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『ねがうこと』  あかる

 熱い、熱い、熱い。体にまとわりつく衣服を脱ぎたくてたまらない。なのに、腕が少しも上がらない。息が苦しい。首も回らないから、目玉をぎょろりと左右上下に滑らすと、右手の甲から管が伸びている。左手首も点滴に繋がれている。足が動きにくいから、右手で少し布団を引っ張ってみると、右足が出てきた。足の甲からも一本の管がだらりと下がってる。両手の血管が塞がったら、次は足に管をつなぐことを初めて知った。胸から伸びた数本の更に細い管が、頭の上のモニターに繋がっている。規則的になる電子音が、俺の耳に入る音のすべてだった……


「えー、陰性、ですね」

「へ……?」

 医師の告げた内容に、俺は間抜けな声を出してしまった。

 中央病院の診察室。俺は丸椅子に腰かけ、頭の薄くなりかけている医師と向かい合っていた。

 医師は、机に置かれたパソコンの画面に目を向けたまま言う。

「風邪でしょう。該当する条件もありませんし、もう帰ってよろしいですよ」

「え、でも、」

 なおもすがろうとするが、医師は既に次の患者の名前を呼んでいる。

 愛想の良い看護師に見送られ、仕方なく俺は診察室を後にした。


 俺の名前は一色武瑠。大学2年。

 とは言っても、現在は2月。テストも無事に終了して春休み期間に入っている。俺は毎日をアルバイトをするか友達と遊ぶかして、長期休暇を満喫していた。

 このところ、夜勤のバイトが4日続いていた。他のスタッフが体調を崩したらしく、その穴埋めだ。稼げると思ってシフトを入れてもらったが、掛け持ちしたもう1つのバイトも朝から夕方までのフルタイム。日勤と夜勤の間に1~2時間ずつの仮眠しかとれない生活は、さすがに無理をしたかもしれない。今朝は起きた時から頭が重かった。喉もひりひりする気がする。体温を測ってみると、37.4度。微妙な高さだ。

 だが、今日は出かける約束があったのだ。

 俺は家を出て待ち合わせ場所へと向かった。相手は既に到着していて、俺を待っていた。

 ところが、場所を移動しようと雑踏を進む中でいよいよ頭痛が激しくなってきた。息も苦しく、気分も悪くなってきたので、相手の勧めで病院に行くことにした。

 そして、今に至る。


「武瑠」

 ロビーに戻ったところで、名前を呼ばれた。

 ソファーに腰かけていた人物が、薄い青色のスカートを揺らしながら近寄ってくる。

「美夜」

 彼女は榛名美夜。大学の同じ学部で、よく一緒にいる。今日も2人で出かける予定だったのだ。ちなみに付き合ってはいない……まだ。

「どうだった」

「陰性。風邪だとさ」

「そう……なら良かった」

 美夜は伏し目がちに、口元をほころばせた。

 そんな風に笑われると敵わないな。

 俺は視線を左にそらしながら、右頬をかいた。

 美夜は一見大人しそうに見えるが、なかなか気の強いところもあって、自分の意見ははっきり言うタイプだ。そのため、時には喧嘩のような言い合いになってしまうこともある。けれど、それはいつだって俺のことを気にかけてくれているからなんだよな。

 胸の中に、何やらあたたかいものが広がる。

 色々ごちゃまぜになりながらも、俺の口からは素直な言葉が出た。

「なんか、ごめんな」

「ううん」

 ふと、ロビーに設置されているテレビからアナウンサーの声が耳に入ってきた。

『それでは次のニュースです。新型ウイルスの感染者数が、昨日の検査により全国で100人を超えたことがわかりました』

「でも、本当に流行ってるね」

「ああ」

 美夜の言葉に、俺は肯く。

 今年は年明け早々から、妙な病が流行していた。

 「妙な」というのは、詳しいことがわかっていない、とも言える。

 主な症状は頭痛や発熱、倦怠感。これは風邪やインフルエンザでも起こりうるものだし、症状の出方も多岐に渡るため、正式な検査を受けない限り判別できない。潜伏期間は2日から21日ほど。

 これだけで済むのであれば騒ぐ人は誰もいない。問題なのは、中年層以上を中心として、重症化するケースだ。その場合、吐血や臓器からの出血症状、血圧低下などが見られ、最悪、死に至る。致死率は20%を超えるとも言われている。

 それとは反対に、「無症状感染者」と呼ばれる、感染しているにも関わらず症状が出ない人も一定数いることが確認されている。無症状の人は重症化するケースは稀だ。だがその分感染していることに気付きにくいため、感染経路の特定と感染拡大防止、どちらも困難にしていた。

 しかも、日本だけの話ではなく、世界各地に広まりつつあるらしい。

 最近色々なところで、外出自粛やマスク着用を呼びかける声も大きくなってきた。

 俺が受けたのもこれの検査だ。なんとなく自分は大丈夫だろう、という根拠のない自身があったが、いざそれらしき症状が出るとヒヤっとした。さっきは覚悟を決めていた分結果には拍子抜けしてしまったが、陰性で本当に良かったと思う。


***


 ドアチャイムを押すと、すぐに返事があった。

「はい」

「俺だけど」

「はいはい、今開けるね」

 間を置かずにドアの向こうに現れたのは、友人の熊谷雅人だ。今日は男数人集まってこいつの家で飲む約束をしている。

「うぉっ、いつ来ても足の踏み場がないな」

 この友人、大の読書好きなのだが蔵書も多く、本棚からはみ出た本が床に積み上げられていた。本人曰く「どこに何があるかは把握してるし、掃除もちゃんとできるから問題ないよ」とのことだが。

「適当に掛けといて。本は踏まないでね」

 そう言って家主は台所に戻る。

 居間の方に行くと、すでにメンバーは集まっていた。

「お、武瑠来た」

「今日何?」

「きりたんぽ鍋だって」

「へぇ、俺食ったことねーや」

 腹も膨れ、ひと段落した……からだと思う。

「ハァ!?お前らまだ付き合ってねーの?」

 友人の1人が素っ頓狂な声を上げた。

 話題の矛先が俺に向き、美夜とはちゃんと付き合えたのか、と聞かれたのだ。

「う、うるさい」

 俺がしどろもどろになっていると、別の奴も言い出す。

「うかうかしてると俺がいただいちゃうぞ」

「それはマジでやめろ」

 据わった目で見つめる。

「武瑠さぁ」

 熊谷が呆れたようにとりなした。

「美夜ちゃん、上にも下にも同学年にも人気あんだぞ。他の奴にとられてから後悔しても遅いぞ」


***


 翌週。

 俺と美夜は映画を観た帰りだった。

 熊谷たちに言われたことが、俺の頭の中をぐるぐる回っていた。

 そんな時、美夜を呼ぶ声がした。

「美夜ちゃん」

 美夜が振り向く。

「立花さん」

 俺も後ろに向き直ると、髪を明るく染めた、長身で顔立ちの端正な若い男がいた。

「ちょうどいいや、ちょっといいかな」

 立花と呼ばれた男は、視線で俺のことを気にする素振りを見せる。

 俺は、どうぞ、という仕草をした。

 美夜はごめんね、と軽く手を合わせ、立花の方へ歩み寄る。

 俺は少し離れた場所で、2人が話し終わるのをぼんやり待っていた。

 立花は1つ上の、美夜のサークルの先輩だ。俺もこれまでに数回顔を合わせている。その端正な顔立ちで女子には人気があるらしいが、俺は何となくいけ好かないヤツ、という印象を持っていた。

「ごめん、お待たせ」

 それほどかからずに、美夜は戻ってきた。

「いいや。何だって?」

 さりげなさを装って探りを入れる。

「うーん。サークルのメンバーで中国に行く企画をしてるけど、一緒に行かないか、って」

「中国旅行!?」

 美夜は料理系のサークルに所属している。今日になって、中国へ言って本場の中国料理を食べよう、という企画が持ち上がったらしい。

「うん……でも任意参加だし、どうしようかな」

 美夜が珍しく迷う素振りを見せる。こうしたことは直感ですぐに決めるタイプだと思っていたのだが。

「何もこの時期に行かなくったって、って気もするけどな」

 新型ウイルスが世界的に流行している状態だ。出入国の規制はまだされていないが、それも時間の問題だろうと思われる。

「誰が言い出したんだよ」

「立花さん」

「……ああ」

 なんとなく、納得した。あれ、でも……

「あの人3年だろ。就活とか良いのかよ」

「ああ、もうほぼ決まってるらしいよ」

「フーン。さすが金持ちだな」

 なぜかはわからないが、美夜が怒ったのは感じられた。

「立花さんの家は確かにお金持ちでコネもあるけど、本人もすごく努力する人だよ」

 俺はなんとなく面白くなくて、要らない言葉を重ねてしまう。

「じゃあその先輩とやらと楽しんで来れば良いだろ」

「わかった。じゃあ、私行くから」

 美夜が低い声で言う。

「意気地なし」

「はァ!?」

 帰り道、美夜は一言も口を開かなかった。俺もまずいなとは思いつつも何も言えず、そのまま別れた。

 

***


 あれからなんとなく気まずくて、連絡もしないまま出発の土曜日を迎えた。

 俺は見送りにすら行かなかった。

 その日、夕方アルバイトを終えた帰り道のことだ。

 人の流れにそって歩いていると、流れが急に止まった。前方がにわかに騒がしくなる。

 聞こえてきたのは、いくつかの悲鳴と、救急車を呼ぶ声。

 そのあとの光景は、ほぼ偶然に見たものだ。

 人込みが割れて、前方が開けた。

 ピンクのセーターを来た若い女性が目に入った。腕を喉にあて、あえいでいるようだ。

 よく見ると、両目から血が流れ出ている。

 女性が前のめりになって、地面に膝をついた。

 吐き出される赤色が、やけに鮮明に記憶に焼き付いた。


***

 

 日曜日。

 いつも通り目を覚ましたはずなのに、なんとなく違和感を感じた。

 スマホで時間を確認すると朝の8時。

 ベッドから起きだしてカーテンの隙間から外を覗いた時、違和感の正体に気付いた。

 道路には人や車の姿も気配もなかった。

 いつもなら外を行きかう人の足音や話し声、車のエンジン音なんかがするはずだが、全く聞こえない。静かすぎるのだ。

 自分以外の人類が滅亡して、廃墟に取り残される…みたいなシチュエーションの映画なかったっけ?

 あれはウィル・スミスだったかな。ブルース・ウィリス?いや、あの人は小惑星が降ってくる方だったかな。

 ともすれば現実逃避しそうになる頭でカーテンを握りしめていると、数台のワゴン車が近づいて来るのが見えた。

 ワゴン車は1台ずつ、間隔を開けながら停車する。

 そのまま見ているとドアが開き、中から人が出てきた。

「何だアレ!?」

 出てきた人物は、皆同じ恰好をしていた。全身を覆う白いつなぎのような防護服。白い手袋に白い長靴。頭部も服と同じ素材のもので覆われ、露出してしまう前面はマスクとゴーグルでガードされていた。

 どのワゴン車にも、乗っていたのは1人ずつのようだった。運転していた人物がバックドアを開け、後部から白い箱のようなものを出し、一軒一軒家の前に置いていた。

「何やってるんだ…?」

 窓の外を見ている間にも、武瑠の部屋の前でゴソゴソと物音がした。

 中に入って来る様子はない。だが、ドア一枚隔てて、異様な恰好をしている人がいると思うと、なんとなく落ち着かなかった。

 箱を地面に置く音で、武瑠の家の次は隣、終わったらまた隣、と移動していくのがわかった。

 ドアにへばりつき、耳を澄ませる。このフロアの作業は終了したようだ。

 それでも万が一にも鉢合わせるのは嫌だったので、音がしなくなってからもしばらく待ってからドアを開けてみた。部屋の前には、窓から見たのと同様、白い箱が置いてあった。一抱えくらいの大きさだ。

「爆弾、とかだったらどうしよう」

 日本がテロリストに襲われているとか。市長が都市開発をするためにこの辺を一気に更地にするとか。なんだかよくわからない状況に、ありえないと思うことが色々浮かんできてしまう。

 いずれにせよ、各家の前に置かれているのであれば爆発から逃れるのは不可能だ。

 その場で意を決して箱を開けてみた。

「な、なんだこれは……?」


 一番上に、1枚の紙が入っていた。


『今週のお届け品♪

 ・マジックライス7種

 ・マジックパスタ7種

 ・非常食おかずセット14食

 ・保存パン7食

 ・ビスコ保存缶

 ・えいようかん5本

 ・トイレットペーパー2ロール

 ・マスク 2枚

 ・……

 ・……

 ・……』


 家の中にいても不安が募るばかりなので、外に出てみることにした。

 やはり、誰とも行き会わない。電気が点いている部屋もちらほら見られることから、みんな家の中にはいるようだ。

 歩きながら、また違和感を覚えた。間違いなく、住み慣れた街並みだ。けれど、明らかに様子が違う。まるで、昨日と今日が連続していないかのような…

 しばらくすると視線を感じるようになった。視線を上げると家の中にいた人たちが窓に集まり、こちらを見ているのがわかった。

 ギョッとしていると、パトカーのサイレンも聞こえてきた。

 なんだかただごとではなさそうだと思い、俺はその場を後にしようとした。

 すかさずマイクで呼びかけられる。

「そこの君、待ちなさい」

「お、俺なの!?」

 何も悪いことをしたつもりはないが、だからこそ俺は条件反射で逃げ出していた。

「あれ、武瑠くん!?」

 呼びかけられて振り向いた武瑠は、一瞬ぎょっとした。

 相手は、先ほどの防護服とまではいかないが、やはり普通の恰好とは言い難かった。ビニール製と思しきコートで体を包みこみ、頭部にはマスクをした状態でプラスチックのフェイスシールド。かろうじて見える部位と声で相手を判別できた。

「立花……さん……?」

 久しぶりだな、と言いながらも、立花は眉を顰める。

「それより武瑠くん、まずいだろうその恰好は」

「え……?」

「外出禁止令が出て以来、必要緊急で出かける際は、簡易で結構なので防護服を着用のこと、とあっただろ」

「外出禁止令……?」

 聞きなれない言葉に戸惑う俺に、立花は不審げに言う。

「ああ。2ケ月くらい前に全国一斉に出されたじゃないか」

「2ケ月前?」

 俺の脳内に、何かが実を結びそうだ。信じられない、できれば信じたくないような何かが。

「……立花さん、今日、何日ですか?」

「何日って。今日は6月15日だよ」

 6月!?

「ウソだろ…」

 その時、車のエンジンが近づいてくる音が聞こえた。

 立花は言った。

「場所を移そう」


 ウイルス感染者数の増加により、政府は4月7日より外出禁止令を発令。違反者は2万円以下の罰金、または3ケ月以内の懲役、またはその両方が課される。

 外出の規制をコントロールしやすくするため、生活必需品や食料は配給制となった。各家に配られた箱がそうだったのだ。

 最初の頃は重要度の認識が薄く、うかつに外に出て捕まった人も多くいるらしい。さっきの俺みたいに。

 どれも立花から聞いたことだ。

「それにしても変だな。一時的な記憶喪失か?それともタイムリープでもしたのか?」

「わからない……」

「じゃあ、アレも知らないのか……?」

 立花が言いにくそうに顔をしかめる。

「アレって?」

「美夜ちゃん、2月に僕たちと中国に行っただろ?帰国後に発症して、ずっと病院にいるんだ」

 

 中国に言ったメンバーは8人だが、感染したのは美夜だけだそうだ。

 なんでよりによって美夜なんだ。

 俺は叫び出したくなる。

 重症化するのは中年層以上が多いと言われているが、若年層も全くリスクがないとは言い切れない。バイトの帰りに見た、若い女性がフラッシュバックする。

 俺はすぐに美夜の入院しているという病院に駆け付けた。もちろん、立花から聞いた通りに防護服を入手して完全防備だ。

 だが、面会は断られた。

「新型ウイルス感染症の拡大に伴い、現在面会は原則ご遠慮いただいております。ご理解の程、よろしくお願いいたします」

 予想はしていたものの、このまま引き下がることもできない。

 対応してくれた看護師に聞く。

「美夜の具合はどうなんですか」

「ご家族の方ですか?」

 まっとうな問いに、俺はぐっと詰まる。

「あいにく、患者様の個人の情報に関わることはお答えできかねます。ご了承ください」

 肩を落として、病院を後にした。

 振り返って病棟の方を見る。

 ちらちらと動くものが目に入った。

 誰かが2階の病室で、手を振っているのだ。

 美夜だ。

 俺も手を振り返した。

 聞こえるかわからないが、声に出して言った。

「明日も来るから」


 何度か病院に通っていると、いつぞやの看護師に呼び止められた。

「これ、榛名さんから」

 そう言って渡されたのは、白い小さな封筒だった。

 中には赤いミサンガが入っている。

「安心して大丈夫よ。徹底的に消毒がされていて、ウイルスは残っていないから」

「……ありがとう、ございます」

 俺は早速、右手首に結んだ。

 瞼が熱くなった。


 あの日偶然道で会って以来、立花は何かと気にかけてくれるようになった。俺自身もニュースなどを見るようにしていたが、空白の4ケ月を埋める手伝いをしてくれている。立花としては、中国旅行の言い出しっぺは自分だから、美夜の感染にも責任を感じていたのかもしれない。

 本当は良いヤツなんだろう。勝手にいけ好かないヤツと決めて、あまつさえ不貞腐れて嫉妬していた自分が恥ずかしい。

 その日は、俺と立花と2人で美夜を見舞った帰りだった。

 家の方向が同じなので、自然と2人で歩いていた。話題は美夜のこととか、最近の情勢とかのことだったと思う。

 俺のアパートの前に着いて、別れようとした時だ。

 異変に気付いたのは、同時だった。

 窓ガラスが割れている。

 部屋に入って確認すると、外から石が投げ込まれていた。

「誰がこんなこと」

 言葉をなくす俺に、立花がすまなさそうに言う。

「なんだが、本当に申し訳ない。もとはといえば、俺が企画したことで、君や美夜ちゃんがこんなことになって」

 立花はなおも続ける。

「感染者やその関係者に、嫌がらせをする輩がいるんだ」

「そんな……ウイルスが怖いのはわかるけど、こんなことしても、何もならないのに」


 ある日、いつもと同じように、美夜の病棟の前に向かった。

 美夜も窓際に立っている。

 突然、美夜が苦しそうに眉を顰めた。

「美夜?」

 美夜はそのままがくりとうなだれ、一気に血を吐いた。

「美夜!」

 美夜はすぐに担架で運ばれた。俺は集中治療室の前のソファーに座って、治療が終わるのを待っていた。

 時間が経つのがやけに長く感じる。

 どれくらい経ったのだろう。やがて集中治療室のランプが消え、医師たちが出てきた。

 俺が駆け寄ると、医師は眉を下げて首を横に振った。

「残念ですが、」

 医師はその後も何か説明をしていた気がするが、俺の耳には全く入ってこなかった。

 呆然として、病院を後にした。それからのことはよく覚えていない。足は自然と自宅に向いていたような気もする。

 何も考えられず、ただ足だけが交差点を渡ろうとする。

 やけに大きい音がするな、と思ったら、クラクションの音だった。顔を上げるとトラックが目の前に迫っている。全身を引き裂かれるような痛みを感じたような気もするが、すぐに暗転した。


***


「……!」

 目を開けると同時に、俺は飛び起きた。息が乱れている。心臓が早鐘を打っている。

 周囲を見回すと、そこは自分の部屋だった。

 カーテン越しに光が漏れている。

 外を走る車の音。どこかの家で掃除機をかける音。「いつもの」朝だ。

 日付を確認すると、2月20日だった。

「夢……だったのか……?」

 右手を額に当てようとして、手首に結ばれている赤い紐に気付いた。

「夢、じゃない」


 美夜に、中国旅行は行かないでほしいと言おう。

 もちろん、中国行きを止められたからといって、美夜がウイルスに感染しないとは限らない。

 けれど、せめて美夜にちゃんと気持ちを伝えよう。

 俺はそう決意した。

 そう思ったものの、肝心の美夜をつかまえられなかった。

 サークルの部室。図書館。ショッピングモール。カフェ。美夜のバイト先。

 アルバイトが入っていない時間を見つけては、美夜のいそうな場所を、手当たり次第探す。

 図書館で共通の知人に会ったので聞いてみる。

「美夜、見てない?」

「今日は見てないなぁ」

「そうか」

 肩を落とす俺を見て、友人がからかう。

「電話かLINEすれば良いじゃん。あ、けんかでもした?」

「ちげーよ」

 軽口を返しながらも、俺の心は焦っていた。

 もちろん言われるまでもなく、電話もかけてみたし、LINEだって送っている。

 だが、いつになっても電話中で、LINEも既読すらつかないのだ。

 連絡をとれなくなって早3日。なんだか不安になる。もしかすると、もう手遅れなのか?

 テレビから流れてくるニュースは、ウイルスに関するものが多くなってきていた。最初は楽観していた風潮も、外出自粛か、いや外出禁止にした方が良いという意見も出てきた。

 俺が体験した未来が迫りつつあるのか。


 出発予定が明日に迫っているというのに、俺はまだ美夜と連絡をとれないでいた。相変わらずLINEは未読のまま、電話もつながらない。

 その日もあちこち探して回り、俺は疲れていた。

 夜になっていた。気が付いたら丘の上にいた。空には満月。周囲に人影はない。

 もしかして、避けられているのか?

 そのことに思い当たったのは今日になってからだ。

 避けられていても良いと思った。けれど、美夜には生きて欲しかった。

 ベンチに腰かけ、両手で頭を抱える。俺はふり絞るように言った。

「美夜、行かないでくれ。お前が大切なんだ。どうか、間に合ってくれ」

 空に瞬く星が、一段と光った気がした。

「武瑠?」

 澄んだ声に顔を上げると、10歩と離れていない距離に美夜がいた。

 きょとんとした顔をしている。

「どうしたの、こんなところで」

「美夜……」


 聞いてみると、美夜はいつも通りの生活を送っていたようだった。別段俺を避けるつもりもなく、俺が訪れた場所にも、入れ違いで行っていたらしい。さらに、LINEや電話は、美夜には届いていなかったそうだ。俺もスマホを見せてもらったが、確かに履歴はなかったし、削除したとも考えれられなかった。美夜としては俺からの連絡がないことを、中国旅行行くか云々で気まずかったせいもあり、俺がまだ怒っていると思っていたようだ。

 不思議なこともあるんだね、と美夜は笑っていたが。


***


 結局、美夜は中国には行かなかった。

 拙いけれど、俺の気持ちも伝えられた……はずだ。

 あれから季節が過ぎ、俺としては2度目の6月。今のところ、俺の周囲では感染した人は出ていない。美夜も含めて。

 外出禁止令とまではいかなかったが、外出自粛令が全国で出され、最近解除されたばかりだ。一時期は猛威を振るったウイルスも、新薬が開発されて効果が期待されている。

 でも、この先、他にどんなことが起こるかわからないから。

 俺の瞼には、今も血を吐く美夜が焼ついている。

 別れは突然やってくるかもしれない。後悔の残るようなことはしないでおこう、と心に誓った。

原作:原作者は 春さん です(編集者注)


『熱い、熱い、熱い。体にまとわりつく衣服を脱ぎたくてたまらない。なのに、腕が少しも上がらない。息が苦しい。首も回らないから、目玉をぎょろりと左右上下に滑らすと、右手の甲から管が伸びている。左手首も点滴に繋がれている。足が動きにくいから、右手で少し布団を引っ張ってみると、右足が出てきた。足の甲からも一本の管がだらりと下がってる。両手の血管が塞がったら、次は足に管をつなぐことを初めて知った。胸から伸びた数本の更に細い管が、頭の上のモニターに繋がっている。規則的になる電子音が、僕の耳に入る音のすべてだった。』

 

☆冒頭部分を書いてみましたが、よいように変えてもらって構いません。主人公は20代。性別は指定しません。冒頭部分の舞台は病院です。重症っぽく書いてしまいましたが、たぶんすぐ退院できます。


☆主人公は今は気付いていませんが、4か月前からタイムリープして帰って来た設定です。4か月前と言えば2月。ちょうど新型肺炎による自粛が始まる、ぎりぎり瀬戸際の頃ですね。今の現実よりもっとひどい病気のパンデミックになり、外出自粛ではなく外出禁止。買い物も行けないので生活必需品や食料は配給。配給してくれる人も防護服を来て完全防護みたいな終末感ただよう雰囲気。


☆主人公はタイムリープして外出ができない世界になる前に、○やりたかったことをやる。○パンデミックに立ち向かう。○外出禁止の中での楽しみを見つける。○意外に外出禁止をエンジョイする。なんでもいいです。


☆きっと生きていてこんな大変な時期二度はないはずなので(そうであってほしい)、こんな状況に絡めたお話が読んでみたいです。材料が貧相で心苦しいのですが、お好きに料理してもらって、小説になるのが楽しみです。よろしくお願いします。

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