代償
「きちぃー」
今日俺は、風邪をひいて学校を休んでいるおり、そのせいでベットに横になるはめになったのだ。
「くそー、今日も薫とアニメ見る約束してたのに」
俺と薫は昨日の放課後、明日彼の家でアニメを見る約束をしていたのだ。それは、いつもの習慣であった......だが、それは今日をもって終了することを、この時の俺は夢にも思わなかっただろう。
「これじゃあダメだな。後で薫に電話しとくか」
そんなこと言っていると、突然ドアが開いて母さんが入ってきた。
「ちょっと母さんノックぐらいしてよ、びっくりするから」
俺の文句を無視して、母さんは真剣な顔で俺の目を見ながら、
「悠斗。今から言うことを落ち着いて聞きなさい」
「え? なにを?」
いつもののんびりとしている様子ではなく、初めて見るような母さんの表情に俺は、何気なしにそう訊き返したのだが、
「いいから!」
そんな俺の質問に答えず、母さんは突然怒鳴り声を上げて場の雰囲気を引き締めたのだ。そして久しぶりに聞く母さんの怒鳴り声にびっくりした俺は、すぐに姿勢を正す。
それを確認した母さんは、先ほどとは打って変わって少しの静けさを残すかのように、
「あんたと仲の良い薫君って子いるでしょ?」
突然薫の名前が出てきたので俺一瞬眉を顰める。
なんで薫が出てくるんだ? そう思いながら肯定することにしたのだが、
「うん、いるけど......それがどうしたの?」
それを聞いた母さんは、悲しそうな顔をしながら、
「今日その薫君が......亡くなったそうよ」
「......えっ?」
俺はその時、その言葉の意味を理解することができなかった......だが、一つだけ確信したことがある......それは......。
これから一生......薫と遊ぶことも......話すこともできない......ただ、それだけを......。
「お悔やみ申し上げます」
母さんがそんなことを言っているが、俺の耳には届いていなかった。
今俺は、薫の通夜に来ており、母さんはそれを言い終えると、俺から離れてどこかに行ってしまったようだ。
俺は、呆然と通夜の参列者の流れを見ている。
すべての人が黒い服を着ている......何も見出すことのできない色......そんなことを考えている時だった。
「悠斗君よね。久しぶり、薫の母です」
絶対に顔を合わせることができない人が尋ねてきた。
その声に俺は顔を上げようとしたが、上げれるはずがない......どの面で彼女を見ればいいのか分からなかったからだ。
そんな俺の様子を見て悲しんでいると思ったのか、彼女は涙を流し始める。
「悠斗君、ありがとうね、薫のために悲しんでくれて......」
たしかに悲しい......でもそれ以上に、俺は......薫に対して何もできなかった自分自身が憎かったのだ。
薫の死因は持病だった......だが、普通に生活する分では問題ないそうだ......そうだ、普通じゃなかったのだ。
聞いた話では、あの日薫はいつものようにあいつらからいじめを受けていたそうだ。そのことに周囲にいた奴らも気づいていたのだ、だがそいつらはそのあいつらのことを恐れ、何もしなかったのだ......あの時の俺のように......。
だがその時の、あいつらの中でリーダーをしている奴の機嫌が悪かったのか、いつも以上に薫に対して暴言を吐き、その勢いで薫を殴ってしまったらしい。
しかし殴られた薫が一向に起き上がらない。それを見てあいつらは慌て始め、そこに通り掛かった先生がその状況に気が付き、急いで薫の脈を取ったらしいのだが......その時には、薫はもう......。
「あの子も悠斗君みたいないい友達を持って幸せだったのよ。あの子いつも食卓で悠斗君のことを話してたから。『悠斗は俺の親友だ』ってね」
彼女の純粋な言葉が、俺の心は抉り取っていく。だが俺は何も言わない......なぜなら、それに耐える責務があるからだ。
「だからね、悠斗君にはあの子のこと、忘れないでほしいの」
忘れるわけがない......俺の親友であり......俺のせいで死んでしまった人のことを......。
「そうしてくれたら......多分あの子も報われると思うの」
そう言って少し頭を下げると彼女は、自身の息子である彼の通夜に戻って行った。
取り残された俺は、なんとなく空を見上げることにしたのだ。
だがそこには、厚い雲が空全体を覆っている風景しかない。
まるで俺の心を体現しているかのような、厚く酷い色をした黒い雲だ。
次第にぽつぽつと地面に黒点ができて雨が降り始めたが、俺は野晒しのかかしのように何の抵抗もせずに佇んだ。
急な雨に通夜の参列者達が濡れないように走って行く......その光景が、映画のワンシーンのように見えると同時に、それはまるで出会いと別れの速さを体現している、そんな風に俺には感じたのだ。
雨の中......俺だけが、取り残されている。
そんな俺のことに彼らも気が付いている様子だ......だが、誰も声を掛けようとする者はいない......それはまるでつい最近までの、俺のようであった。
それを認めたくなくて、俺は目を瞑ることにした。
すると脳内に薫に助けてもらい、それがきっかけで仲良くなり、つい最近まで遊んでいた記憶が、写真のように一枚一枚嵐の如く過ぎ去っていく......それはまるで、何かを思い出させるかのように。
そしてそんな中に、彼女との大切な約束や、あの日逃げてしまった時の薫のことが、まるで隕石のように俺の心に飛来する......それはまるで、自分のしたことを認めさせるようかに。
そして空も薫の死を嘆き悲しんでいるかのように......そして俺の行いに対して怒っているかのように、雨はその勢いを増す。
前髪から雨の雫が一滴一滴と落ちていく、それに倣って体温も下がる感じがしてきた。
それでも俺は何もできなかった......この雨にも......薫に降りかっかていた理不尽にも......。
しかし数分した後、急に雨が止んだのを確認した俺は、薫の通夜に戻ることにしたのだ。
そんな俺の状態を見て、母さんは一瞬心配した様子をしたが、何も言わずにタオルと着替えを用意してくれた。
その後俺も通夜に参加し、喋らなくなった薫と対面した......その時になるまで、なぜ気が付かなかったのか......薫の体は小さかった......俺よりも......。
気が付いたら家にいた。
俺はベットに入り毛布を被り、先ほど見た薫の体を思い出すかのように目を閉じる。
最後に見た薫は、明らかに俺よりも小さく弱く見えたのだ。
俺は記憶の中で、いつも彼が言っていた口癖を思い出す。
『強い人間が弱い人間を守る、そんなの当たり前だろ?』
薫はそれを実際にして俺を救ってくれたのだ......いつしか薫の信条が、俺の信条にもなっていたはずだ......そして今、俺達の立場は逆転していたはずなのに......俺は薫を守らなかったのだ。
「俺は......」
知っていたんだ......薫の苦しみを......その恐怖を。
「俺は......!」
知っていたんだ......このまま続けは......いつかこうなる.......それはあの頃、体験したことだから。
なのに俺は......すべてを知った上で......俺はーー!
「守れなかったじゃないかぁぁぁぁぁ!!」
一番大切な親友を......彼女との約束を......薫と同じ信条を......。
涙が止めどなく流れる......後悔と懺悔の涙だ。
それを言うべき相手は、もうこの世にいない。
俺はそれに気が付くのが遅かった......いや、遅すぎたんだ。
『大切なものは失って初めてその大切さに気が付く』
どこかで聞いたこの言葉、その時の俺はその重要性を知らなかった。
だが俺は、今日それを身に染みて体験したのだ。
大切な親友を失って......。




