比翼連理 ひめありす
フォーラウェイリバース&スリップピポット
オープンテレマーク&テレスピンテレスピン
スローアウェイオーバースウェー
「って、ちょっと目を離した隙に何踊ってんですかー!」
東の大国は奈国が後宮、北の宮殿。通称『黒曜宮』その一階に設えられた小さな舞踏室は今日も今日とて、怒号に溢れていた。
「何って、ワルツを踊っていたのだけれど?」
怒られている理由が不可解だ、とばかりに首を傾げる少女。
「で、す、か、ら!僕はお茶を入れてくるまで、十日後の舞踏会で踊るワルツのおさらいをしておいてくださいねって、お願いしたはずなんです、が!それが、どうしてそんなド派手なルーティーンになっちゃってるんですか!」
淹れ立てのお茶以上に頭から湯気を出して怒るダンス教師に少女は平然として
「あら、お師匠様が作ってくれたルーティーン、踊らないとも限らなくてよ?だって私、こう見えて王女なのよ?」
先の北妃が息女―――第六王女暁蕾、それが少女の正体。
「そんなん即興で踊れる人いませんよ!」
なおも頭から湯気を噴いているダンス教師に暁蕾ははいはい、と軽く応じて
「ちゃんと練習してたから、ほら。」
すっと両肩を下げて、対照的に首は長くほっそりと傾く。右手は肘までを肩と同じ高さに揃え、肘から先は直角に。反対に左手はやわらかく繊細に。体重は細いヒールの片足に乗り、しなやかな体幹はきゅっと絞られて、
空気に押されるように暁蕾の体が動き出した。
るんたった、るんたったーと鼻歌交じりのそれは至って単純なナチュラルターン。1にアクセントを置いて沈み、2,3と伸び上がる。
バックワードチェンジ(うしろあしふみかえ)、リバースターン(はんたいまわり)、フォーワードチェンジ(まえあしふみかえ)……
ね?と尋ねられてダンス教師は慌てて咳払い。
「それにしてもこの衣装はとっても素敵」暁蕾は軽く振り返って衣装を撫でた「袖が無いから腕を動かしやすいし、軽くて踊りやすいわ」
今、彼女が身に纏うのはほっそりとした意匠の襟無正装。
常日頃身に纏う祷裙に比べると、ずっと生地も表面積も少ない。
「ただ、後ちょーっと裾が広がるともっと踊りやすいんだけど」
駄目かしらね?と裾を持ち上げる暁蕾にダンス教師はくわっと目を見開く。
「だから―!どうしてそんなに足を動かす必要が」
パン、パンっと手が二つ打ち鳴らされる。
うへえっと渋い顔をしていた暁蕾が今度はぱっと顔を輝かせた。
「お義兄様!」
現れたのは漢服姿の見目麗しい男性だった。背後にお針子を一人従えている。
「まあまあ、今度ばかりは姫君の言う通りにしてあげたら?何て言ったってお城の舞踏会なんだし」
我が意を得たり、とばかりに暁蕾はあれやこれやの要望をお針子に告げる。
「ねえ、お義兄様。舞踏会では一緒に、踊ってくださるのでしょう?」
着慣れぬ異国の服を脱ぎ、普段の祷裙に戻る。
用事を言いつけられたお針子がドレスと共に去っていくと、無邪気を装い暁蕾は義兄に尋ねる。
本当は一番に尋ねたかったが、遠慮が勝ってなかなか言い出せずにいた。
「すまない。姫君……それは、出来ない」
「どうしても、でしょうか。お立場は十分わかっています。……でも、せめて一曲だけでも」
言い募る暁蕾の目を、まっすぐに覗き込み
「戦の気配がある。将軍として私は行かなくてはならない。わかるね?」
戦。その言葉に今度こそ暁蕾は顔色も、言葉も失う。
戦の相手ならば一つしかない。西の大国。
けれど、十日後の舞踏会もまた、和睦の為の物であるはずなのだ。
「私達が赴く事で反乱の気を断つ事が出来るなら、それに越した事はないんだ」
厳しい目で、遥か西の方を見やる。
「この国には武張った人間は多くない」
「……先の大将軍であった、貴方のお父様みたいな方が、もっといらっしゃったら、良かったのに」
「姫君にそう思って貰えるだけで、亡き父は十分報われる」
その武勲を以て一代限りの王室に認められた男は、武人とは思えぬほど優しく笑んだ。
大きく硬く、冷たい掌が頭の天辺から長い髪を梳きやり、巻き毛の一房を手に取る。
「この美しい蕾が夜明けに咲くまで、私達は戦い抜かなくてはならない」
奈国最北端の地で生まれた母妃の血を色濃く継いだ暁蕾は奈国の民には珍しい金色の、更には赤みがかかった金紅色ともいうべき色の髪を持つ。
それがまるで、黎明の光に照らされた花の蕾の様だから、暁蕾。
数多居る王女の一人にさえ、この様に凝った名前を与える程にこの国は風流を愛した。
「剛ではなく柔で、剣ではなく筆で、戦争ではなく文化で、平和と繁栄を築いてきたこの国の在り方を、私は心底誇りに思う。だからこそ、私達は最後の砦として存在しなくてはならないんだ」
恭しく唇を押し当てる血の繋がらぬ義兄の姿はいっそ清々しい。
そっと自ら身を引き、両膝を折り、顔の前で両手を重ねる。王女にできる最大限の礼―――揖拝をする。
「ご武運を。御武運を心から祈っております―――お義兄様」
一つ静かにうなずいた義兄は、それからクシャっと破顔した。
「私からも一つ、姫君に頼みたい事があるんだ」
パチリ、と指を鳴らすと先程のお針子が何やら大きな荷物を抱えて戻ってくる。
そのまま広げられたのは月季紅色の上衣が一揃いにに霞が勝ったように淡い紅色の裙
「北の地の、黒に紫水晶の取り合わせよりは、こちらの方が君には似合うだろう」
困惑気に生地に指を滑らせれば、微かな凹凸。見るからに儚げな裙は全体に淡い金色の糸で蜀葵の刺繍が施されている。
「蜀葵の花が、好きだと言っていたね。濃い赤や紫の色も、姿勢がいいところも、憧れるから、と。舞踏会ではその蜀葵に花の様に堂々と、私の名代を務めて欲しい」
青磁色の披帛がふわりと肩を包む。
「帰ってきたら、姫君に言いたい事がある。待っていて欲しい」
こくん、と幼子の様に頷く。それが精一杯であった。
きっと今自分の顔は蜀葵よりも派手に染まっているに違いない。
もう一度名残惜し気に髪に口づけ、義兄は舞踏室を後にする。
その背を、呆けたように見送っていた暁蕾にダンス教師はやわらかく声をかける。
「おめでとうございます、姫君。―――これで僕も、安心してお暇を頂戴できます」
「―――暇、を?」
はい、と異国から来たダンス教師は告げる。
「僕も、あの方について行こうと思います」
「お義兄さまに?」
「ほら、僕は色々な国の言葉が話せるでしょう?だから、何処でも通訳が出来るんです。この国には、姫君には特に良くしてもらったから、最後に恩返しをしてから、行こうかなって」
元々が、異国から客人である。暁蕾が請うた為に、この宮を拠り所としている。
「そう、ね。……お師匠様も心配しているでしょうから」
ダンスの師であり、賑やかな喧嘩相手でもあり、そして何よりの朋友であったその人に向けて、今度は限りなく優美に踊り子のお辞儀をしてみせた。
母妃を早くに失くし、今黒曜宮の女主人は十歳も離れぬ実の叔母である。
こうして大好きな舞踊を続けさせてくれているし、不自由はない。
だけど、何かを強請る事を暁蕾は未だ知らずにいる。
一つ、孔雀藍を祷裙で濃淡色合いを変えて、披帛は銀。
一つ、月季紅の祷と淡紅色の裙に、披帛は青磁色。
一つ、純白の祷裙に、披帛は金。
一つ、黒の祷と紫水晶の裙に、披帛は裙と同色。
五行に則り、四つの後宮が腕によりをかけて女性達に誂えた衣装だ。
男性は総員が黒の漢服姿で、袖と襟に入る刺繍が孔雀藍、月季紅、純白、紫水晶である。
等間隔にきっちりと並んだ男女の列が、一斉に動く。
跳んで、跳ねて、回って。
完璧な隊列を組んだまま、右に左に移動して、時に集まってはまた離れ、互いに腕を絡ませ、手を繋ぎ、あるいはその間を抜けて、集団での舞踊は続く。
長年の仇敵であった西の大国へ向けて、挨拶代わりの舞踊である。風流を何より愛し、芸事を奨励する奈国だからこそできる事でもある。
しかし、その中にも少々踊りの苦手な者はいるようで
「いった……!」
舞踊靴の爪先を踵で踏み抜かれ、暁蕾は小さく悲鳴を上げた。動きが半拍遅れ、最後のステップが間に合わない。
仕方なく紅の広袖を大きく払う。最後のポーズにはどうにか間に合って、びしっと決まり一安心。
(しかし、この仮面に何か意味はあるのかしら?)
顔の上半分を覆う、白狐の面。小さな鈴がついていて、歩く度にちりちりと可憐に鳴る。
隣を歩くパートナーも、一つ前を進む組も、ついでに言うならこの舞踏会に参加する奈国の人々のほぼ全てが、同じ面をつけている。
(だって、着て居るものである程度推測が立つでしょうに?)
布は揃いだが、装飾品や刺繍の数で身分が多分わかる。
両側頭に金紅色の髪を華やかに結い上げ、大きな花簪をつけて、何処からどう見ても身分の高い姫君と分かる格好をした暁蕾は思う。
気が付かなかったのか、気が付いた上で敢えて選んだのか。
(それに引き換え、向こうはやや分かりにくいか)
同じように顔の上半分を黒猫の面で覆った、西の大国の人々。
男性は儀典用軍服に女性は襟無正装。
大緩に掛った勲章の数で身分は分かるかもしれないが、ここからではわからない。
視線を中央に戻すと、丁度主催側の第一夫人―――南の正妃と来賓の最上位―――西の大国の大臣のカドリーユが終わったところだった。
盛大な拍手が送られ、二人が腰を下ろす。
そして新たな音楽が流れだす。
王族の席ではなく壁際に寄り掛かる。
女官が差し出す披帛を纏う。最後の戦地の近くとなった夏の離宮は夜ともなるとかなり冷え込むのだ。
いよいよ舞踏会のメイン、ペアダンスの始まりである。
意中の女性に男性が歩み寄り、応じる形で男女の組が登場し、踊り始める。
裙の裾は華やかに翻り、仮面についた鈴までもがきらきらと音を立てる。
三拍子のワルツに合わせて思い思いのステップを踏む奈国の人々はみな楽しそうだ。
曲の終わりと同時にさっと引いて、次の曲へ。
先程と同様ワルツが流れるが、誰も出てこない。
さあ、どうぞ。と言わんばかりに曲は盛り上がるが西の大国の人々は気まずそうに顔を見合わせるばかりだ。
女性など壁にぴったりと張り付き、一歩も動きません!と顔に大書されている。
(そこは、冷えるから、風邪をひかないといいのだけど)
演奏だけのワルツが終わり、次の曲へ。
今度は軽快なポルカで、待ちきれなかった奈国の人々が飛び出す。
その後も同じ曲が繰り返し演奏されるも、結末は変わらず。
しん、とした中演奏だけが流れる。
何度目かの繰り返し。ホールで楽し気な人々を見ながら暁蕾は思う。
(こんなところで踊れたら、気持ちがいいだろうなあ)
そっと手を前へと伸ばす。
(誰も踊らないなら、私が一人で踊ったっていいのに)
一応は姫君であるので、舞踏会ではワルツの出番がある。
けれど、悲しいかな、再びダンスに誘われる事はなかった。
(お師匠様が教えてくれたワルツ。私の、私達のワルツ。楽しかったな)
踊ってる時は、悲しい事も淋しい事も、何一つなかったから。
流石に曲が一巡すると踊り手の引き上げも早くなってくる。曲の終わりを待たずに三三五五と引き上げてくる中に、見慣れない色を見つける。
まだ、ワルツが鳴っている。
人々の流れに逆らいながら、ホールの真ん中を気まずげに、けれども躊躇ないなく歩いてくるのは西の大国の軍服を着た
「―――?」
黒猫と同色の黒い髪。多分暁蕾と同じ位に年若いだろうその男性は
「よろしければ一曲、お相手を」
こちらに向かって、まっすぐに手を差し出してきたのだ。
おざなりなワルツを弾き始めようとしていた楽団に、ピリッと緊張が走ったのがわかる。
差し出された手に、そっと掌を重ねた。
ホールの真ん中までするすると引き寄せられて、改めてそこで向き合う。
やはり若い。孺子と言ってもいい。
最初は組まずに、互いに距離を取り合いくるり、くるり、と回る。
近付いて、離れて。そしてまた近付いて。
様子を見ていた楽団が、これなら大丈夫と安心した様に音を膨らませる。
片手が組まれ、次いで肩甲骨の下に手が宛がわれる。
予想より少し高かった肩へとそっと片手を置いて、同時にステップの一歩目を後ろへ向かって踏み出す。
バチン、と雷が走った。
仮面の中で大きく目を見開く。
何これ。身体が軽い。歩幅が大きい。別の誰かと踊る時より、自分一人で踊る時よりずっと。
リバースターン、リバスフレッカール、片手を放してくるりとスピンターン、ナチュラルフレッカール、ナチュラルターン。
無難に何て踊っていられなかった。
ふわっと足が蹴り上がる。もっともっと、と心が騒ぐ。
もう一回、さっきの。ううん、さっき以上に思いっきり。
先へ先へと無意識に急いていたのだろう、宥める様に体を引き寄せられた。
「面倒臭い。さっきのフィガー、次から行けるか」
大きく体を傾ける動作の間に、小さな声が耳元で響いた。
少し癖があって荒いが、奈国の言葉だ。
ええ、と起き上がると同時に答える。
「斜めに、あいつに向かって突っ込むぞ」
8,2,3、トン、っと勢いよく滑り出す。
何で踊れるの?どうして知っているの?なんて聞く暇もなかった。
身体の内から溢れる衝動そのままに手足が動く。
シャッセとホップの連続。目標に殆ど跳びこむ様な勢いで斜めにホールを突っ切る。
あの日一人ではできなかった踊りの続きが、ここにある。
わっと尻餅をついた男の直前で急なリフトターン。薄紅色の裙が男の鼻っ面を引っ叩く。
裾を縫い留める青磁のビーズが弾けて澄んだ音を立て、半拍遅れて二枚重ねの披帛が舞う。
ターンの間に伸び上がるようなリフトを挟み、そのまま踊りは続く。
「なんであんな事したの?」
誤魔化すようにリフトが続くと、男はしれっと
「さっきあんたの踊りの邪魔をしただろう。足踏んで」
そう言えばそんな事もあった。
いつしかルーティーンからは外れて、二人は無心に体を揺らす。
やわらかく握った手が舟の舳先の様に行く先を示し、触れ合う右の体幹が、互いの高揚を示す。
肩胛骨に添えられた手が、翼の様で、何処までも飛んでいける気がする。
だから、腿の裏に手を入れられた時も、一瞬の躊躇いもなかった。
両手で男の首に縋りつき、ぐっと体を寄せる。両足を掬い上げられて
「あ、あはっ―――」
ついに堪え切れなかった、声が漏れた。
抱え上げられたまま、螺旋を描く様にまわる。
まわる。まわる。世界がまわる。自分達を中心に。
今二人は、比翼の鳥であった。
するん、と降りて片足を前方へ足を進展。危ういバランスもぴたりと決まる。
戻って―――そこが曲の終わりだった。
わあっと万雷の拍手が二人を包む。
息の切れたまま互いに礼。そしてどぎまぎしながら周りにもお辞儀をする。
そして気付く。
誰かが躍っていると、自分も踊り出したくなる事に。元々踊りを得意とする奈国の人々だけでなく、それまで音楽に乗りきれずにいた西の大国の人々も。
「こっちよ」
今度は暁蕾が彼をリードする番であった。
始まったカリドーユの中をすり抜けて、その場を逃げ出した。
そうして二人が辿り着いたのは屋根のない露台だった。
はあ、はあっと荒い息を二人で着く。
「悪い、仮面を外してもいいか。さすがに呼吸が辛い」
「いいわよ。私も外しちゃう」
そうして、互いに素顔を晒す。
窓の向こうからの僅かな明かりで瞬いて見えた瞳の色は、明るい鳶色。
いっそ稚い面差しであった。もしかしたら暁蕾よりも年少かもしれない。
「ねえ、どうしてあのフィガー、踊れたの?」
「ああ、とあるご老人に教わったんだ。世界中の舞踊の研究をしているって」
「それって、もしかして小柄で背中の曲がった」
「白い髭を生やして北の方から来たという」
「「セルゲイ師匠!」」
何だ、と二人は顔を見合わせて笑う。
「私達、同じ師匠に習っていたのね」
なんていう偶然だろう、偶々こんな場所で出会えるなんて。
「ねえ、踊って見せて」
「何を」
「貴方の踊り」
「どうして」
「だって、師匠が向かったって事はそこに踊りがあるって事だわ」
靴を脱いでも構わないか、と問われて頷いた。男は上衣の隠しから、靴を引っ張り出した。
「なんでそんなところに靴隠しているの?」
「舞踊手なら、靴と衣装は肌身離さず持て、と。それが俺の国の教えだったから」
靴を履き替え、離れていろと手の動きで払われる。
そして、彼は跳んだ。
両足をひし形に引き上げる。それだけで跳躍が更に大きく見える。
着地と同時に足を前後に大きく開脚。
また跳ねて今度は左右に開脚。
瞬きの度に代わる姿のひとつひとつがどこをとっても様になる。
三度跳ねると足を鞭のように振り上げるやその場で回転し始めた。
三回、四回、五回、六回
爪先立ちその場から一歩もぶれずに回る姿は、まるで空に繋がれて居る様。
空を切るヒュッヒュッという風切り音が規則正しいリズムで聞こえる。
こういう生き物を知っていると暁蕾は思った。
―――鷹に似ている。
風を捉え、風を操り、風と共に生きる、そういう生き物だ。
十回ほども続けて回って見せ、最後にタン、と軽い着地音を立てて踊り終える。暁蕾は力いっぱい拍手をした。
「素晴らしい。素晴らしかったわ!まるで鳥が空を切って旋回しているみたい!飾り物があったらもっと素敵だったかも!」
飾り物、と首を傾げる彼を屈ませて、二枚の領巾のうち片方を頭に巻き付ける。
あまり器用でなく、片方に布が寄ってしまったが致し方ない。
最後に髪飾りを刺して止める。
「これ、いいものなんじゃないのか」
「高くはないわよ。古いけれど」
今一つ納得いかなそうな顔を、しげしげと見上げて
「やっぱり思った通りね。この方が回転した時に映えるわ」
その時何故か、鳶色の瞳が泣きそうに歪んで見えた。
「――――、と言う。山岳民族の、民族舞踊だ」
囁くように教えてくれたのは、きっと彼の国の言葉。
そして、もう一度踊り出す。
まわる。まわる。
高みに上る。
頭に巻いた領巾が鳥の飾り羽の様にたなびいた。
何故か、踊って見せろ、と言われている気がして、その場に伏した。
淡い紅の裙がふわりとその場に広がる。
彼の眼には、今しがた、花が咲いた様に見えただろう。
奈国の少女なら、誰でも踊れる舞踊だ。
身体を後ろへそらし、欠伸をするように手を口元に持ってくる。
この踊りを踊る時、いつでも暁蕾はとある想像をしてしまう。
花の精の、物語。
意志を持たない花の精は、人間の青年に恋をする。
そこで初めて、感情を覚える。
少女の姿を以て青年の周りを舞う。
思わせぶりに衣装の裾を揺らし、
両手を広げて青年を出迎えたり、
かと思えばさっとその爪先から逃れて後ろに隠れてみたり、
その芳香で誘惑してみたり。
気が付かれないことを幸いと、自分の思いの丈を打ち明ける。
頭が床についたかと思うほど身を反らし、膝立ちになる。
力を感じさせてはいけない。
花には何の力もないから。
伸ばした両手の先へと、そっと微笑みかける。
緩やかに立ち上がる。
両手を小刻みに艶めかしく動かす。
それは永遠の一瞬。同じ形は二度とない。
花は咲き続け、散り続けるから。
暁蕾は跳んだ。
素早く足を滑らせ、旋回する。
彼の回転が天と繋がるものならば、暁蕾の旋回は大地と繋がるものだ。
花が根から養分を貰って咲き誇る様に、暁蕾の舞いは地面を滑りながら続く。
ホロホロと激しい動きに髪が二筋三筋とほどけて顔に降りしきる。
眼差しは夢を見る様にトロリと潤み、わずかに開いた唇は甘やかに吐息を零す。
首筋はしなやかに伸び、十の指先は今にも散る花びらの如くなよやかに、
背は、足は、あらゆる力の存在を無視し、矛盾の上でその全てを愛する。
―――気が付かれなくていい。
―――気付いて欲しい。
―――届いて。
―――届かないで。
恋する花と、暁蕾の心が、一つに重なった。
緩やかに伸ばした腕に、頭の上から降ろした腕を重ねる。
少しだけ腕を捻って、その隙間から傾けた顔をのぞかせる。
―――私と、踊って
その手を、強く掴まれた。
酷く熱い手だった。間近に見つめ合った、眼差しはもっと熱かった。
肩甲骨を下から掬い上げる手に引っ張られて、踊り出す。
最初は二人の師匠が、二人に与えたフィガーを。
次第にそれさえも忘れて、二人はただその刹那の衝動に身を任せる。
殆ど初めての乱暴な感情なのに、不思議と怖くはなかった。
窮屈な物でも粗野なものでもなく、ひたすらに心地の良い物であった。
吸い付く様にまわされた腕は互いの意思を確かに伝え合い、しかもその伝達は外れる事はなかった。
露台の端まで行ったらターンをして、また反対側の端まで。
それを繰り返し、二人の踊りは続く。
羽が風邪を巻き起こす。巻き起こした風に花が揺れる。
今、二人は一対の翼であり、一つながりの樹であった。
だから、踊りの最中ふと二人が抱き合ったのも何の違和感もなかった。
性的な物を何一つ感じさせない、それは喜びの抱擁だった。
あるべきところにやっと収まった様な、
やっと互いに欠けていたものを得た、
その充足に満ちて二人は互いの背に腕を回す。
きらきらと瞬く瞳の中に映る自分の顔を見る。頬をすり寄せ、歓喜の感情そのままにくるくるとその場で回る。
そして、その肩越しに、花火に擬した、狼煙を見た。
ぱっと手を放し、顔を見合わせる。
この状況で上がる狼煙の意味を解さぬほど、二人は無知でも愚かでもなかった。
「これ、貰ったままでいいか」
示されたのは頭に巻いた領巾。
蜀葵の刺繍が施された、暁蕾の物と一目でわかるそれ。
こくり、と頷く。
それが、別れの合図だった。
後はもう、振り返らずに露台から離れる。
そう言えば、一度も彼の名前を聞かなかったし、彼に名前を尋ねられる事もなかった、と。
気が付いたのはその温もりが疾うに背中から去ってからだった。
「―――様っ、姫様っ」
強く呼ばわる声に驚いて身を竦ませれば、そこにいるのは数日前より義兄から遣わされた女官だった。
「どうなさったのですか?ご気分が悪いなら、今日のお稽古は取りやめにしますか?」
舞踏会から十日後。
局地的に起きた小さな衝突はまだ沈静化の兆しを見せなかった。
「旦那様が心配なのはわかりますが、信じて待つのが細君の役目ですよ」
まだ細君じゃないわよ、と暁蕾は微苦笑。
「でも、そうね。今日はもう切り上げるわ」
嘘。切り上げたいなんて、ちっとも思ってない。
でも、どうしたってあの夜を反芻してしまう。
懐に入れた小さな黒猫の仮面をそっと撫でる。
何一つ残していかなかった彼の、ただ一つの縁だった。
ふうっとため息を一つついて、扉に向かったその瞬間、扉が内向きに大きく開いた。
「ひっ、姫様―――!」
「先生―――?」
飛び込んできたのは、誰であろうダンス教師の、彼だった。
暁蕾の顔を見るなりひれ伏したその姿は、今戦場から帰還した兵士そのものだった。埃まみれの血まみれで、その場しのぎの応急処置で手足がぐるぐるに巻かれている。
「将軍が、あなたの義兄上が―――!」
「お義兄様が?」
狭隘な峡谷での、出くわし様の乱戦だったという。
一対一の決闘ではなく、少人数での戦闘で
「誰に、やられたというの?」
へたへたと気を失った女官を抱きかかえつつ、暁蕾は問うた。
「それが、その」
「教えなさい」
ダンス教師は暫く言い淀んだが、やがて恐る恐ると口を開いた。
「僕も、その場に居合わせられませんでした。ただ、まだ若い……孺子であったと」
それから、と一つ呼吸を置いて
「剣の柄に、布の様なものを巻いていた、と」
布を巻く事自体は珍しい事ではないが、敢えてここで口にするというのなら
「赤い、花の刺繍を施した薄絹だったと」
数日後、西の大国の前線基地に、一通の招待状が届いた。
宛名も送名もない、その招待状はしかし、奈国の王室しか使えない封緘がしてあった。宛名代わりに黒猫の仮面が一つ。
舞踏会の日時は次の、満月の晩であった。
奈国と西の大国の前線から、僅かに奈国に寄ったところに、その廃城はあった。
北方の建築様式を多分に取り入れた城はしかし、朽ちて既に久しい。
黒白の市松格子の床を叩くか細い靴音に反応して振り買った彼は、そこで言葉を失った。
満月を背に従え、何の感情も宿さぬ顔で歩いてきた、彼女は。
「あなた、剣舞はお出来になって?」
一指しの剣を、こちらに放ってきた。
「姫、俺は」
「出来ないとは言わせないわ」
そう言うが、自らも剣を一指し、ぴたり、とこちらの首筋に突きつけた。
何処か壊れた、それは微笑みと呼んでよいのだろうか、歪んだ表情で小首を傾げる。
「さあ、踊りましょう?」
その誘い文句がこれ以上ない程に似合う月白の襟無正装。
夜風に揺蕩うのは、西の大国ではストロベリーブロンドと呼ぶ赤みが勝った金髪。
結わずに風に遊ばれるが侭になっているのが、逆説的にどんな装飾品より豪奢だ。
ならばもう、言葉を交わす事は無用なのだろう。
がちゃん、と吊っていた剣帯をその場に落とすと、片手で構えた。
一瞬の静寂。
そして、二人きりの舞踏会が始まった。
白に灰味がかった銀色と、僅かに青を混ぜた、月の光そのもののドレスがふわりと揺れる。
長く裾を引く代わりに、幾重にも腰から足にかけて重ねたレースは一つ一つが花びらの形。
抽綉と拉綉で極限まで軽やかさを生み出したレースが、暁蕾の動きに合わせて風を孕む。
腕の下を掻い潜って横に薙ぎ払い、手首を返して次の一太刀を受ける。
剣を弾き返す反動で後ろにステップ。
突き込まれるひと振り、膝を落として避ける。
ドレスの裾が床を擦り、それこそ花の様に広がった。
足首までしか丈のないドレスはその次の瞬間、更に大きく広がって大輪の花となる。
暁蕾が下から上へと大きく切り上げたのだ。
キン、キンと鈴鳴りにも似た小さく澄んだ音が幾重にも重なって響く。
打ち合い始めて、どれほどの時が立っただろう。
暁蕾はいつしか、冷たい高揚に捕らわれていた。
こんな状況になっても、やはり彼は最高の相手だった。
たとえその目に、未だ逡巡が浮かぶとしても。
剣舞はそもそも、互いに傷つけ合う為の物ではない。
ただ、疲労と、哀しみと、何処へも行きつかない歓びだけが、積もっていく。
躱し切れず浅くついた傷が、手足の自由を奪う。
気力より先に、体力の方が限界を迎える。
次が、きっと最後。
それは暗黙の了解であった。
ふうっと息を吐いて両者は正対した。
互いの首筋に、細い剣の切っ先を向け
二人は駆けだした。
劇場主よりご案内
ここで、聊か勝手ではございますが、一度この物語の時を止めます。
「原作」お題小説、ここまで楽しんで頂けましたでしょうか。
さて、原作者の方より結末はご随意にとのお言葉を頂戴しましたので
ここで二つの結末をご用意させて頂きました。
ここで散るのは、一体何でしょうか。
紅い花びらだと思われる方は、このままお進みください。
白い羽だと思われる方は、次の段落を飛ばしてお進みください。
それでは、どうぞ皆様に首尾よくお読み頂けます様に。
以上、劇場主からのご案内でした。
そして散ったのは、紅い花びらだった。
彼の背から、胸へと、駆け抜ける様に。
鏃と似た形の、真っ赤な花びらが、全部で五つ。
確かめようと目を凝らして、次の瞬間灼熱が胸の真ん中を貫いた。
倒れようとして、倒れられない、胸から突き出た何かが、自分の体を支えている。
祐実を持った西の大国の兵が、朽ちた柱の陰から姿を現す。
そして
「招待状をくれないなんて、姫君も水臭いじゃないか」
よく知っている声が、知りたくない言葉を放つ。
お義兄様、と開いたはずの唇からは、大量の血液が零れて落ちる。
秀麗な容姿を西の大国の軍服に包んだ義兄はそんな暁蕾の様子をいつもと同じ甘い眼差しで見降ろす。
「まあ、いいか。どうせ君はここで死ぬんだから」
なぜ、どうして。だらだらと口の端から血と泡が零れ言葉にならない。
「なぜ君が死ぬかって?戦争を終わらせない為だよ!」
かつて義兄と慕ったその男は目を見開き、哄笑した。
「和平が成ろうとしたその先に!慣れない舞踏会までしたっていうのにね!国一番の舞姫が拐わかされて殺されたとしたら、どうだろう!一気に世論は開戦に傾くだろう?そこで私の出番さ!婚約者を殺された悲劇の王子としてね!」
ああ、いつからこの人は狂っていたのだろう。もう、涙も零れない目で、見上げる。
「そして勝利の暁には、私が次の国王だ!あの、土壇場で甘い父上に何度も進言しても届かなかった玉座に、私は座る!」
その前に、と男の手が暁蕾の背に回された。
「これは貰っておこう。婚約者の忘れ形見だ」
血で濡れた蜀葵の領巾を手に取り、恭しく唇を押し当てる。
「さようなら、姫君―――愛していたよ」
そして、かしゃんとその場に剣帯を打ち捨てると
「ああ、大変だ!この国一番の姫君がうち殺されてしまったよ!敵国の孺子に殺されてしまったよ!」
歌うようにして、飛び出していった。
その余韻が完全に消えて、辺りを月の光が満たす。
矢を射かけられて倒れていた彼が、細剣を支えに立ち上がる。もう、残っている命が少ないと、一目でわかる姿だった。
何度も膝をつき、最後は這う様にして、暁蕾に歩み寄る。
「踊ろう」
そっと片手を取られた。冷たい手が、肩甲骨に直に触れる。
背中に翼が映える。二人分の魂を、おそらく何処かへ運んでいく。
もう戻れない所へと踏み出して尚、二人の舞踊は高みに上る。
そこでやっと、涙が出た。
もう、踊れない事が悲しくて、悔しくて。
こんな串刺しの侭じゃ、ステップなんて踏めないじゃない。
「お互いザマないな。それでもいいか?……俺と一曲、踊って頂けますか。姫君」
ええ、踊りましょう。
ずっとずっと、一緒に、踊りましょう。
手を取り合ったまま、意識がすっと溶けていく。
聞き慣れたカウントが、最後にぷつりと放たれる。
8,2,3、go!
「……という、話を考えたんだけどどうかな」
却下。とにべもなく暁蕾は答えた。
「どうして私が土産物の販促の為に死ななきゃいけないのよ。そんなお涙頂戴の話、受けないでしょ」
「わからんぞ。マリス辺りが上手い事脚本を作ってくれたら」
「いや、です。私達は舞踊手なのよ。踊りで見せてなんぼ」
そう言った瞬間、ちゅ、と唇を塞がれて暁蕾は目を見開く。
悪戯っぽく笑ったゲオルギはなおも反論しようとする暁蕾の唇を指で押さえ
「うちの奥方は本当にいい女だ。最高の舞踊手だ」
グルジア国立バレエ団。世界で唯一男性がポアントを履いて踊るカトヴァリアンダンスを正統に受け継ぐ由緒あるカンパニー。
民族衣装を纏っているのは生粋のグルジア人であるゲオルギで、ベール付きの帽子を被っているのは海外からの団員である暁蕾。
公私ともにパートナーであった。
そんな二人が手にしているのは土産物のスノードーム。
職人が手を抜いたのか、踊る二人のはずがぴったりと上半身を密着させた物になっている。
これを売る為にはどうしたらいいのか、という話題になってゲオルギが即興で作ったのが、先程の悲恋物語である。
手放しの褒め言葉に満更でもない表情の暁蕾は夫の手を取った。
「貴方も、結構いいパートナーよ」
ちゅ、と素早い口付けを返し、微笑みかける。
「さ、踊りましょう。この命尽きるまで」
ゲオルギも笑って頷く。
「ああ、踊ろう」
二人は、スポットライトに照らされた舞台へと飛び出していった。
そして散ったのは、白い翼だった。
激突不可避となった瞬間暁蕾は振り被っていた両手から力を抜いた。
剣がすっぽ抜けて、遥か遠く星になりそうな程の軌跡を描く。
それを見届けて淡く微笑んだ。
これでいい。
これで、全てが終わりになる。
ところが、訪れたのは予想もしなかった衝撃だった。
どこか遠くで、かしゃん、かしゃん、と金属の落ちる音が二つ。
鋭い剣での一撃の代わりに鈍くて重たい衝突。
呼吸が詰まる。受け身も取れないままひっくり返って、
「姫!」
明るい鳶色の瞳が必死の表情でこちらを見ている。
「どうして……」
どうして名前を知っているの?
どうして貴方まで剣を捨ててしまったの?
「私、貴方に殺されたかったのに……!」
涙が零れたのを知られたくなくて、顔を覆う。
「お義兄様を殺されて、貴方を許せなくて!でも!もう一度貴方に会いたくて!踊りたくて!でも、そんな自分を許せないから、せめて!」
この一瞬のまま、死んでしまえたら良かったのに。
「俺も、同じだ。あんたに、殺されるべきだと思った」
熱っぽく掠れた声が耳のすぐ傍で響いた。抱き締められているのだと、その時やっと悟る。
あんたの義兄を殺したのは、俺だから。
やはり、と。絶望に心が縫い留められる。
顔を隠していた両手を引き剥がされた。
互いに身動きの取れない状況で、見詰め合う。
「その義兄上が、こちらと通じていたと、したら。あんたはどうする?」
「そちら、と」
「ああ、そうだ。戦争を、終わらせない為に」
そうじゃなきゃ、どうやってこの手紙が俺に届く?
手を引かれ、胸元に導かれる。舞踏会の日に舞踊靴を隠していた隠しに、硬い紙の感触があった。
「俺に、あんたを殺させるつもりだった。あの日も、今日も」
舞踏会のあの日。互いに黒白の仮面を身につけていたけれど。
「その髪も!瞳の色も!知っていた!殺せと言われていたから!」
仮面を外した、二人きりの舞踊。抱き合い、間近に覗き込んだ瞳。
「だけど、どうしたって殺せる?やっと見つけた運命の相手なのに!」
彼は何度も頭を振った。苦しげに表情を歪ませる。
「思い出せ。あんたの友人をあんたから引き剥がしたのは誰だ。舞踏会のパートナーを宛がったのは。誰だ。考えろ。考えろ、ーーー暁蕾!」
暁蕾、と誰も呼ばない名前を呼ばれ、あらゆる箍が弾けた。
「それでも!」
予感はしていた。
愛されていないと。
「それでも、それでも!」
愛していたのだ。
慕っていたのだ。
心から。
無茶苦茶に腕を振り回す。かたい物に腕が当たって、夢中でしがみ付いた。
「それでも、私はやっぱり、貴方を、許せない!」
肺が押し潰されて、呼吸と同時に、声が、涙が、本音が零れた。
咳を切った様に涙が溢れた。その涙ごと押し潰さんばかりに、強く抱き締められる。
「ゆるさなくていい!ゆるさなくていい!」
そう叫んだ彼の目からも、大量の涙が零れていた。
わんわんと大泣きしているのを見ると、やっぱりまだ子供なんだ、と思う。
「ゆるさなくていいから、もう一度俺と踊ってくれ!」
陽気な音楽が、辻の酒場で流れている。
旅の途中なのか、仕事終わりなのか、男達は弛緩した様子で酒を酌み交わしている。
歌のうまい誰かが大きな声で歌い出して、女がひらりと卓の上に飛び乗った。
明るい紅色の髪が光を浴びて弾け
「ああ、もう。下手糞!体幹がブレブレじゃない!」
その様子を建物の外から苛立たし気に見守る者があった。
頭陀袋みたいな外套の頭巾を目深に被った旅装である。
「踊りたくってしょうがないって顔だな。―――暁蕾?」
「踊らないわ。でも、私の真似をするならもう少し上手に踊って貰わないと困ります」
憤懣やるかたない表情の暁蕾に、夫はははっと楽しげに笑う。
「そう言ってくれるな。酒場の余興だろ」
顔の上に庇を作り、踊る女の姿を認める。今度はにやり、と笑った。
「すっかり紅の髪の舞姫は有名になったものだ」
二人きりの舞踏会が中座され、二人はこれからの、二つの国の事を真剣に話し合った。
二人の立場上、性格上、手に手を取って逃げ出す事はできなかった。
踊りは、逃げる為の口上ではないと知っていたから。
暁蕾は北の異国へと遊学し、そこで様々なものを見聞きした。
彼は西の大国に残り地方の感覚を肌で感じた。
そして共に辿り着いた『大国不要論』
そこからが、二人の本当の戦いだった。
踊りが得意なだけで取り得のなかった奈国第六王女は外交官としてあらゆる力を駆使して戦争を封じ込め
祖国を失った傭兵団の一員に過ぎなかった彼は傭兵団の団長として戦果を上げつつ、同時に新しい物の考え方を広め
それは、満開の花の下を歩み、渡り鳥の鳴く空を見上げる様な、生易しい物ではなかった。
泥の中に這い蹲っても猶頭を上げ、小さな格子窓から重たい鈍色の空を見上げ。
互いに触れあう事も許されず。想いを交わす事さえ封じられて。
それでも立ち続けることが出来たのは彼の日の、約束があったからだ。
十数年に渡る長い年月をかけて、二つの大きな国は大きな一つの緩やかな連邦へと姿を変えた。
自治を失っていた各地方は主権を回復し、それぞれの文化を取り戻した。
その象徴が、常に最前線に赴き、時に舞で、時に言葉で、仲間を鼓舞し続けた紅の髪の舞姫。
傭兵のながら鮮烈な戦法で、軍師にまで上り詰めた男。
二人はやっと役目を終えて、ただの一組の舞踊手夫婦として夫の故郷へと、帰れるのだ。
ゲオルギ、と暁蕾は甘やかに夫に呼び掛けた。
思えばその名を知ったのさえ、関係性を得てから随分経ってから。
「ねえ、踊りましょう?」
「いいけれど、その腹で踊れるのか?」
皮肉屋の割に、心配性で情に厚いと知れたのも随分後の事である。
あら、と暁蕾は微笑んだ。
夫の手を取りふわりと体を揺らす。
この十数年の代償として暁蕾の金紅色の髪は短く切り落とされ、ゲオルギの片眼は古びた布で封じられて久しい。
それでも、何の遠慮もなく互いに触れて、こうして体を揺らしているだけでも十分幸せだ。
ああ、とゲオルギも笑い返す。
繋いだ手の先に、高い峰を持つ青い山が見えた。
猛禽が空高く旋回し、地には蜀葵が色鮮やかに咲き誇る。
山が最も美しい、夏の季節を迎えるのは、もう間もなくだ。
原作:原作者はp-manさんです(編集者注)
○世界観としては中世ヨーロッパをイメージ
○とある大陸にA国とB国という覇権を争う大国があった。A国は文化の中心地・商都として栄えていた。軍事力はB国には劣っていたがそれを外交や政治的駆け引きでカバーしていた。反対にB国は武を重んじ質実剛健を国是としていた。生活は質素。
長年ライバル関係にあり、衝突を繰り返してきた両国だったが、さすがに両国とも疲弊し、ついに和平を結んだ。その記念行事の一環としてA国で壮大な仮面舞踏会か開かれた。当然B国の王族や貴族達・有力商人も大勢招かれたが、フロアで踊っているのはA国人ばかり。B国人はその洗練された優雅な舞に圧倒されて誰も踊れなかった。(B国人は劣等感を抱いていた)
壮麗な舞踏フロアにあって一際美しい存在がA国の王女(国内随一のダンスの名手)。圧倒的な存在感。王女はB国人を嫌っていて、見下していた。粗野で野蛮な人々だと。
フロアに降りて来るがA国人ですら相手に名乗り出る者はいなかった。過去、幾人もの男達が相手を務めたが、王女と満足に踊れる者は誰もいなかった。
一人のB国人の男が名乗り出る。
二人の舞踏にフロア全体が魅了される。しかし最も心を奪われたのは当人達だった。喝采の中姿を消す男。
王女はもう一度男と逢って踊りたいと強く願うが素性は分からなかった。
そんな中、和平を快く思わないA国・B国の主戦派は国境付近で紛争を起こす。戦火は拡大し、王女の義兄も命を落とす。(王女が慕っていた人物)
王女の舞踏の師は過去、B国にいたことがありその中で一人、センスと才能を持った少年がいたという言葉がきっかけで、ついにその少年が件の男だと知る。義兄を討ち取ったのもその男であることも。
様々な葛藤を抱えつつ王女は2人だけのダンスパーティーの招待状を送る。
とある廃城でラストダンスが始まる。(男は、仮面舞踏会の時に実は王女を殺そうとしていたことを告白する。男の家族は戦争でA国人に殺されていた)
○設定は自由に変更してもらってOKです。むしろどんどん変えてもらった方が、楽しみが増します。
○ラストは執筆者様にお任せします。