気持ち
早朝、誰も起きていない時間帯に私は巫女の服装に着替えており、そんな私の胸元には殿の巫女であることを示す『五体に竜』の印がある。このせいで私の今後の人生は、すべて無になってしまうのだ。だがこれは、この里では当たり前のこと、だからその運命を潔く受け入れなければならないのだ。
ただ一つ心残りがあるとすれば......昨日の二人の様子だ。
多分気づいているのだろう......殿の巫女について。
着替えが終わったので家を出ようとして玄関に向かうと、そこには......。
「父さん、母さん、兄さん......どうしてこんなところに......」
家族みんなが私を見送りに来ていたのだ。
私がいつもよりも早く起きたのは、家族に会うのが嫌だったからだ。それは嫌いの意味ではなく......大好きだからこそ会いたくなかったのだ。会ってしまったらこの気持ちを抑えきれないかもしれないから。
何とかその気持ちを押さえていると、家族を代表して兄さんが、
「そんなの当たり前だろ......俺達は家族なんだ。たった一人で家を出す訳ないだろ」
私は涙が出ないように一度を目を瞑って上を向く。
瞼の裏を、幼い日の記憶が次から次へとまるで行列を成しているかのように過ぎ去っていく。
そしてそれがつい最近のことになり始めたところで、私は目を開いて家族全員に頭を下げた。
「今までお世話になりました。どうか......この里をお守りください」
その言葉と共に母さんが泣き崩れた。
「ごめんなさい、エレナ。私が......その印を、付けて生んでしまって......」
「すまない、エレナ。俺のせいで、また......」
そんな母さんの肩を抱きながら父さんが、まるで過去に何かあったかのように懺悔していた。
「父さん。俺が門の入り口までエレナを送っていくよ」
「......あぁ頼んだ」
兄さんの問いかけに、父さんが辛そうにそう答えた。
「いくぞエレナ」
そう言って歩き出したので私は再度父さんと母さんに会釈をして、兄さんに付いて行った。
「すまないエレナ。俺に力が......竜神をどうにかできる力があれば......」
門まで数分しか掛からない間に兄さんが、手から血がにじみ出そうなくらい力を入れて、悔しそうにそして悲しそうにして言った。
「ううん、いいの。今までこれが当たり前だっただろうし。それに......」
そこで一旦、首に掛けている彼が渡してくれたお守りを触り、それから勇気を貰うことにしたのだ。
「私は一人じゃないから、だからそんな悲しい顔をしないで」
「......そうか」
その後、無言のまま門まで歩いて行った。
そして門に到着する直前に私は兄さんの方に向き直り、
「兄さん、今まで......お世話になりました。父と母のこと......よろしくお願いします」
そこで今まで我慢していた......そしてここ数年流さなかったはずの涙が溢れ出してしまった。
何とかして止めようと思った.......だが、どうしても止めることができない......これが私の本心......死にたくない。
兄さんを見ると私同様涙を数年ぶりの涙を流しており、私に近づくと肩を抱いた。
「すまない......エレナ。お前を守る力がなくて......」
私もそれに倣い兄さんの肩を抱いた。
「いいの......その気持ちだけで、十分だから......」
その時、幼い日に喧嘩をして二人そろって両親に叱られて、泣いてしまった記憶を思い出した。
もうあの頃のようには戻れない......でも、なぜか不思議と安心感が胸をよぎった。
その後、兄さんが帰った後に兵士さんに連れられ、竜の寝床に向かった。
「到着しました。ここが竜の寝床です」
そこは入り口が言葉では言い表せないほど巨大な洞窟である。
「ここまでありがとうございました。気を付けてお帰りください」
私の言葉に兵士さんは、何かを堪えている様子をしており、その時になって初めてその人物が誰であるかを理解した。
「もしかして......ルナのお父さんですか?」
「......いやはやバレってしまったか」
初めの方は真顔だったのだが、すぐにバツの悪そうな顔すると自身の正体を認めていた。
その人物は私の親友であるルナの父親だったのだ。たしかに彼女の父親が兵士の仕事をしているとは聞いたことはあるし、実際にこの人本人とも何度か話したことがあるのだが、まさかこの場所に連れてきてくれたのだが彼だったとは......たしかこの周囲はそれなりの実力者じゃないと危険なはず、だがこの人が戦っている様子を一度も見たことがない気がする......。
「一応親方様と若とレイラさんの次の実力を持っているからねあっ、別に自慢しているわけじゃないよ、だから若に今回のことを任されたんだ」
どうやら顔に出ていたのか、少しおどおどしながらも私の疑問に答えてくれた。
「あっこちらこそすみません、私もそういうつもりではなかったんですが、つい......」
「いや気にしなくてもいいよ、大体に人からそう言われているからね」
そのことを少し気にしているような感じで答えていたが、私にはこの人にだけしか頼めないあることを頼もうと思った。
「あの、ルナに一言伝えてもらってもいいですか」
すると彼の雰囲気が一瞬で変わる。
「......ホントはあの子に君が今日出発するということを伝えようと思ったんだがね......もしそれを伝えたらルナのことだ、君を誘拐してでも行かせないとするだろうからね」
たしかに彼女はここ最近、そのことについて何度も効いてきた。それは私の心配だってことは百も承知だ、だからそのことは詳しく話さなかったのだ。それは彼は言う理由と同じ理由だからだ。
「分かった、あの子に伝える。それで何と伝えるんだね?」
「『ルナ、私の親友でいてくれてありがとう。最後に一つだけ言わせて......五年前あなたが食べようとしていたクッキーを食べたのは私です。なのでごめんなさい』これを伝えてください」
「あぁ分かった......だからあの子あの時怒っていたのか」
彼が何か言っていたが私にはあまり聞こえなかったのだ。この話は事実だが、これを今言った理由は恐怖心を押さえるため......ただそれだけだ。もちろんルナには感謝している、だから会ってこのことを自分の口で言いたかった......でもそんな日はもう来ない......なぜなら......。
「そろそろ時間なので、私は行きます。ルナへの伝言、よろしくお願いします」
「あぁ、必ずあの子に伝えることを約束するよ」
彼は顔を苦痛に歪ませているようだったが、一礼するとそのまま元来た道を戻っていった。
その姿が見えなくなるまで私はその場に立ってたいのだが、完全に見えなくなったとこで本来の役目である殿の巫女のことを思い出し、竜の寝床に足を踏み入れることにした。
洞窟の中はひんやりとしており、時折風が吹いている音がしたり、天井から水滴が落ちる音が聞こえてくる。
今私は、彼に渡された地図を取り出している。
なんでもこの竜の寝床は何本かの道が存在しており、その中の数本ほどが竜神のいる場所に繋がっているそうだ。
私は手持ちの松明の明かりを頼りに、その地図を見ながら中に進んで行くと、次第にあることに気が付き始めた。
初めは自身の足の音しか聞こえなかったが、だんだん奥に進むにつれて何か寝息のような音が聞こえてくるのだ。
そして洞窟の一番奥まった場所に着くと同時に、寝息の正体を理解した。
そこには一匹の赤黒い巨大な竜がいた。
以前一度だけ、たまたま空を飛ぶ白竜神様を見たことがあったのだが、それよりもさらに大きかった。
兄さんが言っていた理由が初めて分かった。
「こんなの......勝てるわけがない」
私の声が聞こえたのか、竜神が目を覚ましてこちらを睨むかのように見る。
その瞳は血のように赤く、胸元にはその体に見合った大きさの黒い宝石のようなものがあった埋め込まれていた。
そして地響きを鳴らしながら、次第に竜神がこちらに近づいてくる。
私は震えを抑えるためにあのネックレスを手で握り締めた。
この時、なぜか家族のことではなく、彼、ユウトさんのこと思い浮かべた。
彼は不思議な人だった。いつもは親しい人以外とはあまりといよりも全然話さない兄さんが、彼と話す時だけは家族にも使わないような口調で時々話していたからだ。遠くから見ていたから分かる......ユウトさんと兄さんはどこか似ている、そんなことに。それを何となく感じていたのだろう、だから兄さんも対抗するかのようにしていたのだ。
私はそんな二人の言い合いを見ていてとても楽しかった。ユウトさんが来る前まではその日か来ることに絶望を感じていたからだ。だが彼が来てからそんな気持ちもどこかに行ったかのように感じてしまった。
暗闇の中の、たった一筋の光......周囲も見えない状況の中、誰だっでその光に縋ろうとする......私にとってユウトさんは、そういう存在だったのだろう。
だからあの日助けてもらって以降、時々里の中を案内するつもりで彼と一緒にいたかったのだ......彼なら私を救ってくれる......そう信じて。
これが『恋』であるかどうかは、私には分からない......まだ一度もそのような経験をしたことがないから......でもそうであってほしいとは思った......私の初恋を彼に捧げたかったのだ......だけどもうそんな日は来ないだろう......なぜなら、竜神が私の目と鼻の先の距離まで近づいていたからだ。
もう一度......最後にもう一度だけ願いが叶うのなら......彼に会いたい......。
「ユウトさん......」
彼の名を呟くと同時に私は目を閉じた。
しかし暫くたっても竜神に襲われない、それに地響きも止んでいたのにも気が付いた。
私は不思議に思い、恐る恐る閉じていた目を開くとそこには......。
「すまないエレナ、遅くなった」
たった今、名前を呼んだ彼......ユウトさんがそこにいたのだ。




