亡者の行進③
「二人とも、決して後ろを振り向くでないぞ!」
こちらを見ずに先を走るツクヨミはそう言った。
「言われなくても!」
「分かっています!」
置いていかれないよう俺とアスナは全速力でツクヨミの後を追う。しかしながらそう言われると、それと逆のことをしたくなるのが人間の性だ。
少しぐらいはと好奇心に釣られ俺は、肩越しに振りかえった。
後方ずっと奥の方、暗闇の奥のずっと向こう。先ほど執拗に俺達を追いかけまわしていた奴の姿は、もうそこにはなかった。あれほど執念深く纏わりついたいたのが嘘のようであり、その姿を忽然と消していたのだ。
ここまで一方通行というより、だだっ広い荒野のような場所だ。あれほどの巨体、隠すことができる場所などない。
「ツクヨミ! あいついなくなったぞ!」
「ばかもん! 後ろを見る余裕があるならもっと足に前へ動かせ!」
一体どういう仕組みで見えているのか、後方は暗闇で見えないのだが前方だけは視認することができ、次の場所へと続く門が俺達の進む先にあった。
このまま行けば無事次の場所へ行くことができるだろう。今は俺達がいるここ第一門『黄泉比良坂』から第二門『葦原中国』へと。そして目指すは第三門の先にある『黄泉の国』。
まあ無事に行けばの話だ。自慢じゃないがこれまでの戦いの中で、俺は何度か死にかけたことがある。そういう時に限って、体の至る所に張り巡らされた全神経に、脳から危険信号が発せられたかのような感覚に陥る。
この時もそれに近い感じが俺を襲っていた。だから俺は、先行するツクヨミと横を走るアスナの襟首を掴んだ。
俺の抱いた予感は、不運なことに正しかった。
数秒後先俺達がいた場所に、消えたと思っていた奴が真上から落下してきたのだ。体が宙に浮く感覚の後に襲った爆風に近い土煙に俺は思わず腕で目元を守った。土煙で目は見えないが、耳にははっきり聞こえた。ずるりずるりと何かを引きずる音が。
腕を降ろすと目に入った。立ち込めるその中に、うねる何本もの影が。見えただけでその数、実に十は越している。
体勢を立て直したツクヨミは、それに注視しながら言う。
「戦うのではないぞ。今のお主達では、たとえ妾が力を貸したとしてもあれを倒すことはできん」
ぬらりと土煙の中から顔が八つ、遅れて尾も八つ現れた。そのすべては一つの体から生えて出ており、それら一首一首が独立した思考を持つ。胴体に至っては、山脈だと言い現しても過言ではないかもしれない。
神獣ヤマタノオロチ。それが奴の名前だ。数少ない神獣の中で、最上位に位置するヤマタノオロチは、一説には最高神に匹敵するほどの力があるのだと、ツクヨミが言っていた。ちなみに以前相手をしたリヴァイアサンは、上級神と同等の力を持っているそうだ。
紅に染まる瞳が十六、射殺すようにして俺達に刺さる。目をそらした瞬間に襲い掛かられるという不安があるので、視線をそらそうにもそらせない。蛇に睨まれた蛙の気持ちが、今になって初めて分かったような気がする。
「ならどうする? あれ、俺達を逃がすつもりはなさそうだぞ」
「仮に倒したとしても、ここではすぐに蘇る。故に意味がない。それに時間の問題もある。避けれる戦いは避け、早く進むべきじゃろう」
「では、あれの隙を掻い潜って門を抜ける、ですか?」
「それしかあるまい。強いは強いが、見た目通りの動きしかできんからな、あれは。妾が合図をしたら、一斉に行くぞ」
一時して、八つあるうちの二首がそろりそろりと近づいて来る。口の端からは紫の煙が漏れ出ており、それが毒だというのを直感で知った。
そして俺達と二首のヤマタノオロチが絶妙な距離になった時に、ツクヨミは叫んだ。
「今じゃ行くぞ!!」
奴らの注意を割くために、三者それぞれ別々のルートで門を目指す。アスナは右回り、ツクヨミは左回り、そして俺は真ん中一直線。二首がアスナの方へ、四首がツクヨミの方へ、残りが俺の方へ向かってくる。
そもそもツクヨミ、あいつ嘘つきやがった。全然のろまじゃねえぞ、こいつら。俊敏すぎて避けるのだけでやっとだ。一つの失敗が死に直結する攻撃の数々。だがそれを防ぐための攻撃をする暇すら、俺は持ち合わせていない。
やっとのことで、胴体に到達した。二人のことを心配する暇は......まだなさそうだ。
ヤマタノオロチの背中には、一つの閉じた生態系があった。木々や水、火山など自然である。開いた口が塞がらないとはまさにこのことだな。
だがこの環境は案外使えそうだ。緑に溶け込むようにしてその中を走り抜ける。頭上の木々の隙間から、首を伸ばし俺を探す二首のヤマタノオロチが来たがの見えた。しかし鬱蒼と茂るこの中で、俺を見つけ出すことは至難の業だろう。それでも最大限の注意を払いつつ、森の中を抜け、奴の尾まで辿り着いた。
「......あれか」
第一門と似た門、あれが第二門か。俺を追い回していた二首のヤマタノオロチは、まだ俺が自身の胴体上にいると思い探している。だがそれもいつ気付いてもおかしくはない。リスク覚悟で遠回りはなしだ、奴の尾の上を一直線に行くのが最短距離。
尾に飛び乗ると真っ直ぐ門へと落ちるように駆け降りた。胴体よりも感度が高いせいなのか俺のことを捜索していた例のヤマタノオロチは、顔をこちらに向けると急速に首を伸ばしてきた。
だがこの距離だ、奴らが追い付くより先に俺が扉に辿り着く方が早い。ならこのまま走り抜けるのがベスト。
扉との距離は残り二百メートル。いける! そう思った時だ。前方上方向、二人を追っていたはずの残り七首のヤマタノオロチが、俺を見下ろす体勢でいた。
考えられる可能性は、二人がやられたかそれともすでに門を抜けたかのどちらかだろう。まあ恐らく後者だ。ツクヨミとは契約をしているから倒されたかどうかわかる。アスナの方は......なんとなくだ。
そう考えている間に奴らは、妙な動きをし始めた。竜神との一戦で似たような動きを見たことがある。
「ブレスか!」
反射的に創造魔法を使い、奴らと俺との間に幅の広い壁を創り出す。コンクリート製だ、毒じゃ溶けたりしないだろうという甘い期待はすぐに打ち砕かれた。
「クソ、マジか!」
染み込んだ毒ブレスは、いとも簡単に壁を打ち抜いた。だが壁のおかげで射程が定まらなかったのかすれすれのところで当たらずに済んだ。この場において有効な凌ぎ方はこれが一番か。もう一度毒ブレスが来たとしてもこれなら大丈夫なはず。最悪当たったら死ぬ可能性も高いが、こればっかりは仕方ない。
扉との距離、残り百メートル。すると突然、異常なほどに重力を感じた。これは俺を乗せている尾が、急激に上へと向かっているのか。その勢いに逆らえず、俺は宙へと放り投げられた。
傍から見れば今の俺は恰好の的だ。九首すべてのヤマタノオロチがこちらを見、毒ブレスを吐く体勢に入っていた。ここで重力魔法などを使えれば自分に働く重力を操作し攻撃を受けずに済むのだが、悲しいかなそういった魔法を俺は使えない。
だからこれは、一か八か賭けだ。
「疑似太陽」
手の平に計九つの疑似太陽が現れた。これまではイフリートに作ってもらっていたので実際に作るのは初だ。イフリートが作るものよりも一回りほど小さく威力もあまりないかもしれないが、この際それは気にしない。倒す気などさらさらないからだ
毒ブレスが吐かれるより前に、それらすべてをヤマタノオロチの各々の頭に向けて飛ばす。飛んでくる疑似太陽を視認したのかヤマタノオロチは九つの尾でそれを防ごうとした。その間で二つが尾に当たってしまったが、残りの七つは無事七首の顔に当たった。
真っ赤な爆炎が視野全体を覆い尽くすが、イフリートのおかげか凄まじい熱は感じても体を襲うを痛みはそれほどない。
未だ火炎が舞い踊る中で、言わずもがな無事だった二首のヤマタノオロチが、今度は正確に狙いをつけ毒ブレスを吐いてくる。このぐらいなら問題ないだろう。創造魔法でそれらを防げる壁を、先ほどより分厚く創り出した。これなら仮に貫通したとしても、俺が落下し終えるまでは持つはずだ。それに疑似太陽との衝突で生まれた煙幕代わりの黒煙もある。
落下する間、ヤマタノオロチからの追撃はなく、なんとか第二門を通り抜けることができた。
「ユウト様、大丈夫ですか!? 全然来ないので心配しましたよ!」
入るや否やこちらの存在に気付いたアスナがそう言いながら詰め寄ってくる。
「死にかけたけど、攻撃は一切受けてないからまあ大丈夫」
「......本当ですか? 髪の毛が少し燃えていますけど」
「これはあれだ、降りかかった火の粉を払いのけた結果と言うか......」
それでも疑り深くこちらを伺うアスナに、歩み寄ってくるのはぱっと見無事な様子のツクヨミである。
「サカイよ、あまり過保護は良くない。さっき言ったじゃろう、リンドウは無事だと」
今の口ぶりだと、ツクヨミは俺がヤマタノオロチと一戦を交えると知っていたのか。もしその勘が外れて、俺が死んだとしたらどうしたのだろうか。これでも俺、一応神の使徒なんだけど。
ツクヨミに対して少しの恐れを抱く俺とは違い、アスナは若干怒っているようだ。
「そういうわけでは......」
「どちらも同じことよ。よいか、今のお主達を例えるなら生まれ落ちたばかりの獅子じゃ。『獅子は我が子を千尋の谷に落とす』という言葉を知っているじゃろう? これから先の戦いのためにも、お主達は強くならなければならないのじゃ。そしてそのために必要となる成長というものは、常に危険と隣り合わせで、そういった機会はそうそう巡り合うことは少ない。イフリートは甘やかしていたようじゃが、妾は奴とは違うよ。びしばし鍛えるつもりじゃ。いやまあ今回は別じゃがな。成長の近道にしては、今回の相手は別格過ぎるからのお」
「いかにも」
暗闇の奥からこちらに歩いてくる影。見間違えるはずがない、鬼神リョウメンスクナだ。第二門『葦原中国』の敵はこいつか。単純に考えるなら、ヤマタノオロチよりこいつの方が強い......。
「分かっているではないか。流石は吾輩の姉だといえよう」
「誰が姉じゃ。それならお主達全員と親戚になってしまうじゃろうが」
「なるほど......その考えはなかった。ではこの戦いを終えたあかつきには、親戚一同飲みの席でも設けるとしよう」
一切の冗談を感じさせない鬼神は、さてと言うと今度はツクヨミから俺へと視線を変えた。
「弱き者よ、また敗北しに来たのか? 何がうぬをそこまで動かす?」
「理由なんて単純だ。世界の危機を見過ごすことなんてできるはずがないだろ?」
「ほう......よい心構えだ。だが向こう見ずの勇気は褒められるものではない。もうすでに自身でも理解していることだろうが、それでも敢えて言わせてもらう。姫は吾輩より圧倒的に強いぞ。我輩に勝てなかったうぬでは、たとえ姉の力を借りたとしても姫に勝てないと誓ってもいい。それでも、姫のもとへ行くか?」
凄みを出しそういう鬼神からは、なぜか敵意を感じられなかった。それがツクヨミと同じ思いからなのかそれとも別の理由からなのか。どちらにせよ、やるべきことはもうすでに固まっている。
だから俺は、余計な考えを挟まずにきっぱりと言い放った。
「勝てないと分かっていて、行く馬鹿はいないだろ?」
「......はっ、たしかにその通りだ」
鬼神の纏っていた雰囲気が少し和らいだような気がした。
「弱き者であれば、この場で殺しておくつもりであった。だがうぬは、見ようによってはある種の強き者なのかもしれん。気が変わった。特別に姫のもとへ行くことを許可しよう」
「よいのか? お主は母上が生み出した仮想神のはず。バレたら殺されるじゃろ」
「姉よ、あなたなら分かるはずだ。これは早めの反抗期だということを。それに子である吾輩を、母が殺すはずがない。折檻ぐらいで済むだろう」
だがと言い、鬼神は言う。
「それでは吾輩が面白くない。そこで取引だ、強き者よ。我が好敵手、セスをここに呼ぶのだ。さすれば、ここを通そう」
もうそこには今の今までいた鬼神の姿は無く、あの時戦った、仮想神・鬼神リョウメンスクナが立っていた。
「まさかこんなに早い再会になるとは......」
少し顔色を悪くしてそう言うのは、ユウトの『友魔召喚』によって召喚されたセスである。ユウト達はすでに第三門を通り抜けているため、今この場には、セストと鬼神以外誰もいない。セスの姿は鬼ヶ島に召喚された年齢と同じ、全盛期であった頃の二十代前半の姿だ。
セスの様子などどうでもいいのか、これから楽しい遊びをするような雰囲気で鬼神は言う。
「セスよ、そう落胆するでない。それはそうと死ぬ準備はできたか?」
「死ぬ準備ができているなんていう人はこの世に存在しない、と信じたいのだけれど、どうやら私はその準備ができているようだ」
セスの手には、妖刀ヤタガラスが握られていた。
「ただの人間ならば、この場に来ただけで死んでいる。うぬが死なないのは、それのおかげか」
「これには不死の力が備わっているからな。目に見えないと思うが、現在進行中で私は死に続けている。決別をすれば死ぬ可能性もあるけれど、現段階では考えていないかな」
「まあ死なないのであればどちらでもよい。これなら心ゆくまで楽しめそうだ」
鬼神の背中から新たな腕が二本生えてきた。鬼ヶ島での戦いの中で一度だけ見せた、彼の本気モードである。
「手加減なしだ、セスよ! さあ世界の命運が決まるその時まで、文字通り我輩と死ぬまで戦い続けようぞ!」
「二人のためだ。泥沼覚悟で、君と戦おう!」