亡者の行進⑩
始終囲っていた空間が消えた。おそらくあの最高神、リーバイの力だろう。
すると駆け寄ってくる音が聞こえた。そちらを見ればアスナとイフリートがいた。二人の姿からして無事とは言い難いが、戦いには勝った様子だ。そんな二人に俺は軽く手を挙げた。
この後のことについては、事前にツクヨミと段取りをつけてある。ここからは先は俺ではなくツクヨミの番だ。そう思い、ツクヨミに声を掛けようとした時だった。
「四向四果 預流」
無意識だ、脳ではなく体が右に避けろと言った。たった今までいたところを、天叢雲剣が通過した。当然ながら振りかざすはイザナミだ。
「どうしてまだ力が使えるのじゃ!?」
ツクヨミの言葉は、俺の言葉でもあった。
そもそもの話イザナミが使う三種の神器というものは、彼女の持つ神力によって作り出されている。そしてこれを使う場合にもその神力が必要になるのであって、神である立場がなければそれを使用すること絶対にできない。
そして今、『黄泉の国』から解放されたイザナミは、紛れもなく堕ちた神の一人であり、もともとあった神としての立場はもう存在しない。
イザナミが堕ちることなく存分にその力を発揮できていたのは、今の今まで『黄泉の国』にいたからだ。言い方は悪いが、今のイザナミは力を持たない、一般人に過ぎない。
にもかかわらずイザナミは、天叢雲剣を使用している。これは通常ありえないことだ。
「母上、どうしてまだ戦おうとする!? これ以上あなたが戦う理由などないはずじゃ!」
ツクヨミの問いかけにイザナミが応える素振りは見えない。乱れる髪の隙間から見えた瞳には、自我がないように見えた。おそらく今のイザナミは、あの時の竜神のそれと同じで暴走に近い。
どうしてそうなったのか。
いくつもの可能性が出ては消え出ては消えを繰り返し、最後にどうしても消えない可能性に辿り着いた。だがそれが本当だとしても、今はそのことを考えている暇はない。イザナミを止めることが最優先だ。
すぐにアスナも参戦した。称号は発動しているだろうが、それでも余裕はない。上級神と最高神との間にこれほどの差があるのだと実感してしまう。
「ユウト、体貸せ!」
目線が俯瞰的なものへと変わった。それは体の主導権が俺からイフリートへ渡された証拠だ。
「一極集中 『メテオラ』」
光ったと思った時には、極限の業火が辺りを支配していた。即座に主導権が俺へと移った。想像を絶する熱を一つに集約した慈悲のない攻撃。これを受けて生きていられるなど普通じゃない。だから俺は、それを受けてもなお生きているイザナミに恐怖を抱かずにはいられなかった。
「四向四果 一来」
鬼神が使用していた黄泉の展開だ。盛んに燃える中から出てきたイザナミの体は、あの攻撃を受け手もなお無事もとのままだった。
そのまま黄泉は拡大していく。この感じ......『黄泉の国』をまた作り出すつもりか。
「間に合わなかったか」
見れば鬼神だった。その後ろにはセスもいた。二人は雨の中を走っていたからなのか髪の毛と服が濡れていた。
「あれだけの距離があったんだ。仕方ないさ」
一体どれだけの距離を走ってきたんだ。見える一面の空には雨雲はなく、遠くの方に見える空に微かながら黒い雲があるだけだ。
黄泉という名の闇に抱かれるイザナミを、鬼神はじっと見つめていた。そしておもむろに何かを取り出した。一体どこから手に入れたのか、それは『諸刃の剣』だった。
「悪神からくすねたものだ。使いどころは今しかあるまい」
「何をするつもりじゃ......?」
自身に不信な視線を送るツクヨミを、鬼神はちらりと見た。
「奇跡が起きない限り、姫を救うことはできない。だが奇跡というものは、そうそうに起きるものではない。ならどうすればいいのか」
何の躊躇いもなく鬼神は、自ら自身の手の平を『諸刃の剣』で斬りつけた。
「答えは簡単だ。奇跡とは、待つものではなく自ら起こすもの。我輩が生まれた理由は、きっとこの日のためだろう」
滴り落ちる赤い血が『諸刃の剣』に浸透し、次第にその刀身を黒から赤へと変えると、風化し霧散する。それと同じよう鬼神の姿も、空気に溶け込むようにして薄くなり始めた。
『諸刃の剣』を使うにはそれに見合った対価が必要だ。鬼神が何を願ったのかは分からないが、この様子からして彼が払った代償はおそらく自らの命。心臓を抑える仕草から、痛みもその代償の一つのようだ。
「お主一体何を願った?」
「なんてことない......姫の望みだ」
「母上の望み、だと......?」
「吾輩ができることのはこのぐらいだ。あとのことは、うぬらに任せるぞ......」
そして完全に消えようとする直前、鬼神は思い出したかのようにセスに手を差し出した。
「言い忘れたがセスよ。先の戦い、そなたの勝ちだ。またいつか、手合わせをしよう」
差し出された手をセスを握り返し、それに応えた。
「光栄だ。こちらこそ、またいつか手合わせ願いたい」
セスの言葉に鬼神は少し微笑むと、消えていった。
鬼神と入れ替わり、光の粒が一つまた一つと現れ始める。徐々にそれは、人の形を成し、ついには人となった。
その人物が誰であるのか、初め俺には分からなかった。けれどツクヨミの反応を見て、その人物が誰なのかはっきりした。
「まさか、父上か......?」
驚くツクヨミとは対照的で、イザナギはほとんど表情を出さなかった。だが一言だけ、ぽつりと言った。
「ありがとう......」
それが誰に対しての言葉なのか分からない。だがそれ以上の言葉は募らずに、イザナギは視線を前へと向けた。そこにはもうすでに、闇にその身をすべて呑まれた、かつてイザナミだった者がいた。
「すまない、イザナミ......。こんな姿になるまで、君を放っておいて......」
そう言うとイザナギは、イザナミに歩み寄っていく。もう意識などないに等しいイザナミは、近づくイザナギに攻撃を仕掛ける。しかしそのすべてが、イザナギの脇をすり抜けていく。まるでイザナギに当たるのを拒むかのようにして。イザナギもまたそれを知っているかのようにその歩みを止めなかった
そしてとうとうイザナギは、イザナミの元へと辿り着いた。彼は、イザナミに纏いつく闇と一緒に、イザナミを抱きしめた。イザナミの心を代弁する闇が、無残にもイザナギを攻撃する。それでもイザナギは、血だらけになりながらも抱きしめ続けた。
「もう、死んでも離さない」
熾烈に続いていた攻撃の手が時間と共に、緩やかに弱まっていく。
すると闇の中から微かな光が漏れ始め、あれだけ蠢き巨大な姿へと変貌していた闇は、浄化するかのように光の玉を出しながら消滅していく。たくさんある中の一つ玉が、たまたま浮遊し俺の傍までやってきた。何気なしに触れてみると、それが何であるのか一発で分かった。
「これ、魂か......」
流れ込んでくるどこの誰かの記憶。最後に見えた光景からして、多分この魂が死んだのはこの戦いだろう。空を覆うほどあった玉達は、それぞれ元の体がある場所へと飛んでいく様は幻想的で、思わず見惚れてしまう。
すべてが無くなった後に残っていたのは、イザナギとイザナミの二人だけだ。二人の体は透けており、その中でイザナミは、イザナギの胸の中で泣いていた。
「ずっと、ずっと、怖かった......。嫌われたと思って......」
「そんなわけない。君を忘れた日なんて一日もなかった。ずっとずっと愛していた」
雲の隙間から射しこんだ一筋の光が、二人を照らす。
「なら......なら、お願いだから......もう、離さないで......」
光り輝く無数の蝶達が、二人の周りを舞う。
「本当に、迎えに来るのが遅くなった......。さあ今度こそ、一緒に逝こう......」
温かな光に包まれ二人は、人から蝶へとその姿を変えると、射しこむ光の中へ飛んでいく。いつしか空を覆っていた闇は青空の中に消えていて、交わりながらそのずっと向こうへと、二匹の蝶は飛び去って行ったのだった。
「終わったのか......?」
分かってはいるがあえて確認につもりで訊いた。
「ああ......母上はあるべきところへ行った。もう危機は去ったのじゃ」
そう言いツクヨミは一時、二人が消えた空に目を遣っていた。
緊張感から解放されたからなのか、肩の荷が下りた気がする。だがそこが自分にとって定位置のつもりなのか、イフリートが肩に乗ってきたのでむしろ先ほどより重くなったな。
「いやーにしても今回は本当にやばかったと思うぜ。旧旧序列一位のリーバイに、旧序列十五位のイザナミを相手にしたんだからよ。不幸中の幸いは、リーバイが本体じゃなかったことと、旧序列十位のイザナギが敵じゃなかったことぐらいだ。まあ最高神を二体同時に相手することなんて、個人的にもう起こらねえと信じたいぜ」
何やら序列がどうのこうとと言っているが、俺とアスナからすればさっぱりだ。
それにしても疲れた。ここ数週間ずっと戦闘の連続で、まともに寝れた日なんてほとんどない。帰ったら食べるよりもとにかく寝たい。でもその前に風呂に入りたい。かなり臭う。
思わず漏れたため息が二つ。俺とアスナのものだ。目が合い二人して吹き出してしまった。急にどうした、とイフリートは若干引き気味で訊いてくるが、説明するほど大層なことではないので適当にはぐらかした。
「あっ」
「どうかしたんですか?」
「あの囚われていた奴、どうなったのかなって思ったんだ」
この時になるまで忘れていた。俺の言葉を聞いたアスナもそのことを思い出した様子だ。
第三門『黄泉の国』で囚われていた例の人物。俺達が無事だったことから、その人物は無事なのかもしれないが、結局どこの誰だったのか分からずじまいだ。理由は分からないが、なぜか俺はその人物に会わないといけないような気がしていたので残念と言うしかない。
それを聞いていたツクヨミが、難しそうな顔で話に加わろうとした。
「リンドウ。おそらくあれは......」
その時、どこからかパチパチと手を叩く音が聞こえてきた。一体どこから現れたのか、二人の人物が佇んでいた。拍手をしていない方、例の仮面の男だ。こいつが堕ちた神なのは、あの海神戦の零した台詞からして間違いないだろう。ならこの笑顔で拍手をする男も、堕ちた神の一人か。
「こういうのをカタルシスっていうのかな? 心が浄化されて良い気分。涙なしには見れない悲劇的感動をありがとう。神の使徒」
イフリートが発する熱が尋常ではないくらいに熱くなっていく。これは嬉しさからくるものではなく、怒りからのものだ。なんにせよ味方ではない。
「堕ちた神か」
「......さっきの心遣いを嬉しかったけど、君の言うように僕は堕ちた神だ」
初めて対面したそいつの印象は、狂気的な笑みを浮かべる、何を考えているかよく分からない、そんな奴だった。
礼儀正しく、そいつは自身の胸に手を当てた。
「自己紹介が遅れたね。僕の名前はオスカー。君達が探す、堕落した神々のボスだ」