亡者の行進⑧
ここは第二門『葦原中国』。見渡す限り誰もいない荒野が広がる場所だ。
しかしその至るところに普通ではありえないほど巨大な戦跡が残されている。ここで起こった出来事からして、セスとリョウメンスクナの戦いの跡だろう。だがその近くに二人の姿は見えない。けれど何かと何かがぶつかり合う光だけが見えていた。
その時だ。一閃が見えた。斬撃が大地を抉り、数百メートルの斬撃痕が大地に残った。
斬撃が放たれた先を見れば、何者かの残像だけがあった。よく見ればそれはセスの残像だ。対して斬撃痕の近くにはリョウメンスクナの残像があった。そのどちらにも共通することは、もうすでにそこに本体がいないという点だ。
今度はそこより遠く離れた場所で爆音と共に半径数百メートルのクレータができた。その中心には、残像ではない実体のリョウメンスクナと、それを防ぐセスがいた。
「はっ、これを防ぐか!」
「はは、これでもかなり腰に来ているだが......」
地面全体に亀裂が走る。
死にはしないが、このままだと脊椎が砕ける。戦況に大きく左右する、可能なら痛みは避けたい。ヤタガラスに闇を纏わせると、それを一気に解放した。寸でのところでリョウメンスクナは距離を取り、攻撃を躱した。
そういえば、と思い彼は訊いた。
「吾輩は三十七死んだが、うぬは何度死んだ?」
「うーん......四十かな?」
直後漆黒の闇がヤタガラスを纏った。これまで明らかに違う闇だ。けれど次に何が起きるのか、それを実際に体験したリョウメンスクナは、念のためセスとの距離をさらに取った。
「それで一度死にかけたからな。もうその手には乗らんぞ」
『雙王崩壊体』。使用者と受け手が直接、または武器越しで接している場合、時間にして平均一秒で受け手の全身を壊死させるというものだ。挙げられる弱点としては、一度でもその攻撃を受ければその仕組みを理解するということ。しかし強者ともなると、それが発動した瞬間にどういった攻撃かを即座に理解できるため、使用できる相手は限られてくる。
ちなみにリョウメンスクナは、それが発動してから0.6秒の時点でその効果に気が付いていた。その時点では指先までが壊死しており、これが0.9秒にもなると死が確定し、発動から1秒後には全身すべてが壊死する。
「それはそうと一つ訊いてもいいかな?」
攻撃の手を止めずにセスは言う。
「君の力ならユウト達を倒すことが可能なはず。にもかかわらず、どうして君は二人をイザナミのもとへ行かせたんだ?」
真っ向からセスを迎え撃つリョウメンスクナは、その問いかけに少しの迷いも見せなかった。
「これといった理由などない。我輩がそうすべきだと思ったからだ」
「それはツクヨミがいたから、そうすべきだと思った。違うかな?」
「それほど気になるならば、我輩を完膚なきまでに殺し、さっさと姫のもとへと向かえばいい。あいにく今の吾輩はこの場所を動くことができないからな。うぬの力であれば、姫と良い勝負ができると吾輩が保証しよう」
そういって振り下ろされたリョウメンスクナの金棒を、セスは素手で受け取る。
「いや、それは悪手だ。第三者の私が出向いたところで、イザナミを止めることはできないし、救うことすらできない」
そして力を籠め、金棒を粉々にさせた。だがリョウメンスクナは、セスの言葉尻に驚きを見せていた。
「気づいていたのか......!」
「この身になっていろいろと見えることが多くなった。実際に神と出会うことが多ければ、その違いに気づかない者などいないさ」
まあ間近で見たわけじゃないからこれは憶測だ、そうセスは付け足した。けれどリョウメンスクナにとって、それは憶測ではなく紛れもない事実だった。
「そうか......だが、姫はそのことに気が付いていない」
「教えればいい、事実を。君がこれまでしてきたことはそのためなんじゃ.....ああ、だからか」
自分が言おうとしたこと。リョウメンスクナがそれをできないこと。二つの事柄から、セスはリョウメンスクナのした行動に納得した。
「吾輩が教えたところで、姫は聞く耳を持たない。詳しい説明ができるとも思っていない。そもそもの話、どうしてそうなったかということ自体、我輩自身数日前に知ったのだらかな。それに.......我輩が教えるよりも、実の娘であるツクヨミの方が良いに決まっている」
この時、第三門『黄泉の国』において戦神リーバイが呼び出された。そして時を同じくしてこの場にも、それに引けを取らない存在が空間を破り姿を現した。
二人の意識は、それに釘付けとなる。
「やはり綱を付けるべきだったか」
ユウト達の跡を追おうとした結果、本来であれば破壊不可能な境界を破ったのはヤマタノオロチ。力の面ではリョウメンスクナの方が上だが、耐久力の面ではヤマタノオロチの方が上であった。暴走する力を抑えることができないため、今のヤマタノオロチの目に映るイザナミ以外の者は、すべて敵だと認識しており、それはリョウメンスクナも例外ではない。実力とその他もろもろをイザナミに買われたことにより、ヤマタノオロチは一匹で第一門の守りを任されていたのだ。
「セスよ。ここは一時休戦といこう」
黄泉を展開し、新たな金棒を取り出すリョウメンスクナ。その提案に、セスは頷いた。
「たしかに、その方がよさそうだ」
それを見計らったかのようにして二人目掛けて、ヤマタノオロチは毒ブレスを吐いた。
すべては茶番。
『明日、大きく世界は変わる。意味などないのかもしれないがルカ、お前は俺達の手の届かない場所に逃げろ』
意味ない世界だ。
『もう止められない......そういうことなのね......」
だから俺は、あの日。
『ああ......もし次出会うことがあるのなら、それはお互い敵としてだろう』
己の立場を、捨てたのだ。
古傷が痛む。あの女が使う剣を振るうたびに。
たとえ触れなかったとしても、それが近くに来るだけであの日受けた古傷が、疼いて仕方がなかった。
『馬鹿が......なんで逃げなかった』
『......逃げたら後悔するから。それにあなたを放っておくことなんてできない......!』
突きつけられるそれを見た瞬間、俺は間違っていたのではないかと後悔しそうになった。だが動き出した時の歯車を止めることなど、その当時の俺にできるはずがなく、ただ構えることしかできなかった。
『今までの手合わせの中で、お前が俺に勝てたことは数えるぐらいだ。それでもやるのか?』
『ええ......そうしないと私の気が済まない』
幾度と行ってきた手合わせの中で、俺は一度として力を抜いたことはなかった。無論今日もそのつもりだった。いつもと同じように怪我一つさせずルカに勝とうと思っていた。だが、この戦いの場で見せたルカの表情を見た瞬間、俺は自身が取り返しのつかないことをしたのだと知った。
『どうして、泣いているんだ......』
俺の目に映るルカは、いつも見せる笑顔などではなく、悲しみに顔を歪ませ、涙を流していた。
俺の呟きに、彼女は答えなかった。それが答えだった
思考のすべてが停止した。気づいた時には心の中でも、どうして、と呪文のように呟いていた、
『なんで○○○○みたいにうまく受け流せないかなー?』
『俺は○○○○じゃない。煩わしいからもうついて来るな』
思えばいつからだっただろうか......そう想うようになったのは。
『私がいないとまた喧嘩するでしょ』
『......』
『ほらやっぱり』
『うるさい』
いつもそうだった。
『ここが岐路だ。俺も分別は付く。だからこれからは、俺のお目付け役じゃなくていい』
『別にそういうつもりじゃないわ。ただこっちの方が......やっぱりいい』
『?』
いつも彼女は、俺の傍にいてくれた。
『大きくなってもあなたはあなた、私は私。役割とか立ち位置は変わらないと思うの』
『唐突だな。どういう意味だ?』
『あの日言えなかった続き、かな』
『......そうか』
いつしか俺も、それが当たり前だと思っていた。
そして......気の遠くなる時間を、俺はこの世界で過ごしてきた。そのせいか今、彼女との思い出を、俺は思い出せないでいた。
愛した彼女の顔でさえ、俺はもう、思い浮かべることができなくなっていた。
どうして俺は、こんなことを......。
どうして俺は、ルカに拳を向けているのか......。
どうして俺は、ルカを悲しませてしまったのか......。
どうして俺は、弟のことを覚えておきながら、それ以上に愛した人のことを忘れていたのか......。
後悔するとは、微塵も考えてなどいなかった。
自分のすることすべてが正しいのだと、どうせこの世にある正しさは、誰かが定めた曖昧な正しさに過ぎないと思っていたからだろう。
だが、あの場でルカが見せたそれを見た時に、俺の中で積み上げられた、絶対に崩れるはずがないと思っていた考えは、いとも簡単に瓦解した。
そして崩れ落ちたそれらの跡に残っていたもの、それが俺にとっての正しさだった。
ただいつまでも、ルカが笑顔でいれること......それだけだ。
愛した人の笑顔をその傍で守れるなら、それで十分だった。それ以上に望むものなどあるはずがなかった。
なのに俺は......それを自身の手で台無しにしたのだ。
後悔してもしきれない......すべてが手遅れだった。
俺は......道を誤ったのだ。
その後の戦いの中で俺の取った行動に、ルカは何かを言っていた。
だが俺は、耳も心も塞いだ。
もういい、何も聞きたくない。そもそも彼女の声を聞く資格など、今の俺にあるはずがない。
それにもう......俺達は敵同士だ。この後どうなるのかなど、分かり切ったことだった。
まさかとは思った。女の使う剣に宿るそれを見た時は。
紛れもない剣神の力が宿っていたからだ。だが聞けば、宿るのはルカではなく、それよりも後の世代の剣神だそうだ。
本来なら、俺もルカ同様とうの昔に死んでいたはずだ。差はあれど、数万年も生きる神などはあまりいない。それでもなお長い間生きていられたのは、『一方的運命共同体』の力で、魔族の命を自身のものにしていたからだ。
惰性で、意味もなく、俺は生き過ぎていた。なぜあれほど生に縋ったのか、今になって分かる......それはルカの存在が、忘れはしていたがたしかに俺の中にあったからだろう。
だがどれほど悔もうとも、今この世に、俺の知る剣神ルカ、愛した人はいない。それが現実だ。
呼び戻されなかったなら、俺はこの事実を知らずに逝っていただろう。
だが良くも悪くも、俺はその事実を知る責任があった。だからこそ、今この場にいられたことに感謝すべきなのかもしれない。
しかし今更そのことを知ったところで、俺にできることなど何一つとしてない。彼女への涙を流すことさえできない俺の心の中に、どうしようもない思いとやるせなさだけが蟠っていた。
だから俺はその腹いせに、俺を呼び戻したあの最高神を嬲り殺して、それらすべてを消し去ろうと思った。
けれどその時、ふと誰かの視線を感じた。忘れもしない、ルカの視線だ。女の使う剣越しに、彼女が俺のことをじっと見ているような気がした。
それはまるで、あの時のように。
そうだ......そうだった。思い出した。すべての原因は俺。誰もかれも関係ない、すべて俺のせいなのだ。
古傷が疼くのは、彼女の優しさのせいだろう。
もう......やめにしよう。
俺がしたかったのは、こんなことではない。
道を誤るのは、あれで最後にしたい......。
勝てるのか、この勝負。アスナの援護に回りながらも積極的に攻撃するイフリートは、リーバイを観察していた。
天才的な戦闘スタイル。自身に来る攻撃のすべてを紙一重で避ける様は舌を巻くレベルで、敵味方関係なしに敬意を表したいと思わせるものがあった。
勝算はどれくらいかと考える。アスナはたしかに強いが、リーバイには遠く及ばない。もしこれが本物であったならば、どうなっていたことか。
考え抜いたイフリートは、勝算は五分五分ぐらいだろうと判断した。
無論、力を解放した自分が相手をすればすぐに済む戦いだ。だがそうしてしまえば、もうこの世界に留まっていられなくなる。一介の精霊ならまだしも、大精霊クラスともなると世界の均衡を崩しかねないほどの実力を持っているため、力を解放した瞬間強制的に元いた世界に戻されるからだ。そして特別なことがない限り、もう二度と戻ってくることはできない。
だからイフリートは、力の解放を渋っていた。しかしこのままでは時間の問題だ。無論不利になるのは自分達。
やるしかないのか......そう思いかけた時だ。
リーバイの拳に夥しい量の魔力が集まるのを察知した。しかしそれが自分達に対するものではないと瞬時にイフリートは見抜く。あいつ何をする気だ、アスナに合図をしてリーバイとの距離を取らせた。
一体どういう意図があってリーバイがそんなことをしたのか、この先の未来で、イフリートがその行動の意味を理解する日は来なかった。
彼の目に映るリーバイは、有り余る魔力を籠めた拳を、その対象へと打ち込んだ。それは、リーバイ自身だったのだ。
唯一無事なのは右腕だけで、左腕は肘から、右足は膝から下がなく、左足に至っては足そのものが消失していた。腹には手を通せるほどの穴が開き、そこからとめどなく血が流れだし、辺りは鮮血に染まっていた。
「血迷ったか。戦神の名が泣くぜ」
「......そうじゃない......ただ、自分の始めた物語と、けりを付けただけだ......ゴホッ!」
生きている内臓などほとんどなく、リーバイは吐血をした。今の状態で生きていること自体奇跡に近く、彼は虫の息だった。イフリートだけでなくアスナもそれに気づき、せめてもの情けだとアスナはセレーネでリーバイに止めを刺そうとした。
だがそれに気づいた彼は、余力で首を振る。
「必要、ない......時期に死ぬ。それに......」
——— ルカが悲しむ顔は......もう見たくない ———
「それに、何だよ?」
続く言葉を促すイフリートに、リーバイは別の言葉で答えた。
「......俺とは違い、お前達の戦いは、終わってなど、いないからだ」
それは自身を除く堕落した神々のことを言及していた。
「今の俺からすれば、この世界が、どちらに転ぼうと、どうでもいい。だから、これは、警告に近い」
今度は黙ってその続きをイフリートは待った。
「......シャノンに、気を付けろ」
「あ? シャノンって誰だ?」
その名に心当たりがないのかイフリートは頭を捻った。だがそのことにリーバイは衝撃を受けなかった。
「そうか.....まあ、覚えがないなら、今はいい。実際に、俺の知ることが、正しいとは、限らない。それに、お前達からすれば、それが、普通、だからな」
あともう一つといい、リーバイは言う。
「オスカーが、欲しているものは、あまりにも強大だ。仮に奴が、それを手に入れれば、イフリート、お前だけじゃない。誰も奴を、止められなくなるだろう」
「おいおい焦らさないで教えろよ。オスカーは具体的に何をしようって言うんだ?」
だがリーバイは、イフリートの疑問には答えずに、最後の余力で今まで静観に徹していたアスナに目を遣った。
「これは......死人の戯言だと、思ってもらっても構わない。女、お前は理解しているかもしれないが、念のため言っておく。あの男を含め、お前達には、死相が見える。せいぜい、気を付けること、だな」
「おいコラ! 俺様の質問に答えろ!」
間髪入れずにリーバイの胸倉を掴むイフリート。
「オスカーの狙いは何だ! それに、死相って何のことだ! おい!!」
「......まない......か」
「あ?」
「すまない、ルカ......」
この時リーバイの瞳は、イフリートの後ろに注がれていた。イフリートとアスナには何も見えなかったが、リーバイにだけは確かに見えていた。
「俺が、馬鹿だった......!」
リーバイは精一杯右腕を伸ばした。たとえ届かないと分かっていても。
「何が大切なのか、考えていなかった。そのせいでお前を、傷つけてしまった。俺の願いはもう、叶っていたというのに......」
リーバイの手は、その先から徐々に光になりつつある。その光景はまるで、その手を誰かが取っているようにも見えた。
「こんなどうしようもない、馬鹿な俺だ。許さなくてもいい。ただ、傍にいさせてほしいんだ......」
それが幻だったのか、現だったのか分からない。しかしリーバイには、何かが聞こえたのだろう。彼は安心したように頬を緩めた。
「ありがとう、ルカ......遅くなったが、やっとお前の傍に逝ける......」
その言葉を残して、戦神リーバイの器となった仮想神の体は、光と共に消え去っていく。
消えゆく彼の魂と寄り添うのは、その生涯で唯一愛した人だった。
現時点を持って、リーバイの死が確定した。『我が名の下の平等』によって作られていた空間は、彼の死により解かれることとなる。
崩れ落ちる空間とそれによって顔を見せる元いた空間。しかし、現れた空間は、黄泉の国などではなく、和の国であった。
その異変に気付いた二人は、辺りを見回した。そして、少し離れた場所に立つユウトとツクヨミ、そのすぐ傍で泣き崩れるイザナミの姿を見つけた。