さあ開店だ
そろそろ時刻は九時半を回り、公園を訪れる人影も次第に増えてきた。
モトベさんは既に屋台の暖簾を出しており、わたしたちも続く頃合いだ。
「い、い、い、いらっしゃいませ!」
緊張したわたしはどもりながら声を張り上げた。
何人かはそれをちらりと眺めたが、よっては来ないのでどこか恥ずかしい。
「あっはっは」
「笑わないでくださいよ」
「誰でも最初はそういうもんよ」
わたしの様子にモトベさんは堪えきれない笑いを溢した。
「でもひとつだけアドバイスだ。自分から『来て下さい』と張り切ってアピールするのは止めておけ」
「鬱陶しいからですか?」
「それも無くはないが理由は別だ。俺っちはもう顔馴染みだが、お嬢ちゃんらは新顔だろ? 知らないヤツが客引きをやっていたら、お嬢ちゃんならどう思うって話だ」
言われてみればたしかにそうだ。
知らない女が公園で声かけなど、怪しいお店のように見えてしまうだろう。
仮にこれが建家の店舗ならば大看板がフォローしてくれそうだが、今のわたしたちはカート一台の流れ者である。そう言う目で見られるのはしゃくだが、いわゆるたちんぼと認識されかねない。
「幸い俺っちも一緒なんだ。お互い持ちつ持たれずで行こじゃねえか」
「そうですね。あまりに客が来ないようならお手伝いしますよ」
「その時はよろしく頼むわ」
この時のわたしには冗談半分の他愛のないやり取りだった。
だが、不運にも悪い冗談は当たってしまう。
十時を過ぎてモトベガレットに並ぶ人が次第に増えていき、段々と列が形成されていく。常に三人ほどが出来上がりを待つ状態で、モトベさんは忙しそうにガレットを焼き上げていた。
一方でわたしたちトスカーナには客が来ない。いや、正確には物珍しさで客がパンを見に来るが、「これならガレットでいいや」と言わんばかりに隣に行ってしまう。
味ではひけをとらないと思っているし、値段で言えばパンの方が安い。それでも客はガレットを選んでいく。
「すなないが、ちょっと会計だけ頼む」
とうとうさばききれなくなった客を処理するために、モトベさんはわたしの手を求めた。
少しの間だけだと店番をヨハネに任せて、わたしは二十分ばかしモトベガレットの店先に立つ。
後で聞くと一度に十人前を注文した客がいたらしく、モトベさんはどうしてもという気持ちで頼んだそうだ。
「助かったよ。すまなかったな」
件の大量注文がはけて客の流れが止まったところで、自分の店に戻るわたしにモトベさんは頭を下げた。
「構いませんよ。こっちは閑古鳥でしたし」
「そうか。まだ売れていないのか」
モトベさんは先日の味見でわたしたちのパンを誉めていただけに、少し残念そうに肩を落としたのだが、そこに先ほどまで店番をしていたヨハネが割り込んだ。
「いや。言いそびれていたけれど、さっき一個ずつ売れたよ」
「そうなの?」
「若い男女のカップルが買っていったよ」
「いつの間に」
「良かったじゃねえか。ま、味は俺っちも太鼓判を押すほどだから、後は周知さえされればいずれ売れるさ」
「はい」
とりあえず、ヨハネが受け取った五百ルート硬貨がどこか輝かしい。
ヨハネに頼んで、この硬貨は大事に取っておくことにわたしは決めた。
「まあ、最初はこんなもんさ」
そして夕方の四時を回り、そろそろ公園の人気も減り始めた。
休憩後はモトベガレットでもパンの試食を行うようにして味の周知に勤めた結果、いちご大福パンに限ればめでたく完売することができた。
といっても、そのうち五個は試食に使ったので売り上げは十五個だけ。しかも初恋の味とシホウクロワッサンは十個以上売れ残ったので、トータルでは赤字で終わってしまった。
懸念した通りに初恋の味は酸味の癖で人を選んでしまったようで売り上げが伸び悩んでしまい、シホウクロワッサンについてはシンプル過ぎたがゆえの見映えの悪さが難点になったようだ。
素のままではガレットの皮よりも美味なこれらのパンも、クリームやソースで彩られたガレットが相手では、どうしても格落ちに見えてしまう。
味を付け足したいのなら、買ってからご自由に付ければいい。
そんな考えが甘かったようだ。
「明日もあるんだし、今日のところは山に帰って次の支度をしておきなよ。まあ俺っちも肩入れした手前、ちょっと考えがある。だから売れ残りは俺っちに全部寄越しな。金は出すから」
モトベさんはそんな売れ残ったパンをすべて買い取ると言い出した。
わたしは少しだけその言葉に甘えかけるが、彼が言う「考え」に打開のヒントがあるのではないかと感じとる。久々に胸のペンダントが熱くなって女の勘が冴えた。
「パンは差し上げますが、お金は結構です」
「馬鹿か? 俺っちは客としてパンを買うと言っているんだ。たとえ不本意でも、打算もなくタダでくれてやるだなんて甘いことを言うんじゃねえ」
「そう言うつもりではありませんよ。モトベさんが言った『考え』とかいうヤツのアイデア料代わりです」
最初はタダで良いと言ったわたしをモトベさんは叱るが、それに対してのわたしの切り返しに、彼は呆気にとられた表情になる。
それをすぐに持ち直すと、彼は急に笑い出す。
「ククク、そう来たか。意外と太いじゃないか、お嬢ちゃん」
「太くないですって」
「そうそう。アマネは結構ガッチリしてますけれど、太くなんかないさ」
「ヨハネもそう言うこといわないの」
「ゴメン。冗談のつもりだったんだけど」
「あっはっは。いいコンビだ。お嬢ちゃんに甘えて残ったパンは貰っていくから、明日の取って置きを楽しみにしててくれ」
「それではわたしも期待して、持ってくるパンの数を増やしますよ」
「おう。任せておけ」
五時になり、売れ残ったパンをモトベさんに渡したわたしたちはホームに帰った。
明日は今日の手応えとモトベさんの考えに賭けて、持ち込むパンを増やそう。
そうなると焼成回数も増えるので、起きる時間も早くなるし仕込みの量も増える。
準備を整えて眠りについたのは夜の十一時。ゆっくりとお風呂に入る時間が無かったので、わたしの体は少しだけ汗臭かった。




