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王妃アディーラ  Mu

 島の中央に広がる広大な森の中は柔らかい木漏れ日と海から吹く風で心地よかった。この森は「精なる森」と呼ばれ、人が立ち入ることはまれだった。そんな森の中に壮麗な屋敷が存在した。

 大理石の大きな円柱が何本も立ち並び、壁にはニンフや獣の精霊を描いた精緻なレリーフが嵌め込まれている。広い庭の中央には噴水の湧き出る池があり、色とりどりの花が囲んでいた。そこから今しも明るい笑い声が聞こえてきた。

 一人の少女が動物と戯れていた。年の頃は十六、七才だろうか。女神のような美しい顔立ちとブロンドの髪。くりっとした大きな瞳は吸い込まれそうなアイスブルーで、その瞳をキラキラ輝かせて明るい笑顔を浮かべていた。身に着けているのはこの地方特有の巻衣キトンだが、驚いたことに通常女性の着る踝丈ではなく、まるで男子のような膝上丈で裾からは若々しい肢体が覗いている。更に奇異な事には腰のベルトに細身の剣を吊るしていた。

「あははは、デュオル、だめだよ、そんなに押さないで」

 少女がデュオルと呼んだ動物は全体の雰囲気は猫のようだが、大きさは森で出会う鹿ほどもあり、兎のような長い耳を後方にピンと伸ばしていた。

「もう、分かったから、行くわよ」

 少女が風のように軽やかに駆けだした。その後をデュオルが追いかける。その時。

「アディーラ、そこにいるの?」

「わっ!」

 呼ばれて急制動を駆けた少女に後ろからデュオルがぶつかった。

「わあああ!」

「にゃああああ!」

 一人と一匹は綺麗に庭を転がって頭から突っ伏した。

「……なにやってるの?」

 アディーラが地面から顔を上げると屋敷の玄関から妙齢の女性が呆れた顔をして見ていた。

「ああ、ターニャ。デュオルと遊びに行くの」

 顔に芝生をくっ付かせながら、なぜか少女は笑顔で答える。

「まあ、また? 相変わらずお転婆ね」

「お転婆じゃないわ。これは修行よ」

「まったく、あなたときたら、どうしてそんなふうに育ってしまったのかしら」

 ターニャが深く息を吐く。

「もとはと言えばターニャの所為じゃない」

「それはそうだけど」

「じゃあ、いくね」

「仕方ないわね。でも、くれぐれも人には気を付けるんですよ。決して見られてはいけませんよ」

「分かってるわ。大丈夫よ」

 アディーラは庭の外へと走り出す。後ろをデュオルが付いて行った。


 森の小道を駆けながらアディーラの口から声が漏れる。

「ターニャは心配性だなあ。この森に人なんかいないのにね」

 傍らのデュオルが頷いた。その時、小道に立派な角と金色のたてがみを持つ牡鹿が現れた。

「アーチャ、あなたも、一緒に来る?」

 牡鹿が頷いて彼女に従って駆けだした。その後もアディーラが進むごとに動物たちが現れては彼女と共に駆けていった。



 一人の青年が森で迷っていた。

 実はその青年は、このメセニア国の王で名をオーソンと言った。彼の父王アレオスはつい最近、55歳になったのを機に位を息子に譲り、やくにより国外に去った。新王オーソンは青年らしい気概があり、また今は亡き母譲りの優しさも持ち合わせていたが、少々軽はずみな所が玉に瑕だった。

 今日も御狩場の森に従者と共に狩りに来たのだが獲物を追いかけることに夢中になり、いつの間にか従者と離れてしまった。気が付けば一人ぼっちで知らない森の中に居た。御狩場の森は奥が「精なる森」に繋がっている。そこに迷い込んでしまったのかもしれない。

 オーソンは道を探して森の中を歩き回った。従者が探しに来るのを待つべきだったが、青年らしい無鉄砲さと迷子になった羞恥心から何とかして自分で帰りつこうと焦った。けれど道は見つからず森はどんどん深くなっていく。疲れて足が重くなり、喉もカラカラだ。

 不意に水の跳ねる音が聞こえてきた。近くに小川があるのかもしれない。音の方に歩を進め、視界を遮る木葉の切れ目から中を覗き込んだ。そこに

 ーーー女神がいた。

 泉の中、背を向けて女神が水浴びをしている。白い背中に跳ねた水滴がキラキラと流れ落ちて、彼女の周りに七色の小さな光が舞っていた。オーソンは息を呑んだ。次の瞬間ーーー



「今日も楽しかったぁ」

 アディーラは笑みを浮かべながら泉の水で肌を洗っていた。デュオルたちとの遊び(・・)で汗をかいたのだ。身体も火照っていて冷たい水が心地よかった。

 それに今日はデュオル相手に一本が取れて上機嫌だった。彼との間合いの攻防から先に動いたその鼻先に自分から踏み込んだのが良かったのだろう。ふふ。驚いたデュオルの表情を思い出して自然に笑みが零れる。

 その時、背後で小さな音が聞こえた。デュオルかな? 私に一本取られたお返しに来たんだろう。そうは行かないわ。アディーラは小さく剣の名を唱える。岸辺に立てかけていた剣が音もなく宙を飛んで来た。剣を手に収めた瞬間、間髪入れず身を躍らせた。

「覗きとは、いい度胸ね! デュオ…ル?」

 言葉が途中で途切れる。見たことのない男の顔がそこにあった。


 青年は何が起こったのか分からなかった。

 水浴びする女神を見て息を呑んだ次の瞬間、鼻先に剣の切っ先が突きつけられていた。剣を持つ手先から嫋やかな白い腕が伸び、その先には形のいい双丘と美しいくびれを持つ女神の白い裸体が輝いている。

 オーソンは剣を突きつけられているのも関わらず、その姿に見惚れてしまった。

「……デュオルじゃない?! あなた、誰?」

 女神の美しい声には困惑があった。聞かれて青年は我に返る。

「私はオーソン。この国の王です」

「この国の王? ……え! もしかして、人?」

「はい」

 そう答えた瞬間ーーー


「わああああ!」

 アディーラは大慌てで泉の中にしゃがみ込んだ。裸体を隠すために膝を抱える。ついでに頭も抱えたかった。

 どうしよう?! 人に見られた! どうしてこんなところに人がいるのよ!

 ーーー決して、人に見られてはいけませんよ

 ターニャの言葉が脳裏に蘇る。

 なぜダメなの? 幼い私の問いかけにターニャは何と答えただろう? 真実の姿を見られたら、あなたはその者の伴侶にならなければならないのよ。伴侶ってなあに? 共に生きる者よ。幼い私は共に生きる者がいるなら楽しいのではと思った。それはダメなの? 人とは住む世界が違うの。きっとあなたは不幸になってしまうわ。だからね、アディーラ。もし人に姿を見られたら、その時はーーー殺してしまいなさい。そう告げるターニャの真剣な眼差しが恐かった。

 だからターニャは私が自ら身を守れるように剣を教えたのだ。でも今までそんなことすっかり忘れていた。それなのに……あまりの予期せぬ出来事に頭の中は真っ白になっていた。それに今になって自分の生まれたままの姿を見られたことが猛烈に恥ずかしくなってきた。だから、剣をもう一度男に突きつけながら口走っていた。

「あなた! 私の伴侶になるか、今ここで死ぬか、どちらかを選びなさい!」


 再び剣を突き付けられたオーソンは、けれど恥ずかしげに膝を抱え涙目で自分を見つめる女神をかわいいと思ってしまった。

「女神よ。あなたは何という名だろうか?」

「え? 私? 私は……アディーラだけど」

「おお、良き名だ。アディーラ、私は一目見た瞬間、あなたに恋に落ちました。喜んであなたの伴侶となりましょう」

「ふぇ?!」

 その返事を聞いてアディーラは泉の中でビクッと跳ねた。それからポカンと口を開けたまましばらくオーソンを見つめていたのだった。



 その夜。森の屋敷は沈痛な雰囲気に包まれていた。

 大広間の椅子に腰掛けたターニャが深くため息を吐いている。広間には30人もの男達が居て、皆一様にうな垂れていた。その場にアディーラはいない。

「デュオル、あなたが付いていながら、なにをしていたの!」

 ターニャの叱責に一番手前にいた青年が深く頭を垂れた。

「申し訳ありません、ティターニア様。アディーラ様が水浴びをされていたのでお側を離れていました」

「人間が近付くのを、なぜ気づかなかったのです?」

 一同揃って言葉もなかった。油断していたのだろう。この森に人が入り込むとは思ってもいなかったのだ。ターニャ、いや精霊女王ティターニアは再び深く息を吐いた。

 アディーラは精霊だ。しかも精霊の故郷たる「精なる森」に数百年ぶりに誕生した”真白き光の精霊”だった。それは、”大いなる未来をもたらす”と予言された存在だ。彼女が何の前触れもなく突如として生まれ出でた時、精霊達は驚愕に包まれた。”大いなる未来”とはなんなのか、誰も分からなかったからだ。それゆえ生まれた赤子は精霊王オベイロンと女王ティターニアの元で密かに守り育てられてきた。 

 一方、この島の人間と精霊の間には古き誓約があった。すなわち、人は精霊を敬いその地を侵さない代わりに、精霊の真実の姿を知った人間が請えば、精霊はその者の生涯に渡って助力を与えると言うものだ。

 アディーラとオーソンとの間に誓約は成立してしまった。たとえ女王ティターニアといえどその誓約を破ることは出来ない。それならば……

 ティターニアは精霊達に告げる。

「お前達、アディーラと共に……」


 そのころアディーラは自室のベッドの上で夜空を見上げていた。なんだか目が冴えて眠れなかったのだ。脳裏に浮かぶのは今日見た青年だった。

 初めて見る人間の青年は真っ直ぐな瞳を自分に向けて、こう告げたのだ。

「私は、あなたに恋に落ちました」

 思い出すと心臓がドキドキしてくる。何だろうこの気持ちは? アディーラはたまらず枕を抱きしめる。夜空に星が瞬いていた。



 その夜、王宮でも騒動が起こっていた。

 オーソン王が行方不明になり捜索隊が編制された。いざ出発と言う時に王が帰ってきた。(彼はアディーラに森の出口まで案内してもらったのだ)皆がほっとしたのも束の間、若い王が告げた。

「私は妃を迎えることにした」

 群臣揃って驚愕する。

「名をアディーラと言う」

「どこの姫です?」

「森の姫だ」

 皆の顔に困惑が広がった。その時、宰相ビヨルドが進み出た。

「なにを馬鹿げたことを仰っているのですか、王よ。出自も分からぬその様な者を王妃に迎えることなど出来ませぬ」

「彼女は女神だ」

「女神だなどと、ばかばかしい。まあ、王がどうしてもと仰るのなら、側室にでも迎えなさい」

「まさか! かの女神ひとを側室になど出来るものか?!」

 王の声に怒りが混じる。

「その方が帝国の覚えも目出度いと思いますよ」

「ローデナイに私の妃の事でとやかく言われる筋合いはない!」

 今度こそ本当に怒声だった。けれど宰相は悪びれもせず

「ははあ、それは困りましたなあ」

 その後、王と宰相の間でしばらく剣呑なやり取りがあったが王は青年らしい真っ直ぐさで最後に告げた。

「私はアディーラを妃として迎える。何人も反対することは許さぬ」

 今度は宰相の眉が上がった。

「ただ、盛大なお披露目は控えることとしよう。それで帝国も問題あるまい?」

 宰相は苦々しげに頭を下げた。


 会議の後、宰相ビヨルドは自分の執務室で悪態を吐いていた。

「まったく、若造めが、勝手なことをしてくれる」

 ビヨルドはこの国の宰相だったが、彼は大陸にあるローデナイ帝国から派遣された執政官だった。帝国はその武力を背景に多くの国を属国として扱い、彼のような執政官を送り込んでいた。

 しかし、ビヨルドは野心家で、ただの執政官で終わるつもりはなかった。若い王が即位したこのタイミングを活かし、妃に自分の身内の者を送り込み外戚となった後、国自体を乗っ取ってしまうつもりだった。だから突然の妃候補の登場は邪魔だった。阻止しようと思ったが、王が思いの外強情で上手くいかなかった。しかしまだ妃に収まったわけではない。このまま見過ごす積もりはなかった。

 ビヨルドは部屋の隅にわだかまる影に向かって告げる。

「娘の到着までに何とかするのだ。なあに街中で若い娘がいなくなることなど、よくあることだ」

 影が動いてどこかに消える。ビヨルドの口元に歪んだ笑みが浮かんだ。


   ☆


「ねえ、あれなに?」

「香辛料の一種かと」

「じゃあ、あっちは?」

「あれは海で獲れる……」

「ねえねえ、こっちにも変なのがいるよ~」

 いよいよ王宮へと赴く日。アディーラは初めて訪れる森外の世界に心奪われていた。付いて歩くデュオル(もちろん人型である)にあれこれ尋ねて回った。

「アディーラ様、少し落ち着いてください」

 彼女はいつもの膝上丈のキトンに帯剣姿で、街行く人々は皆、少年のような服装をした美しい少女に目を見張っていた。だからティターニアに命じられ共に王宮に行く事になったデュオルや他の穏形している精霊達は気が気でなかった。

 やがてデュオルはアディーラの事を密かに見つめている気配がある事に気が付いた。警戒心が増す。

 ーーーアーチャ、頼む

 穏形する仲間に囁く。

「どうかしたの?」

 アディーラが声を聞きつけて振り返る。

「いえ、特には……」

 その時、スッと気配が消えた。

「あ、あっちに美味しそうなものがあるよ!」

「アディーラ様!」

 駆け出す彼女にデュオルは慌てて付いていった。


 アディーラを探る気配は、その後も何度か現れては仲間が近づく前に消えた。何者だろうか? 用心深く逃げ足が速い。しかしそろそろ時間だ。

「アディーラ様、王宮に向かう刻限が迫ってきました」


「え? もう?」

 アディーラは急に不安を覚え胸が苦しくなった。

 自分はこれから人の伴侶になるのだ。 私に勤まるのかな? 

 森で出逢った青年の顔が浮かんできた。同時にその時の事を思い出して頬が熱くなる。

「……大丈夫、だよね?」

 不安な声が漏れた。


 道は王宮へと続く並木道に入った。その時、背後で殺気が膨れあがった。瞬間、穏形していた精霊達が次々顕現する。

「わっ」

 現れた多数の精霊たちにアディーラが驚きの声を上げた。同時に、湧き上がった殺気は一瞬にして消え去る。明らかにアディーラを狙っていた。用心しなければとデュオルは思う。


「え? みんな、どうして?」

 アディーラは目を丸くしていた。

「ティターニア様からお供するようにと承りました」

「わあ、うれしい!」

 これからの事を心細く思っていたアディーラは皆がいて安心した。一方、デュオルは警戒のためある策を思いついた。

「アディーラ様。王宮に向かうに当たって、ひとつ提案があります」

「提案?」

「はい。王様を驚かせてさし上げましょう」

 アディーラはたちまち好奇心に瞳を輝かせたのだった。



 玉座に座ったオーソンは落ち着き無く視線を彷徨わせていた。王妃が到着する時間はとうに過ぎてしまっている。彼は不安になった。

 あの森での約束は反故にされたのだろうか? いや、そもそもあれは女神の悪戯だったのではないか? しかし、自分に婚約か死かと迫った少し恥じらいを含んだ、けれど真剣な眼差しはとても冗談とは思えなかった。それともあれは「精なる森」が見せた夢だったのだろうか?

 オーソンが心を千々に乱れさせている時、宰相ビヨルドはほくそ笑んでいた。

 娘は来はしない。さて妻に逃げられた若造をどうやって慰めてやろう? これを機に私の見繕った娘を王妃にしてしまおうか。

 その時、王宮の伝令役が広間に駆け込んできた。

「使者がご到着されました!」

「おお、来たか!」

「なにい?!」

 オーソン王と宰相の声が重なった。

「通せ!」

 王はほっとして玉座に腰を下ろした。


 しばらくして広間に姿を現したのは見事な鎧兜に身を包んだ30余名もの兵士だった。皆、顔は兜で見えなかったが優れた体格を持つ偉丈夫だった。しかしそこにアディーラの姿はない。

「これは……?」

 王は驚きと落胆で言葉も出なかった。宰相は密かに胸をなで下ろす。

 その時、兵士の囲みの中から、一人の小柄な兵士が進み出た。おもむろに兜を脱ぎ去る。途端にブロンドの髪がこぼれ落ちた。

「おお!」

 広間に響めきが起こる。兜を小脇に抱えたアディーラが王を見つめ悪戯っぽく膝を曲げた。

「オーソンさま。あなたとの誓約に従い、私は来ました」

 王は喜びのあまり玉座から駆け下り彼女の前で膝を折った。

「おお、アディーラ、お待ちしていました」

 その手に口付けする。

「この者達は?」

「森のせい……えっと、従者です」

「それは心強い」

 王は笑いつつ

「それにしても、なぜ、あなたまで甲冑を?」

 アディーラは楽しそうに微笑みながら

「あなたを驚かせようと思ったの」

「なんと?!」

「驚いてくれた?」

「もちろんだとも」

 二人して笑い合った。

 そのやり取りを宰相は苦虫をかみつぶしたような表情で見ていた。



 その夜。

 初夜の寝室で向かい合った二人はぎこちない会話を交わしていた。

「オーソンさまは……この国の王様なのよね?」

「ええ。まだ即位して間もないが、私はこのメセニアの王だ」

「ねえ、王様って何をするものなの? 私は伴侶として何をすればいいの?」

 その質問にオーソンはしばらく思考を巡らせていたが

「明日、あなたに賢者ミュソンを紹介しよう」

「ミュソンさん?」

「ああ。私の父、先代の王アレオスに仕え、この世のあらゆることわりに精通し“神眼の賢者“と呼ばれる者です。きっと、あなたの問いに答えてくれるでしょう」

 アディーラはほっと胸を撫で下ろした。やはり不安だったのだ。

 ふと気づくとオーソンが熱の篭った瞳で自分を見つめていた。彼女も見つめ返す。二人の間に沈黙が落ちた。急に心臓が高鳴りだす。

「……オーソンさま?」

「目を瞑ってくれるだろうか?」

 訳も分からず言われるままに目を瞑った。オーソンの腕が自分の身体を引き寄せるのが分かった。唇に柔らかな感触がして心臓が跳ねた。

「ふあぁ」

 吐息が漏れる。次の瞬間、急に身体に重みがかかった。

「ふえ?」

 支えきれずベッドに倒れ込んだ。驚いて目を開けるとオーソンが自分を押し倒していた。

「あの、オーソンさま、なにを?」

 慌てて呼びかけたがオーソンから帰ってきたのは、小さな寝息だけだった。

「え? なんで?」

 困惑して彼を見る。人ってこんなに唐突に眠るものなのかな? もう少しお話したかったのに。

 ーーー彼女は知らなかったのだ。精霊のくちづけが「至福の夢」と呼ばれ、慣れない者が受ければたちまち夢の世界に誘われることを。くちづけでさえそうなのだから、それ以上の事は……二人が本当の意味で伴侶となるにはまだ結構長い時を必要とするのだが、それを語るのは野暮というものだろう。



 その夜。

 宰相ビヨルドは自分の執務室で喚き声を上げていた。

「なにをやっているのだ、お前は! あの小娘をどうにかしろと言っただろう!」

 部屋の陰から声が応えた。

「おまえも見ただろう。護衛が付いてやがったんだ」

「そこを何とかするのが、お前の仕事だろう!」

「けっ! 命まで掛ける筋合いはねえな」

「むうぅ」

「それに、あの娘はちょっとやばい気がするぜ」

「なにをバカなことを言ってるのだ。あんな小娘ごときに……」

 そこで自分の言葉に何かを納得したように宰相は頷いた。

「そうだ。あんな小娘ごとき、いかようにも追い出すチャンスはある」

 宰相の口元に暗い笑みが浮かんだ。


   ☆


 賢者ミュソンは先王の相談役として仕え、帝国の執政官の横暴を巧みに妨げ、陰に陽に王国を支えた人物である。先王の引退により職を辞し悠々自適の生活を送っていたところ、新王オーソンに呼び出された。なんでも新しい妃の教育係を頼みたいという話だ。ミュソンは首を傾げた。王妃の教育係、すなわち王宮での仕来たりや振舞いの指南役には他に適任の者がおろう。なにゆえ自分に声が掛かったのか? 気が進まないが、王の頼みとあれば無下に断ることも出来ない。一度会ってから断ろうと彼は王宮に出かけた。

 しばらく待っていると部屋の扉がいきなり開いて駈け込んでくる者がいた。少年のような膝上丈のキトンを纏い腰に剣を下げているが、よく見ると美しいブロンドの髪を揺らした少女だった。さしもの賢者ミュソンも呆気にとられる。続いて戸外からバタバタと人の足音と声が聞こえてきた。

「王妃様、そんな恰好で出歩かれてはなりません。お召替えを!」

 少女が扉を閉めながら言い返す。

「そんな暑苦しい服なんか着ないわ!」

 バタンと扉を後ろ手に閉めて振り返ったところでミュソンと視線が合った。

「あっ」

 少女は慌てたようにその場で膝を曲げる。

「ミュソンさまですよね? アディーラです。お待たせして申し訳ありませんでした」

 アディーラが口の中で何事か唱えた。扉にかちゃりと鍵がかかる。ミュソンはその言葉を聞き逃さなかった。驚きに目を見開く。

「そなたは、精なる森の生まれか?」

「……はい」

 アディーラはいきなり問われて戸惑った。

「そなたの母父の名は?」

「知りません。でも育ててくれたのはベイロンとアーニャです」

「なんと!?」

 ミュソンは夢でも見ているのかと思った。それは精霊王と女王の名だ。ならば、この娘は?

「そなたは精霊なのか?」

「はい」

「いかなる精霊じゃ?」

「私は”真白き光の精霊”と呼ばれています」

「それは!」

 ーーー真白き精霊は大いなる未来をもたらす

 ミュソンの脳裏に古き預言書の一節が浮かぶ。

 この娘がそうなのか? それが王妃になるとは? 

 彼は久しく忘れていた胸の高鳴りを覚えた。世界は思ったよりも退屈しないものらしい。

「それでは、そなたの話を聞かせていただけるかな?」

 アディーラにそう尋ねながらミュソンは彼女の教育係を引き受けようと思っていた。


 この二人の出会いが、のちに「神眼の妃宰相」という、アディーラの数多あまたある呼び名のひとつを生むことになる。なぜならミュソンの教えは知識のみならず、その真の意味にまで及んだからだ。

「我がメセニア王国は人口800余り、農業と漁業を主な生業としています。島の中心部に人の立ち入れない広大な『精なる森』を抱くため、住むことのできる場所は狭く小さい」

「なぜ、人は森に入れないの?」

「それは古き盟約があるからです。この島は精霊の故郷と言われています。人は彼等を敬いむやみにその土地に踏み入りません。その代わり精霊は時に人と誓約を結び彼らを助けるのです。そなたと王の様に。けれどそのために他国に警戒されています」

「警戒?」

「そうです。他国にはほとんどいない精霊がいるのですから、その力は驚異です」

「けれど我が国は人口少なく、男子はみな兵士の訓練を受け常時100人の兵が国を守っていますがそれだけでは他国の侵略を防ぐことはとても無理です。だから帝国ローデナイに属することによって他国の侵略を防いでいます」

「王は55歳になれば位を降り、島を出て帝国に向かいます。それは帝国との約定なのです。そこは先王の優雅な引退場所と見せて、つまりは人質です。近年、帝国からの無茶な要求も増えてきました。これからオーソン王も苦労することがあるでしょう。その時は、そなたが力になれるように学びなさい」



 そんなある日。

 慣れない宮廷生活で疲れをみせるアディーラにオーソンが言った。

「疲れているようだね? そうだ、あなたに私の愛馬を贈ろう。たまには遠駆けをしてくるといい」

「いいの?」

 オーソンが頷くとアディーラは彼に飛びついた。

「わあ、ありがとう!」

 王はどぎまぎしながら

「でも、ちゃんと馬の管理はするのだよ。最近馬泥棒が多いらしいから気を付けて」


 宰相ビヨルドは王が王妃に馬を贈った報告を受けてニヤリと笑った。

「これはお前の得意分野だろう?」

「まあな」

 影が答える。

「ふはは。これであの小娘を追い出してくれる」


 翌日、王から贈られた立派な白馬に跨ったアディーラは久しぶりに森の屋敷へと帰ってターニャの歓待を受けたのだが、王宮を出発する彼女の姿を見つめる視線があった。

 その翌日、馬屋番の男が血相変えてやってきた。

「王妃様、大変です。馬が!」

 慌てて見に行くと馬が泡を吹いて横たわっている。瀕死の状態だった。

 すぐさま獣医が呼ばれたが原因が分からない。容体はどんどん悪くなっていった。

「どうしよう? せっかくオーソンが贈ってくれた馬なのに」

 アディーラは泣きたくなったが、ちょうどミュソンが来る時間になったので、やむなくその場を離れた。

「ミュソン助けて。オーソンに貰った馬が死にそうなの」

 ミュソンはアディーラと一緒に馬屋に赴いた。


 ミュソンが馬を詳細に診ていると、そこへ宰相が現れた。ミュソンはさりげなく後ろに下がる。宰相は馬をチラッと見るなりアディーラに言った。

「これは失態ですな、王妃。王から賜った名馬を死に至らしめるとは。重大な責任問題ですよ」

 アディーラはますます肩を落とした。その時、ミュソンが前に出てきて何気ない調子で

「どうかしましたかな?」

「やっ、ミュソン?!」

 宰相が驚き顔でミュソンを見る。先代の王の時から彼はミュソンが苦手だった。けれど気を取り直して声高に言い出した。

「王妃が王から賜った名馬の管理も出来ず、この有様なのですよ」

「ほほう。それでは一つ、私に診させてもらっても、いいですかな?」

「まあ、いいでしょう」

 ビヨルドはミュソンに許可を与える。誰が診た所でその馬を助けることができないと知っていたからだ。彼はこほんとひとつ咳を吐いて

「王妃よ、いずれ何らかのお咎めがあると覚悟しておくのですな」

 そう言って去っていった。

 アディーラは蒼くなった。お咎めが何かは知らないが、せっかくオーソンが贈ってくれたものをすぐ死なせてしまっては彼が悲しむだろうと思った。その時、馬を診ていたミュソンが立ち上がってアディーラの所にやってきた。

「王妃よ、分かりましたよ。これは宰相の仕業です」

「え? そうなの?」

「ええ。彼がここに来たことで分かりました。自分の策略の結果を確認しに来たのです」

「なぜ、そんなことを?」

「彼がローデナイ帝国の執政官であることはお話しましたね? おそらく帝国は自分たちの都合のいい王妃を据えたいために、そなたが邪魔なのです」

「そんなぁ」

「いいですか。そなたの出自を彼に悟られてはいけません。それは帝国にとって大いな脅威になる」

「じゃあ、お馬さんは助からないの?」

 アディーラが悲しげに眉を揺らした。ミュソンはふむと頷くと

「これは、おそらくキツネのシセロの仕業です」

「シセロ?」

「この島に住む狐の妖怪です。奴は先代王の時もしばしば島民を苦しめました。私は背後に宰相が関わっていると疑っていたが尻尾を掴むことはできなかった」

「じゃあ、そいつをやっつけたら、お馬さんを助けられる?」

「そうですな」

 アディーラは途端に駆け出しそうになった。

「待ちなさい。シセロは逃げ足の速い奴です。容易には捕まらないでしょう」

「でも!」

「こちらも計略を使いましょう」

 ミュソンは顎の下に指を添え話し出した。

「シセロは動物の魂を盗む盗賊です。狙われた動物はこの様に危篤になり息を引き取ります。けれど魂が肉体から離れるまではまだ蘇生できます。奴はその瞬間を狙っています。ですから、もし誰かがやってきて馬の死体を処理させてほしいと言ったら、それがシセロです。でも、まだ捕まえてはいけません。それでは容易に逃げられてしまいます。そこで奴に馬を渡したら、奴は馬を道端に放置しておくでしょう。この島では魂が離れるのに時間がかかるからです。しばらくしてその近くに肉屋に変装したシセロが屋台を出したら馬の魂が肉体を離れる時です。奴はその魂を盗むために自分の魂を飛ばすでしょう。その時を逃さず、王妃よ、シセロの中に入りなさい。そなたにはそれが可能だろう?」

 その計画を聞いたアディーラはまるで子供の様に目を輝かせた。

「もちろんです」

 そう言って楽しそうな笑顔を浮かべた。



 馬が息を引き取ると男が現れて馬の処理を申し出た。男は馬の死体を荷馬車に載せて王宮を出ると人通りの少ない道端に馬を放置していなくなった。翌日、肉屋が現れて屋台を出した。大きな包丁を両手に持って今か今かと何かを待っている。その姿を離れた木立の陰からアディーラが覗き込んでいた。

 不意に馬体からゆらゆらした白い塊が昇りだした。同時に肉屋の身体からも黒い影が飛び出す。今だ! 

 瞬間、アディーラの魂は肉屋のシセロの中に入っていた。そこから伸びる黒い影の端を掴む。

 シセロはギョッとして振り返った。見えたのは眩しい光だった。なんだこれは? 馬の魂がまだ残っていたのか? 

「魂を元に戻せ!」

 と、その光が叫んだ。

「けっ! 馬の魂にこんな生意気な口が利けるとはな」

 押さえつけてしまおうと思ったが、びくともしない。その内、どうにもおかしいと気が付いた。

「どうなってやがんだ! おまえはだれだ!?」

「私は王妃アディーラ」

「なん、だと?」

 まるで心蔵が締め付けられるように感じた。光はどんどん眩しさを増していき、このままでは自分の存在自体が消え去りそうだった。

「わ、分かった。魂は返す! 返すから……離してくれ!」

 シセロが魂を開放すると馬が生き返った。アディーラが馬に注意を取られた隙にシセロは自分の身体を奪い返す。そのまま一目散に逃げ去った。

 しまった! 逃がしちゃった! とアディーラは焦ったけれど、馬が生き返ったから、まあいいか。と思った。



 王宮では宰相ビヨルドがオーソン王に滔々と訴えていた。

「……ですから、王妃は無責任にも王に贈られた名馬を儚くし、あまつさえ、どこの誰かも分からない男に馬の死体を下げ渡されたそうですな。本来ならば、王宮内で丁重に葬ってやるべきところをなんという失態でしょう。こんなことでは、到底、王妃としての役目は全うできるはずがない。早急に王妃の身分も含めて御処遇を考えていただきたい」

 王は鬱陶しそうに生返事をする。

「ああ、分かった。分かった」

 けれど宰相は執拗に言い募った。

「本当におわかりか? その処遇によっては帝国から沙汰があるやもしれませんぞ」

 オーソンがギロリと宰相を睨んだ。

「それはどういう意味か?」

 若いながら威圧感のある声。一瞬、怯んだビヨルドは、そのことに自分で自分に腹を立てた。えーい、若造め。よし、ここは強く言って自分の立場をわからせてやろう。

「どうもこうも……」

 その時、急に扉が開いて二人の前にアディーラが声高く飛び込んできた。

「オーソン! 馬が元気になったよ!」

「は?」「おお!」

 二人が同時に言葉を上げた。宰相が「バカな」と呟く。

 アディーラは彼をチラッと見てから王に視線を戻す。

「今度一緒に遠乗りしようよ」

「ああ。行こう」

 そして王はビヨルドに話しかける。

「先ほどの話だが、王妃には死せる名馬を蘇らせた功績により褒賞を贈ろうと思う。良い処遇であろう?」

「……御随意に」

 宰相の顔色はますます悪くなった。



 その夜。宰相は執務室で喚いていた。

「おい、シセロ! なんという失態だ!」

 闇の中から狐姿のシセロが現れる。その身体が小刻みに震えていた。

「悔しさに震えておるな。魂の強奪を邪魔されて怒っているのだろう。ならば次こそ、あの小娘に目にもの見せてやるのだ」

「……ちがう。そうじゃねえ。俺は……怖いんだ」

「は?」

「やばいんだよ、あいつは。手を出しちゃいけねえ。あれは、ダメだ……」

「なにを言ってるんだ、お前?」

「いいか、忠告しといてやる。あの王妃に手を出すんじゃねえ。あれは、違う。俺やお前の手の出せる相手じゃねえんだ」

「なにをバカな。ただの小娘一人」

「いーや、俺はもう関わらないからな。頼まれたってご免だ。じゃあ、あばよ」

「おい、シセロ!」

 それっきり闇は答えない。ビヨルドは舌打ちした。だが、まあ、いい。所詮は島に巣食う小妖だ。それならそれで帝国から呼び寄せればいい。だが二度、恥をかかされたのだ。ここは確実なものを呼ぶ必要があろう。

「その時こそ、小娘の最期だ」

 ビヨルドは舌なめずりして本国への手紙の文面を考え出した。


   ☆


 馬の事件から一月ほど経ったある夜の事。

 寝室のベッドの上で、アディーラは最近ミュソンに習った事項について王に語って聞かせていた。王はミュソンの講習の内容を聞きたがった。彼にとってミュソンは先代の重鎮で、直接教えを受けたことがなかったからだ。アディーラもアディーラでミュソンの教えを王に伝えることで理解が深まり、急速に物事の本質を掴む術を身に着けようとしていた。そんな夫婦の会話としては色気のない話題だったが二人はあれこれと愉しく語らっていた。やがてどちらともなく寝息が聞こえだした。

 深更の頃。寝室の扉の前で寝ずの番に立っていた歩哨が突然倒れた。室内は深い闇に覆われ、その中でなにかが蠢く。やがて凝り固まった闇が人形ひとがたを取り、ギロリと白い瞳が闇の中に浮かび上がった。その闇はベッドのアディーラに顔を近づける。赤い舌がちらりと見えた。嗤ったのだろうか? 次の瞬間、アディーラの胸の上で鋭利な剣が構えられる。闇はその剣を振り上げてーーー


 デュオルがぞくりとする気配を感じ取ったのは寝室からひとつ離れた控えの間だった。慌てて廊下に走り出る。寝室の前で歩哨が倒れているのが見えた。

「しまった!」

 目にもとまらぬ速さで扉にたどりつきノブを引いたがピクリともしない。隠形して通り抜けようとしたが何かに阻まれて中に入れない。結界か? デュオルは焦った。王宮に来て初めて人型から彼本来の獣型へと戻る。そして扉を引き裂いた―――


 バキバキというものすごい音が響いて扉が粉砕されるのとアディーラに向けて剣が振り下ろされるのが同時だった。その瞬間、

 

 ーーー室内に眩しい光が迸った。

 

 アディーラの全身が白熱したように輝いていた。光の中で剣の切っ先は堰き止められ、彼女の身体には届いていない。

「ぐわっ」

 闇がアディーラに向けていた剣を引き抜いた。次の瞬間、アディーラの瞳が開く。扉を粉砕したデュオルが部屋に飛び込んきた。

「アディーラ様、無事ですか?!」

 アディーラは一瞬傍らのオーソンを振り返る。術で眠らされているのかこの騒動の中でも起きてこない。その無事を確かめると床に跳躍した。

 空中で剣の名を唱える。床に降り立った時には右手に愛剣が握られていた。身に纏う光が部屋を照らしだす。闇は剣を手にじりじりと後退した。

「デュオル!」

 獣型のデュオルが闇の退路を塞ぐ。それを見た闇は床を蹴った。

 猛烈な速さで闇がアディーラに迫りくる。間合いを保つために下がるべきか? 闇の剣の切っ先が頭上にちらりと見えた。瞬間、アディーラは強引に前に出た。軽く体を左右に振ることを忘れない。相手に狙いを定めさせないためと速さ勝負ならば負けない自信があったからだ。

 アディーラの纏う光の残像がゆっくりと移動する。その光が迫りくる闇と交差した時、彼女の身体は遥か先に立っていた。闇の手から剣が零れ落ちる。

「デュオル、捕まえて!」

 デュオルの鋭い爪が闇の背中に突き刺さった。

「さあ、誰の差し金か吐いてもらうぞ!」

 吠えるようにデュオルが言った。



 次の日。

 王宮内は朝から騒がしく王も姿を見せなかった。宰相ビヨルドはそれを見てほくそ笑んだ。

 上手くいったようだな。今頃、王は悲嘆にくれていることだろう。妃がいなくなったとなれば、早く次の一手を進めなければ。

 そんなふうに次の策略を巡らせていると王から主だった者に招集がかかった。

 群臣が大広間に集まる。

 さて王はどんな悲壮な顔で現れるかと思って待っていると王が広間に入場してきた。表情は固く唇を引き結んでいたが目には力があった。おやっとビヨルドが不審に思った次の瞬間、彼は息を呑んだ。

 王に続いて王妃が広間に入ってきたからだ。いつも通りの装いで、どこにも傷はなく包帯も巻かれていない。王妃の姿を見て広間が響めいた。このような場に王妃はめったに姿を見せなかったからだ。

 王が玉座に座る。その傍らに王妃が立った。

 ビヨルドは自分が動揺していることが分かった。なぜ王妃がここにいる? なぜ生きている? この召集は何のためだ? 王妃の死を伝えるためではなかったのか?

 その時、オーソン王が王笏で床を叩いた。広間の響めきが鎮まる。王が話し出した。

「皆の者、集まってくれてうれしく思う。さて話は他でもない。私は本日から新たな陣容で国政を行うことを決めた」

 群臣が騒めき出す。

「本日より、我が妃アディーラを宰相とする。その相談役として賢者ミュソンを当てる」

 呼ばれてミュソンが広間に入場してくる。

「最後に、現宰相ビヨルドを罷免し帝国に送還することとする」

「なにを言ってるのだ!?」

 ビヨルドは王の前であることも忘れ怒鳴っていた。

「なにを言われたか分からないのか?」

 王の冷静な声。

「なぜ罷免されるのか、心当たりがあるだろう?」

「そのようなこと、あろうはずがない!」

 ビヨルドは怒りでわなわなと震えている。

「そうか、では、これはどうだ?」

 王の言葉に従い広間に檻が運び込まれる。その中に黒い闇に似た妖がいた。群臣が恐怖に慄く。

「このモノが白状したぞ。お前が王妃の命を狙って帝国から呼び寄せたと」

 一瞬引きつった顔を浮かべた宰相だが、すぐ言い募る。

「そのようなバケモノの戯言、信じられるものか。これは私を陥れるための陰謀に違いない!」

「あははは。よく知恵が回るものだな。いや、悪知恵というべきか」

「何をおっしゃいます、王よ」

「ならばこれはどうだ。お前が本国に送った手紙の写しだ。ここにははっきりと王妃暗殺の事が書かれている」

「うぐぅ」

 ビヨルドは不利を悟って逃げ出そうとした。

「捕らえよ」

 王の一言で兵士に押さえつけられる。

「本来ならば死罪を言い渡す所だが、王妃との婚姻から日も浅い。王妃に免じて送還で許してやろう」

 ビヨルドは開き直って悪態をついた。

「私を殺さないこと後悔するぞ。帝国に帰ったら、お前の父をすぐに殺してやろう。その上で、こんな小国、叩き潰してくれる」

「ああ、そう言うだろうと思っていた。だからすぐには送還しない。まずは父を救い出してからだ」

「そんなことができると思っているのか? ふん、おめでたい奴だ」

「できるよ」

 と声を上げたのは王妃だった。その自信たっぷりな声に初めてビヨルドは動揺する。

「救い出す様を、牢で見ているのだな」

 王はビヨルドと妖を退けさせた。

 一連の出来事に騒然としていた群臣たちは、玉座に並ぶ青年王と王妃、二人の威厳にようやく動揺を収めたのだった。


    ☆☆☆


 この日を境に小さな島国メセニア王国は歴史の表舞台に顔を出すことになる。

 数週間後、アディーラとオーソンは帝国の式典への参加を機に密かに先王アレオスを救出した。その事を知った帝国はメセニアに攻め入ろうとしたが上手くいかなかった。なぜならメセニアに向かった軍船は深い霧に阻まれるか暴風雨に見舞われて、ただの一隻もたどり着けなかったからだ。

 その間に、王妃は帝国の背後から手を廻し、帝国の属国は次々と反旗を翻すことになった。それらの国々の援軍としてオーソン王は軍を率いて戦場を駆け巡った。その傍らにはいつもブロンドの乙女が白馬に乗り従っていた。

 いつしか英雄王オーソンと燭光の妃将軍アディーラのゆく道には百万の人々が付き従っていた。その中に、数々の精霊がいたことを伝承は伝えている。盛況を誇った帝国が二人の活躍により解体され、多くの国に平和が訪れたのち、二人の英雄はひっそりと故郷の森に姿を消したという。今でもその森で二人は仲睦ましく暮らしていると言い伝えられている。

 

 了


原作:原作者は ワッピーさん です


メセニア王国:小さな島国。王の主務は後継者育成であり、55歳の誕生日に後継者に王笏を渡して島を去る。人口約800人、主産業は農業と漁業。成人男子で構成された軍隊100人程度。弓・槍が主たる武器。城壁はない。

アディーラ:捨て子。武術を好み、自分の部隊を編成して王への引き出物にする。

オーソン:即位したばかりの若き王。実行力はあるが、やや軽はずみな面も。母妃はとうになく、父王アレオスも王国を去ったばかり。腹心になりうる人材を探している。

ミュソン:先王に仕えた賢者。王妃が尋常の生まれではないことに気づき、アドバイスをする。

シセロ:島に住む狐の妖怪。動物の魂を集める。


長年、子供が授からなかった裕福な夫婦が山で拾われた女の子を引き取り、アディーラと名付け、実の娘として育てた。この娘は、普通の女の子とは違って武芸を好んだが、一方で器量もよいことで知られ、この娘が17歳になるころ、王位を継いだばかりの若い王の目にとまって、結婚を申し込まれた。王の希望により格式張ったことはせず、婚儀の日に花嫁が必要なものを持参して王宮に入ることになった。


当日、王が王宮で花嫁を待っていると、鎧兜に身を固めた30人ほどの軍勢がやってきて、まっすぐ王の面前に来た。王は驚きで口もきけずにいた。完全武装の者が一人進み出て、王の前に片膝をつき兜を脱ぐと、それは花嫁だった。彼女は養親の力を借りて自分の軍隊を編成し、王への引き出物にしたのだった。


結婚してまもなく王の愛馬が病気になり、すぐに瀕死の状態となった。王は、愛馬を王妃に与えて「自分の財産は自分で管理しろ」と命じた。


賢者から王妃へのアドバイス。

「王はこれを盗賊から守らせようとしているのです。これはキツネのシセロの仕業です。もし、誰かがやってきて馬の死体を処理させてほしいと言ったら、それがシセロです。彼は馬を運び出して、道端に放置しておくでしょう。しばらくしてその近くで肉屋が屋台を出したら、馬の魂が肉体を離れるときです。その時を逃さず、シセロの中に入りなさい。シセロは魂を盗む盗賊なのです」


王妃の魂はシセロの中に忍び込み、「魂をもとに戻せ」と命じた。

シセロは驚いて言った。「馬の魂にこんな生意気な口が利けるとは」

シセロは抵抗したものの、王妃がシセロの心臓を締め付けると、やむなく馬を返して立ち去った。


王妃は、息を吹き返した馬を厩へ連れ戻し、王の信頼を勝ちとった。


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