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AダイアリーA  ゲオルギオ・ハーン


 私はふと日記アプリの記録を読み返すことにした。

 日記を読み返す時の気持ちというのは人それぞれだと思う。悲しい時や辛い時に楽しかった記憶を思い出すために読み返す人もいれば幸せな『現在』に至るまでの道のりを読み返し、現在の幸せのありがたさを噛みしめる人もいる。

 私は後者だ。幸せに至るまでの経緯を読み返して明日の結婚式を心から喜びたいと思う。


『2013年5月2日(木)。あ~あ、GW期間中だっていうのに塾で勉強とか最悪。来年の試験に備えてとかいうけど、こんなに前から頑張らないといけないのかなぁ。中学二年生の貴重な時間なのにちょっと残念。こんな美少女を一日中缶詰にするなんてひどい話だよ(休憩時間での塾の風景が撮られた写真が添付されている。面白みのない教室を背景に友達数名の他にはなんの魅力もない塾の先生が写っている)』

 6年前のことからに読むことに決めた。私が中学二年生の時の記録だ。

 どうしてこの日から読み始めることにしたかと言えば、私が好きな人というのを意識した日だからだ。その好きな人というのは私の隣に写っている美少年。名前を羊山ひつじやま ひろし君という。彼は中学生ながら大人のような落ち着きがあって、顔立ちも俳優のように格好よく、服や持ち物にセンスがあった。運動神経も良くて、サッカー部(私の母校のサッカー部は全国屈指の強豪校だったはず)ではレギュラーだそうだ。要は絵に描いたような、私があこがれる美少年だったのだ。

 日記をいくつか読み進めると、羊山君や友達と遊んだり、一緒に勉強して思い出を作った話が書かれていた。羊山君とは仲良くなれたけど、残念ながら告白はなかなかできなかった。私は少し臆病だった。心の準備ができていなかった。

 しばらく私の日記はそんな調子だった。付き合いたいと思っても一歩が踏み出せない。そのくせ、妥協というのが嫌いで、告白されても気に入らなければ平気で断っていた。

 別に羊山君に固執していたわけではなかった。ほかに良い人がいれば付き合いたいと思っていた。自分が好きだと想える人と付き合いたかった……と日記に書いてある。今読むと少し恥ずかしい。

 日記を読み進める。

『2018年12月1日(土)。5年越しの恋実る!! 今日から羊山君と付き合うことになりました! 高校から同じ学校になって、大学も同じだったからね。これは運命としか言いようがないよね。美男美女カップル、ここに成立!! (羊山君とのツーショット写真付き)』

 これが初めて彼氏ができた瞬間だった。とても嬉しかったな。しかも、羊山君だ。この後はひろクンと呼ぶようになるんだけど、中学生から好きだった人だから夢みたいな一日だった。

 しばらくはひろクンとの楽しい日々が書かれるんだけど、なんだか段々と雰囲気が悪くなってくる。読んでいる私の気分も落ち込んでくるほどに。当時のことを思い出すのは躊躇われた。私は彼と結婚するわけでもないし。

『2019年6月25日(火)。今日はなんだかとても疲れた。悪いこともあったし、良いこともあった。結果的にはプラスかなぁ……。ひろクンとの仲直りがうまくいかなかったところから幸先が悪かったというのだろうか。なんであんなに話になっちゃうんだろ。まだ半年しか付き合っていないのに。ほかの人は好きな人と何年も付き合えるのに、おかしいよ。そのあとは変なお客さんに絡まれちゃうし。

 本当にあの客おかしすぎる。私は注文内容を間違えていない。確かに「チーズバーガーセット、飲み物はコーラ、サイドメニューはポテト」だって。

 これまでこんな分かりやすい注文を間違えることはなかったのに。注文されたものを渡したら。

「違う、俺はアイスコーヒーを頼んだだけだ。何を聞いていたんだ。おかしいだろ!」

 と怒鳴りだした。おかしい。店長が仲裁しようとしたんだけど、その人、すごい怖い声を出して、それで店長もビビッて、周りの他のお客さんも知らんぷりかお店から出ていこうとするしで最悪だった。殺されるかもって本気で思った。だって、あのお客さん、店長がビビったら視線を私に戻して、睨みつけたんだもん。おかしいよ。

 でも、次の瞬間に(地味だけど)デキるビジネスマン風のスーツ姿の男の人が助けてくれたんだ。すごかったよ、毅然とした態度で事情を尋ねると、流れるような話しぶりで説得しちゃうんだもん。同じ男でもここまで違うのか、と頭のおかしいお客さんとビジネスマンを見ながら思っちゃった。そういえば、この男の人、このお店の常連さんだった。だから、お店を守ってくれたんだね、ありがとう。まあ、美女の私が困っていたのも良かったのかもね。美女を助ける勇者ってやつ?

 おかしなお客さんが出ていくと常連さんは私にケガはないかって言ってくれたし、もう最高。こんなに素敵な人がいるなんて。見た目は二十代後半ってところだから彼女とかいるんだろうなぁ。今度来たら聞いてみようかな。

 バイトを終えて部屋に帰るとひろクンがいた。その後は―――』

 ここで私は読むのを中断する。我ながらなんという文量を書いたのだろうか。でも、確かにこの日のことは今でも覚えている。本当に濃密な一日だった。朝から大変だった。彼氏とのトラブルを解決するつもりがかえって拗れるという。私の言い方が悪かったのかもと今なら思える。

 職場でのトラブル。本当に妙な客だった。今の私も飲食関連のお店でバイトしているけど、ここまで変な客は滅多にいない。この店長はショックを受けて、このあと一週間お休みをとってしまうんだけどあんなとんでもクレーマーに絡まれたら当然だ。私は彼氏と喧嘩した後だったのもあって男性の怒声に対して耐性が残っていたからなんとか踏みとどまれた。

 ああ、それにしても賢一さんと会話したのってこの時が初めてだったんだなぁ。

 それまではいつもお店にいるデキるビジネスマン(私はビジネスマンのどこを見ればデキるなんて知らないからあくまで見た目でデキるっぽいというだけ)という印象だったけど、まさかトラブルの仲裁までできるなんてね。そういえば賢一さん、この頃にはコンサルの会社でもなんだか上の方にいたそうだからあながち私のビジネスマンを見抜く力も悪くないかもね。いやいや、すごいのは賢一さんか。

 当時のことを思い出したら賢一さんの声を聴きたくなった。ちょっと書斎にお邪魔しちゃおう。

 ……あれ、そういえば、この日の夜はなにかあったっけ?


『2019年6月27日(木)。急いで後片付けしたから疲れたな。あと、アパートも探さなきゃ。友達の部屋で寝泊まりするのもいいけど、他人の部屋って落ち着かないんだよねぇ』

 そういえば、秋子の部屋に泊まってたんだっけ。近くに暮らしていてよかった。なぜかは分からないけど、あの部屋に帰る気にはなれなかった。この時は問題が山積みだったから気分がよくなかったみたい。翌日は疲れたの一言で終わっていた。

『2019年6月29日(土)。今日はすごい日だ。まったくこんなドラマチックな日があるのだろうか。バイト先でこの間のデキるビジネスマンことつた 賢一けんいちさんが話しかけてきたのだ。

 彼はこの間のトラブルのことを覚えていて、調子はどうか気になったそうだ。

 なんという紳士なのだろうか。やはり、仕事ができる人(何の仕事か知らないけど笑)は性格も良いんだなぁ。

 すると、賢一さんは話が長くなることを察して、私の話がひと段落すると、良ければ相談にのる、と言ってくれたのだ。一対一で会うというのには抵抗があったけど、お店の隣の喫茶店だし、昼にしてくれるというので明日、改めて相談することにした』

 短くまとめているが、確か賢一さんとは仕事中だというのに一時間ほどは話を聞いてもらったはずだ。賢一さんにも迷惑をかけてしまったが、次の日じっくり聞いてくれるというのは嬉しかった。

『2019年6月30日(日)。賢一さんはすごい人だ。なぜって、私の言いたことをすべて理解して、すぐに言葉を返してくれるのだ。さらにすごいのは私が飲みたい飲み物の種類や食事をズバリ当てたのだ。名探偵のようでとても驚いてしまった。「前から好きだったよね、このお店のボンゴレスパゲッティー」と言われた時はドキッとしてしまった。きゃー、なんで知っているの、エスパーじゃない、この人!? そういえば、なんかマジシャンみたいな雰囲気があるし笑 おかげで話はとても盛り上がり、あまりにも感動した私は帰り際に賢一さんに告白してしまった。恋愛なんて勢いよ!』

 ……ふと、変な感じがした。なんで『前から好きだったよね』なんて書いているのだろうか。

 記憶違いだろうか。面識はあったけどお店以外で会ったのなんて初めてなのに。そもそも、初めて一緒にご飯を食べたのに飲み物や食事をそんなにさっさと決められるものだろうか。トラブルの影響で記憶力が落ちていたのかな。

 まあいいか。とりあえず読み進めよう。そもそも幸せに至るまでの道のりをもう一度感じて明日の結婚式に備えるのだから。日記の細部に拘って幸せな気分に水を差しては本末転倒というものだろう。

『2019年7月13日(土)。泊りで海へ遊びに行ってきた。賢一さんとの初めてのお泊り。大学生だし、お酒も堂々とお店で飲めた。しかし、賢一さんはすごい。私がチェックしていたお店の予約をしていて、コースも私の好きなものがしっかりと含まれていた。そういえば、お店の話は少ししていたからうまく予約をとれたのだろうか。飲み方も大人らしく落ち着いていて、ワインの紹介もしてくれたから勉強にもなった。私の男運、すごすぎる! 

 そういえば、なにかを忘れている気がする』

『2019年7月27日(土)。今日は美術館。生まれて初めて来たんだけど、賢一さんのような理知的な大人の男の人と付き合うならこういうところにも行かないとね。ただのバカな大学生なんて思われたくないからね。賢一さんの知識はここでも発揮されて展示プレートには書かれていないような豆知識をそっと説明してくれた。知識はあるけどひけらかさない。さすがは大人の男だ。

 そういえば、『飽食のセイレーン』という絵のことが気になった。フランス人の画家、モッサ(あれ、ムッサだっけ)という人が書いたそうだ。セイレーンっていうのはよく分からないけど。なんだかこちらを見ている女性の顔をした大きな鳥に、なんだか、親近感というか他人のような気がしなかった。この鳥は人を殺して食べたのだろうか』

 この年の夏はいろいろなところに行った。海や美術館以外にもカラオケやお洒落な料理店にも行った。楽しい夏だった。彼は本当に私のことを何でも知っていた。ちょうど行きたいと思ったところに行ったし、話したいことも準備していたと思えるほど知識を持っていた。なんでこんなにいろいろ知っているのだろう、と今でも思う。

 その後の日記も読んでいく。秋にはオーストラリア旅行にも行ったし、国内では温泉旅行もした。彼の人脈はとても広く(コンサルタント会社に勤務しているおかげだと彼は言っていた)、ホテルや人気バンドのライブなど予約が必要なものでも困ることはなかった。

 彼との交際に不満なんてなかったし、ここまで快適な日々が続くと安心感が日に日に増していった。だから、私はクリスマス・イヴの日に彼からの婚約の申し出を聞いて、とても喜んだのだろう。日記にもそう書いてある。

『2019年12月24日(火)。今日は信じられないことが起こった。賢一さんと二人で過ごすだけでとても楽しいし、心から嬉しいのだが、まさか、まさか、婚約の申し出までされてしまった。まだ大学生なのにいいのだろうか、という気持ちももちろんあった。でも、ここまで楽しい日々が過ごせて、博識で、紳士な彼氏が今後できて、婚約の申し出までもらえたりするだろうか? 考えさせて、なんて彼のプライドを傷つけることはできなかった。

 だって、これまで彼は私のためになんでもしてきたじゃないか。誕生日にはとても欲しかったものをズバリ当てて買ってきてくれたし、旅行に行く場所はいつも私がちょうど行きたいと思っていたところを選んでくれた。

 私は飽きっぽいところがあるから、少し時期がズレると面倒くさがるのにそれを感じないほどに適切なタイミングだった(いや、賢一さんと一緒なら気が進まなくても行くよ、それは当然)。波長も合うんだ。断る理由がない。保留にする理由はない。そんなことをしたら私は私のことをバカだって断言するよ! しかも私が中学の頃から夢見ていたクリスマス・イヴの婚約の申し出だ。出来過ぎなくらいに理想的な話だ』

 そう、出来過ぎなのだ。改めて日記を読み直すとどうにも気になる。喧嘩もなく婚約も結婚の話も順調に進んでいった。結婚式の内容だって、彼の提案は私の調べている式場を見抜いたうえでのものだった。

 どの時点でも喧嘩やすれ違いがない。そんなことがありえるのだろうか。


 うーん、なんだか変な感じだな。ここまでできた話なんてあるのかな。私の記憶違い? いや、一時期を除いて、私の記憶力は素晴らしいものだ。では、『変な感じ』の正体とは?

 私は日記アプリを読み返す。文章だけではなく添付されている写真にも注目した。

 そして、分かったことがある。一つ、賢一さんは私が一度も話題に出したことのないことでもズバリと私の思っていることを言い当てる。二つ、高校時代の写真の片隅にいつも同じ男性が映っている(正体は分からない。ぼやけて写っているし、顔が見えない)。

 いったい、どんな仕掛けを使っているのだろう。

 私はふと、賢一さんがリビングに置き忘れたスマホに視線を向ける。


『2013年4月19日(金)。今年から塾に通いだした生徒の中で気になる娘がいる。藍田あいだ 明菜あきなという名前だそうだ。芸能事務所にスカウトされてもおかしくない美少女で、頭もそれなりに良いらしい。実際、中学一年時の成績は悪くないし、達成度テストの結果も良かった。塾に通うのは両親の意向によるものだ。面談は別の講師が行った。聞いたところによると計画性がないのが欠点のようだそうだ。天才肌だが、継続性に欠ける、といったところか。確かに塾にでも通わせないと学力が伸び悩むタイプかもしれない。彼女とは数学の授業で会えるな』

『2013年5月2日(木)。藍田さんは同級生たちとの仲が良いようだ。あの見た目と陽気な性格だ。友人が少ないわけがない。しかし、塾の講師という立場ではあまり仲良くできないな。そもそも年齢差が九つもある。まだ大学生だから経済的に懸念があるし、そもそも大学生と中学生が付き合うなんて世間の目が厳しいだろう。さて、どうするか。僕は本気で彼女を自分のものにしたいと思っている。

 しかし、僕のような根暗で地味な男があんなキラキラした美少女をものにするには普通の方法では無理があるだろう。運命を操ることでもしない限りは』

 これは賢一さんの記録だ。スマホのパスワードの解除については前に解除するところを見ていたからコードは覚えていた。あからさまに日記アプリは使っていなかったけど、行動記録アプリを入れていた。計画アプリもあるから連動して使っていたのかも。しばらく記録を流し読みする。

『2014年12月4日(木)。明菜は問題なく希望校に合格するだろう。それはそうだ。明菜のレベルに合わせて授業内容を調整した。彼女の達成度に合わせて授業計画を組んだのだ。追いつけない生徒、物足りない生徒もいたが、僕にとってはどうでもいいことだ。どうせ僕は明菜の卒業前後、いや、この調子だと年明け早々に解雇の通達があるだろう。明菜のことばかり考えて計画を練っていたからチェックが入った。ほかの生徒のケアには力を入れなかったんだからな。生徒の親たちからクレームが入ったのだろう。それもいいさ、コンサル会社への内定はすでに決まっている。それから計画は第二段階に進める』

 計画……なんの計画だろう。それと塾のこと。あれは私の勘違いではなかったようだ。学校の授業と違って、塾での、特に数学の時間は快適だった。勉強について使う表現ではないのかもしれないけど。分からないと思って終わったところも次の授業では修正が入る。だからとても安心だった。一番苦手な数学でこのフォローはとてもありがたかった、ふふふ。

『2015年9月1日(火)。半年の評価期間を終えて、僕は計画通りの部署への転属が決まった。公共機関向けの仕事をしている部署。部署にこまめに顔を出したのもあるが、部長と同じ大学で、研究室も同じだったことが幸いしたのかもしれない』

 その後は日々の仕事の様子。でも、ところどころに『計画』と絡んでいることを示唆するような文言があった。彼はやはり頭のいい人だと思う。仕事をここまで利用するなんて私にはできないな。お金を稼ぐために働く程度しか考えていない。それが普通じゃないのかな。

『2017年7月4日(火)。金に困っている文部科学省の官僚を買収することに成功した。明菜の情報はこれまで地道なストーキングと探偵を使うことでなんとか入手していたが、効率面と計画に必要な情報源としては不適切だった。

 なぜなら、ストーキングにしろ、探偵の調査にしてもそれは過去の情報を収集することしかできない。しかもそれらは断片的だ。僕の欲しいのは現在進行形、そして、まとまりのある情報だ! それがなければ相手の未来を予測した計画を練ることはできないのだ!

 だから、この官僚に用意させた明菜の情報はとても貴重だ。高校での成績はもちろん、教師からの評価、模試の結果や進路相談の状況、部活での成績まですべて手に入るのだ。これらの情報があれば彼女がどのようなことをしようと最終的にどこの大学に通うことになるかも予測できる』

 日記には樹形図やらグラフに小難しい数式が混ざったようなものが添付されていた。サイコヒストリ……とかいう学問の応用理論らしい。私には書いている内容の一分一厘さえも分からない。彼の妄想かもしれない。

 けれど、彼のことを理解できないわけではない。彼が私に夢中だったというのは事実なのだから。彼が私のためになにかをしていたことが分からなくても、気持ちは理解できる。それで十分じゃないかな。見た目がもうちょっとカッコよければ、と思うときはあるけど。


 私は時間など気にせず記録を読み進めていたが、空腹を感じてスマホから視線を外した。明日は結婚式だからと仕事を休んでいたが、時計を見るといつの間にか昼を過ぎていた。

 たくさん食べたいわけではない。午前中はリビングでスマホをひたすら見ていただけだから。できれば、そう、片手で食べられるものがいいな。

 そして、何気なく視線を動かすとリビングの机の上にはいつの間にかサンドイッチとコーヒーが用意されていた。賢一さんの仕業だろう。サンドイッチの具も私の好きなタマゴとツナだった。

 私はサンドイッチを片手に再び幸せを噛みしめることにした。


『2018年10月14日(日)。少々まずい結果が出た。明菜は今年中に羊山という男子学生と付き合うことになるだろう。邪魔をするべきかと僕は無数の情報源から情報を取り寄せ、計算してみた結果、それは得策ではないと結論付けた。さらに未来を予測すべきだろう』

 2017年の7月以降、彼の行動記録には数式と樹形図の割合が増えてくる。多い時には文章が数行に対して、数式と樹形図が十ページもある時すらあった。ふと、自分のスマホを彼のスマホの隣に置いて、当時の記録を並べて読んでみる。

『2018年10月14日(日)。今日はナオとリナと一緒に遊びに行った。恋愛の話になったけど、私、いまだに彼氏がいないから、聞くのがメインになっちゃった。悔しいなぁ。「アキナに彼氏がいないとか信じられない。もしかして、レズビアンとか?」とか、リナ(先週彼氏ができたばかり)に言われちゃうし。悔しい~。

 あ~あ、欲しいな、彼氏。とはいえ、誰でもいいわけじゃなくて、そうだなぁ、やっぱり羊山君みたいな人が良いかな。こんな美女と付き合えるイケメンなんて彼くらいの容姿と性格でないと。ちょっと頑張ってみようかな』

 うーん、確かに思い返してみるとこの時かもなぁ、羊山君への告白の気持ちが最高に近づきはじめたのって、それまでは片想いだった、というか。想ってはいても告白の一言がなかなか出なかったというか。

『2018年11月24日(土)。羊山のことも調べて、周りの連中(家族から大学の友人まで含めてみた。おかげで情報収集だけで一か月もかかってしまった。これは街の住民全てについてのデータベースも充実させる必要があるな)のことや環境、景気変動も計算に入れてみたところ、二人が付き合うことは避けられないようだ。しかし、僕は悲観していない。どのような計算をしても、どんなに都合のいい条件を付けても、この二人の末路は破滅しかない』

 思わず息を呑んだ。私が羊山君と付き合う前の話ではないか。私の日記はこの日、友達に羊山君への告白を相談したことを書いている。そう、二人きりになれるように友達には協力してもらうことになった。私にしては計画的にやったことだった。

 それも賢一さんは見透かしていたのかしら、ふふ。

『2019年3月27日(水)。以前、明菜と羊山の末路は破滅だと予測していたが、具体的な時期まではなかなか読めなかった。というのも変数が多すぎてなにがどう影響するのか読めないのだ。ゆえに、下手に手出しはできない。手出しをした結果を的中させる自信があったが、介入により破滅ではなく円満へと進むリスクを恐れて手を出せなかった。許容できる失敗リスクは1%以下だ。

 僕は賭けが好きではないのだ。そこでこの3か月間でこの街全体の未来予測、できるだけの情報を収集し、演算ができる設備を用意した。明菜のことを追いかけてきた副産物として僕の理論は企業や組織の戦略を作り出す程度は問題なくできるものになっていた。おかげで三十歳を前にして会社のビジネスパートナーという立場になった。いうなれば、僕は会社と同等の存在なのだ。その権限をもってすれば会社の人脈を利用して買収できる官僚や企業の役員をピックアップし、取り込むことは容易だった。

 話が逸れた。街全体の動きも予測できるようなモデルができたのだから、明菜と羊山を破滅させることはいつでもできるようになった。いや、ただ破滅させるだけではない。これを利用して計画を第三段階、いや、一気に最終段階へと進めることとしよう』

 正直、私は賢一さんの記録をここまで読んでいても一分も彼の理論を理解できないし、未来を読める男とは思っていなかった。ただ狂っているだけなのかもしれない。でも、私は、彼が私ためになんとかしようと必死な『運命の人』なんだと確信していた。

 狂っていてもかまわない。

『2019年6月17日(月)。計算通りだった。この一か月、羊山の周りにトラブルを頻発させた。少し手を加えるだけで、友人との口論、麻雀での大負け、風邪、バイトの解雇による金欠、両親からの仕送り遅延……と不幸は連鎖する。こうなると二十歳の学生の精神が不安定になるのも当然だ。

 そして、明菜と口論になった。なかなか派手だと盗聴器で聞きながら思った。別れるのは確実。いや、それでは済まないだろうな。予測では6月25日だ。その日が恐らく彼女にとって忘れられない日になるだろう。僕が彼女と再会する日としては良いタイミングだ』

 6月17日。そうだ、この日に羊山君と喧嘩したんだ。私はすぐに後悔してなんとか彼と仲直りしたいと思っていた。一週間もかかったけど、また話せた。精一杯笑顔を見せて、もう一度仲良くなれるように迎えてあげたのに。

 なのに、あいつは……。

 私は自分の日記アプリを見る。途中で終わっている2019年6月25日の日記。

 当時のことがふと脳裏を過ると、歯がカタカタと動いた。口が開いた。

「バイトを終えて部屋に帰るとひろクンがいた。その後は……気が付けばまた口論になっていた。彼がスマホを私の顔に押し付けてきたのだ。

『この男は誰だ! お前、二股かけてたな、よりにもよってこんな地味なサラリーマンと!』

 なんでこの男はこんなことを言うのだろうか。次の瞬間、大きな物音ともに私は押し倒される。

『死ね、お前なんて死ね! お前と付き合ってから最悪だ。なんで俺が金に困るんだよ! 友達いなくなるんだよ! おかしいだろ、これまで順調だったんだぞ!』

 彼はそう言って、私の首を絞めてきた。すぐに私は傍にあったものを掴むと、思いっきり彼の顔に突き刺した。どうやら私がこいつに突き刺した物は鋭く尖っていたようだ。物を伝って流れる血がとても汚いもののように見えた。

 彼は痛みで思わず床に倒れ、顔を、右目のあたりを両手で押さえながらじたばたしていた。血が彼の両手の隙間から流れ出していた。血の色がとても濃かった」

 私の口は止まらない。

「その姿を一瞥すると私は台所から包丁を持ってきて、彼を何度も何度も刺した。肉の感触がする。肉を差す音と彼のうめき声の区別がつかなくなっていた。ただただ何度も刺した。起き上がって、仕返しされては大変だ。力の差は先ほど思い知っている。動かなくなるまで何度も刺した。その後は」

 その後は、あれ、どうしたんだろうか。私は口を閉じていた。スマホを何度も見たが、私の日記にはそのあたりのことは書いていない。記憶にもない。

 誰か私のしたことを知っている人はいないだろうか。……ああ、そうだ。

 私は賢一さんのスマホを再び手にしていた。


『2019年6月25日(火)。殺していた。明菜は羊山を殺していた。予測していた結果の一つだった。今回のケースは分散が大きかった。殺人事件の予測というのは初めてだったから。

 刺殺だった。台所には包丁があったし、精神が不安定になっていた羊山の部屋は散らかり、鋭利なものがいくつかあった。僕は現場に入ると、すでに現場に入っていた買収済みの刑事と鑑識に会って、状況を確認した。明菜は憔悴して、壁際で何も言わず座り込んでいた。その姿もまた魅力的、艶やかといってもいいくらいだった。すぐにでも抱きしめたい気持ちでいっぱいだった。抱きつこうとすると刑事に止められた。これ以上仕事を増やしてほしくないそうだ。

 僕が今日、細かく記述するのは彼女を解放したという喜びがあるからだ。ようやく彼女と付き合うことができる。そのための準備もすでにほぼ完了している。この六年で彼女はまた美しくなった。いつも遠くからでしか見ていなかったが、今日は二度も間近で見ることができている。

 最高にうれしい。

 とはいえ、声には反応せずただ一点を見つめている明菜の姿は痛々しかった。後遺症はないかと呟く。すると、刑事が言うにはこれは一時的なもので、入院して、休養すれば大丈夫、だと。ただこの事件の記憶はほぼ残らないかもしれないとも言っていた。

 それは好都合だった。目の前の刑事と鑑識に予定通りに動くように依頼する。彼らは躊躇ったが、金に困っていることもあって彼らは頷いた。反対したところで彼らに僕を止めることはできない。彼らにとってそれで得られる利益などないのだ。

 証拠は消し、羊山は強盗に殺害されたということにした。ちょうど指名手配中の強盗犯がいたから彼の仕業のように見せかけることになった。彼の毛髪や別件で入手した彼の持ち物を現場に置いて、写真を撮り、証拠として回収した。羊山はすでに精神不安定と度重なるトラブルで社会的に信用が落ちていたから強盗に殺されたからといってそれを惜しむものは肉親くらいなものだろう。対策も考えてある。問題はない。




 しかしね、明菜。



 殺さなくても、逃げれば良かったんだよ。僕はその場合にも備えて部下をアパートの外で待機させていたんだから。

 読んでいて少し後悔していたらごめんよ。でもそれくらいは書かせてくれ。明日の結婚式の待合室で話すような話題でもないだろう?』

 ふふ。

 私は思わず笑みを浮かべてしまった。

 そう、私がいつの間にか忘れていたものとは羊山君だったんだ。あいつと喧嘩になったところまでは覚えているが、気が付けばいつの間にか荷物を片手に住宅街にいたのだ。そして、あの部屋に行く気にはなれなくて、そのうちに賢一さんと出会って、あいつはいつの間にか私の記憶から消えていたのだから。私の中で彼は塵のようになっていたのだ。羊山君という元彼の美少年がいた。しかし、それがいつの間にか消えていた。賢一さんと出会ってからは記憶の片隅に残るものだった。けれど、消えた理由、それは私が殺したからいなくなったんだということが賢一さんのおかげで分かった。

 そして、私に罪はない。それは私ではなく、強盗のせいだということで処理されていたのだ。それも賢一さんの記録を読んで知って、安心した。

 私に罪はない。賢一さんが消してくれた。

「やあ、サンドイッチは食べたかい?」

 賢一さんの声が聞こえた。私は顔を上げて彼の顔を見る。地味というか特徴という特徴のない平凡な顔つき。でも、彼は私のことならばなんでも知っているし、私の望みを何でも叶えてくれる。

 すると、賢一さんは珍しく目を白黒させた。なにかに驚いているようだ。

「どうしたの?」

 私が尋ねると、彼は腕を組んで、首を傾げた。

「いや、なんだかとてもいい笑顔をしているなって。まるで悩みが一つなくなったような」

 やはり彼は私のことをなんでもお見通しだ。

 


原作:原作者は ミーナさん です(編集者注)


●ジャンル

恋愛モノと見せかけ二転するホラー


●登場人物

メインは以下の二人


・主人公

女性

物語開始時には彼氏がいる。彼氏とは物語の中で別れ、その後Bとつきあう。

女子大生または働いていてもOK。

以下「A」とします。


・Aの中学時代の塾の講師

男性

Aが塾に通っていた当時は大学生。今も院生で塾講でもいいし、別のバイトでも、社会人でもOK。

以下「B」とします。


●書き方

Aの日記形式がいいかな。でもおまかせ。


●設定

大人になってから再会したAとBが恋に落ちる。

中学を卒業してからは特に思い出すこともなかったが、Aは塾に通っていた当時、Bに憧れていた。


※ここからの設定は読者とAに隠しておき、最後に出す。


AとBの再会はBが仕組んだもの。

Bは誰にも気付かれていないけれど、Aが中学生の頃からAのストーカー。


※以下は最後の最後に出す。

Aは元カレとの別れ話の時、はずみで元カレを殺してしまった。後日死体の隠蔽に行ったら死体が消えていた←Bが処理してくれたことにAが気付く。


平和に進んで、最後に落とす。最後は怖い感じで。

所々、Bがストーカーであることを匂わせる伏線を。

例えばBが「Aは中学の頃からずっとロイヤルミルクティが好きだよね」とか。

昔のことを妙に憶えている上、何年も会っていなかったのに「ずっと」はおかしい。

他は家の場所を知っているとか。

旅先でのAの写真にBが映っているとか。おまかせ。


●流れ

ある日Aはピンチを救われる形でBにばったり会う(ピンチは痴漢から助けてくれる、落とし物を拾ってくれる、バイト先や仕事上でクレームをつけられているところを守ってくれる、なんでもOK)


Aは彼氏から一方的に別れを告げられる。

(ここでは書かないが)その際にはずみで彼氏を殺してしまう。


AはまたBと偶然会うことがあり、最終的に二人はつきあうことに。Bはやさしくて超幸せに。


ラストでBがAのストーカーである証拠をAがみつけ、さらに元カレの死体の隠蔽もBがやってくれたことを知る。

読者はこの時点でAの元カレ殺害を知る。


ストーカーの証拠はいいものと悪いものとあるといいです。各々複数あってもいいです。


いい例)

Aが何かを壊してしまい、こっそり修復したがいつの間にか新品に差し替わっていた。そのレシートを見つける、とか。


悪い例)

Aに近付くための計画書を見つける、とか。


殺害隠蔽の証拠)

元カレのスマホを見つけるとか。

Aは本当にBに感謝して終了。

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