亡者の行進①
「さっむ」
流石にこれだけの高さだと、温度も零度を下回っているか。その証拠に、吐息も気体として目に見える形で現れていた。地上に比べ、季節風なのかそれとも偏西風なのか断定はできないが、ともかくそのせいもあり体感温度は-40℃ぐらいにはなっているかもしれない。暖を取るため自身で自分の肩をさすった。
するとつい出たその言葉に、足下の神竜は尋ねるようにして訊いてきた。
「高度を下げましょうか?」
「......いや、見晴らしが良い場所にいた方がいい」
そう返し、今度は両手に息を吐きかけて手を温める。そしてポケットから自前のiPhoneを取り出すと、起動し画面の左上のアンテナを確認した。圏外になっているのかと心配していたが、オーブリーの電波はこの場所でも問題なく使えるようである。あらかじめ設定しておいた連絡先の一つに電話を掛けた。
「......もしもし......その声、ハンゾウか? ,,,,,,その名前で呼ぶと、ラッキーにするけどそれでもいいか? ......そろそろ来るだろうから、念のための電話だ......ああ、ジュウベエ達にもそう伝えておいてくれ......ああ、それじゃあ」
続いて、別の連絡先を選択しそれに電話を掛ける。
「......もしもし......いや流石に分かるよ......あー、多分そこからは見えないと思うが、西の方に空に......この距離から見えるのか......まあとにかく、計画通りで大丈夫だと副長に、あっまだ戻ってきてないのか......まあとにかく気を付けてくれ......ああ、オキタもな」
通話終了ボタンを押し、iPhoneをポケットにしまった。
「さてと,,,,,,」
黄泉の国への扉が開いてから今日で丁度一週間が経つ。来るとすれば今日中か。しかし遠目に見える禁足地には未だ異常は見られない。
あの日、高天原での一件の後、俺達は『キトウ』へと急いだ。その時にはもう日の出が近かったせいもあり、ほとんど鬼達の姿を目にすることができなかった。その後、これまでの一連の出来事について知っていることを、主要となる関係者であるオキタや副長達に話した。
当初は、うまく呑み込めない様子ではあったが、オキタはそれより以前の怨神との戦いのこともあり、すぐに副長達の説得にかかってくれた。そのかいあって、主要となる関係者の賛同を得ることができた。
そのあとの流れは通り雨のように取り計られていった。黄泉の軍勢に備えてどう対処していくかのか、こちらの戦力の確保はどうするか、などなど......。話し合うべきことを挙げるなら枚挙にいとまがなく、すべてを話し終えるのに費やしたのは六日間、要は昨日は話し終えたのだ。
ツクヨミから聞いた話では、黄泉の軍勢はいくら倒しても次から次へと永遠に湧き続けるらしい。そうさせないためには、それらを支配するイザナミ本体を倒すか、黄泉の国そのものつまりはイザナミが使用している神力を消す以外に方法はないそうだ。
初め俺とアスナだけでそれらに対抗するつもりでいたのだが、ただ単純にそれらを倒し続けてもあまり意味がなく、その間にも黄泉の国と世界との一体化が進んでしまうらしい。
そこで必要となるのが戦力。黄泉の軍勢に対抗できるだけの戦力が必要となるのだ。ツクヨミの提示した戦力、それがこの和の国に住む人々の力だ。だから説得できたこと自体、まあ嬉しい。だがすべての国の協力を取り付けたのかと問われれば、答えはノーだ。
猶予は一週間で人によっては十分だと思うかもしれないが、現実的に使える時間はそれよりも少ないのだ。周囲の国に協力を要請したとしても、ここで起こった出来事を信じてくれる可能性は低く、仮に信じたとしても薄く引き伸ばされた盾となる可能性もあるため、より被害が甚大なものとなるかもしれない。それならば、あらかじめそういった存在との戦闘経験のあることが分かっている国だけに協力を要請した方が手っ取り早い、という結論で落ち着いた。
ということで、ここからいくつもの山を越えた先にある新選組が治める『ハクテイ』と、それよりずっと向こうギリギリのところで視認できるリュウさん達の治める『ナゴシ』、そしてここ『キトウ』の三か国で、黄泉の軍勢を迎え撃つこととなったのだ。
ハクテイについては、馬の脚で一日とかからないのですぐに局長からの返事が来た。言うまでもなく賛同の旨が書かれていた。
ナゴシについては、以前の戦いの際に渡しておいた無線兼連絡用のiPhoneがあったので、そちらからリュウさんへと連絡を入れ、戦いへの参加を約束してもらった。
現状やれることはやり尽くした。残すは、黄泉の軍勢が来るだけだ。
「貧乏ゆすりとは行儀が悪いぞ」
「血栓予防のがん予防だ。がんで死にたくない」
背後から聞こえた声に適当に切り返す。俺の横に並んだツクヨミに続いて、アスナはその反対側に立った。
「まだのようじゃな」
「まあそのうち来るだろ」
二人が何を話していたのかは知らないが、変に探りを入れる必要もないか。話す気があるならそのうち話すだろうし、俺にも話したくないことの一つや二つはあるしな。
この後の段取りについて軽く話をしていると、禁足地の中心から前触れなく墨のような液体らしきものが、空からではなく地上から昇った。水に垂らした絵の具のように、空に波紋したそれは、黒一色に空を染めていく。ついには太陽も見えなくなり、今は見るからに夜だ。強制的に自分達が最も活発になれる状況を作り出したのか。
「来るぞ、黄泉戦が」
大地が津波にように荒れ、アスファルトに降り注いだ雨の跡の勢いで、黄泉の軍勢が姿を現し始めた。禁足地から現れると予想していたが、黒に染まるその下であればどこからでも出現するようだ。それらは全方向すべてに駆けていき、木々など立ちふさがる物は薙ぎ倒し、無差別な破壊を繰り返していた。
あの波が何度も当たれば例え大国であっても、跡形もなくなくなるだろう。
「創造魔法」
黄泉の軍勢が生まれるであろう領域すべてを取り囲む巨大な壁を創造する。その結果、高さ百メートル、長さ数千キロの巨大な壁が創り出された。黄泉の軍勢の動向を見る限りでは、近場の中でも人のいる場所に向かって進軍しているように見えた。そのため三カ国と接する辺りの壁に、十数メートルの間隔の隙間ができるよう調節した。これで黄泉の軍勢を一度に相手をするのではなく、ある程度制限した形で迎え撃つことが可能になるはずだ。溜め込んでもいいのだが、何かの拍子で一気に溢れかえってしまったら取り返しがつかない。
それにしてもと思い、改めて黄泉の軍勢に身を向けた。数が異常なまでに多い。少なく見積もっても数百万はいってる量だ。明らかに数を減らした方がいい。
「アスナ、頼む」
「はい。神竜、お願い」
「かしこまりました。『崩御竜双』」
大きく広げられた神竜の口から、巨大なレーザーが放たれた。しかしそれは、下ではなく黒に染まる空に向かって。レーザーは黒に染まる空を突き抜け、そのまま見えなくなる。だがすぐに空全体が、大きく金色に輝き始めた。そして空を裂いたと思うと、光でその身を形成された十数キロの巨大な顔をした竜が現れたかと思うと、その顔に見合った口を開き、あり得ない量の凝縮された魔力をそこへと集まり、轟音と震撼を伴い、地上に向けて放たれた。
地盤だけでなく岩盤さえも剥がれ落ち、その中で黄泉の軍勢は光と共にその姿を消していく。その余波は、俺が創り出した壁と衝突する。だが破壊できるだけの魔力が残っていなかったからなのか、壁を破壊することもなく無事収束させることができた。
それでも禁足地である森だけは、その攻撃を一切受けていないかのように元の姿を保ったままで、それ以外は焦土と化している。環境破壊などについてはこの際置いておこう。早いか遅いかの違いしかない。すでに新たな鬼が生まれつつある。
「強いぞ、母上は」
耳にたこができるぐらい聞かされたよ。だからイザナミが力を取り戻すこの日まで、黄泉の国へ行かなかったのだ。
黄泉の軍勢が進撃してきたということは、今現在イザナミが力を取り戻している。この戦いを制するために、今俺達は黄泉の国へと向かい始めたのだった。
瞬く間に形成される巨大な壁を前に、神の御業かとハンゾウとジュウベエは思った。続いて、黒く染まった空から現れた金色の竜。想像上の生き物に驚愕していると二人を更に襲うのは、それから放たれた眩い一撃。直視できず腕でそれを遮る。それに伴い大地が左右上下に揺れた。二人にとってのその揺れは、立っているだけでもやっとだった。
「何あれ!? やばくない、ジュウちゃん!」
「天変地異の類だな......あれは」
肩を揺らすハンゾウの手を無理矢理放しながら、そう返すジュウベエもまた少なからず動揺はしているようだ。
「まったく彼は、頼りがいがあり過ぎる」
「まあ一歩間違えれば、俺達もあれを食らうことになったがな」
そう言って現れたのはリュウとジロチョウである。二人の後ろには、千を超える家臣達の姿があった。現場にリュウが来ていることに、ジュウベエは心配そうに言う。
「リュウ様、あなたは城にいた方がいいのでは」
「この国、最大の危機だ。そんな時に、国を治める者として前線で戦わずしてどうする」
「俺も止めようとしたんだが、このありさまだ。潔く諦めるしかねえな。そうこう言っているうちに、奴さんのお出ましだ」
遠くの方から地響きが聞こえてくる。規則性があり、自然的なものではないことは明白だ。現にその音は次第に彼らの下に迫っていた。各々武器を構える中、不意の地響きは止んだ。するとユウトが創った壁と壁との隙間から、新たに生み出されたであろう一匹の餓鬼が出てくる。実際に鬼の姿を目にしたことがない彼らは、それが地響きの正体なのかと疑った。
「あれが鬼、なのか」
「まさに邪悪を体現した生き物ですね」
「ならあれが、地響きの原因か?」
「それにしては体が小さすぎると思うけど」
餓鬼を前に話す四人であったが、その瞬間巨大な握り拳によって餓鬼は叩き潰された。そして鳴りやんでいた地響きの正体が、彼らの前に姿を現す。
「おまえら、ころせば、おでの、かち」
今の一撃で、今現在出現している黄泉の軍勢はほぼ消えたといってもいいだろう。オキタは一人そう思ったのだが、彼の言葉が正しければどうせすぐに復活しまた攻めてくる。
そこまで考えると、オキタは重い尻を上げた。
「僕一人であれを捌くのって、かなり難しいと思うけどな」
腰に差す妖刀を静かに抜く。
「組長、準備整いました!」
「僕はあれの相手をするから、皆は他のを頼むよ」
駆け寄ってきた隊士にそう言うと、オキタは視線を前へ戻す。壁の隙間から溢れ出る餓鬼の中から、それらとはまったく別種の鬼が出てくる。
「人間よ。あなた達に怨みはないが、姫の命令によりここで死んでもらいます」
人が密集している場所を襲うというのが、自分が知る黄泉戦の習性だ。であるならば、この場所に黄泉戦が来ているのだからこの辺りに人の住む国があると考えるのは至っておかしなことではない。
しかし、突然できた壁の向こうに人の気配は一切感じられない。それでも黄泉戦は、その向こうに人がいるのだと壁を掻きむしる。仕方がないと思い、金棒を振るい壁に十分に通れるぐらいの穴を空けた。すると一斉にその穴へと、黄泉戦はなだれ込んでいく。
まさか自分の勘違いか? 釈然としない思いを抱え、穴を抜けた。だが案の定、自分の勘は当たっていたのだと知る。
「やっぱりいないじゃない、お前達」
ここに人がいると言った部下の方を見た。けれど先にここに着いた部下の姿は、もうここにはなかった。戦力の心配をしたわけではない。現に新たに生まれた黄泉戦が壁の穴から次から次へと出てきては、斬り殺されていたからだ。
「いやはや、久々の旧友との再会のあとにこれですか。斬っても斬っても消えませんね。これが噂に聞く、鬼というものですか」
「おい、爺さん。あんた何者だい?」
たかが数秒で、こいつは千の黄泉戦を倒した。年寄りだからといって侮っていい相手じゃない。
金棒を突きつけられた彼は、優し気に微笑みかける。だが一連の流れを見ていたので、その表情からは狂気以外感じられない。
「お嬢さん、そんな危ないものは降ろしなさい」
「いいから答えな、ジジイ!」
「これはこれは血気盛んな人、いや鬼ですね」
周りを数万の黄泉戦に囲まれていながらも、まったくの焦りが見えない。そのことに、自らも知らぬ間に焦りを覚えていた。
「名乗るほどの者ではありませんよ。ただの、通りすがりの年寄り、と思っていただいて結構ですので」
まるで幼子を相手をするように、アサエモンは刀を構えたのだった。