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最終面接 HERO-TAKA


【1】


 面接の前には、いつも顔を洗いたくなる。身だしなみは大事だ。人の印象は最初の数秒で九割が決まるというのだから、どうしても気合いを入れてしまう。

 たっぷりと手で掬った水を、前髪が濡れるぐらい肌に当てる。冷たい間隔が一瞬余計な思考を削ぎ、神経の昂ぶりを押さえてくれる。

 鏡に映る自分の顔を見つめてみる。清潔感は重要だ。肌に脂は浮いていないか。髭が残っていないか。口臭だって気にした方がいい。 なんといっても、笑顔が第一だ。真剣な表情も必要だが、相手に敵意がないところを見せないとうまくいくはずがない。いっしょに仕事をしたいと思ってもらわなくては駄目だ。スマイルスマイル! 僕は無理矢理に口の端を持ち上げた……。気持ち悪い。嘘くさい。昔からわかっていたことだけど、僕には笑顔の才能が乏しい。その理由も分かっている。

 笑顔は諦めた。今日も真剣な表情で面接に臨むと決め、鏡の前から退場する。

 会場に向かう間に苦笑いが浮かんだ。

 これじゃあ、どっちが面接を受ける立場なのかわからない。

 今までたくさんの面接に臨んできた。相手は学生さんが多く、時には社会人、自分よりも年上の方もいた。

 面接官と面接を受ける側の間には、実際の距離よりも遠い距離がある。面接を受ける側は必死に自分が如何に使える人間なのかを訴える。まるで、遭難して助けを求めているかのように。

 自分が彼らを選ぶ、選ばないで、誇張抜きで人生が変わってしまう。それに自分はいつまでも慣れない。

自分はそれほど高尚な人間ではないのだから。

 そんないつも通りのことを考えていたら、すぐに面接会場に着いてしまった。深呼吸をひとつ、心を落ち着かせて会場に入る。

 今日もまた、僕は面接に臨む。

 人の人生を左右してしまう。面接官として……。


『1』


 僕は三十八年前、地方公務員の父と教師の母の間に、長男として生を受けた。

 当時はバブル景気真っ只中で、公務員に就職した父と母は周りから随分と笑われたらしい。

 両親は不景気の到来を予想したり、安定を求めて公務員になったわけではない。彼らの性格によるものが大きい。

 父は、とても忙しい人だった。公務員は定時上がりで仕事が楽という話を聞くが、父は朝早くに家を出て、夜遅くに帰ってきて、休日も出掛けているか家で寝ているかだった。

多くの男の子が経験したであろう、キャッチボールや逆上がりの特訓などは、僕にとって遠い世界の話だった。

 父と会話した機会は、ほとんどなかった。たとえ同じ食卓についていたとしても、父は一言も話さず、ただ難しい表情をして口に食べ物を運んでいた。

 僕は、父のことを恐れていた。なにをされたわけでもなく、言われたわけでもないのだが、ただその大きな存在が同じ屋根の下にいるだけで、僕は怪物の巣に住んでいるような、一歩間違えれば食べられしまう。そんな妄想のなか、圧迫感とともに過ごしていた。

 父に話し掛けることはできなかった。それでも一度だけ、僕は父にわがままを言ったことがあった。

 その日、僕は父に仕事に行って欲しくないと言った。いつもは恐れている父親に、どうしてそんなことを言い出したのか。それはもう記憶にない。

 父は僕の頭に手を置いた。分厚く大きな手だと思った。

 母は、僕によくかまった。母は僕のことを東大に入れたかったようだ。幼い頃から塾や英会話など、いろいろな習い事をさせられた。学校から帰ってきたら、食事を除けばずっと勉強をさせられていた気がする。

 東大に入るメリットを並べ立てていた母の表情は、とても明るくて楽しそうで、僕は彼女の願いを叶えようと頑張った。

 でも、僕は頭がよくなかった。進学塾では中の上の教室で学ぶのが限界だった。

 クラスの中でおそらく誰よりも勉強に時間をかけていたのに、井の中ですら一番をとることができなかった。

 僕に失望した母はいつのまにか「この子に東大は無理ね」と決めたらしく、しばらくして進学塾は辞めることになった。

 母の決断は僕の心に大きな疵として残った。あんなにお金と時間をかけて僕に期待してくれたのに、僕は母を裏切ってしまったのだから。

 東大を諦めてからも、僕は真面目に勉強を続けた。両親は僕を自分たちと同じ公務員になることを期待しているのがわかった。今度は彼らの期待に背くわけにはいかない。悲しませることはできない。

 親の言うことをよく聞いて、冒険はせず、校則に書かれていることを忠実に守る、清く正しい学生生活を送った。

 思春期を迎えると異性にも興味が沸いてきた。それでも僕は己を厳しく律した。欲望に溺れることが、自分を堕落させると信じていた。

 中高一貫の男子校を卒業し、それなりの大学に進学した。

 聖書を読むサークルに通っていたが、一年生から公務員受験の専門学校に通っていた。

 大学生になると、髪型や服装、なによりも言動が著しく乱れた連中が目につくようになった。道から外れた連中を見るだけでいらいらさせられたが、僕は彼らとは違うのだと自分に言い聞かせて、ここでも清く正しく勉強漬けの生活を送った。

 あっという間に就職のシーズンが到来して、公務員一本だった僕は、地元の市役所を受験した。

 筆記は問題なかった。自己採点でも満点に近い点数がとれていた。しかし、面接の途中、僕は事前に何度もシミュレーションしていたにも関わらず、途中で言葉に詰まってしまった。


「あなたの人生で、もっとも大きな決断を教えて下さい」


 想定内の質問だったのに、僕は答えることができなかった。


 結果は、合格だった。

 両親は喜んでくれた。普段僕になにも言わない父でさえ、目線を合わせず恥ずかしそうだったけれど、頑張ったなと言ってくれた。

 母の嬉しそうな顔を見て、頑張った甲斐があったと思った。


 面接で大失敗したことなんて、いつの間にか忘れていた。



【2】


 会場はそれほど広くはない。元々の面積はそれなりに広いのだけれど、この部屋にはたくさんのスチール製のキャビネットが並んでいて、ドアを避けるようにしながら中にいる人間を取り囲んでいる。

 いつもそうだ。この部屋は無機質で冷たい。それなのにどこからか、部屋のいたるところから生き物に見られているような奇妙な感覚がする。

 面接を受け受験者は、若い女性だった。リクルートスーツに身を包み、パリッとした白いシャツの襟が尖っている。

 彼女は僕よりも先に入室して、すでに着席している。

 彼女はパイプ椅子に腰掛けていた。背筋は伸びているが、背もたれに背中をつけている。前を見据えている。

 彼女の視線の先、長机とその奥に置かれたパイプ椅子。彼女の横を通り抜け、彼女の正面に、定位置に座る。

 彼女の視線を正面から受ける。

 意思の強そうな大きく真っ直ぐな瞳の奥に、不確かなぼやけた不安が見える。

 肌は白く若々しい。くちびるや頬に色味がないのは、化粧のせいか冷房のせいか……。

 この部屋は、いつも冷房が効きすぎているのだ。

 長机の上にはエントリーシートや履歴書、選考の要素を書き出す書類に筆記用具、ノートパソコンが置いてある。

 忘れ物がないことを確認すると、僕は腕時計を確認する。針はちょうど面接開始時間を指していた。一対一の面接なのでそのあたりは臨機応変でもいいのだが、性格か時間の遵守を意識してしまう。

「それでは、本日の面接をはじめたいと思います」

 僕は立ち上がり、決められた文句を口にした。時勢を絡めた挨拶を行い来社への感謝述べる。リラックスを促し、質問に答えるだけでなく、なにか疑問があればお答えいただけるようにお願いする。

 数メートル先にいる女性は、立ち上がることをしなかった。僕を見つめるだけで、なんの動きも見せなかった。僕が頭を下げても、微動だにしなかった。 

 僕が一年に何回も面接に臨むように、彼女も何度も臨んでいるのかもしれない。このような形式ばった儀式にも飽き飽きしているのかもしれない。

 しかし、これはさすがに態度が悪すぎるだろう。適当どころか、無視されているのだから。

 しかし、僕は気にせずに先に進めることにした。プロなんだから、その態度も評価基準に含めてやればいいのだ。 

 質問を開始する。まずはエントリーシートや履歴書を見ながら、彼女の受け答えを確認してみる。名前、出身地、学歴、専攻、学生時代に力を入れたこと。オーソドックスな質問を投げかける。

 しかし、彼女からまともな答えが返ってこなかった。

『質問の答えは、お読みになっておられるエントリーシートに書いてあります。ご一読下さい』。

 僕を見つめる目は、そう言っているように思えた。

 挑発的に口の端を持ち上げる画が見えた。

 挨拶で席を立たない。頭を下げない。簡単な質問には答えない。そういう相手は初めてではない。反骨精神なのか、媚びない態度で注目を集めたいのか。はたまた、こちらの方が受かりやすいと誰かに教えられたのか。

 日本の就職活動は画一化されているという批判もあるが、僕は悪目立ちしてアピールされるよりも、たとえスマートでなくても謙虚に誠実に熱気をぶつけてくれる方が好きだ。

 いまどき「男は黙って黒ビール」でもないと思う。

 といっても、面接をやめるわけにはいかない。たとえ目の前にいる女性に自分の言葉が届いてなくても、届いても無視されていたとしても、僕は動じずに、面接官としての役目を果たすだけだ……。


『2』


 はじめて出来た彼女は、桃香という名前だった。

 出会いはコンパだった。彼女ができたことのない僕の話を聞いた職場の先輩が、定期的に開いているコンパに招待してくれたのだ。

 会場にいた女性のほとんどが僕に興味なさそうに振る舞った。女性陣の注目が僕に寄るのは、先輩が僕をいじるときだけだった。

 僕はこの先輩たちが自分を哀れんだのではなく、単に話の展開に困った際にネタにするためにこの場に連れてきたのだと、会場に連れてこられてから気づいたのだ。

 そんな僕のことを唯一フラットに見てくれたのが、桃香だった。

 女性陣のなかでは最年長で、僕よりも三つ年上だった。栗色の長い髪にウェーブをかけていて、明るく姉御肌な女性だった。

桃香はすっかり心を閉ざして俯き、萎縮するばかりの僕にも優しく接してくれた。 帰り際、桃香は先輩たちと連絡先の交換をしたあとに、僕にもそれを申し出てきた。

 赤外線通信のやり方がわからなくてしどろもどろになる僕に「そういうとこ、すごくかわいいと思う」と上目遣いで笑った。

 その笑顔は、僕の心に焼きついた。気づけば彼女のことを考えてしまい、仕事が手につかなくなるぐらいだった。

 母以外の女性に縁がなかった僕ははじめて女性の連絡先を手に入れた。


「私たち、付き合いましょう」

 何度目のデートの後、彼女はそう言った。断る理由はなかった。

 幸せな日々が続いた。世間知らずな自分を、桃香は積極的にリードしてくれた。

 明るく前向きで洒落ている彼女。いつまでも垢抜けない自分。釣り合いがとれていないのではないかと自分を卑下する発言も多かったと思う。でもそんなときに、

「ほらほら。またネガティブなこと言ってる! だめだよ!」

「そんなこと言わないで。次男くんは、わたしの知らないことたくさん知ってるじゃない」

 そんな風に自分のことを肯定してくれる。それだけで僕はいつも感動していた。大げさかもしれないけれど、生きていて良かったとまで思った。

「わたしは、きみのいいところ知っているよ。そういうところ、好きだよ」

 こんな素晴らしい人が、自分を好きでいてくれるなんて。子どものころから我慢をして、苦しい思いをして勉強してきた甲斐があったと思った。


 終わりは、ある日突然訪れた。

 偶然、桃香と友人が電話で話しているのを陰から聞いてしまった。

「そう。もう少ししたら、結婚するつもり。いいでしょ~。公務員。これであとの人生食いっぱぐれる心配はないよ。え~ずるいって言わないでよ。あんなキモイのと四六時中いっしょになるんだよ。しっかりお金は払ってもらわないと」

 僕は彼女に詰め寄った。

 彼女は「なんだ。バレちゃったんだ」と残念そうに言うと大きく伸びをしてから微笑んだ。今まで僕に見せていた笑顔は能面のそれだった。

剥がれ落ちた彼女の本当の顔は、生き生きとしてて生々しくて、そしてなによりも吐きそうなぐらい醜悪だった。

「あんたさ。まさかわたしが本当に、あんたみたいなキモイ男を好きだと思ってたわけ? これだから童貞は困るんだよなあ~。常識がないんだから。あんたみたいのがわたしと付き合えるって思ってんの? 頭おかしいんじゃないの? あ、あたまおかしいから童貞なんだ」

「金目当てだって? 目当てとかやめてよ。あたしが悪いみたいじゃん。あんたの魅力なんて公務員っていう職と安定した金しかないんだから。うわ。なんて顔してんの。ただでさえキモイ顔がもっとキモくなってるんですけど!」

 僕が好きな桃香はいなかった。侮蔑の笑みを浮かべ、ただただ僕を、人類普遍の真実だと言わんばかりに生理的嫌悪感を丸出しにして罵倒し続ける厚化粧の肉の塊が存在していた。


 そのあと、桃香がどこに行ったのかはわからない。


「あんたみたいな奴を好きになるやつなんてさ、この世の中七十億人探してもいるわけないじゃない。大体、あんたさ、あたしのこと好きだったんでしょ? あんたみたいなのがあたしと付き合えただけ、感謝しなさい」

 桃香は最後にそう言った。

 そうなのか。

 世界中で僕のことを好きになってくれる人は、どこにもいないのか。


 二番目に付き合った女性は、綾香といった。

 桃香の一件以降、僕は女性を遠ざけていた。恐怖心と猜疑心が前面に出てきてしまい、信じることができずにいた。

 僕は三十二歳になっていた。そのくらいの年齢になっても恋人を連れてこない僕を心配し、母がお見合いの話を持ってきた。

 そして出会ったのが綾香だった。

 外見は、黒い髪を後ろで一本に結んだけで、肌の露出の少ない地味な服を好んだ。

 桃香と逆で、自己主張もせず、一歩後ろからついてくるような女性だった。

 常に適度な距離を空けてくれるので、自分のペースで彼女に接することができた。 

 おしとやかで料理も上手。現在はパートで働いているが、専業主婦志望だという。ぼくひとりの給料でやっていけるので、特に問題ではなかった。

 半年でプロポーズをして、出会って一年で結婚した。

 ようやく運命の相手に出会えたと思った。

 両親のことも安心させることができた。


 しかし、結婚生活はすぐに破綻した。

 婚前交渉を持たなかった。綾香との関係は不純なものにしたくなかった。

 そして、自分に自信がなかった。桃香のいった言葉が、未だに心に重く残っていた。

 婚約してからは、夜の生活もはじまった。綾香は基本受け身だったが、彼女の愛を感じると、蓋をしていた思春期が溢れるように彼女を求めた。

 ある日、僕は聞いてみた。

「僕のどんなところが好き?」

 彼女は平然とした顔で答えた。

「そういうのやめましょうよ。わたしたち、そういう関係じゃないでしょう」

 僕は当然、彼女が僕の好きなところを教えてくれるものだと思っていた。だから、最初に何を言われたかわからなかった。

「わたしたちは、生活のパートナーでしょう? 好きとかそういう非現実な感情は実家に置いてきて下さい」

 桃香のときのように、顔が変わったわけじゃなかった。

 僕が好みだと思った控えめで落ち着いた様子は、値踏みした相手のことを、どうでもいいと感情抜きで眺めていただけだった。今まで、それに気づいていなかったのだ。

「どうして、僕と結婚したの?」

「両親を安心させるためです。子どもが欲しいからです」

「それならば、僕じゃなくてもいいじゃないか……」

「あなたが一番条件が良かったんです」

「他の男性より僕のこんなところがいいとか、そういうのは?」

「職業と年収が安定しています。努力の結果です。もっと誇って下さい」

「でも、でも僕に愛はあるでしょう。そう言ってくれよ!」

「やめてください。もう子どもじゃないんですから、愛とかめんどくさいです。私は世間一般並に、静かに暮らしたいだけです」


 僕は綾香と離婚した。彼女は最後まで抵抗した。

「家事もしっかりやるし、子育てだってひとりでやるつもりです。夜の生活だって応じます。あなたの両親の介護もしますよ。あなたがお金を稼いできてくれさえすれば。それなのに、なぜあなたはわたしを拒むんですか?」

 最後まで彼女はわかっていない様子だった。

 損得勘定だけで人と一緒にいることはできない。


 桃香の言葉をまた思い出した。

 僕を愛してくれる人は、いない。


【3】


 一通りの質問事項を終えた。その間、受験者の女性が質問に答えることはなかった。身動きせず、ただただ一切の反応を拒否して、僕を見つめ続けている。まばたきすらしないで。

「最後に、何か質問がございますでしょうか」

 最後の問いだ。「男は黙って黒ビール」以上の心を動かす言葉を、この受験者の女性は心に秘めているのだろうか。それとも、ただの木偶の棒なのだろうか。

 女性は……面接がはじまってから、はじめて動いた。パイプ椅子に背中を沿わせながら、足下から崩れ落ちるように地面に倒れ込んだのだ。

「ちょっ、ちょっと、大丈夫か!」

 僕は慌てて女性の元へ駆け寄る。床に横たわる細長い身体をゆっくりと抱き起こす。

 女性のまぶたが閉じていた。僕は指の腹で、優しくその目を開いてあげた。

 面接の間、彼女は真っ直ぐな瞳で僕を見つけ続けていた。それは挑発的で、反面蠱惑的でもあり、僕のことを探ってやろうと上から目線だった。

 しかし今はどうだろう。彼女の瞳は、ただただ恐怖に怯えている。自分の身体と心が蝕まれ、光り輝く……とまではいかないまでも、ごくごく平凡で当たり前な日常……それすらも絶対的な黒で塗りつぶされることへの絶対的な不安が触れている。そういえば、面接中もそれを感じたこともあった。

 その瞳を目にして、僕の脳髄に直接突き刺さるイメージ。


 灯りを落とした部屋の中、信じられないという表情……今と同じ瞳で僕を見つめる女性。その顔半分には粗雑にガムテープが巻かれ、脂汗が額に滲んでいる。


 外的な刺激ではなく、内面からの発露。蓋をしていた、よりよい欲望のための我慢に限界が来て、脳汁が溢れるイメージが走り、気持ちよさが最高潮に達する。

 冷静に、努めて冷静になろう。

 僕は面接官。彼女は受験者。

 僕は判断しなくてはいけない。彼女は、採用か、不採用か。


 青白い暗闇に満ちた部屋。唸る女性のくぐもった声。光源は僕の所持したスマートフォンの発する灯りだけ。

 ノートパソコンに入っているデータと同期させてある。この女性は、きっと「合格」なのだろう。だからこうして足を運んだのだ。 しかし、彼女の個人情報が入ったデータのなかに、こんな履歴があった。

『離婚歴有り』


「慎重に検討を重ねた結果、誠に残念ながら貴意に添いかねる結果になりました。大変心苦しく存じますが、今後のご健勝をお祈り申し上げます」


 彼女の怯えた顔がひきつり、目が見開き、くぐもった悲鳴がひときわ大きく響いた。


「「おまえは、不採用だよ」」



『3』


 父が亡くなった。癌を患い、一年持たずに逝ってしまった。

 最後に、枯れ枝のように生気を失った腕で、僕の頭を撫でてくれた。「私はこういう男だから、お前たちに優しく接することはできなかった。お前は私の誇りだ。お前と、お母さんを愛している。お母さんを、頼む……」

 怪物なんて、どこにもいなかった。ただただ、仕事に熱心で、子どもへの接し方がわからない不器用な男の人だった。

 父は、僕と母のことを愛してくれていた。


 父が亡くなってしばらく経ち、僕は母に呼び出された。

 ひとりになってからも母は変わらず元気なようだった。その様子に安心した。

 父が欠けて広くなった食卓につくと、母は息を吐き、おもむろに語り出した。

「お父さんも逝ってしまったから話すけど、実はあんたはお父さんの子じゃないのよ」

 え、な、なに、何を言っている……。

「お父さんと結婚したあとに、本当に好きな人に会ってしまった。そしてあなたが出来たのよ。でもその人はお金がなくてね。お父さんと離婚してその人と一緒になるのは無理だったの」

 ぼく、が、父さん、の子じゃ、ない?

「わたしは身が引き裂かれる思いで、その人と別れたわ。お父さんと暮らすことを選んだの。三十五年間、彼のことを想いながら」

 恋する乙女のような初々しい笑顔で、遠くを見ながら母は言う。

「わたしが人生を我慢したおかげで、あなたも安定した家庭で何不自由ない生活ができたでしょう。わたしに感謝しなさい」

 父は、母と自分を愛していた。不器用ながらも、父としての愛で僕を包んでくれていた。

 それに比べてこいつはどうだ?

 打算だけで自分の身の置き場を決めて、騙していたくせに被害者ぶり、さらに共感しろ同調しろと……。

「そういえば、お父さんは絶対に言わないようにいっていってたけど、もう逝ったからいいわよね。あなたが市役所に入れたの、あれコネなのよ。いい両親を持って、本当に幸福な子ね」


 僕は、なに一つこの世で成し遂げていない。

 僕の生涯ははじめから呪われていたのだ。

 生まれてきてはいけない忌み子だったのだ。


 僕は母を殺した。

 人を殺すのは三人目だった。


 女は穢い。

 しかし、穢れを知らない処女ならば、まだ救いがあるのかもしれない。


 ならば、処女のまま、時間を止めてしまおう。


 僕は今まで、誰かに選んでもらってばかりだった。

 選ばれるばかりだった。それを待つばかりだった。


 面接をしよう。

 今度は、僕が選ぶ側に立つのだ。


【4】『4』


 役目を終えた受験者を、キャビネットの中に放り込む。

 部屋を囲むキャビネットの中には、年端のいかない少女から皺の寄った老婆、人間でないものまで、たくさんの受験者が眠っている。

 多くの受験者に対しては処理を施し、冷房を効かせているので、腐敗はそれほど進んでいない。

 こうして時が止まっていれば、心まで腐敗することがなく、身体も精神も処女のままでいられるだろう。


 といいつつも、そろそろ既存の受験者は飽きてきた。

 今回はわざと処女じゃない受験者を使ってみたが、その衝撃にも慣れてきてしまった。

 そろそろ、新しい受験者を探しにいくか……。

 僕はノートパソコンの前に戻り、住民データベースにアクセスする。

 今回の獲物は……。

原作:原作者は なるさん です(編集者注)


「最終面接」


冷房のゴウゴウという音だけが鳴り響く室内。

締め切ったブラインドに無口に乱立するキャビネット群、

部屋の中央に机と椅子が一対あり、そこからだいぶ離れた位置に

それと向き合う形で椅子が一脚ある妙に圧迫感のある空間。

机側の椅子には男性、離れた場所の椅子には女性が座り、向き合って対峙している。

室温と同じように冷えきった空気の中で最終面接が行われるのだ。

人事担当の男性がPCの画面を見ながら面接相手の女性に対して質問をする。

女性はさっぱりとした身なりで、その頬には若さに対する自信がみなぎっているようにも見える。

対する人事担当の男性は印象に薄い。人並みだが見ても忘れるような印象に薄いルックスをしている。


いくつか質問をするが、女性はエントリーシートに全て書いてある、と協力的に答えようとしない。

男性はイラつきながらも、そういうタイプいるもんな、と一人納得しながら質問を続ける。

出身学校、何を学んできたか、自分の強み、などいくつかの質問を経て終盤に差し掛かった時、

女性は椅子からバタン、と転げおちる。

男性は「なんなんだよ」と半ばキレながら、女性を椅子へ座り直させる。

採用の方向で考えた男性がPCの画面を下までスクロールすると、

離婚歴あり、という個人情報が出てくる。

それを見て男性は不採用と決める。


男性は処女の独身女性を誘拐して殺害し、

その屍体へ向かって欲望を満たすシリアルキラーであった。

独身女性の情報は市役所のデータベースから盗み出し、

そこから無作為にピックアップして住所を元にストーキング→殺害→自宅へ連れ込む

という行為を行っている。

さらに自分が採用権を持つという圧倒的優位な立場で

その屍体とあたかも面接のようなシミュレーションをすることで愉悦を得るという

異常性癖の持ち主であった。

(※なので、面接時に女性は自らセリフを喋らない。全ての会話は男性の脳内で行われている)


男性の部屋にはたくさんの腐乱死体がはびこっている。

年中冷房を稼働させているため、死臭は少なく、またいくつかはビニール袋に収められ、

まとめてキャビネットの中に収納されている。

男性はそうして、次の獲物をさがすためにPCのリストを眺めるのだった。

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