幸福な家庭料理の作り方 よよ
深夜0時、私は人気のない河川敷へと向かう。一冊の本を携えて。暗闇のなか、スマートフォンの光を頼りに適当に落ち葉を集めてみる。暗闇の向こうから、川のちらちらと流れる音が聞こえる。落ち葉の上に、そっと本をおく。ポケットからマッチ箱を取り出す。そういえば、外で火をつけるなんてはじめてかもしれない。マッチぽっと明るくなったそのオレンジの光で、その本の表紙が浮かび上がる。私は、マッチの火をその表紙の上にぼとりと落とした。マッチの火が、表紙に刻まれた文字をなぞって燃え伝っていく。私を虜にした『料理』の文字だけが、あっさりと消えていった。
◉
あの本を手に入れたのは、旦那と神保町の古本市に遊びに出かけた時だ。すずらん通りのワゴンを眺めて、数冊購入する。本を読まない旦那は、基本的に私が買った本を持つのに徹していて、私が別のワゴンに無言で移っても、何も言わずに私の後をついて来てくれる。お礼にティータカノでお茶をする。
よくあんなに行ったり来たりできるもんだねと旦那がいう。銀縁眼鏡に、色白の肌、細長い足を組んで紅茶を飲む姿は、様になっている。並んで座った私の顔が、店のガラスの壁に映る。短い髪に、色黒の肌。本を読んでそうなのは、旦那だけれど、紅茶片手に本を読むのは私だけだ。
その後は、古本街をのんびりと歩いていた。もうそろそろ帰ろうかと、交差点を渡って岩波ホールの地下鉄のA7口へと向かう。その周りにも古本街のワゴンが並んでいるから、諦めが悪いなと思いつつも、またふらふらとワゴンを眺め、本棚に納められた古本の背表紙を眺める。東洋文庫、岩波文庫、古典全集…。気になった本を本棚から取り出そうとしたら、隣にあった別の本が本棚から滑り落ちてしまった。
私は、何となくその本を手にとってみた。シンプルなデザインで、題名は『幸福な家庭料理の作り方』と書かれているだけで、作者や出版社の名前はない。表紙を開いてページをぱらぱらとめくる。題名からして小説やエッセイの類かと思ったけれど、どうやらレシピ本ようだ。見開きに、ひとつの料理のレシピが、びっしりと縦書きで料理の工程が記されていた。お情け程度に左のページに写真やイラストが載っているレシピもあった。肉じゃが、角煮、カレー、南蛮漬け…。そもそも縦書きで記されているレシピなんて珍しい気がした。奥付もないので、元々はカバー表紙があったのかもしれない。
「買うの? それ」
「なんか、面白そう」
そういえば、今日はワゴンセールの本を買っただけだった。一番後ろのページに鉛筆で100円と書いてある。まぁ100円ならいいかと思って、灰色のベレー帽を被った店主に本を渡した。
◉
家に帰ってじっくりと100円で買ったあの本を読んでみると、料理に必要な素材について書いた最後に、必ず奇妙な、レシピとは関係のない内容が書かれていた。例えば、カレーのレシピには、こう書いてある。
用意するものは、玉葱、人参、馬鈴薯、大蒜、牛乳、肉、共感、歓楽、賛辞。
最初は、誤植かと思ったものの、すべてのページに同じような記載がある。感謝、感激、悲哀、憎悪…。加えて作り終わった最後には、必ずそれについての記述があった。カレーだとこんな感じだ。
カレーには、寂しい気持ちは似合わない。
「胡散臭くない? どう思う」
例の一文が載っている部分を旦那に見せると、興味深そうに覗いてきた。
「うーん、でもなんかわかるよ、カレーってワクワクするよね」
それはあなたがカレーが好きなだけでしょ、と私が返すと、旦那はカレーが嫌いな人っているのかなと言った。
そういえばそうだなと妙に納得する。カレーを作ってみようかなと言うと、旦那は嬉しそうに笑った。
カレーの作り方は、大蒜と牛乳を加えるところがあるだけで、特に変わっていない。ただ、最後の文字が引っかかる。
共感、歓楽、賛辞。
とろみが出るまで煮込んでいると、ドアの開く音がした。
「ただいま〜 今日カレー?」
部活から帰ってきた娘が、嬉しそうに鍋の近くまでやってくる。つんとした制汗剤の匂いがした。
「豚肉にしたわよ、あなたの好きなやつ。」
「もうできる? シャワー浴びてくるから待ってて!」
娘のバタバタと慌ただしくする音に、そろそろご飯かなと、自室から旦那が出てくる。鍋をかき混ぜている私のそばに近寄って、鍋をのぞき込む。
「今日のカレーはいつもよりも色がまろやかだね」
「牛乳入れたぐらいしか変わらないんだけど。とろみが出たら終わりってあるけど、正直よくわからないのとろみって」
見開きに開いた古いレシピと、鍋をかき混ぜる私をしげしげと旦那は見つめる。
「どうかしたの?」
「なんか、魔女っぽいね」
古い縦書きのレシピに、鍋とお玉。確かになんか薬を作っているみたい。そういえば、小さい頃魔女図鑑とかよく読んでいた。魔女だったのに人間になってしまって、疫病で苦しんでしまった村の人々を助けられなかったあの話は、何の本だったけ。
そうこうしているうちに、シャワーを浴びてさっぱりした娘がまたバタバタと急いでやってくる。多分もうとろとろしているに違いないと、私は鍋の火を止めた。旦那が土鍋から皿に盛ったご飯に、カレーをよそう。
「いただきます!」
旦那と娘は、豪快にスプーンでルーとご飯をすくって、口に運ぶ。カレーで膨れた顔が、面白いほどよく似ている。
「美味しい!! いつもとなんか全然違うよ!」
娘は、カレーを食べた途端に、勢いよくそう言って、さらにカレーを食べ続ける。旦那も驚いたように、目を見開いている。
「本当、これ、他に何か入れたんじゃないの?? すっごく美味しいよ」
「ううん、そんなことないよ…」
カレーを頬張り続ける、二人の普段と違う様子に私はびっくりしてしまった。そんな二人を見ているうちに、あっという間に盛ったカレーは無くなってしまって、おかわりがあるよと私が言ったら、娘と旦那は揃ってカレーをおかわりした。
◉
二人は、結局次の日の昼ごはんの分も全部たいらげてしまったのだった。その様子に気をよくして、私は必要な素材の最後に記された言葉に注意深く読んでみた。
肉じゃがは平穏、幸福、郷愁。南蛮漬けなら期待、願望、感激。
少し黄ばんだ紙に、縦書きの文字、モノクロの写真やイラスト。
その日以降、私はその時の気分に応じたレシピを、最後の言葉から探して作ってみた。例えば、仕事でうまくいった時は、喜びの親子丼。応募した小説の選考の発表日には、焦燥のナポリタン。選考から漏れた次の日は、倦怠のポテトサラダ。旦那と喧嘩をした次の日は、怒りの麻婆豆腐。
そのレシピに記された感情の言葉に、私の気分とが当てはまれば当てはまるほどに、娘と旦那の食べて瞬間の反応は劇的に違って見えた。
例えば、怒り、後悔と記された麻婆豆腐を作った時。家にない調味料もあって、仕事終わりに成城石井に駆け込んで買ったのだ。甜麺醤に豆板醤に花椒。全部使い切れる自信もないのに、とりあえず買ったのだ。こういう考えなしにすぐ行動するところを旦那は嫌がるというのもわかってた。でも私は怒りと後悔の麻婆豆腐を旦那に食べさせてみたかったのだ。
旦那は遅く仕事から帰ってきて、私は、冷めた麻婆豆腐を電子レンジで温めてあげた。トマトのサラダとわかめスープも用意した。旦那は、まず麻婆豆腐には手を出さず、トマトのサラダをゆっくりと食べた。ずっとみているのも変なので、私はそっと食卓から離れた。リビングのソファに座って、向かいに置いてあるテレビをみる。リビングのソファからは、左を向けば、食卓に座る旦那も見ることができた。旦那はまだ、レタスをシャキシャキと咀嚼している。麻婆豆腐を食べる時、必ず陶器のれんげを使うから、盛られた皿に触れたら、カチャカチャと音がなるはずだった。
テレビはチコちゃんがやっていた。チコちゃんの怒りの声が、無言の私と旦那の間に響く。娘は麻婆豆腐を食べたら、辛い辛いと連呼して、それでもずっと食べよう食べようとれんげを無理やり口に運んでいた。眉間にしわを寄せながら、それでも娘は何かに取り憑かれたように麻婆豆腐を食らっていた。
カチャカチャ、っとれんげと皿が触れ合う音がした。旦那が、それを一口食べたと思ったら、さらにカチャカチャ、カチャカチャ、カチャカチャと鳴りづづけた。チラッと見ると、旦那は、麻婆豆腐を盛った皿を斜めに上げて、れんげで口に流し込んでいた。クッと麻婆豆腐を飲み込むたびに、喉仏が上下に揺れた。カッと見開いた目は、赤い麻婆豆腐を睨んで、眉間には深くしわが刻まれていた。
旦那は、すべて麻婆豆腐一気に食べて、おそらく旦那の様子に拍子抜けした私の間抜けな顔を見た。
「ごめん、あんなこと言って」
その顔は、麻婆豆腐を食らっていた様子をは打って変わっていた。
まさにその顔は、“後悔“そのものであった。
◉
私は、その日の気分で、レシピを選んでいて、そのレシピに記された感情の言葉の表現の変化に気づくのが遅れた。料理を作り始める「必要な素材」として書かれていた言葉は、作る側の感情を表していたのだ。そして、本の中ほどから、最後のページには、作る側に必要とされた言葉に関連した記述の他に、食べる側の気持ちも書かれていたのだ。怒りの、後悔の、麻婆豆腐。あのレシピは、ちょうど本の中ほどと、最後のページとの中間にあった。最後の記述はこう書いてある。
赤い、炎の麻婆豆腐。相手の怒りを食らった時に、炎は燃え上がり、そしてすべてをたいらげた時、その体は灰となる。
そう、作る側と食べる側の感情が結びつくのである。作り手の怒りが食べ手に乗り移り、そしてその怒りは後悔となって立ち現れる。そのことに気づいてから、私は、私の料理を食べる二人の様子を仔細に観察するようになった。箸の動きには指を、または咀嚼する口の動き、レシピに沿って作った料理と、それ以外の料理との違い。話の内容に、どう反応し反応しないのか。料理を食べた後の様子まで。私は、知らなかった。自分のことでいっぱいいっぱいで、ここまで、家族の二人に興味関心を持ってみてきただろうか。
例えば、普段は本を読まない旦那と娘が、やけに私の書く小説には興味を示してくれているということ。
「おかあさん、結局こないだ書いたやつは読ましてくれないの?」
「僕にも読ましてよ、まあ筋とかそういうのわかんないけどさ」
「ありがとう」
「え、今日締め切りなの? うん、いいよいいよ、また後で頼むから」
「お母さんに頼まないで、私がやるよそれぐらい」
「ありがとう」
私って、その言葉に甘えていたんだなと今になって思う。
「じゃあ、久しぶりに書いたやつ、印刷するね」
「いや、メールで送ってよ。その方がどこでも読めるから」
「え? そうなの」
「僕は、通勤とかで読んでる。あっPDFにして送らなくていいよ、変更するのめんどくさいだろうから」
そう言って、旦那は今日の料理、欲望と秘密のビーフステーキを食べた。
数日後、深夜0時に目を覚ました私は、旦那の部屋の扉の隙間から、部屋の電気が漏れているのに気づいた。寝室で歯ぎしりをして眠っている旦那を起すのも面倒なので、勝手に扉を開けた。案の定、勉強机の卓上ライトがつけっぱなしのままになっている。机に置かれた、旦那のノートパソコンがスリープ状態にならずに画面がついたままになっていた。私は、卓上のライトを消し、ついでにパソコンの電源を切ってあげようとしたその時、私はその画面に映った言葉に慄いた。
題名『幸福な家庭料理の作り方』 作 タケ&めぐ
それは、まさしく私が、あのレシピ本の話をもとにして書いた小説の題名だ。この間メールで旦那に送った文章がそこに映っていても別に不思議ではない。慄いたのは、作者名、タケとは旦那のあだ名だ。旦那の幼い頃からの友人は。旦那のことをタケと呼ぶ。その後の、&めぐの意味がまったくわからなかった。画面をスクロールして、小説すべてに一通り目を通す。ところどころの細部が異って、訂正されている。それが思いのほか、よく訂正されていることに違和感を覚えた。旦那は、私の小説を読んでも面白いとかすごいとかそんなことしか言わない人で、指摘できるのは言葉遣いや文法ぐらいで、内容や話の展開、ドラマチックさとかに意見することはできない人なのだ。なのに。私は、口にたまったつばを飲み込んで、表示されていた小説の画面を縮小し、デクスクトップのショートカットのグーグルメールをクリックした。グーグルメールのすべてのメールに、MEGUMIというアカウトからのメールがきていた。
奥さん、やっぱり変な人だね、本ばっかり読んでるとこんなこと考えるのかな? でもこうした方が面白いんじゃない?? 私そんな本読まないけどw
私の手はふるえていなかった。私は至って自然だった。他のメールを探して、また画面をスクロールする。数日前のメールを見つけてクリックする。
あ、やっと送ってきた?? でも変なの、一緒に寝ながら読みたいなんてW まあ別に私はいいけど。
私の手はふるえていなかった。娘を産んでから薄々わかっていたことだった。でも試してみる価値はあったのだ。そう、欲望と秘密のビーフステーキを。
こってりとひかる、魅惑のビーフステーキ。欲望に駆られて吐き出さずにいられない。ほのめかさずにはいられない。芳しい香りは僅かでも嗅ぎ分けられる。
◉
あの日をメールをMEGUMIに送ってから、旦那の様子はおかしくなった。よそよそしくなって、小説の小の文字でも言えば、体をビクッとさせた。そんな旦那の様子に、娘は敏感に反応する。そう、娘の秘密も明らかになってしまったからだ。部活と称して遅くまで帰ってこない日は、大抵男の子と会っているということ。それも複数の。いつものとは違う制汗剤の香り指摘した時、娘は呆気からんと白状した。奔放な娘の方よりも、旦那の方が秘密を暴かれてしまってだいぶ重症だ。
私は、これまで以上に料理に凝り出した。あのレシピを使った料理は、すべての献立に反映されるようにしたのだ。これは罰ではなかった。それは、私のためだった。多くの料理から得られる感情を摂取しないと、感情がどんどん鈍くなってしまう気がした。旦那は泣きながらも食べるのを止めず、娘は混乱しながらも一心不乱に食べては笑った。
それでも、私は、最後のページに記された、最後のレシピには手を出さなかった。これには手を出してはいけない気がしていたのだ。
恐怖と絶望のイカ墨パスタ。
優しい旦那は、不倫相手と私の小説を弄んで遊んでいた。明るい娘は、複数の男の子たちと遊んで快楽に溺れてる。こんな状況になっても、私は、旦那と娘の食べる料理を用意する。こんな状況になっても、私は、恐怖していないし、絶望していない。どうしても、その感情を手に入れて、私は自由になりたかった。
最後のページを見開きに開き、食卓のテーブルに置く。包丁を手にとる。
玉葱とトマトを刻んで、大蒜を軽く潰して刻む。フライパンに、油をしいて大蒜と唐辛子を入れて香りがたったらトマトと玉葱を入れる。炒まったら、イカを加えて、イカの色が変わるまで弱火で炒める。そこに白ワインと水、イカ墨を加えて、中火でとろみが出るまで炒める。
とろみ。カレーを作ったときは、こんなことになるなんて思わなかった。とろみについて私はまだちゃんと理解していないのに。どうしてこんなことになってしまったのか。
その間に、お湯を沸かしていた鍋に、パスタを入れて茹でる。硬めに茹でるのが良い。茹で上がったパスタを、フライパンに加え、全体に絡まるように混ぜること。塩と胡椒を加えて出来上がり。
イカ墨を加えて、トマトのペーストは一気に真っ黒になってしまった。とろみが出ているかも私にはよくわからない。茹で上がったパスタをフライパンに加えて混ぜる。軽く、塩と胡椒を加えた。
真っ黒なできに一瞬の躊躇。食べ物なのか食べ物ではないのかという視覚の混乱。しかし、一口食べれば、その味覚は確実に旨味を脳に伝達する。感覚の崩壊。
ついに完成した、最後の料理を、食卓に並べる。真っ白の皿にきれいに盛られらたイカ墨のパスタが三つ。皿の前にスプーンとフォークを置く。
食卓に座っているのは、私だけだった。
真っ黒なパスタに一瞬躊躇しながらも私は、パスタのしたに差し込んだスプーンのうえでフォークでパスタをくるくると巻き取り、口へと運んだ。舌に感じる、イカの旨味と苦味とトマトの酸味。様々な味覚とともにどっと感情が流れこむ。
旦那はまだ仕事から帰ってこない。娘はまだ部活から帰ってこない。
深夜0時。私は、恐怖と絶望で、レシピを抱えて家を飛び出した。
闇のなか、スマートフォンの光を頼りに適当に落ち葉を集めてみる。暗闇の向こうから、川のちらちらと流れる音が聞こえる。落ち葉の上に、そっと本をおく。ポケットからマッチ箱を取り出す。そういえば、外で火をつけるなんてはじめてかもしれない。マッチぽっと明るくなったそのオレンジの光で、その本の表紙が浮かび上がる。私は、マッチの火をその表紙の上にぼとりと落とした。マッチの火が、表紙に刻まれた文字をなぞって燃え伝っていく。私を虜にした『料理』の文字だけが、あっさりと消えていった。
原作:原作者は ヘラジカさん です(編集者注)
主人公は家庭を持っている男か女。ふと立ち寄った古書店にて、一冊のレシピ本に惹かれる。題名は『幸せな家庭料理の作り方』。
ありきたりなタイトルでシンプルなデザインのレシピ本は、出版社や作者の記載がない。パラパラとめくってみると、変哲のない一般的な家庭料理の作り方が一通り載っている。しかし、なんとなく惹かれるものがあり(工程の斬新さ、素材の組み合わせなど)主人公はそのまま本を購入し店を後にする。
家に帰ってからじっくりと本を眺めてみると、必要素材の最後に奇妙な点がある。料理を行う際にどのような"感情"を持たなければいけないかが書かれているようだ。最初は誤植かと思ったものの、全てのページに同じような記載がある。胡散臭い本を買ってしまったと後悔する主人公だが、ちょうどそのときの気分に該当するレシピが見つかったので、興味本位に夕食に作ることにする。
出来上がった料理を帰宅した家族にふるまったところ、これが思いがけず絶賛と言っていいほどの賛辞を受ける。
これに気をよくして、以降、何度かそのときの気分(怒り、喜び、焦燥、倦怠など)に応じた料理を本から探し作ることに。そのたび不気味なほどに、家族から熱烈な反応を引き起こす。
後日、本の中程からは食べる側の感情や気分も記載されていることに気づく。調理と食べる側の感情が結びついたため、主人公は今まで以上に家族の様子(情報)を仔細に観察することになる。その結果、それまでは順風満帆に思えていた家庭に、歪み・綻びが存在することに気づいてしまう(配偶者の不倫・失業、子供の非行など)。
料理に憑かれる主人公、ほどなくして崩壊する家庭、演じられる修羅場。気の触れかけた主人公はレシピ本の最後のページに書かれていた、「憎悪と後悔」(もっと禍々しい感情でも、恐怖、絶望など)を必要とする料理を作るべく、包丁を握りしめ問題の家族と対峙する……。
(以下、危機を抜ける・和解するか、バッドエンドを迎えるかはお任せします。)
庭で問題の本を焼くシーン。炎に投げ入れた本は暫く抗ってからやがて燃え出す。それを見て背を向ける主人公(別の人間でも)。全体に火がまわりながらも表紙はしぶとく綺麗なまま。それでも段々と変色する表紙のタイトルは「料理」という文字だけがあっさりと真っ先に消えるのだった。(完)




