ぼっちと孤高 8
お休みだ。
土日二連休の二日目である。
お休みというのは休むためにある。
二日休みがあったなら、次の日の仕事もしくは学業に備えて英気を養うために後ろの休日はゆっくりするべきなのだ。
そして、前の休日は。
五日という過酷な労働に耐えた体が目には見えない疲労を抱えているため、やはりゆっくりすべきなのだ。
人間は休日を欲してるまである。
やあ、釈迦。俺もたどり着いたよ。
うちのリビングにあるソファーで全力で脱力する様は、かの菩提樹の下で瞑想したという誰かを思わせたり思わせなかったり。
「人類でゴータマさんと俺だけやね……」
「とりあえず兄ちゃんは仏教に謝って」
「うち神道なんで。洗剤はいりません」
「謝って。リンゴジュース持ってきたあたしに謝って」
ん、と突き出されたコップを受けとる。
二つあったが、ピンクじゃない方だ。
バリバリと何かを頬張りながら選ばなかったコップを引いた妹が、兄の足を追いやって隣に座った。
それを横目で見ながらコップに口をつけると、仄かな酸味と圧倒的な甘味が口の中に広がった。
隣で、んくんくと一気飲みする妹。既に中身も少ないのか、その角度は九十度を越えている。
少しの肌寒さのためか、フード付きの黒いパーカーは長袖で、下も赤いジャージを履いている。
……両方俺のじゃねえか。
どうなってんだよ兄妹間の服のやりとり。誰か統計を纏めてくれ。
身長に差があるため、袖も裾も余っている。
あーあー。
「お前……下は曲げとけ。転ぶぞ」
コップをテーブルに一旦置くと、俺は妹のジャージの裾を折り曲げてやった。
知ったことかと手に持っていた残りのクッキーを再び頬張る妹。
……もしかしなくてもそれ俺のじゃね? 母ちゃんなんて言ってた? 仲良く食べなさいとか言ってなかった?
「兄ちゃん。朝ごはん食べないの?」
妹の裾上げをしてやってると、ようやく咀嚼の終わった妹がそう訊いてきた。
そう、まだ朝なのだ。
黒い長袖長ズボンのジャージという寝間着姿の俺。
なんの予定もないのに、目が覚めてしまった。
いや冴えてしまった。
珍しい現象に部屋にいる気分でもなくなりリビングに降りてきてしまい、お腹が減っているわけでもないからボーっとして今に至ってしまった。
おかげで朝食は平日も休日も同じ時間に食べる妹とバッティングである。
せめて自分で作れよ。母さんそのうち倒れるぞ。緊急事態だぞ。
「俺の胃袋がまだ追い付いてきてねえから」
「だと思ってあたしが処理しておきました」
「うん? なんだって?」
「ひゃああああ! 兄ちゃん、力持ちぃ! あはははは!」
足首を掴んでそのまま逆さ吊りにしてやったら喜ばれた。
軽っ?! ちゃんと飯食ってんのか? 必要以上に頂いてますね。
これでは罰にならないとソファーに落とす。
「もっともっと! 兄ちゃんもっと!」
「分かった。俺が悪かったから。離れろ」
楽しそうに抱きついてくる妹の頬をムニーッと追いやる。
「ひいちゃん! ほっろ!」
「ひいいいい?!」
妹が新しい性癖に目覚めてはいけないので、この辺で勘弁してやる。
ニコニコと腕に抱きつく妹に、反対の腕で頬杖をつきながら溜め息をつく。
「……お前、今日予定とかねえの?」
遠回しに、どっかいってくれない? と言ってみた。
「おお……。兄ちゃんが妹をデートに……」
「誘ってねえから」
「食べ放題に……」
「誘ってねえから」
「あたしはそんなにお安くないよ? 具体的には資金にゼロを一つ足して貰おう」
「エンゲル係数やべえから」
お前の将来の彼氏は大丈夫かな? バイト三昧で貢いだ上に破産しか見えない。
……彼氏か……。
チラッと横目に見る妹は、いつもと同じで能天気だ。
アホに悩みはないのだろう。
鼻歌なんか口ずさみながらコップに残ったジュースを飲み干している。
「……いや、俺のじゃねえか」
「兄ちゃんの食べ物はあたしのもの! あたしの食べ物は全ての食材」
「高級なのも含む?」
「含む!」
将来の彼氏が心配だ。
食べる物がなくなったからか、ウキウキとゲームのセッティングを始める妹。続く鼻歌。やたら上手い。
……いや、相手しねえよ? なんで対戦ゲーをセットしてるか知らんけど。
突き出してきたコントローラーは握らなかった。
すると俺の握り拳を開こうとする妹と揉み合いになった。
やーらーなーい、やらな……いやだ。いーやーだ。ちょ、しつこ。
「や、やめてー! たっ、たすけてー! 誰か、誰かああああ?!」
「おとなしくしろ兄ちゃん! 誰も助けになんてこねえぜ? なにせ自宅なので」
「あんたたち……なにやってんの?」
来たじゃん。
どっちがどっちの台詞かなんて言わなくても分かるな。
か弱い方が被害者だ!
野太い悲鳴に反応した……というか単にドタバタとうるさかったからか、台所から母上が隈の残る顔を覗かせた。
手にはマグカップ。
眠気覚ましのコーヒーかな?
裁判官に犯人をスビシッ!
「この人、変なんです!」
「知ってる。お父さん起きてきちゃうから、静かにしなさいねー」
あれえー?
ご自分の娘が変呼ばわりされてるのに、母上ってばクール。
トテトテと帰っていく母さんを共に見送った妹と目が合う。
「……誰も助けになんてこねえぜ? なにせ自宅なので」
「続けなくていいから。分かったから」
自宅なのにアウェーってどういうこと?
どうどう、と手振りで宥める俺に――何故か妹は勢いよく飛び乗ってきた。
「とう」
「ぐえっ」
分かったって言ったのに?!
「……降参した将に、なんという仕打ち?! そのようなことではのちの政に響きますぞ!」
「税は六割。全て食べ物で献上させる」
「暴君?!」
「世は腹ペコなり」
大飢饉じゃねえか。
ぐでーっとソファーと妹に挟まれる。
「兄ちゃんサンドイッチ!」
「兄ちゃんはサンドイッチではない。やだ! 歯を立てないで?!」
カパッと口を開く妹に恐怖を覚える。
冗談だよね?
仕方なくコントローラーを受け取ると、納得したのか頷いて俺から降りてくれる。
受け取るまで攻勢を緩めないのは、普段の俺の行いのせいだろうか……。
そこで油断することなく隣に陣取る妹。
色合いの派手な、そのくせ音量は配慮した画面を妹と隣合って見つめる。
いつもは罰ゲームだなんだと決めるのだが、今日はもう罰が執行された後みたいなものなので……。
「負けた方がからあげさんの牛スジ味を買ってくるで」
あるってよ。
「まだ食うの?! しかも探すの大変そう!」
なに? お腹空いてんの?
「それかヴィタメールかレオニダスかゴディバのトリュフでいい」
「なるほど。桁が、なるほど」
現在のうちの家計も心配だ。
……もしかして隠してたチョコ食ったの怒ってる?
◇◇◇
妹の思惑に乗ってゲームの設定を進めていると、その当人はそそくさと台所に行ってしまった。なんでだよ。
二人プレイのゲーム中に一人にされるとか、俺のボッチ度はどんだけ高ぇんだよ。
それでも仕方ないと思える自分がいて。
……それは、家族だからなのか。
――それとも、一人が永すぎたからか。
「ふい」
確かに不意討ちだ。
思考の海へと沈みかける意識を邪魔するように、目の前に突き出されたリンゴジュースの1Lパック。
いや……目の前っていうか、オデコに直撃というか。
顔を上げると、別のパックを一気飲みしてる妹。
「コップ使えよ……」
「あとちょっとしか入ってなかったから」
そんで新しいのも開けるの?
「クッキーはもうなかった。母さんがこっそり買ってた高いやつだったから」
「兄ちゃん泣きそう」
「代わりに駄菓子屋で買った飴を持ってきた。閉店セールで二個10円のやつ」
「落差にも程があるだろ?」
受け取ったリンゴジュースのパックを開け、テーブルに載った二つのコップに注ぎわける。
妹はそれを嬉しそうに見つめ、空のパックをテーブルに載せ、ポケットから取り出した飴玉を……。
二つとも潰れていた。
「食える」
「いや、そうだろうけど……」
「一個は兄ちゃんにやろう」
「毒味かな? 毒味だね?」
「はい」
ずっと持ってたんなら、さっきわちゃわちゃやった時だな。
妹が差し出す平たくなった飴の包みを嫌そうに受け取る。
「……ありがとう」
「心が込もってないなあ」
「むしろ、これでもか! ってほど込めたわ」
「あれ?」
マイナス方向に。
これがお高いクッキーとやらだったらマイナスにマイナス掛けてプラスにしてやっても良かった。
……マイナスにマイナスを掛けて、か。
それができるなら人の悩みなんてなくなるよな……。
「むむ、兄ちゃん隙あり!」
「ない」
「ああっ?! どうしてそんな酷いことするの? どうしてそんなことができるの? あたしが悪いの? あたしのせいなの?」
うん。お前が悪い。
開幕即効とばかりに大技を繰り出してきた妹のキャラに、小技で怯ませ強制キャンセルさせたらなじられた。
いいなー、アホって。楽しく生きられそう。
「むむ、兄ちゃん好きだらけ!」
「ない」
「ああっ?! 受け取ってよあたしの愛ぃ!」
「受けたら死ぬやつじゃん。重いなんてもんじゃねえ」
画面を見て一喜一憂する妹。
表情豊かだよなぁ、こいつ。
どっかのダウナーさんとは大違いだ。
比べたから悪かったのか。
それともこの空気感が緩ませたのか。
気づけば意図せず言葉が滑り出ていた。
「なあ?」
「うん?」
訊くともなしに問い掛けたのは、普通の話題だ。
……でも親が子にするようなもので。
「お前って悩みとかないの?」
「ある!」
「だよ……うん?」
「やったー!」
画面の中でフッとばされる俺のキャラ。
いつの間にかソファーから降りてジリジリと床を前に進んでいた妹が手を上げて喜んでいる。
……いや、戻ってきますけど?
「ああっ?! なにそれ卑怯! そんな裏から……兄ちゃんの変態!」
「いや待て。それはいい。いやよくないけど。それより……え? あ、あるの? 悩み……」
「そりゃあるよ。人間だもん」
「に、人間なの?」
お前?
驚愕に目を開く俺に、『なに言ってんだろうこの人』と見つめる妹。
スッと立ち上がる妹にビクリと震える俺。
ツカツカとこちらに歩みよると、ソファーに腰を降ろして腕を絡めてきた。
いつもなら文句や悪口が出るのだが、どことなく迫力があるというか……こちらから話し掛けた手前、逆らえない雰囲気が出てる。
妹のくせに。
澄ました顔で。
「そりゃ、ありますよう? あたしもお年頃ですからぁ? 兄ちゃんには次元の及ばないようなものが……一つ二つ」
「……なにそのキャラ」
「五つ七つ」
「多くね?」
それにしても……そうかぁ。
「あるのかぁ……」
「あるある!」
「あ、てめ」
どうやら腕を絡めてきたのは画面の外で物理的対処をするためだったらしい。
ロックされた腕をほどけず、再びフッ飛ばされた俺のキャラが画面の外へと消えていった。
「やった勝ったー! 悩みが一つ消えたよ!」
「悩みの一つってゲームに勝つことなの?!」
「ううん。罰ゲーム嫌だなって」
「それ考えたのお前だけども?!」
「へっへー。兄ちゃん兄ちゃーん!」
グリグリと顔を擦り付けてくる嬉しそうな妹。あざとい。
しかしこれは愛情とかじゃなく、純粋に美味いものが食えるという欲望だ。欲張り。
「チョコは勘弁して欲しいなぁ」
「ふっふっふ、どうしようかな」
選択権もそっちなの?
俺は勝利に酔いしれる妹に指を一本立てて騙り掛ける。
「いいか、よく聞け?」
「わかってる。からあげさんでいいよ」
「そうじゃない。罰ゲームに期日がなかったことだ」
「きじつ。ああ、うん。なるほどね」
「……いつまでにやるか決めてなかったってことだ」
「……はっ?! 確かに!」
アホで良かった。
「つまり、直ぐに買ってこないといけないわけじゃない」
「そうなるね」
「いつか買ってきてやる」
「楽しみだね!」
ちょっと心配になってきた。
意気揚々と頷く妹に若干の罪悪感を覚える。
だからか。
「……まあ、なに? 罰ゲームじゃないけど、なんかして欲しいことないか?」
「おお。兄ちゃん太っ腹!」
そんなことが口をついて出た。
言われて、うーん、と顎に人差し指をあてて考える妹。
「あ、できる範囲で。高くない感じで」
その姿に恐怖を感じ予防線を張るのも忘れない。
悩んだ末に顔を上げた妹から出た言葉は、
「じゃあ、兄ちゃん元気出して!」
だった。
……色んな意味があるけど?
いや。こいつは元小学生。つまり――
「現金?」
「違う。元気だよ元気。オラに力を分ける方」
「ああ、そっち。無理」
「即答?! なんで! できることって言ったのに! なんでなんで!」
「人間には向き不向きというものがあってだな?」
「そんなん関係ない。いつものでいいの、いつもの元気」
「なんならいつも元気ないまである。それがフラット」
「ほんとだ!」
「でしょ?」
「じゃあ、いつもの兄ちゃんに戻って」
「……いつも通りのつもりだが?」
「違う。ほんのちょっぴり違う。いつもの兄ちゃんならもっと優しいし、もっと甘やかしてくれるし……」
それどこのお兄さん?
「もっとダメだし、もっと目が死んでるし、もっと乱暴」
俺だな。
「妹は兄が心配です」
「……なんてこった」
「うん。どうせしょうもないことで悩んでるから」
「…………なんてこった」
こいつと考えてることが同レベル?!
人生で一番の驚きですよ。
悩みもフッ飛ぶ。いや悩んでねえけど。
「兄ちゃんは自分のことじゃ悩まない」
「おい。風評被害甚だしいぞ」
「だから大抵が他人のことで悩む」
「ないな、ない」
「そんなんどうでもいい人たちだから。いちいち悩まなくて、切って捨てていい。そんなんより兄ちゃんが大事。放っておいていいから。置いておいていいから。意外となんとかなるし、ならなくても兄ちゃんに責任も影響もない」
あ、もしもし子供悩み相談室? 妹がスーパードライで困ってます。いやアルコールは関係ない。ちゃんと聞いて!
「突き放していい。なんなら罵詈雑言を叩きつけてもいい」
「いやそれはよくない、よくないな、うん。よくないよ?」
お前の教育に。
父さん母さん! 起きて! 家族会議だ! 題材は妹の将来について! うん、違う意味の心配も出てきた!
じっとりと汗を掻く兄を見ずに、妹はいつからか真顔で画面を見ている。
お互いに目を合わせない。
カチャカチャというコントローラーの音だけが響く。
落ち着け。どうせこれもこいつの盤外戦術だから。
チョコレートの二箱目を狙ってるだけだから!
画面の中で妹のキャラが俺のキャラをボコボコにしている。
その攻撃は、研ぎ澄まされていて妹のプレイスタイルらしくない。
いつも大技狙いなのに。
カウンターを決めるついでのように、妹が俺の問いに答える。
「問題ない」
「問題しかない」
「だから兄ちゃんは、元気を出すべき」
う、うーん。
なんだろう……ほんとに悩んでなんてないんだが。
お前のことで悩みそうなことよりは。
確かに気になるというかモヤモヤするものはあったが、それは悩みというよりは不安のようなもので、しかも取るに足りない妄想に近い考えで。
本来なら起こることのない想像で。
……そうだな。考え過ぎだよなー。
そう思うと肩の力が抜けた。
「元気出た?」
「いや抜けた」
「よし!」
やっぱり盤外戦術だったか。
しかし笑顔を取り戻した妹に、俺も自然と笑みが浮かんだ。
安堵の笑みだ。怖かった。
画面の中で俺のキャラがフッ飛ばされ、またもや消えていったが、心配を掛けた妹への手間賃と思おう。
決してビビったわけじゃない。
歓声を上げる妹が振り向く。
「じゃあ、これでからあげさん買いに行けるね!」
俺の笑顔は固まった。
おい、売ってねえぞ?! 牛スジ味!
◇◇◇
お年玉貯金を切り崩すという……苦い休日だった。
可愛い女の子とのデートのためだから仕方な……あれ? デートじゃない時の出費の方が激しいぞ?
これはバイトとかしなければいけないのだろうか?
思考がパリピに流れてるぞ。ボッチの強みってなんだ? 決まってる。その精神力だ。
断じてアルバイトはしない、断じてな!
休日明けの昼休み。
昼飯の入ったコンビニの袋を覗きながらそう決意した。
……しかし昼飯の量をもう少し減らす努力はしようとも思う。
やはりお弁当を買うべきなのか? しかしサンドイッチにハンバーガーにおにぎり二個にお茶というラインナップが俺を誘惑する。
ながら食べに最適。
デザートのヨーグルトは問題ない。一番安いもの。コツコツ積み重ねても一発当てる人には負けるもの。
中身を確認し終えたコンビニ袋を掴んで席を立つ。
軽やかな笑い声と楽しそうな喧騒を背にして教室を出た。
最初は嬉しかった昼飯代込みのお小遣いのアップも、こうなってくると色々思うところがある。
給食の強制グループ飯で弾かれるのも嫌だが、自由に飯が食えるのも問題だなぁ。
なんてちょっと贅沢なこと考えながら、今日はどこで食べようかと適当に足を運ぶ。
図書室奥のベランダに置いてある飲食可能ベンチ、体育館脇、駐輪場横の運動場が見える段差、空き教室の準備室。
選択肢をチョイスしなければ。
そのいずれにも人に会う可能性がある。
戦士たちとかち合うという意味だ。
専有権は先に来た方にある。
どこでもいいのだが、二度手間や最終兵器トイレになるのは避けたい。
下には下の争いというものがある!
非常に消極的だが。
ちなみにランクの上の人が来ると一蹴されるので、なるべく来にくい場所が選ばれるのだが、行き着く場所は大体似通ってくる。
……そろそろ屋上前の踊り場に戻ってみようかな? なんて考える。
どこで食べても楽しいと言えるグループ(Aグループ)があそこを使い続けるには不便な場所だ。
遠いし。
もう飽きた頃合いだろう。
となると……階段を一度下に降りてから、渡り廊下を渡って隣の校舎に行く必要がある。
体育館にも行ける道だ。
必然、金髪の教室の前を通る。
チラリと視線が行くのが人情というもの。
……しかしあれだな。今日は人の壁がないな。
さすがに一週間も経つと騒ぎも緩和されるんだな。
おかげで見やすくなった教室には、カースト戦士たちがたくさんである。
各所に散らばるA~Cのグループ。
金髪の所属グループを知らないので、どこの塊にいるのか分からなかったが……。
パッと見た感じ、あの輝きはないように思えた。
ジロジロ見るのには勇気がいるし、そもそもそこまでして探す理由もない。
「お見舞いどうする?」
「とーぜん行くし!」
「だよね? 絶対見たいもん! 部屋とか凄そうじゃない?」
「あ、俺も俺も!」
「いや、女子はともかく、俺らは無理じゃね?」
「大勢は特にな」
「関係ないっしょー、これ心配のキモチよ、キモチ!」
「……あたしが言ったのは、お見舞いの品なんだけど」
ただ、通りすがる間、一番声の大きいグループのそんな話が聞こえてきた。
お見舞いってなんだろう?
あれかな。
こいつをお見舞いしてやる! ってやつかな。
カーストの上位は上下関係に敏で常に相手の弱みを探ってるって噂だからな、あり得る。
つまり誰かがお見舞いに来たら武装するのが正解だね。
あ。
お見舞いに来てくれる知り合いとかいなかった。
一人だった。
なんて安全性なんだボッチ。
有名な車のメーカーに勝る。
この天気すら自分を祝福しているようだ……!
天上廊下と呼ばれる屋外の渡り廊下に踏み込む。
別に天気は晴れてない。
むしろ曇ってる。
だがそこがいい。
雨は上位カースト勢の外行こう欲を削ってくれる。
更に降りそうとなったら足が鈍るのだ。
屋上前の踊り場を使用できる率も高まる。
分岐を右に曲がり校舎に入る。
静かだ。
踊り場で騒いでたら校舎中に声が響いてる筈! うん。盛った。さすがにそれはない。
しかし廊下を渡り、階段に差し掛かっても話し声は聞こえてこな――
「……スン……うっ、うぇ…………ぇぐっ………………スン」
――い、代わりに泣き声が聞こえてきた。
静まりかえる校舎の階段に響く女の泣き声……。
やめとけ、やめとけ。
碌なことはねえ。
たとえ聞いたことのある声だとしても、俺には関係ない。
ボッチてのは、一人のやつの総称なのだから。
自分以外と関わりを持たない奴を言うのだから。
……行くなって。
とり憑かれるだけだって。
表情や意思とは裏腹に、足は上を目指して進む。
下にいるのだから、上がらないことには会えない。
……普通なら交わらない。
カツカツと、普段ならしない足音を立てて階段を登る。
その音に、泣き声が……小さくなる。
止まらないとばかりに、なくなりはしない。
最後のワンフロア。
この前はこの『立ち入り禁止』のテープのところで引き返した。
なんだこんなもん。
跨ぐなんて面倒はせずに、無いものとして進む。
空気読むなんて能力がDランクにないから。
テープが引き止めるように纏わり付いてくるが、知ったことではない。
強く踏み込んで最後の一段を登りきる。
階段がなくなったところ、屋上の手前。
遭遇率0地点。
開かない扉の前に、金髪はいた。
両手で膝を抱え顔を伏せて座り込んでいる。
ポタリポタリと床に染みをつくる悪霊に、俺は迷惑そうに言った
「――――よう。お待たせ」