悪役令嬢に転生したけど、ヒロインがドジすぎてどうすればいいか分からない
どういう経緯で前世を終えたかは未だに思い出せないけれど、とにかく今の私は乙女ゲームの悪役令嬢として生きている。たしかゲームタイトルは「花乙女のしずく」とかだったような?
物心付いた頃には今の私の中にうっすらと「前世の私」が根を張っていて、18歳で迎える学園の卒業式典での断罪イベントを全力で回避しなくてはならないと理解していた。
ヒロインがどの攻略対象を選んでも悪役令嬢は不動で私であって、断罪イベントが始まってしまえば良くて修道院行き、悪ければ当たり前のようにギロチン行きになってしまう。
だと言うのにゲームの強制力が半端ない。
攻略対象の王太子殿下との婚約を、不敬を承知で回避しようとしたのに無事!婚約!
ならばとせめて側近達(もちろん攻略対象)との好感度を上げるように行動発言しても、無事!嫌われる!
んん? じゃあ元々の設定では得意だったことはどうなる、と試した行儀・勉学・ダンス・刺繍に励んだところ、尋常ではないペースでめきめきと上達してチートレベルになった。
ハンカチの全面に名画の模写のような華麗過ぎる刺繍を施し、殿下へ差し上げたところ「確かに圧倒的技術で素晴らしい出来だが、これでどうやって汗を拭えば良いのだ……」とドン引きされた。
さすが殿下、非の打ち所の無いツッコミである。
ところが、だ。
これだけゲームの強制力に抗っている私をあざ笑うかのように、ヒロインが最終学年で転入してきて強制力をぶち破り続けた。
最終学年が始まるその日、学園の門前でヒロインと王太子殿下が出会うゲーム開始時のイベントから歯車が狂い始める。
ヒロインが現れない!
強制力が働くせいか殿下は理由も無く門前でぼーっと立ち尽くしていたのだが、30分後に遅刻したヒロインがやって来て、シナリオにはないはずなのに、足元には何もないのに、殿下の目前でつまずいて顔面から見事に転んだ。
それでも紳士の教育をしっかりと受けた殿下は頑張りました。
私が差し上げた全面刺繍のハンカチで、そっとヒロインの顔面からの出血を抑えようとする。
しかし。
起き上がったヒロインは全力でその場から脱兎の如く逃げ出したのだ。
イベントは発生しなかった。
とにかく一事が万事その調子で、まともにイベントが発生やら達成されない。
それなのに無情にもこの日が来てしまったのだ……卒業式典である。
とりあえずなんとかヒロインと攻略対象は顔見知りからお友達付き合いを経て、なんとなーくいい感じ? くらいの距離感にはなった。
しかし誰からも愛されるアイドルのような存在というよりは、世話しないと死に突き進みそうなペットを保護しているかのような関係のようにも見えなくもない。
ちなみに私もあらゆる努力をして状況を変えようとしたが、悲しいことに私を取り巻く環境は元のゲームでの設定通りに進んでいる。
「ハオルチア公爵令嬢トルンカータ、この場で今一度あなたとの婚約破棄について話そうではないか」
それは、殿下にしては自信を感じられない声で、言っている事の重大さの割に迷える子羊みたいな視線で始まった。
もちろん殿下のすぐ横にはヒロインである伯爵令嬢が立っているわけだが、やはりこの子も親とはぐれた子猫みたいな目つきである。
あえて私は一切の感情を含ませない、それでいて冷たくは感じなさそうな声色で返す。
「殿下がわたくしに対して好意を抱いていらっしゃらないことは重々承知しております。しかし、この婚約は元々感情を抜きにした政略的な意図で組まれたものです。なぜ、婚約破棄を望まれるのでしょうか?」
声色は十分にコントロールできているはずだ。
でも、きっと私は達観し過ぎて菩薩のような表情になっているに違いない。
「そ、そうだな。あなたはこちらのエケベリア伯爵令嬢イリアに苛烈な嫌がらせをしている……はずだ。先週彼女を階段から突き落としていたではないか」
私が答える前に、次期宰相と噂される銀髪メガネの冷徹攻略対象が横から殿下へ真実を伝える。
「殿下、確かにトルンカータ様は階段にいらっしゃいました。しかし、廊下からスキップをしていたイリア様が階段に気付かずそのまま足を踏み出してしまっただけなのです」
「スキップ」
殿下も含め、イリアを知る卒業生は皆、あり得ない事ではないなと素直に納得する。
「あー……うむ、では一月ほど前の夜会でイリアのドレスにワインを掛けただろう。しかもその後イリアに有無を言わせず無理やり会場から退場させたではないか?」
銀髪メガネは真実を伝える。
「殿下、イリア様がご機嫌でワインを片手に移動していたところ、トルンカータ様にぶつかりそうになって焦ったせいか自身のドレスの裾を踏み、バランスを崩して手に持っていたワインを零しただけです」
本来は冷徹なはずなのに眉根を下げながら続ける。
「さらに混乱したイリア様はドレスを拭く為に……その、胸に詰めていたタオルを取り出そうとしたので、トルンカータ様が止めてご自宅へ帰るように諭したのです」
あの時はさすがの私も焦ったわ、実際に彼女は胸に手を突っ込んでいたしね。
でもとても形の良い胸だとずっと思っていたから、まさか詰め物をしていたとは思っていなかった。どう詰めているのか彼女の側仕えに聞いて私も実践してみたいと少し思ったりもした。
私は一言も殿下の断罪に答えることなく、かつて冷徹だった宰相候補が殿下に真実を伝えていくこと数回。
というか、殿下も全部その場にいたのだから知っているはずでは?
この問答自体もゲームの強制力に支配されているのかもしれないわね。
「殿下、おっしゃっていただいたことは全てイリア様ご自身が引き起こしたことであり、わたくしは一切嫌がらせなどしておりません。それは殿下ご自身がお分かりのはずです。しかし」
どのように続けるべきか、少し迷ってしまう。
だって、ずっと修道院やギロチンを避けるために努力を続けてきた。
王妃教育も、勉学も、ダンスも。十年以上手を抜かずに、殿下の后にふさわしい女性となるために。
でも殿下は一向に私を信用してくれないし、側近達もずっと私を嫌ってきた。
この努力が無駄になるくらいなら、ヒロインが登場してこの断罪イベントを迎える際には開き直って悪役令嬢を貫くのもいいのかもしれないと、いつの頃からか思い始めた。
断罪イベントが始まった時に、最後まで運命に抗うか、それとも悪役令嬢を極めるかを選ぼう。
ヒロインが転入してくる日の朝にそう決めていた。
だけど、いくらヒロインがドジを踏んで怪我をしまくっても、結局殿下は。
「殿下はイリア様を愛していらっしゃるのですね。だから、わたくしとの婚約を破棄したいのでしょう?」
その問いに、迷える子羊の目つきは消え去り、強い意思をはらんだ強い獣のような瞳に変え。
「そうだ、私はイリアを愛している。側に居て私を癒してほしいと思う女性はイリアなのだ。すまない、トルンカータ……」
貴方の心を癒してくれるかもしれない、でも彼女はこの先もずっと生傷を自分で作り続けるでしょう。
ちょっと王妃になるには荷が重過ぎるというか彼女が脆すぎるというか。
きっと国王陛下はもちろん他の貴族達や、ここにいる卒業生すらそれが一番心配に違いない。
「提案がございます。イリア様は殿下を癒すことはできるでしょう。しかし……殿下もここにおります卒業生一同もしっかり理解しているはずです。イリア様を王妃にするのはあまりに、物理的に危険です」
だってこんな危険人物、自分で怪我するだけならともかくどこかの王様に突っ込んで怪我させるかもしれないし、国宝にスライディングして粉砕してしまう可能性だってある。
「やはり、わたくしを正妃にするべきです。イリア様には側妃になっていただきましょう。わたくしは子を産まなくて構わないので、夜はイリア様だけを大切にして頂ければそれで良いのです」
そう、私がほしいのはただ一つ。
「十年間の王妃教育が無駄にならなければ、他のことはもう構いません。対外的なことはすべてわたくしがいたしますので、イリア様にこれから教育を詰め込む必要もなく、殿下はイリア様と好きなだけ愛し合えるのです。いかがでしょうか?」
殿下が私の提案に答える前に、卒業式典の参加者の多くが拍手を送る。
やはりイリア様は王妃にするには色んな意味で危険だと、皆が思っているんだ……
「そ、そうだな。そうしよう、それがいい」
そうしてなんとなく円満に断罪イベントは終了し、再開した式典は恙なく行われた。
私は最後まで菩薩のような表情を崩すことがなかったが、イリア様だけは親とはぐれた子猫の表情のままだった。
というか彼女は一言も話していない。
式典が終了し、殿下に連れられてイリア様と私は休憩室で紅茶を飲みながら今後について軽く話し合うこととなった。殿下は席につく前に陛下に報告しに行く、とすぐに部屋を出て行った。
イリア様は不安げな顔で私に問いかける。
「あの、トルンカータ様、ちょっと確認したいのですが……もしかして転生者でいらっしゃいますか?」
んん! 可能性はなくは無いと思っていたけれど、ヒロインも転生者だったのか!
「イリア様もだったのですね、嬉しいです。このゲームのタイトルって」
「花乙女のしずくでしたっけ?」「咲かない蕾~わたしをひらいて~」
えっ!?
「えっえっ? あの、えっちぃゲームですよね……?」
「いやいやいや、普通の乙女ゲームでしょ、全然違うでしょ、対象年齢的な意味でも」
「はぁーなるほど……どうりで、登場キャラクターの名前とか設定が思っていたのと違うわけですね。全然えっちぃシーンにならないし、おかしいなってずっと思ってたんです」
いや、貴女がドジ踏みまくってフラグをバキバキに折ったからキスのイベントすら発生しなかっただけであって。
このヒロイン、ドジ過ぎてどうすればいいのか分からない……
ひとまず殿下が戻ってきたら、彼女に用意する部屋の調度品のすべての角と言う角には柔らかい布とか貼って保護して貰うように提案しよう。
ヒロインは王太子のことを好きになっていないのですが、そのことを周りに伝えることをうっかりと忘れたため、その後流されるままに側妃になっちゃいました。