2話 出会い
――獣人の娘視点――
何気ない日常が過ぎていく。
行動を起こさなければ何も変わらないと言うが、行動を起こしても何も変わらないのだ。
だが、そんなあたしたちの生活もこれからは何かが変わるかもしれない。
そんなことを考えながら、最愛の妹であるフォンを抱き上げた。
これがあたしたちにとっての、見送りの挨拶である。
フォンへ顔を近づけると、自然と綺麗な髪の方へ視線が誘導される。
母親譲りの透き通った黒い髪だ。
ほんのり香る花の匂いが、その年齢には似合わない上品ささえ感じさせる。
「おねえたん! いってらったいな!」
小さな体を大きく揺り動かし、手を振る様はまさに天使だ。
いや、女神と言ってもあながち間違いではない。
いやいや、神などとうに超えた可愛さである。
妹成分を存分に充電し終えると、あたしは仕事へ行くために扉を開けた。
名残惜しいがこればっかりは仕方がない。
あたしには、やらなければいけないことがあるのだ。
私の仕事は、ギルド協会から依頼されたクエストを達成することだ。
昨日のうちに受けておいた魔物討伐のクエストの内容を確認し、町外れの平原へと向かう。
その内容は、狼もどきの駆除だ。
比較的簡単な部類のクエストであるため、特別な準備や装備は必要ない。
あたしの両親は妹が生まれてすぐに不慮の事故で亡くなった。
それからというものあたしは町のギルドへ入団し、クエスト達成で支払われる報酬で妹を育ててきた。
我ながらよくやっていると思う。
この町に身寄りはなく、むしろ忌々しい一族だと疎まれてすらいるのが現状だ。
どうやら、あたしは獣人の血を色濃く受け継いでいるらしい。
獣人というのは、獣の力を持って生まれた人のことだ。
古くから獣人は災の象徴とされていた。
人にはない強い力を持っていることから国の軍事兵器として戦争の最前線に立たされ、町や国を滅ぼしていたというのが大きな理由だ。
そんなこともあり、獣人に対してあまり良いイメージを持つ者はいない。
そんな中、唯一この町であたしたちを普通の人として扱ってくれた人がいた。
その人こそ、あたしが入団したギルドのギルドマスターだ。
なぜそうしてくれるのかは分からないが、身の回りのことから字の書き方や戦い方まで様々なことを教えてくれた。
おかげであたしは、ここらへん一帯で名の通った冒険者として活躍することが出来ている。
あたしがギルドに入ったことで、元から所属していたメンバーが全員退団するというトラブルもあったが、辺境の町に発生するクエストなんて、たかが知れてるため特に問題はない。
むしろ、あたしがクエストを独り占め出来るという利点さえある。
そんなこんなで、あたしは棘のない日常を過ごしていたのだが――
「そうそう、私はもうすぐギルドマスターを引退するよ」
つい先日、マスターがこんなことを言ってきた。
ぶっちゃけ、今にも死にそうなほど腰の曲がったババアだから無理もない。
だが、ここで問題が発生する。
このババアが居なくなれば、あたしたち姉妹は完全にこの町で孤立してしまうのだ。
しかもババアは、もう後継人を見つけてきたらしい。
あたしたちのこれからが懸かっている、というのに安直だ。
もちろん、たった1人のギルドメンバーだからという理由で反対を訴える権利はない。
万が一、この町の住民が後任になったとしたら、あたしたちを追い出そうしてもおかしくはないだろう。
いつ、この町から追い出されるかも分からない状況であたしに出来ることは、これからの生活資金をがむしゃらに稼ぐことだけだ。
普段は1日に2件クエストを達成すれば良い方だったのだが、ここ2、3日は1日に3件以上はクエストをこなしている。
このペースで働いていれば、ひと月程度は何もしなくても暮らせるほどの資金が貯まる。
ひと月も猶予があれば、あたしたちを知らない人がいる場所だって見つけられるはずだ。
最近の嵐のような出来事を振り返っているうちに、気づけば目的地に辿り着いていた。
狼もどきの駆除が依頼されているのは、この見晴らしの良い平原だ。
この平原は隣町へと繋がる道があるため、稀に旅人や商人が訪れることがある。
そのため、この平原の魔物の駆除という依頼は途切れることがない。
「――っておい、なんだよこれ」
魔物は陽の光を嫌う。
だが例外として、獣に近い魔物は陽の光へ耐性を持っている。
つまり、昼間でも平原に現れることがあるのだ。
その量はたかが知れている――はずだったのだが、目の前にはありえない光景が広がっていた。
芝生の青を黒く染めるように、大量の狼もどきが徘徊していたのだ。
ざっと数えただけでも、その数は100匹を超えている。
ギルドに入団してから、ほぼ毎日この平原に訪れていたがこんな光景は見たことがない。
狼もどき、またの名を狼犬。
見た目は狼だが、中身は温和な犬だ。
本来なら、狩りに使われるほど賢いとされている。
そんなこともあり魔物という分類だが、さほど驚異ではない。
と言いたいところだが、それは少数を相手にする場合の話である。
本来、群れで戦う狼もどきにとって量こそは力。
つまり、この状況において通常の狼もどきの力量は参考にならない。
あたしの気配に気づいた狼もどきたちが周りに集まってくる。
息を荒げ、既に臨戦態勢のようだ。
温和の犬とは誰が言ったのか……。
見た目がほとんど犬なだけに、拳を当てるのは心苦しいが襲ってくる相手に容赦はしない。
あたしは、向かってくる狼もどきたちを次々と薙ぎ払った。
あたしが受けたクエストの詳細な内容は、狼もどきを3体討伐するというものだ。
なのに現状はこの有様で、既に40匹以上は討伐している。
どう見てもやり過ぎだ。
あまり好まれた手段ではないが、敵前逃亡を決める。
いくら囲まれたとしても、獣人の血を引くあたしの敵ではないが、このままでは体力が減るだけで、確実に全ての狼もどきを討伐を出来る確証は無いのだ。
逃げるのは恥だ、でも命には替えられない。
あたしには妹という、守るべき存在があるんだ。
「お前らに殺されてたまるかよ! じゃあな!」
魔法が使えたのなら大技で駆逐するのだろうが、あたしは魔法が使えない。
足に力を集中させ地面を蹴り上げる。
あたしは町へ向けて、駆け出した。
狩りに適した狼もどきであっても、本気で逃げるあたしについてくるのは至難の業だろう。
上位個体の数匹が、匂いで後を追ってきたら上出来だ。
10分ほど全力疾走したところで、町の入口が見えた。
後ろに目を向けると、予想通り数匹の狼もどきが着いてきている。
その駆ける速さからみて、狼もどきの上位種である魔狼で間違いないだろう。
にしても、魔狼がこの辺りで数匹も現れた話なんて聞いたことがない。
狼もどきの数もそうだが、何か異変が起きている。
「ちょ、邪魔邪魔!」
全力で走りに集中してたため、気付かなかった。
目の前に、少女が歩いていたのだ。
しかも、少女は呑気に鼻歌まで歌っている。
ここであたしがこの少女を巻き込んで怪我をさせたとしたら、新参ギルドマスターなんて関係なく退団だろう。
それだけは御免だ。
「そこのあんた! 死にたくなければ、伏せろ!」
「え? えぇ?」
少女は声に反応して、後ろを振り返る。
その顔色はみるみると、青ざめていく。
無理もない、後ろを振り返ったら魔物が襲って来ているのだから。
しかし、意外なことに少女は怖気づくことなく構えをとった。
「ば、馬鹿! 早く伏せろ」
このままでは、あたしが思い描いたとおりに進まなくなる。
少女が大人しく伏せてくれれば、全力の回し蹴りで魔狼をまとめて薙ぎ払うことができた。
その威力は魔法にだって劣らないと自負している。
だが、威力が高過ぎるためこの少女を巻き込んでしまう恐れがある。
魔狼の代わりにあたしが怪我をさせていたら本末転倒だ。
だから、伏せさせることが最善の策だったのに。
「顔が良い私に、種族の壁なんてなかったのですね。ああ、自分の顔の良さが怖い」
少女は意味の分からないことを呟いた。
理解ができない。
これが俗に言う狂人というやつか。
ババアは言っていた。
馬鹿は怪我をさせても大丈夫だと。
少女ごと薙ぎ払う決意を固め、走っていた時のように足へ力を込める。
ところが違和感を感じ、振り上げた足を下ろす。
この狂人少女が、何かしようとしてる気がする。
「獰猛な獣たちよ。眠れ、眠れ、眠れ」
期待に応えるように、少女は魔法の詠唱を始めた。
その瞬間、周囲の魔力の流れが歪に変化する。
「魔力とは」と聞かれても、難しいことは説明できないが存在を認知することは幼い頃から出来た。
魔法が使えないのに、魔力の流れが分かっても意味は無いため、ただの宝の持ち腐れだ。
「静かに眠れ」
そして、少女の空を切るような一言で、辺りは静寂に包まれた。
前髪を揺らすような風の音さえも聞こえない。
視線を足元に移すと、盛っていた数匹の魔狼は、死んだように横たわっている。
腹部の辺りが小刻みに動いて見えることから、死んでいるわけではないだろう。
「いや、危ないところでしたね。お怪我はありませんか?」
そう言うと、顔が良い少女は首を傾げながら問いかけた。
首を傾げる動作までもが美しい。
他人には興味のない性格と自負していたが、思わず魅入ってしまう。
こんな少女と出会うのはこれが最初で最後だろう。
更新遅くなりました。
本当は4話まで書いてあったんですが、改稿してるうちに……
来週から環境が変わるので、毎日更新を目指します。
よろしくおねがいします。