちゃんとして! こんな剣だけでへこたれるとかどんなにヘタレなの!?」
「これ、重過ぎるだろう……! 普通の騎士剣はこんな重量あるはずがない。これは拷問器具か何かなのか?」
「そんなわけないでしょ。これはあくまで子供用。わたしたちが使ってるのはこの三倍の重量はあるわよ」
「貴様、人外か!?」
もちろん人間に決まっている。本当に失礼極まりないボンボンだとわたしは鼻を鳴らした。
「文句を言っても無駄だから。この剣を振り上げられるようになるまで、昼御飯抜きね」
「なっ!?」
「『なっ!?』じゃない。さっさとやる。さんはい」
ブランドンは剣を地面に突き立てながらどうにか立ち上がると、引き抜こうとした。
……抜けない。
「弱っち過ぎでしょ。わたしの下の弟より雑魚なんだけど、あんた今まで一体何して生きてきたの?」
しかしブランドンからの答えはない。剣を抜くのに必死らしい。
仕方ないので、わたしはしばらく見守ることにした。
――そして、二時間後。
「あぁ……あぁ……ぁあ……!! やっと……やっと、抜け」
どうにか剣先を地面から引き抜いた瞬間、重みに耐え切れずにブランドンは倒れた。
立ち上がる力もないらしい彼を見て、ため息を吐かずにはいられない。
「これはさらに厳しく教育してやらなきゃダメね」
「や……めろ。俺を……殺す気なのか貴様……」
「殺しはしないに決まってるでしょ。この程度で死んだら目ん玉飛び出るわ」
ブランドンはきっと、精神力が弱いだけなのだ。
心が強ければ体もそのうちついてくる。ということはつまり、心を強くしなければならない。
なので扱きまくって何事にも耐え得る精神力を作る必要があるのである。
「勘弁、してくれ……」
なんと彼は剣を抜いたのみだというのに力を使い果たしたらしく気絶した。
と言ってもわたしがサボりを許すわけもなく、五秒後には叩き起こしてやったけれど。
一度屋敷に戻って体力を補うための肉、肉、肉三昧な昼食を食べた後、ダッシュで辺境騎士団本部に戻り、午後の訓練を始める。
「はい稽古場を百周ね。足を止めたらやり直しだから。わたしについてきなさい!」
「ひぃぃぃ〜!!」
「いい? あそこの森に入って魔物と死闘すること。一応危険性の低い魔物の出没地を選んだけど、致命傷を負わないようにせいぜい気をつけて」
「ぎゃあああぁぁぁぁ――ッ!!!」
ブランドンの悲鳴は高らかに響き渡りまくった。
初日だけで何回絶叫していたかわからない。
そして、二日目、三日目、四日目と日にちが経っても、それはなかなか変わらなかった。
「ひぃ……! ひぃ、ひぃ……!」
今にも死にそうな声を上げている彼の傍らで、わたしは毎日のように団長の兄と手合わせしたり、他の騎士たちの稽古風景を見て足りないところを指摘したりと忙しなく過ごしている。
もちろんヘタレ野郎……もといブランドンの教育もしっかりやっていた。
「腕立て千回! 何なよなよしてんの、ちゃんとしなさい!」
「無理っ、だって、言ってる、だろ!」
ブランドンは軽く涙目だった。
でも、容赦はしない。
「いちいち口を開いている暇があったら集中!」
そのうち口答えせず、ひたすら修行に励むようになるだろう。
だからそれまではただただ徹底的に仕込む。それだけだった。
――もっとも、この程度の教育はわたしであれば五歳頃に受けていたわけだけれど、それと比べるのはさすがに酷だろうからやめておいた。
彼に変化が現れたのは十日が経ち、二十日が過ぎ、一ヶ月を超えた頃のこと。
それまでは目視するのがやっとだった剣を胸の高さまで持ち上げられるようになったブランドンは、まるで長年の宿敵を倒した男のような顔をして言った。
「勝った……! 勝った、ぞ!」
「まだ構えられてもないけど、まあ成長といえば成長ってのは認めていいかな」
「手厳し過ぎるぞ貴様! 鬼か!」
「わたしが鬼であろうがなかろうが指導内容は変わらないから言っても無意味じゃない? そんなことより次はいつも通り稽古場百周だから」
「人の心がないのか……!」
そう言いながらも渋々彼がわたしに従うのは、逃げればわたしに連れ戻されると知っているから。
実際、ここ一ヶ月のうちに彼は三回ほど逃げた。しかし甘っちょろい逃走をわたしが見逃すはずもなく、稽古内容が倍増される結果になったことで、ようやく逃げることを諦めるようになったのだった。
すごく遅い歩みではあるが、一歩一歩前に進んでいるのは確かだ。
ここでは王子という身分は何の意味もなさないと理解したらしく、偉そうな態度も少しなりをひそめてきた。あとは精神力をさらに向上させ、体力も鍛えればいい。
「とりあえず丸一年は様子見かな」
わたしはボソリと呟いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
時の流れは早いもので、毎日目まぐるしく過ごすうち、あっという間に一年が経過した。
一年もすれば、こちらも色々慣れてくる。
例えば、シュガツァ辺境伯家の者たちと共に朝食の席についているブランドンの異物感や、不本意ではあるが彼との婚約者同士という関係などだ。
「……まあ、こんな腑抜け男がお相手っていうのはやっぱり不満はないわけではないけど」
「腑抜け男と言うな。これでも一応、あの冗談みたいに重かった剣を振り回せるようになったんだぞ」
「だからあれは子供用だってば。そろそろちゃんとした剣に持ち替えてもいい頃かなとは思うけど」
「なん……だと!?」
ブランドンの反応がいちいち大袈裟なのにも結構慣れたなとぼんやり思う。
「せいぜい綺麗な金髪を汗で濡らして顔面涙と鼻水まみれにしながら頑張って。それがクリアできたらわたしが手合わせしてあげる」
「気の遠い話だな」
「まあね。でもいいんじゃない、別に。結婚を急ぐ必要もないわけだし」
「結婚か。貴様と俺が。……俺の運命はミリィだと思っていたのにな」
そう言いながら彼はなんとも言えない表情を見せる。
最初の頃のようにあからさまに拒絶されることは減ったが、やはりまだ抵抗があるのだろう。それと、元恋人への未練も。
ミリィという女が今どこでどうしているのかはさっぱりわからない。
きっとどこかで適当な男に取り入っているのだとは思うが。
「嫌なら父様より強くなって、倒してみなよ。そしたら聞いてもらえるかもよ」
「できると思うか?」
「できないとは限らないじゃん」
わたしはくすくすと笑いながら、思った。
そうだ、できないとは限らない。ブランドンにその気概がありさえすれば、達成されてしまうことなのだ。
もっとも、今の状態ではあり得ない夢物語同然であることに、変わりはないのだが。
「――何にせよ、もっと強くならなきゃお話になんないよ。早速今日の稽古始めるから。さっき言った通り、新しい剣をあげるからそれを扱う練習」
「げぇぇ……」
「文句を言わない! さっさと行く!」
わたしはブランドンの腕を引っ掴み、屋敷の外へ連れ出す。
そして半ば引きずるようにして、辺境騎士団までの走って三十分の道を行く――そのはずだった。
屋敷の前で佇む、ピンク髪の少女に出会わなければ。
「ミリィ……?」
今にも消え入りそうなブランドンの声が、静かな辺境に染み渡っていく。
わたしは少女を凝視し、声を失った。だってそれは、先ほど話題に登ったばかりの少女に他ならなかったのだから。
その少女――カンベル男爵令嬢ミリィは花が咲き誇るかのような可憐な笑みで、碧い瞳を潤ませながら、わたしのすぐ傍にいたブランドンに抱きついた。
抱きついたのだ。
「お久しぶりです、ブラン様ぁ〜! ミリィ、ブラン様のことが心配で心配で、ずっと探してたんです!」
どうして彼女がここにいるのか、わけがわからない。
なぜ今更わたしたちの前に姿を現した? なぜこんなに親しげに振る舞う? なぜ、なぜという疑問ばかりが頭の中を駆け巡り、しかし答えは得られなかった。
しかし疑いようのない事実が一つある。
それは、わたしの婚約者に当たり前のような顔をして抱きつくふしだらな女が目の前にいるということだ。
「ミリィ、なのか。本当に?」
「ブラン様ぁ、ミリィのこと疑うんですか? ブラン様の可愛いミリィです! ブラン様がご無事で本当に本当に嬉しくて涙が出ちゃいそう」
「………ミリィ」
ブランドンはただただ困惑するばかりだが、ミリィという女はそんなことはお構いなしにベタベタベタベタと彼に引っ付いている。
それがなんだか、無性に腹立たしかった。
居場所を知ってたらさっさと押し付けてやるのに、と一年前は思っていたはずだ。
お迎えが来てせいせいする。そう思って当然のはずなのに、ここまで腹立たしく思う意味は自分でもわからなかったが。
「離れて」
気づけばわたしはミリィに鋭い声で言っていた。
「そいつから離れて。今すぐに」
「大袈裟ですよ〜。ミリィ、ただブラン様に会えたのが嬉しくって! ですよね、ブラン様?」
小首を傾げ、ブランドンに同意を求めるミリィ。
ブランドンは彼女に視線を向け、しかし何も言わなかった。
同意も拒絶もしなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
多少は信頼関係を築けた気でいた。しかしそれは勝手なわたしの思い込みに過ぎなかったらしい。
「後はお二人でご勝手に!」と叫んで、わたしは一人で稽古場へ来た。来てしまった。
「知らない、あんな奴」
苛立ち紛れに剣を振る。
本当、腑抜けた男だ。久々に会った女にふらついて。そんなのだから元婚約者の公爵令嬢に見限られていたのだろうに、ろくに改善もしないで。
一年間鍛えてやったつもりだった。でも、根のところは変わっていなかったらしい。
どうすれば良かったのだろう。全てあの男が悪いのだと割り切ることもできる。けれど……。
「どうしたジェイダ。今日はやけに機嫌が悪いな。ブランドン殿下が寝坊でもしたのか?」
考えあぐねていると、団長である兄が話しかけてきた。
わたしは兄を振り返り、ぶっきらぼうに答える。
「別に何でもない。ただ、あいつの情けなさにムカついただけ」
「痴話喧嘩か」
「……っ、そんなんじゃ!」
勢いよく振り下ろした剣が、ぶん、と大きな風音を立てた。
それと同時にポロリと本音が出た。
「あいつの扱き方、間違えたかなと思ってさ」
「――――」
「わたし、一生懸命にやったの。いきなり面倒ごと押し付けられて、頑張ったつもりだった。最初は偉そうなあいつへの仕返しだったんだけど、途中からはただ、あいつを強くしてやろうって思って。厳しかったかも知れない、でも手抜きはしたくなかった。
なのに結局、わたしの努力なんてあいつにとってはふらっと現れた女一人に負ける程度だったみたい」
それが悔しくて仕方ないのだ。
あんな女に自分が劣るということが、たまらなく悔しい。
「――ジェイダ、一ついいか」
「何?」
「お前、間違いなくブランドン殿下に恋してるだろう」
わたしはギョッとして目を見開いた。
わたしがブランドンに恋? そんなこと、天と地が引っ繰り返ってもあり得ない――そのはずだ。
「それ、本気で言ってるの?」
「当たり前だろう。それが恋以外の何だというんだ。まあお前は今まで剣一筋でろくに色恋のことを学んでこなかっただろうが、私にならわかる」
兄は次期辺境伯夫人である妻、わたしからすれば義姉に当たる人を王都から連れて来たという経緯がある。
王都で開かれたパーティーで当時子爵令嬢であった義姉に一目惚れし、求婚してすぐに結婚式を挙げたのだ。だから確かに反論はできないのだが。
「わたしがあんな奴――ブランドンに恋するわけないでしょうが!」
どうにも認めたくなかった。
だって、あんな腰抜けである。最初は子供用の剣さえろくに持てなかったような雑魚である。
それにわたしが絆されてしまったなど。
「別に違うというなら違うでいい。だが、それなら他の女に盗られても文句は言えないぞ」
ミリィという女とブランドンが抱き合い、口付け合う姿を想像した。
ミリィはとろけそうな顔でブランドンを見つめ、ブランドンも柔らかな笑顔を浮かべている。とても甘く幸せそうな光景だ。
しかしわたしはそれを黙って見ていることができるとは、到底思えなかった。
「まだ一人前の騎士になってないくせに、途中で逃げ出すなんて許すもんか」
己の手が砕けてしまいそうなほどにぎゅっと拳を握りしめた。
「待ってな腑抜け王子。今度こそわたしがきっちり教育してやるから……!」
兄に背中を見送られつつ、わたしは来た道を風のような速さで駆け戻る。
帰ってきた屋敷の玄関先に、まだブランドンとミリィはいた。
「ブラン様、ミリィと一緒に行きましょ? 隣国には美味しい食べ物がたくさんあって、街も住みやすくて素敵なんですよ。そこで二人きりで過ごしたいです」
「だが……」
「そんなにあの大きな女の人が気がかりなんですか? ――もしかしてミリィのこと、もう好きじゃないんですか?」
体をくねらせ、必死の誘惑をするミリィ。
彼女に一体どんな思惑があるのか、それは吐かせてみないとわからない。けれど問題はそちらではなく――。
「違う。違うぞ。あいつはあれだ、あの、あれなだけなのだ。だからミリィは俺の」
今まで散々他人の屋敷で世話になっていながら、唐突に登場した昔の恋人を選びそうになっているこいつである。
それを目にした瞬間、わたしは少しの躊躇いもなく、平手を炸裂させた。
「この、バカ王子が――!!!」
パン、と乾いた音がしたと同時、ブランドンの体が軽々と吹っ飛んだ。
以前までならこの程度でも気絶していたと思うので、これだけでもわずかながら彼の成長を感じる。
ただ、平手ごときで吹っ飛ぶのはまだまだ軟弱なので、鍛えてやらねばとは思うが。
まあいい。そんなことより今はなさなければならないことがある。
ズバリ、腑抜け王子の再教育だった。
「そりゃあねぇ、この婚約は不本意よ!? わたしだってしたくてしたんじゃないの。文句があるなら父様に勝負を挑めばいいじゃないって今朝言ったばっかりでしょうが!!」
「ぐ、はっ……。き、貴様。貴様ぁっ」
「この際だから言うけど、その貴様っていうのいい加減やめてくれない!? まだ世間知らずの王子様気取りなわけ!? そんなのだからピンク髪女にコロッといっちゃいそうになるんでしょうが!」
仁王立ちになって、叫ぶ。
「その女が何のつもりかはわたしも知らない。けど、どう考えたって怪しさ満開じゃない!? 厳しいかも知れないけど生活の保障してあげてるここから離れてわたしを裏切ってまでそんな女を選びたいの! わたし、そんな奴にあんたを育てた覚えはない!!」
ピンク髪女が邪魔をしてくれるなとでも言いたげな目でわたしを見ている、
しかしわたしはやめない。やめてやるものかと声をさらに張り上げた。
「ねえあんた、腑抜けた王子のままでいいの!? わたしとそんなに別れたいならきっちり手順を踏めっての! バーカ!」
「バカバカ言うなっ!」
「だってあんた、バカでしょ。バカって言われたくなかったらしゃんとする! いつまで寝転がってんの、いい加減起きなさい!」
わたしはブランドンの胸ぐらを掴んで、立たせた。
「あんたはどうしたいのか、はっきりして。この辺境で生きて、わたしに扱かれるか。そのわけのわからない女についていくか、どっちなわけ!?」
「それは――」
「まだわたしはあんたに剣の稽古をしてやってない。一人前に育ててやってない。だからあんたを行かせたくない。行かせてやらないから!」
国王陛下からの罰だからだとか、父からのお咎めがあるだろうからとか、そんなのは関係ない。
ブランドンがどうしてもと言うなら、わたしに止める権利はない。ないけれど、きっとわたしは彼を行かせないだろう。
わたしの強い意志が伝わったのだろう。ブランドンはその亜麻色の瞳でわたしをまっすぐに見つめてきた。
「もしや貴様――いや、ジェイダ、俺のことを?」
わたしは何も答えない。
答えないことで答えとした。
「ブラン様ぁ。もしかしてその大きな女の人の手をとったりしませんよね? だってわたしたち、真実の愛で結ばれて――」
ブランドンにしなだれかかり、甘え声を出すミリィ。
しかし直後――。
「悪い、ミリィ。今でもミリィが好きだ。だが、俺はジェイダの婚約者なんだ」
彼女はブランドンの腕によって振り払われ、尻餅をついていた。
「嘘……」
「残念だけどこれは嘘でも冗談でもないから。――よく言ったじゃん、ブランドン。ちょっと見直したかも」
そう言いながらわたしは、安堵に頬を緩めていた。
ブランドンがわたしを選んでくれた。そのことにこんなに安心している自分がいる。
悔しいけれど、本当に悔しいけれど。
兄が言っていたことは真実なのかも知れない――そんな気がしてならないのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
男爵令嬢ミリィは不審人物としてうちの駄メイドが捕まえ、情報を吐かせることになった。
わたしの世話をろくにせずにぐぅたらするうちの駄メイドだが、実は拷問が得意だったりするのだ。彼女だけではなく辺境伯家で働く使用人全員がなんらかの特殊戦闘能力を持っているのであまり敵に回さない方がいい。
それはさておき、吐かせた結果わかったのは、ミリィは隣国にブランドンを売る気でいたということ。
腐っても王子、色々と利用価値はある。隣国の重鎮にうまく取り入り、ブランドンの恋人だったことを活かし、彼を隣国に連れて行くことになっていたらしい。
団長の判断で、ミリィは辺境騎士団にある牢の中に囚われることになった。騎士団の牢は死ぬほど管理が厳しいのでおそらく二度と出て来られないだろうとのこと。
隣国は今もブランドンを狙っているままだが、国際問題に配慮してとりあえず静観することになった。まあ、辺境にいる限りは連れ去り事件が起こることはないと思うのでそこまで心配していないが。
――そういうわけで、ミリィ関連の事件が一段落着いたわけだ。
しかしブランドンへのわたしの教育は、今もまだ続いている。
「重……っ! 人間の持てる重さじゃないぞ、これは……! もう二度とジェイダと別れようだなんて言わないから強くなる必要はないだろう!? 見逃して」
「ダメに決まってんでしょっ! 甘っちょろいこと言ったらまた引っ叩くから!」
「それが好きな男に対する態度か? やはり辺境人は正気じゃないだろう……」
「シュガツァをバカにしないの! 罰として剣を持った状態で稽古場百周ね」
「そんな無茶苦茶なっ」
またもや悲鳴を上げているブランドンを見てわたしは深ぶかとため息を吐く。
あの一件以来、ブランドンは更生し、彼の腑抜け度合いはほんの少しマシになった……かと思いきや、全然そうではなく、今でも泣き言だらけだ。
ただ、貴様と呼ばれなくなったことは嬉しいし、わたしも彼もお互いに婚約者同士としての認識を正しい形で持てたので、良かったとは思う。
辺境伯領を走り回るだけではあるがデートというのも何度か行ったりもした。
……けれど問題は全て解決されたわけではない。
最大の難関である、いかにして彼を一人前の騎士にさせるかということがまだ残っているのだ。
彼が一端の騎士になった暁に、その祝いも兼ねて婚姻を結ぶ気でいるのだが、これでは一体いつになることやらわからない。
一年後か二年後か、はたまたもっと先だろうか。考えるだけで気が遠くなる話だ。
もちろんどれだけ時間がかかろうと、根気よく付き合い続けるつもりではあるけれど――。
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