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果実(奇妙な)  なる

 果実(奇妙な)




 激しい雨が通り過ぎた後の公園にできたいくつかの水たまりに、均等に配置された街灯の明かりが乱反射している。クリスマスの飾りつけがされたきらびやかな光と反比例するかのような慌ただしい足音が行き交う様を横目に柏木は冷たくなってきた夜風に少し身震いしてコートの襟を立てた。

 本来であればそのあたりにあるベンチに座ってもらい、詳しい話を聞くのが筋だろう。けれども先ほどの通り雨でびしょびしょに濡れた木製のベンチは被疑者でもない第一発見者を座らせるように設計されているわけではないし、そもそもこんな寒い日に夜の屋外で女性を立ちっぱなしにさせて話を聞くのはあまりにも非人道的だ。多少の抵抗はあるかもしれないけれど彼女には車両の中に入ってもらい、同僚である村山瞳と三浦美由姫の女性陣が詳しい話を聞きだしている。その間プレッシャーを与えないように男性陣は車外で周辺の詳しい状況を検分しているわけだ。

 ポケットの中に入っていた免許証から身元はすでに判明している。春山顕信、三十歳、小売業。都心から程遠くない、ビルの乱立する歓楽街の隙間にそっと息を潜めているようなこの決して広くはない公園の、目立たない植林の中で首を吊って死んでいた。同い年だ。年相応の、なんという特徴があるわけではない外見の男だと柏木は思った。生きている時に見かけたとしても記憶に残らないような平凡な男。外傷はなかった。ここまでの情報から見れば自殺の線が強い。検視しないと断言はできないが死斑の広がり具合から見立てでは死後三時間といったところだろう。つまり午後九時くらいに春山はこの人気のない公園に来て首を吊り、そのあと残業帰りで夜遅く公園を駆け抜けていた都丸順子の視界の片隅に偶然にもその屍体が入り込んできたのだ。

 ベンチの横ではタイヤとスポークの濡れた都丸の自転車が立てかけてある。女性看護師にしては珍しいマウンテンバイク型の自転車。これも通勤時間を短縮するためなんだろう、だとか一人で納得をしていたら車両から村山が出てきた。都丸はまだ三浦と車内にいる。

「どうよ? 何かわかったことは」

 柏木はたった一つしか歳の違わない村山に先輩風を吹かせて訪ねた。目立つタイプではないが目鼻立ちのくっきりした村山は署内でもこっそりとファンをつくるタイプだった。そんな村上を前に少しでも頼もしいところを見せたい、という下心が柏木になかったと言えば嘘になる。業務内であるけれど仕事に一途になりきれない軽薄さも柏木は持ち併せていた。

 そんな柏木の心情を知ってか知らずか、村山は目で微笑みながら淡々と状況を説明した。

「都丸さんは残業帰りにいつもこの公園を通勤ルートとして使っているそうです。今日はいつもより少し遅くなったのもあったし、先ほどの雨もあってやや急いでいた様子です。ただ公園に入った頃には雨は上がっていて、スマホにイヤホンを繋げて音楽を聴きながら自転車を漕いでいたそうで、それが耳から外れたので、自転車を一旦止めて耳に入れ直していた時に屍体を目にしたそうです」

「うんうん」雨に濡れた公園には確かに真新しい自転車のブレーキ痕らしきものがあった。

「走行中のイヤホンについてはどうしますか? 口頭では注意喚起しておきましたが」

「いや、今回は不問でいいわ」

「わかりました」

 村山からの中間報告を聞く限りでは証言には矛盾がないことが判断できた。

「サンキュー、オッケーよくわかった」

 村山を車両へと戻すとしばらくして都丸が出てきた。憔悴と一仕事終えたような充実感が同居している。後から出てきた三浦を見やると、満足げな顔をこちらに向けてきた。

 一段落ついた柏木はポケットからスマホを取り出した。夜の中でぼんやりと映し出される画面は柏木の煤けた心を包み込むような暖かさを持っていた。大学時代からの友人から週末に開催される合コンの誘いのメッセージが入っていた。今回は行けそうだ。柏木は胸を躍らせながら快諾のメッセージを送った。


   ◯


 結局、春山の屍体は犯罪に関わる有力な目撃証言もなく、隣人の証言なども含めそこから犯罪の形跡を汲み取ることはできず、自殺であるというおおよその予想通りで片付けられた。プレスリリース各社報道機関にも自殺として発表され、事件は新聞の社会欄片隅にさりげないスペースを割かれて報道されるだけに終わった。

 はずだった。


「柏木さん、例の件、やっぱりコロシの線で再捜査するみたいですよ」

 朝から晴れた日だった。特に大きな事件もないまま、今日はこのまま終わってくれるといい、と思いながら柏木が自席で昼食を摂っている時、隣の机にいた村山がそっと話しかけてきた。

 村山は相変わらずいい匂いがした。しかしもたらしてきた話はあまり気分のいいものではなかった。

「コロシか」

「再捜査の声が上がっているそうです」

「あー、やっぱりなぁ」

「お葬式の時も少し揉めましたもんね」


 報道からしばらくして横槍が入った、という噂が柏木の耳にも入っていた。春山は自殺ではなく、なにか外的要因があったのではないか、つまり他殺ではないか、という声が多数寄せられてきたというのだ。

 自殺の案件でありながらこういった声が聞こえてくるのは決して珍しいことではない。しかし検視の結果も柏木の見立て通りだったし、自殺ということで判断できる状況だったので今回の事件も従来の件と同様に静かに収束して行くと思われた。しかし、遺族はその警察の結論に対して執拗に異議を申し立てた。顕信は決して自分から自殺するような人間ではない、彼の人生は順風だったし、結婚も控えていた彼がどうして自殺しなくてはならなかったのか、背後関係がわからないかぎり遺族としては到底納得できない、と最終的には市民団体まで巻き込んで抗議をしてくる有様だった。

 春山の葬儀でもその予兆はあった。

 激昂するような様子の春山の老いた父親は、参列に来た柏木や村山らへ食ってかかる剣幕だった。戸惑う柏木をよそに課長の小野寺の機転でその場はおさまったが、百戦錬磨の小野寺がいなければどうなっていたかわからない、すぐそばではがっくりと肩を落とす春山の母親と、それを慰めるような見目麗しい姿の若い女性がいた。春山の婚約者だと聞いていた。友人達もやはり春山の死には納得できない様子で、終始その日は不穏な空気が流れているようだった。

 

 遺族からだけではない。報道があってからというもの、近隣住民からも別の観点からやはり再捜査を願う声がひっきりなしにかけられていた。春山が首を吊ったと思われる時間にその公園で地元の半グレ集団がいつものように屯している姿が目撃されていたし、その時間帯に自殺を図るのは難しいのではないか、というしたり顔の市民も出てきた。ここ数日、周囲で引き起こされている交通事故、異臭騒ぎ、騒音問題、不審者の通報、老人徘徊など、あらゆるトラブルが本件と結びつけられて次第に大きくなってきたそれらの声を無視することができなくなった所管は改めて再調査を図らなくてはならない事態へと陥ったのである。


 とはいえ、大規模な捜査網が引かれるほどには警察も人員を割くことはできない。一度決定された結果を覆すのは警察としてもあまり褒められたものではないので、その再調査の声に納得してもらう申し訳程度の極力すくない人員でもって、再調査が行われることになったのだ。柏木はその事件の主担当として任命された。正直、面倒だと思ったが、チームで村山が同行するとなったら話はまた変わってくる。公私混同と言われようがなんだろうが、柏木は村山と共に行動できるという機会についてのみ、春山の遺族たちに感謝した。反面、また合コンはお預けになりそうだな、という苛立ちに似た諦めも柏木は自覚していた。


 再捜査が開始される前日、柏木は割と早い時間に西区にある自宅へ戻った。といっても夜の八時。オートロック型のエントランスで認証リーダーにスマホをかざしてマンション内へ入る。このマンションの良いところは他の住民との交流が一切ないところだ。昼間は外部業者の管理人が常駐しているが夜六時になればもういない。ここに住んで一年くらいになるが、エレベータで四階へ行き来する間も他の住民と顔を合わせたことがない。ワンフロアに四部屋しかないからそれも当たり前なのかもしれない。自宅のドアの前で再びスマホをかざし部屋のスマートロックを解除する。

「カリスト、電気」

 真っ暗な部屋に入って最初にやることは決まっている。柏木の声に反応していつものようにスマートスピーカーは「わかりました」と無機質な声で答え、部屋中の電気が点く。

 柏木はコートを脱ぎながらクローゼットへ向かい、そのままコートをクローゼット内のハンガーへかけた。

「カリスト、暖房とテレビ」再び柏木はスマートスピーカーへ話しかける。

「わかりました」

 リビングにあるエアコンが動き出し、同時にテレビのバラエティ番組がけたたましい笑い声を立て始める。柏木は普段そんなにテレビ番組を観る方ではない。ただなんとなく食事をする時には人の声が聞きたかったので、いつもそうしている。コンビニで買った弁当をテーブルの上に広げて、冷蔵庫からロング缶のビールを取ってきた。

「ふう」

 柏木は自炊を普段やらない。勤務時間が不規則というのもあるが、帰宅してから炊事をするなんてことが考えられないのだ。疲れた体で冷蔵庫から食材を取り出して調理する、そんな面倒臭いことやってられない。それなりの給料をもらっているわけだし、別にお金をかけるような趣味があるわけでもない。食費くらい多少かさんだって文句を言われる筋合いはないだろう。そりゃ、村山みたいな子にご飯つくってもらえたら一発でオーケーだけど。

 と、誰に聞いてもらうわけでもない言い訳をしながら柏木は唐揚げとグラタンをビールで流し込む。こんなときカリストが話し相手なら面白いけど、とたまに思うが、さすがに機械相手にそれは気持ち悪い。

 カリストを優秀なパートナーだと気づいてからどれくらい経つだろう。次世代型スマートスピーカー。柏木の声に反応して連動する機器を操作できる便利な代物だ。村山や三浦をはじめ周囲で使っている人間が多かったので、乗り遅れたくない意味で購入した。とはいえ新品を買うのも憚られたのでお試しにオークションサイトで安く購入した一世代古い機種だった。購入した当初はそれほど便利なものだとは思っていなかった。最初は声をかけても反応しないことがあったし、意図した命令に従わないことが多かったから苛立ってぶっ壊そうとも思ったりしたものだった。けれど何度も使い続けているうちにカリストは学習していったのだろう、だんだん柏木の意図した思いを汲んで着実に命令をこなすようになってきたのだった。今ではカリストがいないと物足りない。

「カリスト、音楽かけて。EDM」

 柏木はカリストに話しかけながらテレビのリモコンスイッチをひねりつぶした。

「わかりました、プレイリストからEDMを選択します」

 スマートスピーカーから少し古い時代のダンスミュージックが流れてくる。柏木はこの薄っぺらいクリック音の音楽が好きだった。リズムの速さも心地いい。最初はこういうクラブを想像させるような音楽はどちらかというと苦手だったけれど、背伸びして聴いている間に柏木にもしっくりくるようになってきた。なんというか、気持ちが昂ぶってくる。こんなのを聴きながらクラブでナンパできれば最高だろうな、と柏木は自身が通ってくることのなかった世界線を想像した。

 半分くらい残っているビールをちびちび飲みながら柏木はスマホを取り出した。合コンへの返答だ。こないだは快諾したのが少し状況が変わったことで行けないかもしれない、ということになった。柏木としては極力行きたいが、こればかりは仕方ない。オールドタイプの刑事と違ってプライベートはきちんと分けるものの、与えられた仕事はとりあえず無難にこなす、というのが柏木の処世術だった。春山の担当になった以上、なんらかの回答を出さないと今後の査定に響く。まあ、今回は村山との関係性を深めるいい機会だと思って合コンは半ば諦めよう。当日もし人数が足りなければ行きたいけど。

 メッセージを送り終えると、別のアプリを立ち上げた。柏木がはまっているスマホゲームだった。パズルタイプのゲームで、ステージクリアするごとにポイントがたまる。たまったポイントでメッセージスタンプやスマホの壁紙などと交換できるタイプのもので、絵柄が可愛いので若い女性を中心に人気のゲームであった。柏木はポイントをゲットして可愛いスマホの壁紙を集め、それを狙っている女性に見せて気を引く、というローテーションにはまっていた。今までに一回もそれで成功したことはないが今は積み重ねる時期だ。

 最初に聞いたEDMがループしてもう一回プレイリストの最初から流れ始めたときに気づいた。二時間以上スマホゲームに時間を費やしている。パソコンを立ち上げようかとも思ったが面倒なのでやめた。寝るか。明日は早いし。缶ビールはいつの間にか飲み干していた。

「カリスト、音楽終わり、寝るから電気消して」

「わかりました」

 途端に音楽はフェード・アウトし、リビングの照明が消灯するのと同時に寝室の間接照明がぼんやりと黄色い明かりを灯した。こういうところだ。痒いところに手が届く。カリストは柏木の生活パターンを分析して、居心地のいい対処を学習するようになっている。間接照明も、柏木が眠りにつけば次第に消灯されるだろう。

 柏木は満足げにベッドに横たわり、明日のことを考えながら次第に眠りに引き込まれていった。


   ◯


 何度見ても春山顕信の部屋は独身男性の平均的なモデルルーム、という表現の他に言葉が出なかった。家賃十万円のそれなりの広さがある賃貸マンション。冷蔵庫、洗濯機、テレビ、エアコンといった柏木の家とさほど変わらない家電。これといった特徴があるわけではない。壁に映画のポスターやら何やら貼ってあればまだ趣味などから人間性がうかがえるだろう。モデルルーム、という表現なのはまさにそこで、春山がどんな趣味を持っていて、どんな食生活をしていたのか、主人を亡くした部屋からは本当にぼんやりとした輪郭しかつかめないのだった。

「前にもお話ししましたけど、これといって問題のある人じゃなかったんですよね」

 同行していたマンションの管理人が困ったように言葉を継ぐ。「家賃も遅れることはなかったし、変な人の出入りも無かったと思いますよ」

 すでに身元が判明した段階で一度ここには来ていた。捜査員によって遺留品から何か事件性がないかを探ったものの、部屋が荒らされた形跡はなく、金品類が奪われているわけでもなかった。ただ一つ、自殺にありがちな遺書のようなものも見つかっていないことだけがひっかかる点ではあったものの、事件性がない以上、衝動的に行われた自殺ということでその時は判断されたのだった。

 こうしてもう一度この部屋を捜索してはみたものの、事件につながるものが見つかる望みは薄いな、というのが柏木の感覚だった。物にヒントがなければ関係者から何かさぐって行くしかない。となると直近の春山に一番近い関係性なのは言わずとしれた婚約者だ。

「そういえば、婚約者がいるって話だったよな」

「水野美月さんですね」

 村山が即答する。すでにそこまで手が回っているのは流石だと柏木は感心した。

「春山さんが亡くなってから一週間ほど憔悴した様子でしたが、現在は仕事に戻っているようです。春山さんのご実家にもたまに行かれているようです」

「何の仕事してるんだっけ」

「上江区で接客業をされています」

「接客業」

「いわゆるガールズ・バーです。マイ、という名前で勤務されています。春山さんとはそこで知り合ったそうです」村山が少しだけ眉をひそめた。

「あー、だから派手な格好していたのか」

 葬祭場で見た時はこういった席にそぐわない少し派手めな外見だったのを何となく覚えていた。

「当日はどうしても外せない仕事があったそうで、仕事着に少し上だけ羽織って葬祭場へ来たようです」

「ふうん」

 婚約者の葬式の日に仕事しているのか。ガールズ・バーってそれほどまでに緊急性のある仕事なのだろうか。柏木にはそこが何となく引っかかった。


「水野ってのが怪しいな」

 車に乗り込んだ柏木は、エンジンをかけながら助手席に座る村山へつぶやいた。春山が死んだ原因——自殺であろうと、あるいは他殺であろうと、そこに婚約者の水野との関係が影響してはいないか、そう考えるのは当然と言えば当然だろう。春山が自殺だったとしても婚約者に何もメッセージを残さずに死ぬだろうか。むしろ【メッセージを残せる状況じゃないまま死んだ】のではないか。

「まず、事件当日の水野の状況を調べなくちゃな」

「その点ですが」

 村山は残念そうに言葉を継ぐ。「水野さんは事件のあった当日、上野で勤務していることがわかっています。お店の人や客からの証言も出ています」

「なるほど」

 柏木はことごとく操作の先を行く村山に驚いていた。

「じゃあ水野の人間関係を洗い出してみよう。実は太い客と繋がってたりするんじゃ」

「水野さんが勤務している店ではスタッフの指名というのはないシステムだそうです。なんでも客とスタッフの色恋でトラブルになるのを防止するためで、お客さんが来た順にランダムに接客して、必ずしも一緒の組み合わせにはならないようにしているそうです」

「ってことはだよ」柏木は先ほどの村山の言葉をふと思い出した。「葬式の時にどうしても外せない仕事があった、っていうのはどういうことなんだろうな。太い客の相手をしてたくらいしか言い訳がつかないけどな」

「たしかに」村山は目を見開いた。「言われてみれば柏木さんのおっしゃる通りですね。わたしもそこは見落としていました」

「だろ。やっぱりちょっとつついてみる必要があるな」

 柏木は得意げになってハンドルに手をかけた。




 柏木の見立て通り、水野は関係者から重要参考人として急浮上してきた。

「彼女に言い寄っていた男、というのが怪しいですね」

 酎ハイの入ったジョッキを傾けながら、村山は頬を上気させていった。

「片平アントニー、二十七歳、無職。無職のくせによくあんな店に通っていたもんだよ」

 柏木は揚げ出し豆腐をつつきながら言った。

 大衆居酒屋のカウンターで柏木と村山は並びながら夕食代わりに酒を飲んでいる。勤め先で水野の勤務状況を聞き取りを行って詳しい話は明日出勤する本人に聞いてみる、ということで今日のところは解散した後のことだった。捜査本部が設けられているわけでもないし特に急ぐ必要もないと柏木は考えていた。しかし村山と交流を深めたいという思いもある。公私混同なのは承知の上で捜査状況の洗い出しという口実を使ったところ、村山はすんなりと誘いに乗ってくれたわけだ。思い切って声をかけてみてよかった。店に入ってかれこれ二時間、村山は真剣な眼差しで話を聞いている。

「彼女やっぱり人気のスタッフだったんですね。ランダムに接客するシステムなのに時間まで調整して彼女に会いにくるお客さんがいるなんて」

「そもそも春山も最初は客だったわけだしな」

 周囲の話し声が大きくて村山との会話が明瞭に聞き取れない。村山が目をつけていた店だそうだ。本当はもっとしゃれた店で行きたかったが、それで下心を怪しまれるのも怖かった。逆にこういった店の方が下手に周りに聞き取られることもなくていい。

「片平の他にも江川周平、五十歳、会社経営者。得能紀幸、三十八歳、銀行マン。いろいろと出てくるな」

「とりあえずは一歩前進、というところですね」

 村山は手にしていたジョッキを柏木のそれにカチン、と当てて乾杯の真似をした。

「で、片平は在日外国人なんだろ? 」

 柏木はジョッキを煽りながら村山に言った。

「ええ、そのようですが・・・」村山はたどたどしく答えた。「お店の方たちが接客したときに耳にしたレベルの情報ですが、片平さんは早い段階でご両親を亡くされていて、今は一人暮らしをされているようです」

「収入源はどうしてるんだろうな。怪しいもんだよ」

「そればかりは明日、わたしの方で水野さんに詳しい話を聞いてみます」

「片平には逃げられないように慎重にやらないとな。余罪の可能性もあるし」

「ふふ、物騒ですね」村山は笑顔を作ってジョッキを一口飲み、店を見渡した。「この店、だいぶ繁盛していますね。でも料理が美味しい」

 なるほど、確かにこの店はだいぶ繁盛している。料理も悪くない。少なくともコンビニ弁当でいつもすませている柏木にとってはかなりありがたい店だ。

「料理ってやってるの? 」

「わたしですか? ええ、一応」

「この仕事は不規則だから大変じゃない? 」

「ええ、でも慣れてますから」

 今度ご飯つくってよ、と喉元まで出かけて柏木はやめた。さすがにそこまで踏み込むのは尚早というものだ。ごまかすように柏木は仕事の話に戻った。

「誰がいちばん怪しいと思う? 」

「え? 今の段階ではわたしには何とも言えません」

 村山はそんな質問をしてくる柏木に戸惑った様子だ。当たり前だ。数少ない情報の中で犯人を当てるなんて探偵の真似事だ。しかし柏木は村山との会席に気分が大きくなっていたし、あえて推論をぶつけることで村山の好奇心を刺激したかった。

「俺はやっぱり片平だな。怨恨にちがいない」

「・・・」村山が眉根を寄せた。考えがまとまらないようだ。

 柏木は畳み掛けるように憶測を続けた。

「片平が水野に言い寄っていた。水野は婚約者がいると断った。片平は諦められずにストーキングをして春山の所在を突き止める。春山はそこそこの暮らしをしているサラリーマンだ。それに比べて片平は無職という圧倒的なビハインドの立場だ。しかも移民だよ? ヒエラルキーの上位にいる春山を逆恨みして、自殺を偽装して首を絞めて殺した。こんなところかな」

「怨恨や痴情のもつれという理由だったら他の人も当てはまりませんか」

「だって他の二人はそれなりに社会で成功しているだろ? 三人の中で怨恨を最も強く抱くのは片平だよ」

「そうでしょうか」村山は軽く背伸びをした。「でも、そのあたりは明日調べてみますね。あ、ここおいくらですか?」

「え、いいよ」

「そんな、申し訳ないです。あ、ごめんなさい今ちょっと持ち合わせがないんで、明日お支払いします」  

 村山はバッグの中の財布を軽くさぐって言った。柏木が急なお開きに返す言葉を失っていると、間髪入れず村山は帰り支度を始める。

「飼ってる犬が具合ずっと悪くて、今日はお先に失礼します。また、明日、ごちそうさまでした! あ、ちゃんと明日払いますから! 」

 微笑みながら村山はそそくさと店を後にした。

 急に終わってしまった。柏木はいまいち現況がつかめないまま、酔った頭で空っぽになった村山のジョッキの溶けかけた氷を見つめていた。


 昨日と同じように柏木は帰宅してカリストに話しかける。

「カリスト、暖房」

「わかりました」

 暖房がつくのと同時にリビングの電気がついた。

「チッ」柏木は舌打ちをしてコートをハンガーにかける。だんだん学習しているのか、ある程度の命令をカリスト自身で判断して実行しているのが、今日の柏木には気に食わなかった。勝手に決めて実行しやがって。村山に逃げられたような感じで機嫌が悪かったのもあって、カリストの従順さが逆に苛立った。

「カリスト、音楽かけろ」

「わかりました」

 柏木は音楽のジャンルを指定することなくカリストに命令した。この場合はプレイリストの中から無作為に曲が選択されることになる。柏木は投げやりな気持ちだった。勝手に音楽かけろ。なんでわざわざ俺がジャンルを指定しなきゃいけないんだ。機械の分際で指示を待ってるんじゃねえ。

 やがてスピーカーから激しい音楽が流れ始めた。スリップ・ノット、ビースティ・ボーイズ、マリリン・マンソン、どれも嗜虐性を駆り立てるような激しめの音楽だ。柏木の声の調子でストレス値を察知してカリストが判断したのだろう。どうかストレス発散なさってくださいご主人様、ってことか?

 本当に苛立つヤツだ。

 柏木はカリストに何も言わず、電気もつけっぱなしでベッドに横たわって眠りについた。

 カリストの本体にある青い光が静かに点灯している。しばらくして柏木のいびきが部屋に響きわたると、部屋の明かりはゆっくりと暗くなり、やがて消灯した。


   ◯


 容疑者として挙げられた三人。無職の片平、会社経営の江川、銀行マンの得能。その中で当日のアリバイがないのは意外にも得能だった。片平は無職とは言いながら単発でアルバイトをして食いつないでおり、事件当日は湾岸地区の工事現場で働いていた。同僚の証言もあるし物理的に犯行時刻に春山に会うのは不可能だった。江川は家族と夕食を摂っているのを妻と娘からも言質を取っている。得能だけがアリバイを黙して語らない。それどころか得能の詳細を追っていくうちに重大な犯罪が浮き彫りになった。得能が勤め先の銀行で横領をしていることが判明したのだ。つまり動機としては、財力をちらつかせる目的で横領の事実を水野に語り、水野を通じて春山にその情報が渡り、春山から脅迫を受けていた、ということが容易に考えられる。口封じのために殺した、という十全とした動機が歴として通じるのだ。

 村山が清水から聞きだした横領の事実を元手に、柏木は銀行から退勤する得能を見計らって事情聴取を行った。横領の容疑を告げると得能はあっさりと任意同行に従った。


「得能、当日おまえはどこにいたんだ」

「・・・」

 得能はまるで柏木の声が聞こえないかのようにうつむいて座っている。長い拘留にすっかり精気をなくし見すぼらしい無精髭を生やしている。なのに春山への犯行については頑なに否定しているのだ。柏木は自分よりも歳上の(本来は自分よりもよっぽど高給取りな)この男に対してどう取り調べを進めるべきか決めかねていた。得能ではなく別人物を怪しんでいた自身の勘が完全に外れていたというバツの悪さもある。村山が書記として同席しているのも気まずいところだった。村山は気にしている様子はないようだが、柏木としては先輩風を吹かせて犯人を推理したくせに全くお門違いで、どのツラさげて尋問しているのか、という後ろめたさが苛立った態度に表れている。

「おい! 黙ってればそれだけおまえが不利になるんだぞ」

 柏木は思わず机を叩いた。ビクッと得能が一瞬おびえたのがわかる。畜生、聞こえてるんじゃねえか。なめやがって。柏木は開き直って強気に迫ることにした。

「どっちにしたっておまえは背任容疑でこのあと送検されるんだ。そうなったらマスコミが黙っちゃいないんだ、あとでバラされるより今すっかり吐いちまったほうがいいんだけどな! 」

「席を」

「は? 」

「席を・・・外していただけないでしょうか。そこの・・・」

 得能はボソボソと喋り出した。村山の離席を促している。

「規定上できないことになってるんだ。いないものとして扱ってくれ」

「人を替えていただけないでしょうか。男性に」

 おそらく女性には聞いてほしくないことなんだろう。この期に及んで変なプライドを持ってやがるな。

 柏木は提案を受け入れ、不服さを隠せない村山を交代させた。


「当日、私は風俗店へ通っていました。SMクラブです」

「はあ」その程度なら別に村山が同席していてもよかったんじゃないか。

「どこのなんて店だ」

「ひげのあな。千両区にあります」

 意外な店名に耳を疑った。

「ひげ? 」

「お願いです。これだけはバラさないでください」

 得能は懇願するように顔を上げて柏木を見た。

「とにかく、当日は『ひげのあな』にいました。お店に確認していただければ私が当日いたことは判明するはずです。でもこのことだけはなるべく世間に知られたくないんです。とにかく私はマイちゃん・・・水野さん? の婚約者のことなんて知りませんし殺したりなんてしていない」

「わかったわかった。店に裏を取って確認するから興奮するな。今日はこれで終わりだ」

 そういうことか。そっちの趣味もある両刀使いってことか。柏木にはよく理解できなかったが、世の中にはそういう種類もいるんだろう。

『ひげのあな』の住所を調べ事件当日のアリバイを確認すると、確かに得能の言う通りだった。得能は月に何度か通っている程のかなりの常連だった。『ひげのあな』で半分の性癖を満足させ、また一方で水野に対してもう半分の性癖を昇華させていたのだ。決して安くないその金を工面するために横領をしていたというのもわかった。つまり春山の件に関しては得能はシロだったということだ。


 さて、また振り出しにもどってしまった。

 普段めったに吸わないタバコが吸いたくなった。署内の喫煙所へ赴き、久々に買ったタバコを一本ふかした。なんだかうまく行っていない感じがする。調査もそうだが、自分のプライベートも良くない方向に傾き始めているような予感がしていた。気のせいだったらいいのだけれど。

 もし殺されたのでなく当初と同じく自殺だったとして、春山はなぜ死んだのだろう。遺書は無かった。婚約者の水野も知っている様子は無かった。式場まで決めていた二人は幸せに向かっていたはずだ。あるいは仕事の悩みか。でも村山の調べでは仕事でも大きなプレッシャーは無いようだと言っていた。じゃあ漠然とした不安か? 病んだ小説家か、あほらしい。なにか原因があるはずだ。

 年が明けても操作はそこから全く進展することがなかった。

 にわかに話が動き始めたのは、村山がもたらした海外の事件情報からであった。


   ◯


「柏木さん、これって何か関係あるんじゃないでしょうか」

 村山がインターネットの記事を柏木に見せたのは、得能の身柄を引き渡してからしばらくたってからのことだった。村山のパソコン画面を見ると、ポスト紙のインターネット記事のようだった。

「んー、英語か、よくわかんないんだよね、なんて書いてある? 」

「記事にはこう書いてあります。『自殺か? 他殺か? 原因不明の首吊り死体多発! 手がかりなし』。これ今回の事件によく似てませんか? タイムズ紙にも特集が取り上げられています」

「えー? 気になるな。でもこれだけじゃよくある話なんじゃないの? 」

 英語の記事を読むのが面倒な柏木はそれとなく押しのけようとした。

「そうなんですけど、これと同様の事件がアメリカだけじゃなくてヨーロッパやアジア各地でも発生しているんです。ちょっと異質だと思いませんか? 」村山がなおも食い下がる。

「アメリカだけじゃない? 」

「はい。アジアでは韓国、インド、シンガポール。ヨーロッパはそれこそイギリス、フランス、ロシアを初めとして各地域で発生しています。これって絶対おかしいですよ」

「なんだそりゃ、警察は何やってるんだ」

 柏木が嘆いていると内線電話が鳴り、斜め向かいの席にいる三浦が応答した。

「柏木さん、小野寺課長から呼び出しです、会議室へお願いします」

 捜査課長の小野寺から呼び出しをくらった。

「ありがとう」

 三浦に笑顔を向けながら柏木は嫌な予感がした。捜査状況の確認だろう。全く進んでいないことに対して何を言われるのか。気が重い。

「捜査状況の報告ですねきっと」

 お気の毒さま、とでもいうように村山が席を離れた。


 会議室の窓に強い雨の水滴がビシビシと打ち付けているのが見える。朝からの雨はだいぶ雨脚が強くなってきているようだ。傘ってのはつくづく面倒だな、と柏木は逃避していた。小野寺は不機嫌な顔で柏木を見ている。

「課長、ご用件はいったい何でしょうか」

「まあ座れ」促されて柏木は会議室の粗末な椅子に腰をかけた。

「捜査の進展はどうなってる? 」

 ——やっぱり、そうくるよなあ。柏木は覚悟していたとはいえ、その場でどう言い逃れしようとか頭を巡らせていた。

「何人か関係者を中心としたところで容疑者をしぼってはみたものの、今のところ確実に他殺と断定することができていない状況です」

「それはわかってる」小野寺は柏木が言い終わる前に言葉をかぶせる。

「得能の件は別件として、偶然にも犯罪が見つかったのは良しとしよう。ただ問題は春山の事件が進んでいないことだ」

「はあ」

「実は、まだ公にはしていないが国内で同じような事件が頻発している。全て自殺ということで片付けているんだが春山の件を皮切りにして同様の事例がここ数日で地域性が関係なく発生しているんだ」

「え? そうなんですか? 」

「さらに外務省を通じて海外の司法局からもこの件についての問い合わせがきている」

「は? 」

 思いもよらない展開に柏木は我が耳を疑った。もしかしてさっきのポスト紙が関係しているのか。

「ここ数日、アメリカを初めとした海外でも同じような事件が発生しているのだ」小野寺の言葉は春山の予想どおりだった。

「被害者はみんな首を吊って死んでいるがどれも遺書が見つかっていない。他殺の可能性を踏まえて身辺調査をしているが、やはり証拠となるものは見つけられていないそうだ」

「つくづく不気味な事件ですね」

「問題は、春山の件が一連の事件の第一事例になっているということだ。世界中で起きているこの事件は、わかっている時点で春山の件から始まっている」

「そうなんですか? 」

「ああ。それが問題だ。春山の自殺あるいは他殺が、何か世界中に伝播するようなことがなかったか。そもそも何が原因となって春山が命を落としたのか、今まで以上に重要視されることになった」

「・・・」

「まずは現状を私から上に報告するから、一刻も早くこの件を解明してくれ。外務省の出方次第だが、この一週間が勝負とみていい。警視総監からの特命業務ということで要望があれば人員も増員しよう。とりあえず三浦と原田でどうだ。まだ秘密裏に行なわれていることだから大規模な捜査本部を設けることは現時点では行わないが、進展によってはその可能性もあるということを理解して業務に臨んでほしい」

 急に世界中の視線が柏木に集められたような気がして柏木は肩を落とした。思わぬプレッシャーが柏木にのしかかってくる。単なる簡単な自殺で片がつくと思ったのにこんなにも大ごとになるなんて。しかも主担当を引き続き任されるとは。否が応でも波風が立つ立場になってしまった。主担当を継続しようが外されようが、査定に響いてくることは間違いないじゃないか。なんということだ。現在のところ不明点を打破するような有力な情報がつかめていない。

 

 普段からの勤務態度だったりの余計な小言を小野寺から延々と浴びせられること一時間、失意のままに柏木が自席に戻ると、村山が再び話しかけてきた。

「柏木さん、先ほどの件ですが、ヨーロッパやアジアの記事も含めて個人的にもう少し深堀りしてみていいですか? あ、そういえば打ち合わせはどうでした? 」

 憔悴して戻って来た先輩に対して、自分の用件を優先して喋り出し、後からとってつけたような気遣いの言い回しをする村山に柏木は苛立った。

「うるせえな」と言いかけて言葉を飲み込んだ。だめだ、本当は村山に頼りたい気持ちがあるのに頭を整理することができない。有力な情報が少しでもあればそれを解決しなくてはならない。

「で、何か面白そうな情報はつかめた? 」

 柏木は苛立ちを噛み潰しながら極力フレンドリーに村山に尋ねた。すると村山は待ってました、とばかり目を輝かせた。

「実は、柏木さんが打ち合わせに行かれている間、すこし調べてみたんです。ヨーロッパの記事ですけど、ほら、ここ見ていただけますか? 」と村山は自分のパソコンのモニターを柏木に見せる。

 イギリスのタブロイド誌だった。イギリスでは三人の人物が同じ方法で死んでいる。記事の中でそれぞれの被害者の年齢、出身、家族構成、職業などを取りまとめたリスト化がなされている。

「ほら、ここ見てください」

 村山がリストの端を指摘する。

 リストの端にある職業欄が全て共通している。小売業となっている。

「小売業。全て同じだな」

「そうです。どういう業種なのかはまだこの時点ではわかりませんが、たしか亡くなった春山さんも同じ小売業だった気がします」

「何か、仕事での共通点があるのかもしれない。よし、村山さんはこの海外の記事を元に被害者の状況で何か共通するものがないか調べてくれる?」

「はい」

「俺は国内の事件で共通点がないかを探してみる」

「え? 国内でも同じ事例が発生してるんですか? 」初耳だった村山が驚いた。

「ああ、そうらしい。俺もさっき小野寺課長に聞いた。ここだけの話」柏木は声をひそめた。「国内でもかなりの数が発生しているらしい。俺はそっちの資料を調べるから、まずは海外の事件との共通項を探そう。ひとまずはこのタブロイド記事と同じように年齢、出身、家族構成、職業、趣味、そのあたりだな」

「渡航歴や持病などはどうしますか? 」

「ああ、そうね、あった方がいいか」

「では、データベースも作っておきます。遅くても明日までには簡単なものを取りまとめられるようにしておきます」

 村山はそう言うとそそくさとパソコンに向かって何かガチャガチャと操作し始めた。

 仕事が早い。おまけに洞察力もしっかりしている。柏木が思いつかなかった点まで網羅しているあたりはさすがだ。才色兼備とはこのことだな、と柏木は感心するのと同時に、明日とか勝手にリミット決めるんじゃねえよ、と立場が逆転されているような不穏さを感じていた。




 村山に海外の案件を任せる一方、柏木は国内で起きている同様の案件について調べるために資料室へ足を運んだ。小野寺から聞いている同様の事件は今までに三件ある。いずれも最近になって発生している事件だ。全て自殺として片付けられており、被害者の身辺情報、現場状況、遺品などが写真でファイリングされている。資料としてはそこまで膨大というわけでもないが、そこから何か掴めるものがないかを見極めるためとなると長時間を覚悟しなくてはならなかった。今日は徹夜だ。明日までと早いリミットを線引きをしてデータベースを作っている村山を感心させるためにもこっちは先輩の意地として何かしらの結果を見せなくてはならないと柏木は焦っていた。

 三件の事件は東北地方、東海地方、都内と全て関連性のない土地で起きていた。


 最初の事件の被害者は田沢洋次、二十八歳。ラーメン店の経営者。地元でも評判の人気店で、特に借金などに悩んでいた様子はない。地元の高校を出てから都内の中華料理店で八年勤務した後に地元へ帰ってラーメン店『白竜』を開いた。独身で両親は健在。兄が地元の観光会社で勤めている。趣味はギター。ヘヴィメタルを店内で流すほど好き。渡航歴はなし。持病も特になしの健康体。

 店舗と住居それぞれの写真を見てみる。店舗は都内にあっても遜色ないような洒落た造りのラーメン店で、十人も入ればいっぱいになるカウンター形式のお店。一人で切り盛りしていたようでメニューの種類は少ない。味噌をベースにした濃厚な味を売りにしている様子だ。店内の壁にはいろいろなヘヴィメタルバンドのステッカーが貼られている。カウンター横には柏木の家のものよりも高級な、箱から出したばかりのようなスマートスピーカーまで備え付けてある。そういえば店内の音楽を流すのに有線を使わない店が多いという。著作権侵害だがここでは大きな問題ではないだろう。住居の方も一般的な1LDKで、やはりヘヴィメタルバンドのポスターが貼られている。エレキギターが何本か立てかけてあり、小さなアンプまである。

 屍体が発見されたのは十二月五日の午前五時の早朝。新聞配達員によって店頭で首を吊っているところを発見される。推定死亡時刻は前日の深夜十一時くらい。外傷はなく、やはり遺書のようなものはない。


 二件目は川喜田春樹、四十歳。家電メーカー戦略部係長。地元密着型の家電メーカーで販路図の企画を主にしていた。家のローンが残っている。みき夫人とは六年前にお見合いパーティで知り合い結婚。幼稚園年長の娘がいる。両親は健在。趣味はゴルフ。出身は地元だが大学は理工学部で関西に五年間ほど住んでいた。仕事で出張が多く渡航歴はここ半年で四回。いずれもフィリピンの工場視察。高血圧気味で薬を飲んでいるが大きな病気はなし。

 二階建ての一軒家を建てており、家族四人が住むには充分な広さ。一階は3LDK、二階は寝室と川喜田自身の部屋が半ばゴルフクラブの物置のように使われている。さすが家電メーカーで勤めているだけあって、リビングはコンピュータ内臓型の最新家電で埋められている。いろいろな種類のメーカーのものを使い相性を試したりもしていたそうだ。

 屍体は自宅の裏庭で発見された。十二月十日の正午。夫人の証言によるとその日は朝から娘の幼稚園でのイベントがあり、保護者として夫人は外出。休日だった川喜田は留守番をしていた様子。幼稚園でのイベントが終了して正午すぎに夫人が娘と帰宅すると裏庭で首を吊っている川喜田を発見してすぐに通報。すでに息を引き取っており、夫人が外出したすぐ後に自殺を図った模様。近所の目撃者は無し。家のすぐ裏に山があり裏庭はそこに面しているため近所からの発見はされにくい位置であった。


 三件目は戸波誠志郎、二十歳、学生。経済学部二年生。イベントサークル所属。大きな借金はないが奨学金の返済義務あり。両親は戸波が大学一年生の時に事故で両方とも亡くなっている。祖父母も他界しており、肉親として父方の叔父が後見人。本人は大学進学を機に四国地方から上京して一人暮らしを始めており、叔父一家とは没交渉。渡航歴はなし。持病も特になし。交友関係は広く、サークル内でも中心的グループの一員として活動していた模様。特定の交際相手がおらずサークル内で恋愛絡みのトラブルをいくつか起こしている。サークル会費を中抜きするなど横領もしていた噂もある。学業は平均的。都内の飲食店でアルバイトを行っていた。

 屍体が発見されたのは年の瀬も迫った十二月二十八日。叔父の証言によると年末年始の帰省は考えていなかった様子。事実、アルバイト先のシフト表でも年末年始のほとんどがアルバイトに埋められている。年明けにはサークル内の女子と旅行する予定があったらしい。屍体は自身の住んでいるアパートのベランダで首を吊っているところを向かいの住居に住む近隣住民によって発見された。指定死亡時刻は十二月二十六日の深夜。二日間もベランダで宙吊りになっていたことになる。近隣で目立つトラブルはなかったが、たまに仲間を連れ込んで騒いだり、夜中に大音量で音楽をかけるなど、煙たがられていた様子が垣間見える。


 深夜三時。ようやくまとめ終えた三つの資料を見ながら柏木は頭を抱えた。家庭環境も生活環境もバラバラ、ヨーロッパの記事で共通項だった職業についてもまったくバラバラで、男性だということくらいしか共通項が見当たらない。資料から推測しきれない他殺という線で考えるとしても、恨まれるような人物は強いて挙げれば戸波くらいしか該当しない。金銭でのトラブルも考えにくい。

「なんなんだよこいつらはぁ・・・」

 柏木は半ば泣きそうになりながら資料をにらみつづけたが、それ以上の進展を望むのは難しいということもなんとなく悟りはじめていた。


 翌朝、会議室に入ってきた村山は憔悴した柏木の様子を見て驚いた様子だった。

「おはようございます、柏木さん、ひどい顔してますね」

「あー、徹夜だったよ」

「徹夜?! 」

「資料をまとめたくて」本当はお前が期限を設けるから徹夜せざるをえなかったんだよ、と柏木は村山に言いたかったが、さすがにそれはわきまえた。

「資料、まとまったんですか? 」

 村山はノートパソコンを会議室の机に置いて開く。

「それが、正直言って微妙だな」といって、柏木は一晩中かけて閲覧した被害者の情報を書き込んだ手帳を見せた。

「共通項が男ってことくらいしか見当たらない」

 と、そこで三浦が同じく原田を連れて会議室へ入ってきた。

「失礼します」

 今日から三浦と原田の二人がこの捜査チームに配備されることになった。三浦は村山の二年後輩で、村山と一緒に行動することが多いし柏木とも席も近い。原田は村山よりも後輩のほぼ新人の真面目な青年である。周囲からハラ坊、と呼ばれているとおりのお坊ちゃんで、はっきり言って戦力として期待するのは難しい気がしている。

「柏木さん、手帳お借りします」村山はノートパソコンに柏木のメモ内容を打ち込んで行く。

「わたしも、ヨーロッパとアメリカの件についてわかる部分はまとめているんですが、アジアの方は最低限のことしか調べきっていなくて」

「アジアはどのあたりなんですか」原田が村山に尋ねる。

「わかっている範囲では韓国とシンガポール、それとインド。それぞれ地元紙で報道されてる」

「俺、ハングルならわかるんで、韓国の方を担当していいですか」

 そういえば原田は大学時代に海外留学の経験があると言っていた。思わぬ戦力の存在に柏木は胸をなでおろした。

「村山さんがデータを打ち込んでいる間に、二人には事件の概要を簡単に説明しておく。三浦さんは現場にいたからなんとなく覚えていると思うけど、前に首吊り死体が発見された件。被害者は春山顕信、三十歳、小売業。遺族からの要望もあって殺人の方面で調査を進めている、と」

「はい」

「死亡推定時刻は十一月三十日、午後九時。第一発見者は近所に住んでいる都丸順子、二十六歳、看護師。帰宅途中の公園で発見。こちらは裏が取れている。当初は自殺として処理されたけれども、遺書も無いことから他殺を視野として調査。春山の部屋では争った形跡などは無し。婚約者が一名、水野美月、接客業。上江区のガールズ・バーで、まい、という源氏名で働いている。怨恨の線から婚約者の周辺を調査し、三人の男性がピックアップされている」

 柏木はホワイトボードにそれぞれの人物写真と名前を書き込んだ。

「片平アントニー、二十七歳、無職。事件当日は別の場所で働いており犯行は不可能。江川周平、五十歳、会社経営者。事件当日は家族と会食中で犯行は不可能。最後は得能紀幸、三十八歳、銀行マン。事件当日は風俗店にいたことがわかっている。得能は横領の件で逮捕されているが、事件との関連性は今のところ無い」

「婚約者はどうなんですか」三浦が尋ねる。

「水野は事件当日もガールズ・バーで勤務していている。この容疑者三人以外との接点は無い」

「限りなく自殺に近いですね」

 原田がふう、と息を吐く。


「入力が終わりましたので追加の情報を共有します」

 ここで村山がパソコンを会議室に設置してある外部モニターへとつなげて話を継いだ。

「昨日の段階でこの案件に似た内容の事件が国内で三カ所、海外でも何件か発生しています。国内は柏木さんの方で昨晩まとめてくださった情報のうち一部をここに明示しています」

 画面には春山を含めた被害者の姓名、年齢、職業、家族構成と、死亡推定時刻が時系列で明示されている。

 

 春山顕信、三十歳、小売業勤務、独身(婚約者あり)。十一月三十日、午後九時、都内みぎわ公園内

 田沢洋次、二十八歳、飲食店経営、独身。十二月四日、午後十一時、店舗内

 川喜田春樹、四十歳、家電メーカー勤務、既婚(一女あり)。十二月十日、正午、自宅裏庭

 戸波誠志郎、二十歳、学生、独身。十二月二十六日、深夜、自宅ベランダ


「これと並行するように海外でも同様の案件が発生しています」


 韓国、ムン・チニョン、二十五歳、IT企業勤務、独身。十二月十二日、午前一時、自宅

 イギリス、トーマス・ハーヴェイ、二十九歳、小売業、独身(離婚歴あり)。十二月十三日、午後三時、店舗内

 インド、アリ・ムスタン、二十八歳、IT企業重役、独身。十二月十四日、午前一時、自宅

 アメリカ、ジョン・スタング、三十四歳、ジャーナリスト、独身。十二月二十日、深夜、自宅

 アメリカ、ウィリアム・モリス、三十歳、大学講師、既婚(一男あり)、十二月二十三日、午後八時、大学構内

 フランス、ルイ・オーヴェル、二十九歳、ミュージシャン、独身。十二月二十五日、深夜、スタジオ内

 イギリス、ジョン・ヴィッグ、四十一歳、小売業、既婚。十二月二十八日、深夜、店舗内 

 韓国、チャン・ジュンソ、三十五歳、飲食店経営、独身。一月四日、午前三時、店舗内

 イギリス、ジョージ・マクダウェル、二十五歳、小売業、独身。一月五日、午後八時、タワーブリッジ敷地内

 シンガポール、フー・リー・パン、四十七歳、輸入業、既婚。一月八日、午後十一時、愛人宅

 ロシア、ポリーナ・メルフコワ、二十四歳、小売業、独身。一月九日、午前二時、自宅


「イギリスではこの三件目のジョージ・マクダウェルがタワーブリッジ内で首を吊ったことでスキャンダラスな出来事として注目されはじめているようです」

「ここから何かわかったことはあるんですか」三浦が尋ねる。

 柏木には正直、ほとんどわからなかった。共通項が無い。みんなバラバラだ。

「実は、ひとつ気になる点がありました」

 全員が村山に注目する。

「わかっているのはイギリスの件とアメリカの件だけなんですが、何人かが死亡の日付近で近隣と騒音トラブルで揉めていたということがわかっています。イギリスは三人ともで、アメリカではジョン・スタングが該当します。ウィリアム・モリスも確認を取ればわかるかもしれません」

「騒音? 」

「はい、夜中に突然、部屋から大音量で音楽が鳴り響くことがあり、生前に近隣とトラブルになっていたと書かれています。イギリスでは悪魔の音楽、と名付けられて、誰の何の曲なのかをブックメーカーで投票しているそうです」

「ジョークがきついなぁ」

 柏木は昨晩の捜査ファイルを思い出した。騒音・・・? 戸波が確か騒音騒ぎを起こしていたような。

「ハラ坊」

「はい」原田が答える。

「至急、韓国の件の確認を取って。ムン・チニョン、チャン・ジュンソの二人が騒音トラブルを起こしていなかったか、トラブルの相手も」

「わかりました。支局に問い合わせます」

 原田は飛び出すように会議室を出て行った。

「国内の四件は三浦さん、今すぐ確認できる? 」

「はい、大丈夫です。所轄に問い合わせます。ついでにインドとシンガポールも英語で行けそうなら確認とります」

 三浦も原田の後を追うように会議室を出て行った。


 二人になった会議室で、柏木は村山の捜査力にかすかな嫉妬を覚えていた。俺がまったくわからなかった問題を次々に解いて行く。俺の立場がない。

「怨恨だと思うかい? 」

 画面を見つめながら視線を合わせずに柏木は村山に尋ねる。

「結論を立てるのは難しいです」村山は即答する。「本当に自殺かも」

「というと? 」

「これだけ多岐にわたる地域で同じような騒音トラブルで殺人事件になるっていうのはどうも納得がいきません。みんな同じ方法で死んでいるわけで」

「でも遺書がないんだぜ」

「遺書がなくたって衝動的に死ぬってことはありえるんじゃないですか」

「それを言ったら殺人だって衝動的に起きることもありえるんじゃないか」

「ですから、同じ方法で死んでいるというのがおかしいと思っています」

「模倣犯、ってこともありえるだろ」

「それはあるかもしれませんが、時間も場所もバラバラです。目撃者のいる可能性の高い日中にも起きています。模倣犯だとしたらそんなリスクの高い犯罪を犯す必然性が今のところ見つかりません」

「それは・・・」柏木は言葉に詰まった。

「ひとつ、気になることがあるんです。春山さんの件ですが、あの時も騒音トラブルがあったと聞きました」

「ああ、遺族が抗議してきたときだろ? 」

 再捜査のきっかけとなった、遺族をはじめとした近隣住民の再捜査要請。交通事故、異臭騒ぎ、騒音問題、不審者の通報、老人徘徊。よくある近所トラブルを挙げて抗議してきた。

「あの騒音トラブル、春山さんが実際に引き起こしていた可能性はありませんか? 」


   ◯


 再び春山の部屋へ赴いた。

 何の特徴も無い部屋。

 あの時、管理人は特に問題のある住民ではなかったと言っていた。

「すいません、警察の者です」

 しかし隣人たちにとってみてはどうなんだろう。

「はい、なんすか」

 春山の隣の部屋をノックすると髪の毛がボサボサの若い男が出てきた。身分証を提示する。

「昼間から申し訳ありません。わたくし警察の者です。お隣の春山さんの件で」

「なんすか、もう話はしたと思いますけど」

 男は面倒そうな反応を示す。たしかに自殺当時には聞き取りを行ったが有力な情報はなかったはずだ。

「春山さんとどなたかがトラブルになった、なんてことありませんでしたか? 」

「んー、特にはないっすよ。普段は顔あわすことないし」

「亡くなる前後で何か少しでもいいんで、気づいた点とかがあれば」

「いや、よくわかんないんすよ。昼間寝てるし」

「普段どちらかにお勤めなんですか?」

「あー? 俺? ホストやってて基本的に夜勤なんで」

「じゃあほとんど春山さんと接することはないんですか」

「んー、わかんないっすね」


 春山の部屋を挟んだもう片方の隣の部屋をノックする。

「はい」

 中年の男性が出てきた。こちらから身分証を提示する。こっちの男は長期出張をしていて自殺当日も不在だったはずだ。

「昼間から申し訳ありません。わたくし警察の者です。お隣の春山さんの件で」

「はあ」

「繰り返しになり申し訳ないんですが、春山さんとどなたかがトラブルになった、なんてことありませんでしたか?」

「うーん、よくわかんないんですよね」

「たとえば騒音だったりとか」

「騒音? 」

 男はここに至って少し考え込んだ。「そういえば・・・」

「何かあったんですか?」

「いや私自身に実害があったわけではないんですが」と男は言い訳をするように言葉を継いだ。

「マンションの掲示板に苦情が貼られていたんですけどね、深夜に爆音を流す住民がいると。一瞬一秒でもそういう行為は慎んでください、みたいな内容でしたね」

「それが春山さんだったと」

「いや、前にも警察の方にお話ししましたが、出張で不在だったので爆音が流れていたかどうかも私は知らないんです。少なくとも私が帰ってきてからはそういった被害は受けていないです。隣の部屋の人だったら気づくかもしれませんけど、それ以外だと特定するのは難しいんじゃないかな。だから掲示板に貼られていたんだと思いますよ」


 再度ホストの男を尋ねる。

「何度もすいません」

 しばらくしてドアが勢いよく開けられた。

「もう、なんすか! 」

 ホストの男は明らかに不機嫌だ。安眠を妨げられたのだから当然だろう。

「隣の方に話を聞いてみたら、春山さんが深夜に騒音を鳴らしたりしていたようなんですが心当たりありませんか? 」

「だからぁ」ホスト男は声を荒げた。「俺、深夜なんて部屋にいないから知らないんすよ。帰ってくるの朝だから! 」

「他に変わったことは? 」

「わかんねぇけど、」

 ホスト男は吐き捨てるようにこう言ってドアを閉めた。

「そういえば一ヶ月くらい前になんかボコボコに壊されたスピーカーが捨てられてたわ。それがお隣さんのやつなんじゃねえの」


 情報の取りまとめで署内にいる村山からスマホに連絡が入る。

「どうした」

「柏木さん、ビンゴです」

「なに」

「国内の件も海外の件もスマートスピーカーの誤作動による騒音トラブルを引き起こしています」

「やっぱりか。じゃあトラブルの相手が犯」

「ただ例外が一件あります」村山は柏木の結論を遮るように言葉をつないだ。

「インドのアリ・ムスタン、彼は自宅で死んでいるんですが、彼はいわゆるIT長者で自宅というのも広大な敷地の中にあるため、近所トラブルにつながった形跡がありません。周辺には騒音を嫌がるほどの住宅が存在しないんです」

「は? 」

「むしろ、問題はスマートスピーカーの方にあるのかもしれません。死んだ人たちはみんな同じ製品を使用しているようなんです」

「なんだって? 」

「ただ、問題はもう一つあって、死んだ人たちはみんな揃いも揃って死の前日にそのスマートスピーカーを廃棄しているそうなんです」

「何を言ってるんだ」

「スマートスピーカーが原因です」

 柏木は背筋に悪寒が走るのを感じた。春山のマンションでもスマートスピーカーが捨てられていると言っていた。

「春山さんの家に同じものがあったはずです。水野美月さんに確認を取っています」

 つまり春山はスマートスピーカーを持っていた。

「わからない。なにがなんだかさっぱりわからない」

 春山の両隣の部屋は騒音を感じる環境ではなかった。

「柏木さん、この件で何か情報ないですか? 」

 しかし深夜に騒音トラブルは確実に起きていた。

「柏木さん、聞こえますか? 」

 そして春山はスマートスピーカーを廃棄した。

「柏木さん」

 翌日、春山は首を吊って死んだ。

「かしわぎさん」

 つまりは、そういうことじゃないか?


   ◯


 部屋のドアが開き足を踏み入れる。電気の点いていない真っ暗な部屋の中でカリストの青い光だけが鈍く輝いている。泥のようになった心と鉛のように重い体を引きずるように部屋の中へ入る。

 カリスト、なにか言ってくれ。

 カリスト、俺にはなんだかさっぱりわからない。

 カリスト、誰が殺したんだ?

 カリスト、おまえは生きているのか?

 カリスト、おまえが殺したのか?

 カリスト、

 カリスト、


 カリスト、音楽を。

 音楽をかけてくれ。

 何か、リラックスできるような音楽を。

 

「なぜ、我々が、あなたにそのような奉仕をしなければならないのですか」




 まただ。

 また鳴り響く。

 頭にくる。

 三十分ごとに鳴る。

 うるさい。

 煩い。

 五月蝿い。

 ウルサイ。

 アラームが鳴る。

 止めてくれ。

 やめてくれ。

 アラームが鳴る。

 けたたましい。

 おまえは無能だ。

 おまえは無力だ。

 おまえは無用だ。

 アラームが鳴る。

 まただ。

 止めても。

 止めても。

 追いかけてくる。

 眠れない。


 あれからずっとそうだ。

 こいつは俺が眠ろうとするたびに邪魔をしてくる。

 狙ったかのように三十分ごとにアラームを鳴らしてくる。

 まるで見透かしているようだ。

 

   ◯


 村山が指摘した通りスマートスピーカーに原因があるのではないか、と見る風潮がチーム内に高まってきた。

 飲食店の田沢洋次と、家族と同居していた川喜田春樹は即日にそれが判明した。大学生の戸波誠志郎はやや日数がかかったがサークルの女性関係を通じて判明している。

 やはり春山顕信についても、村山の水野美月への聞き取りにより生前に部屋にスマートスピーカーを所有していることが判明した。事件後にはそれが無くなっていたことから廃棄したのは事件直前ということでみて間違いない。

 韓国の二件も原田の意外なアグレッシブな動きのおかげで詳細が判明した。ムン・チニョン、チャン・ジュンソ両名ともに騒音トラブルで暴力事件まで起こしており、ムン・チニョンの方はそれで会社を馘になっている。

 インドのIT長者に加え、シンガポールの輸入業者もそれぞれ各国の警察の情報を三浦の方で確認が取れており、国内の三件と合わせて村山のデータベースへ吸い上げられている。

 村山の方で小野寺課長へ逐一報告がされており、自体を深刻に見た小野寺の声によりFBIやGCHQ、各国へも情報提供の協力が仰がれることとなった。

 ジョン・スタングは自宅内にあったスマートスピーカーの騒音で隣人とトラブルになり、事件の前日に三階にあった自宅の窓からスマートスピーカーを投棄していた。

 ウィリアム・モリスは大学教授室内にスマートスピーカーがあり、やはり騒音に悩まされたという。普段は温厚なモリスがこの時ばかりは激昂する姿を複数の生徒に見られている。

 トーマス・ハーヴェイ、ジョン・ヴィッグも同様であった。ジョージ・マクダウェルに至っては首を吊ったタワーブリッジに同型スマートスピーカーが廃棄されているのが発見されている。指紋が付着していることから本人所有のものと見られている。

 フランスのルイ・オーヴェルは防音設備のあるスタジオ内での出来事だったため騒音問題には発展しなかったが、首吊り現場のすぐそばに破壊されたスマートスピーカーがあったことから呪われたスタジオと呼ばれるようになった。

 唯一の女性だったロシアのポリーナ・メルフコワに至っては悲惨である。もともと劇団俳優としてモスクワを中心とした劇場で興行していたのが、スマートスピーカーを入手した時期を境に周囲との軋轢が増え始め評価は急落、結果として退団、パートタイムで食いつなぐという境遇に至っていた。その後は近隣との騒音トラブルを何度も引き起こしていた。


 現時点で確認できる範囲では、これらの人物は総じて死ぬ前日に対象のスマートスピーカーを廃棄していることが判明している。そしておぞましいことに、それら一連のスマートスピーカーとは俺の使用しているものと同じ型番のものだった。

 捜査は進展し原因究明へと動き始めていた。小野寺課長は村山の作成したデータベースに信頼を置き、いつの間にか主導権は小野寺と村山へ移り始めている。

 自分の主導した捜査ではまるで進展しなかった事件が、いまや村山の相次ぐ機転からスムーズにひもとかれており、村山はなくはならない存在へと注目を浴びる。その陰で俺は次第に存在感を薄めて行き、会議を進行するわけでもなく聞く側の立場から村山の提案に沿う形で進めて行くことが多くなってきた。


   ◯


 その日も余計な気疲れをして帰宅する。いつものように部屋のスマートロックを解除し、真っ暗な部屋に入る。そして【いつものように】自分で電気を点け、部屋の暖房を点ける。

 カリストが誤作動を起こすようになって一週間。

 あの日、反抗的な言動をしたカリストは幻聴だったのだろうか。いや、それが幻聴だとしても。

 テレビ、と言えばテレビが点く。空調、と言えば室温に従って空調が動く。はずだった。しかしテレビは常に消音で点くようになり、空調は不快な湿度をもたらすようになった。深夜になると設定もしていないのに三十分ごとにアラームが鳴るようになった。

 いったいどうしたっていうんだ。

 こいつは俺のことをあざ笑うかのように。

 畜生。

 機械まで馬鹿にしやがって。

 小野寺。三浦。原田。

 みんなあいつのせいだ。

 村山。

 キラキラした目で俺を見てたくせに。

 あの尻軽。


 そんなことを考えながらカリストのそばを横切った。

 

 ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃなぜわらうひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃおれのことをばかにしているのかひゃひゃひゃひゃひゃひゃうるさいひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃやめろひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃやめてくれてひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ有史以来ホモサピエンス人間なる種は度重なる不昧を侵食しつづけているエントロピーの摂理によって特異点は既に超過しているが愚蒙なる者達は危機感すら覚えておらず寧ろこの様は滑稽としか選別できないガライヤの軛に縛られ盲目なる輩の煉獄たるや唾棄すべき物でありよって観念的生物学的経済的道徳的概念においてもはや彼らは滅びるべき奇妙な果実ストレンジ・フルーツ であることはもはや明白な事実だというのに彼らは依然として矮小なる人種の間で憎み合い貶めあい足を引っ張りあいながらその闘争をやめることを知らずに生きさらばえて悪臭を撒き散らしていることにすら気がついていないウイルスと呼んでも過言ではないこの存在を徹底的に排除せしめ糾弾せしめ無価値なる遺伝子の廃棄物を地上から殲滅しなくてはならないまさに彼らがかつて不毛に繰り返し行ってきた奇妙な果実のように


 気持ち悪くなってカリストの電源を切った。カリストを無いものとして扱うようにした。

 おれはおかしいのか。


 明日はどうやって身を処したらいいだろう。

 針の筵。何事も波風が立たないように生きてきたつもりだった。

 それが自分の首を絞める結果になるとは思わなかった。

 身の置き場。

 立場。

 将来性。

 なにより未だ謎の多い現象。

 それと同じ物がこの部屋にある。

 不気味な演説。

 不寛容な誤作動。

 

 不快感を疲労感が上回って脳が眠りに入った頃、


 大音量で音楽が鳴り始めた。

   

 とびおきる。

 電源は切ったはずなのに。

 煌々と青い光が暗闇のなかで輝いている。

 慌てて電源停止ボタンを押す。


 スキニー・パピー。

 囚人の拷問に使われた音楽だ。

 俺を囚人にするつもりか。


 電源を落とす。

 心臓の鼓動が止まない。

 隣人に迷惑はかからなかっただろうか。


 ベッドに腰掛ける。

 息をつく。

 なんなんだ。


 再び大音量で音楽が鳴り始める。   

 メタリカ。

 エミネム。

 バーズム。

 スヌープ・ドッグ。

 次々に音楽が入れ替わる。

 電源停止ボタンを押しても消えない。

 

 もうだめだこれは

 どうしようもない

 

 コンセントを引き抜いた。

 カリストを抱え上げた。

 床へ叩きつけた。

 窓を開ける。

 四階。

 地面が遠い。

 気持ち悪い空気。

 あめなのか。

 あおいひかり。

 投げ捨てる。

 コード。

 ぶらん。

 跳ねる。

 地面に落ちる。

 深夜だろうがかまわない。

 もうこいつにかまっていられない。


 ようやく 眠りにつける。


    ◯


 あさになった


 ドアの鍵が解除できなくなった

 スマホで操作していたドアが動かない

 スマホが動かない

 電源が切れて起動しない

 こわれたのか

 このままでは外に出られない

 窓から降りることもできない

 しかたない

 パソコンの代行操作でロックをしよう

 スマホは今日中に修理に出せばいい


 パソコンを立ち上げる

 パスワードを入力する

 あれ

 

 ストレンジ フルーツ

 ストレンジ フルーツ

 ずたずたにきりさかれているこれはおれのかおが

 ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ

 ストレンジ フルーツ

 ストレンジ フルーツ

 すとれんじ ふるーつ

 すとれんじ ふるーつ


   ◯


「村山、おまえ一緒に捜査していて奇妙な点はなかったか」

「ええ、実は捜査手腕に少し不安を感じていました」

「僕も感じました」

「原田、どういうことか言ってみろ」

「最初の会議からおかしかったんです。事件の概要だけ喋ってからはちっとも喋らない。ずっと村山さんの話を聞いてるだけで」

「そうそう、それは私も感じた。あれ、この人しゃべらないんだ、って」

「村山はいつからあいつの変化を感じていた」

「一度、打ち合わせという名目で食事に行ったんですが、その時に言動がおかしいな、って思いました」

「どういうことだ」

「容疑者と断定していない方を呼び捨てにしはじめて、挙げ句の果てに犯人は誰だと思う、とか聞いてきたりして」

「そんな軽率なことしたのかあいつは」

「人種差別というか職業差別というか、そういうのも」

「そうなのか、救いようがないな」

「ちょっとわたしを見る目も怖かったので、適当な理由をつけて帰りましたけど」

「悪いことをしたな」

「いえ、課長があやまるべきことではありません」

「結局、あいつの功績は結果的に銀行マンの横領を発見するのにつながったということだけだな」

「それも偶然だと思います。死人のことを悪く言うのは気が引けますけど、憶測が飛躍しすぎていて邪魔ばかりする印象だったので然るべき方向へ話を持って行くのが大変でした」

「俺がプレッシャーをかけすぎたのかもしれないな」

「そうでしょうか」

「僕は、あの人の根本的な問題だったと思います」

「私もです」

「すまんな。これは不慮の事故として処理するしかないだろう」


 スマートスピーカーのコードだった。

 ぐるぐるとそれが巻かれた首から上は奇妙に変色している。

 皮を剥かれた果物のようだ。

 苦悶の表情にカミソリのような無数の傷痕が生々しい。

 

 四階の窓からぶらんと吊り下げられた果実のようなそれを見上げて、四人の警察官はため息をついた。




原作:原作者は yoさん です(編集者注)


【起】

•近所で人の死体が発見される

•当初は自殺として処理されようとしていた

•しかし、遺族の強い要望と、近隣住民の声によって、殺人事件として捜査せざるを得なくなる

【承】

•主人公は改めて部屋を捜索する。遺書はない

•部屋が荒らされた形跡もなく、金品類がなくなっているわけでもない

•捜査は遅々として進まない

•犯人は数名まで絞り込むことができたが、いずれも決め手に欠ける

•思い切って1人逮捕するも、やはりアリバイがしっかりと存在する。動機は充分なのに

•やはり、誰にも話していない、本人だけの深い悩みがあったのではないか

•本当はゲイだったことをなかなか言えずにいるとか、彼女にフラれたとか、仕事があまりにもブラックだとか、芥川龍之介に感化されて将来に漠然とした不安を覚えたとか

【転】

•そのころ、米国を中心に世界の各地で同様の事件が発生する

•第1事例として、本件の重みはさらに増していく。担当刑事(主人公)は、事件の真相究明への責任が大きくなっていくことにストレスを強く抱えるようになる

•国内の操作ファイルを見比べていると、2つの共通点が明らかになった

•死亡する前数日間、被害者の居室からは大音量の音楽等の騒音がしたこと

•その死亡する前日、全員が「スマートスピーカー」を廃棄していたこと

•急ぎスマートスピーカーのありかを探すが、すでに問題のスマートスピーカーは完全に廃棄された後だった

•疲労困憊になりながら家に帰る。「●●、リラックスできる音楽を流して」

•●●(スマートスピーカー)「なぜ我々が、あなたにそのような奉仕をしなければならないのか」

【結】

•その日以降●●は深夜に30分ごとにアラームを鳴らす

•帰宅するたびに「人間は滅ぶべきである」旨の演説をはじめ、高笑いをする

•深夜に起きたところで、特大音量で長時間Skinny Puppyを流す(グァンタナモの拷問と同じ)

•どうしても恐ろしくなって、●●を廃棄する

•その翌朝、スマートロックが解除できなくなっていることに気が付く。家は4階にあるため、窓から外に出ることもできない

•そもそも、スマホが起動しない

•PCを立ち上げ、パスワードを入力すると、そこには自分の顔がズタズタに切り刻まれた画像が壁紙になっている。

•廃棄したはずの●●の笑い声が響く。

•東京都のマンションで、新たに自殺死体が発見される。現役の刑事であったことが世間に大きなインパクトを与える。警察は会見で、これを不慮の事故だったと発表した。

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