雷神の子④
「姿勢は低く保ちなさい」
開けた扉の隙間からそんな声が聞こえてくる。
「常に相手は一人だとは限らないのだから、棒立ちのままではそれらの相手はできない」
見ればその声の主、タチバナさんは木刀を構えており、角度的には見えないがその真向いにセツナがいると推測できる。
二人がいるここは、本堂と渡り廊下で繋がっている別館のような建物だ。床は杉材なのか少しの赤みを帯びており、内装は剣道場のそれに近かった。学校の武道場もこんな雰囲気と匂いがしたようなしなかったような曖昧な記憶が朧げに浮かんだ。
以上のことが、ドアの隙間から得られた情報だ。
仮にそれ以上の情報を欲しいと言うのであれば、入ると言うのが模範解答ではあるけれど、俺はその選択はしない。だから後ろから来る期待の声には応えない、応えれない、応えたくない。
「ちょっと何で入らないんですか」
「ばっかお前。今入りにくい状況なんだよ。だからそんなに押すな」
妙に緊張が走る二人がいるあの場に突入するくらいなら、職員会議中の職員室にノック挨拶無しに入る方がまだマシだ。これは実体験なのでまず間違いない。変な例えをのたまう俺だが、結局のところ言いたいのは、そんなに突入しないならお前が行けや、である。
「ちょっ!?」
「そんなに言うならお前が先行け。でも安心していい、ドアの外から一応見守っていてやるから」
攻守交代、今度は俺はアスナを押す番になる。......おい、ちょっと待て、こいつ全然動かないぞ。えーとなんだけ......そうだ、スターテスだ。違う、ステータスだ。いやどっちだこれ、まあいいや。
ともかく今の俺なら結構数値高いだろ。ワンチャン無限あるかもしれない。でも無限って数値じゃなくて概念なんだよ。以上のことより、俺のステータス無限説は消え失せ、やっぱアスナ最強説が生まれた。
にもかかわらずこいつ、入る気ねえな。ことわざで言うところの、『梃子でも動かない』と『火事場の馬鹿力』を足して割ったものに近い。
「おい、さっさと入れよ。話が進まねえんだよこのままじゃ」
「絶対に嫌です!」
「うお!?」
華麗にすり抜けると、アスナは俺の背に回った。やっぱお前も行きたくないだけかよ。俺と同じじゃん。
「ドアの外にいたのでは二人が認知しないじゃないですか。実質それ、私一人ですよ。そもそも先ほどあれだけ啖呵を切っていたのはユウト様ですよ。何ですかその勢いのなさは」
「それはあれだ、ケースバイケースだ、時と場による。今は入るべきじゃ、あ」
満員電車の中で窓際まで押されいるぐらいの圧迫感だった。加えて扉はスライド式で、進行方向に対して垂直方向に力Fが発生するという状況。ごく当たり前のようにして、扉は見事俺達を道場内へと誘う。
「驚いた......」
「......」
実際に驚いた表情を作るタチバナさんと、見える範囲では一切の表情を作らないセツナ。先ほどの醜い争い声が聞こえなかったことがせめてもの救いだ。俺はアスナを立ち上がらせると、手こずりながらも外れた扉をなんとか直し、気を取り直して言うことにした。
「ちょっと何かやることないかなあと思ってきたんですけど何かありますかね?」
小声でアスナが、うわぁ絶対無理があると言ったような気がする。俺の順応力をなめるなよ。
それを見てか唐突に、吹き出すようにしてタチバナさんが笑った。悪気はないが終始仏頂面だった彼が、深いほうれい線をつくり笑う姿を見て、意外にも俺達だけでなくセツナも同様にして驚いていた。
そんな俺達の様子に気付いたのか、すまないすまないとタチバナさんは手で制しながらそう言った。
「君のような人間は初めてでね、つい笑ってしまった。もちろん悪気はないよ。このところ笑うという行為を忘れていたから、むしろ礼を言いほどだ。ありがとう」
「え、あ、そうですか。どういたしまして、です」
なんか勝手に解釈されて勝手に感謝されたぞ。前後関係はいまいちで釈然としないが、気分を害したわけじゃなさそうだ。
「そうそう、何かやることがあるかと訊いたね」
タチバナさんは壁際まで歩いていくと、そこに収納されていたいくつかの木刀のうち二本を手にすると、それを俺達の前まで持ってきた。
「セツナに剣術を教えるのはいいが、私もこの齢だ。この子の練習相手としては、いささか力不足だと思ってね。できるかね?」
アスナと顔を見合わせると、どちらかともなく木刀へと手を伸ばし受け取った。
重さは1kgあるかないかで、全長は1.2mぐらいか。大きさは黒刀と大差ないが、重さはそれよりかは軽いな。
俺達は木刀を受け取ったところで、タチバナさんはセツナの方を見て言う。
「ということだが、セツナは構わないかい?」
「......」
「だそうだ。それでは、よろしく頼むよ」
肯定、否定の身振りをセツナは示さなかったが、タチバナさんのその意を汲み取ると俺達に場所を譲る。自分が先に行く、そうアスナは視線を送ってきたので俺はタチバナさんに倣い、壁側へ寄る。
「勝敗については、木刀を打ち込む寸前で止める、どちらか一方が負けを認める、もしくは私の判断にしようと思う。二人ともそれで構わないかい?」
「私の方は大丈夫です」
「......」
「では両者、所定の位置に位置に」
二人の同意を得て、タチバナさんはそう指示する。それに従い、自然と一定の距離を保つセツナとアスナ。両者が木刀を構えたのを確認したところで、タチバナさんは試合の合図を送る。
「始め!」
初め先手を打ったのはセツナの方であった。右足に力を籠めたかと思った時には、もうすでにアスナの懐へ入る間近だ。しかしそう易々とその侵入を許すアスナではなく、むしろ逆に自身が接近する。攻撃のモーションを生み出させないという考えからだろう。
思った通り、セツナは一瞬だけ驚きに目を少し開き、攻撃の手ではなくアスナからの攻撃を防ごうと木刀を構える動きを見せた。
この時、おそらくアスナはそれを狙って、セツナから一本取ろうとしていたのだと思う。
セツナがその動きを見せた時、アスナはその開いた脇腹に狙っていた。仮に俺がその状況にあったとしても、アスナの同じ動きをしただろう。そして敗北するのだ。
客観的な場所にいたからこそ、二人の動きに注視できた。アスナが狙うとしている最中、セツナはアスナの動きを見ていた。その眼に、敗北という文字は映ってなどいなかった。俺には、セツナがこうなることを予測していたと思わずにはいられなかった。
俺とは違い戦闘経験が豊富なアスナであったからこそ、あまりにあっけない、これから予想される勝敗の決し方にひっかかりと覚えたのだろう。
アスナがそれに気づいた時には、目と鼻の先にセツナの振るう木刀が迫っていた。傍から見ていたからこそ、俺はその異様な速さに度肝を抜かした。到底人が出せるスピードではなかったからだ。
寸でのところで、アスナはそれを防ぐ。その顔には焦燥があった。予想外の攻撃だったからだろう。
だがこのまま鍔迫り合いに持ち込めば、可能性としてはアスナが軍配が上がるはずだ。剣術での面だけではなく単純な力での押し合いだったとしても、アスナの上であるからだ。そのためタチバナさんからの声が上がるのも時間の問題だ。
しかしそのことをセツナもまた理解していたのだろう。次に彼女が取った行動は、一手一手的確に打ち込むというものだった。
たしかにこれならば、その速さを生かしてアスナから一本取ることは可能なのかもしれない。けれど、それは先のような不意を突いた状況下であって、今の状況で生かすことは困難だ。
それは先に言ったように、アスナの方が上だとお世辞抜きで言えるからだ。
だから俺は、すぐに勝敗が決するだろうと考えていた。だがいくら経っても勝負は決しない。その理由はアスナが打ち込もうとするたびに、セツナはそれを避ける、または防いでしまうからだ。見ている限りでは、100%の確率で、それも余裕な様子で、だ。
対するアスナからは、粗が見えるようになってきた。ギリギリのところで避ける、防ぐと言った場面が増えてきている。もしくは本人にしか分からない何かがあるのか。こればっかりは、実際に剣を交えない以上分からない。
次第にアスナの攻撃の手が減りに従い、反比例してセツナの攻撃は激しくなる。
そしてとうとうアスナの首元に、セツナが握る木刀が触れた。
「そこまで!」
場内にタチバナさんの声が響いた。セツナは木刀を収めると初めの位置へと戻る。アスナもまたそれに倣い元いた場所に戻った。
「この勝負、セツナの勝ちだ。何が勝敗を決したのか......その様子からして理解しているだろう。だから言わないでおくよ」
一礼した後、アスナがこちらに歩いてくる。立ち替わる俺と横切る直前、アスナは小声でこう告げてきた。
「気をつけてください。あの子の眼、天眼です」
「勝敗については先に言った通りだ。二人とも所定の位置に」
小さく息を吐くと、俺は木刀を構える。
「始め!」
先のアスナの一線を踏まえ先手を打つことにした俺は、片手に木刀を持ち直すとセツナへ接近する。その勢いのままに横払いで木刀と振るった。が、セツナは左に避けると、開いた脇腹を狙い突き打ちを仕掛けてきた。防ぎようがないと考えた俺は、後ろへ軽くステップしてそれを避けた。
逃げ腰だと判断したのか、セツナからのいくつもの追撃が飛んでくる。そのほとんどが動作をする上で、回避するのが難しい攻撃ばかりだった。これは、狙ってやっていると考えた方がいいか。
確証を得ようと俺はアスナの言葉を確認するために、追撃を捌いている中で一瞬の隙を突いて、フェイントを入れることにした。
それは絶対に『普通の人間』が対応できないスピードによるフェイントだ。けれどセツナがこの場でもあの時のような速さで動ける可能性があった。そうなってしまえば俺のフェイントは意味を為さなくなる。
よってそのフェイントに、俺にしかできない方法を加えることにした。
先の攻撃同様横払いで木刀を振るう。それを視認したセツナは当然のようにそれを避けるつもりで、動作を開始しようとした。だがその直後、セツナは開いた俺の左手からの攻撃を防ごうとする構えを見せた。
この時俺は、右手に木刀を持っていた。ゆえに警戒すべきは右手である。しかしセツナが警戒したのは、何もない左手だった。
どうしてそういう考えを取ったか。その理由は、右手にある木刀の消失と、空いた左手に突如として現れた木刀によるものだ。
創造魔法と収納魔法。この二つを用いて元あった木刀を収納し、新たに木刀を生み出したというのが種明かしだ。
この大陸で魔法というものは一般的ではないため、極力魔法の使用は最低限で基本的には避けていたが、今回は確証を得るために使用することにした。従って露呈を避けるために、『普通の人間』が『視認できる』スピードを超えてそれを遂行する必要があった。
直感的に、今の動きはタチバナさんには見えていなかったと思う。もし見えていたとしても、右手から左手へと入れ替えただけだと白を切れば済む話なのでそれほど心配する必要もない。
問題はセツナの方だ。今の今まで、俺はセツナの一連の動きが、驚異的なほどまでの眼に依存する力なのかと考えていた。時間の流れが遅く見える、または少し先の未来が見える、そんな類の力だ。
特にアスナが言っていた天眼から、俺はそういった力だと予想していた。
そしてたった今、確信に至った。セツナの眼に宿る力は、先見の明。未来を見通す力。アスナの言葉を使うなら、天眼。
それを論証するのは簡単だ。先の俺が仕掛けようとしていたフェイントに対して、それがまだ起こっていないにもかかわらず、セツナは次に来る攻撃が右からではなく左だと判断し、実際に構えそれを警戒する動きを見せた。
仮に前者なら、それが起こった時点で行動を開始するため辻妻が合わない。
仮に後者なら、それが起こるよりも前の時点で行動を開始することが可能だ。
以上のことから、セツナは未来を見通す力に似た何かをその眼に宿していると、俺は確信したのだ。
左からくる攻撃をセツナは受け流すようにして捌くと、カウンターとして俺の頭上目掛けて木刀を振り下ろそうとした。俺は体をひねりそれを弾こうとすると、それはフェイントだったらしくすでに斜め下から木刀を迫っていた。防ぐ避けることが不可能な角度からの攻撃だ。
これが天眼の力なのかと、思わず舌を巻いた。これが木刀などではなく真剣だったならば、間違いなく俺の首は落ちていた。この場において、戦いのすべては彼女の手の平での出来事であり、同じ土壌に立ったその時点で勝負はほぼ確定していたのだ。
「そこまで!」
首筋に当たる木刀の冷たさと、戦いの終わりを告げる声が場内に木霊した。