目覚めは災禍を連れて
「「!!!」」
突然ツクヨミとアマテラスは、まったく同じタイミングで目を見開いた。二人の肩は怒りか、それとも恐怖のせいなのか小さく震えていた。
ツクヨミは手を握り締めるとその拳で畳を殴る。
「馬鹿が......! あやつ、やりよった......!」
「予想外に早いな。このままだと十分な時間が残されていない。希望的観測だが、母が完全に力を取り戻すまでもって一週間か」
「一体どうしたんだ?」
すると自分を落ち着かせるようにツクヨミは深呼吸をした。
「......悪神が扉を開けよったのじゃ。時期にこの世界は、黄泉の国とが一体化してしまう。そうなってしまえば、人、堕ちた神など一切関係なく世界は終末を迎え、妾達の住むこの場所もその災禍に呑まれることになるじゃろう。そうならないためにも今すぐ、手を打たなければならん」
脳裏に波のように押し寄せる鬼の大群と、その後ろで笑みを浮かべる鬼神の姿が過った。
「なら、俺達はそのために何をすればいい?」
「黄泉の国は、妾か姉上の加護がなければ生き続けることができない。そのためにお主達にはそれぞれ妾達の加護が必要となる。妾はリンドウとすでに契りを結んでいるがサカイ、お主も一応はある神と契りを結んでいるようじゃが、それは黄泉の国では役に立つとは言い難い」
ツクヨミの台詞に、心当たりがあるのかアスナはハッとした。
「それは、剣神の加護、ですか?」
「左様。死してなお継続される加護など聞いたことがないが、事実お主はそれのおかげで気づかぬ窮地を切り抜けてきた。どうする? 制約上一人に与えられる加護は一つまでである以上、今ならその加護の代わりに、姉上の強力な加護を付けることも可能じゃが」
ツクヨミのその問いに、アスナは静かに首を横に振り、言葉少なに答えた。
「いいえ......私はこれで大丈夫です」
「......そうか。まあその方が良いのかもしれんな。加護にも向き不向きがあるかもしれんからのお。それにその時は、妾が近くにいれば案外大丈夫かもしれん」
そこまで言うとツクヨミは、アマテラスに目配せをした。
「では二人とも、さっそくじゃが行こうか」
直後、体が宙に浮く感覚と共に視界が暗転した。次に目に映った光景はどこぞの森の中だ。木々は鬱蒼としており、どこからともなく鈴虫の鳴き声が聞こえてくる。そんな中で微かな月明かりのおかげでなんとか周囲の状況を確認することができていた。
「ここはどこだ?」
「なんてことはない、ただの森の中じゃ」
不自然にできた茂みの間を縫うようにツクヨミを進んでいく。彼女が何を考えているのか分からないが、このままこの場所に居続けてもと思い、仕方なく俺達もまたその後に続いた。途中で何度か声を掛けたりしたのだが、はぐらかされてしまい黙って付いていくことにした。
ある程度歩くとツクヨミは周りを見回し、今度は別の方角に向かって進んでいく。まるで何かを探しているかのように俺には見えた。それを繰り返すこと約二十分、進む先に木々がなく少し開けた場所が見え始めた。
草をかき分け、あとちょってでその場所に出ようとした時に、ツクヨミが手で制した。そして人差し指を下に向けて、屈めと合図をしてきた。それに従い屈んだのと、それが来たのは丁度だった。
黒い稲光が走ったかと知覚した時には、その開けた場所に二人の人物、いや二人の堕ちた神が立っていた。二人内、紫色の髪をした人物でない方も気になったのだが、それよりも俺達の視線が食いついたのは、黒のマントを羽織りその顔には仮面を付けている人物。俺とアスナは、その人物に見覚えがあったのだ。
「若干服装は違いますが、間違いないですね」
「ああ、あの時の奴だ」
海神ディランとの戦いの際に乱入してきた別の堕ちた神。名前までは知らない。けれど今そいつが俺達の目の前にいるという事実がある。
二人は軽く周囲を散策し終えると、二言三言言葉を交わしたのちに黒い稲光だけを残しその場から姿を消した。もともと鳴き止んでいないかもしれないが、その時になって鳴き止んでいた鈴虫の声が聞こえてきたような気がする。
「まさかあれは......」
ツクヨミはどこか苦し気にそう言う。だがすぐに否定するかのように首を横に振る。
「......行ったようじゃ。二人とも、行くぞ」
立ち上がるツクヨミに続き、俺達は開けた場所に出た。辺りを見回すも特段変わった点はない。いや、足元を見ると人工的に埋められたであろうたくさんの石が存在し、それはところどころぶつ切りであったりなかったりしていたが、一本の道を形成しているようであった。
だがそれには目もくれず、ツクヨミは道から外れた脇道に進んでいた。ずんずんと迷いのない足取りに見失いそうになったが、その前にツクヨミの足は止まった。
「やはりか......」
そこには、月光に照らされた廃神社があった。木造であるため長年の雨風のせいか一部は腐り落ちており、扉は片方を残して無くなっていた。ツクヨミはこの場所に来たかったのか?
倒壊寸前のその廃神社に、ツクヨミは歩み寄っていく。理由もなくその後を付いていくのを憚られた俺達は、その場に佇むほかなかった。
ツクヨミは数段ある階段を上がり、賽銭箱があるところで急に腰を屈めた。何かを拾い上げる仕草をする。その瞬間、黒い砂のようなものが見えた気がしたのは気のせいか......。
終えるとツクヨミはすぐに腰を上げ、振り返りこちらに歩いてきた。その手には黒い何かが二本握られており、それが探し物なのだと俺は知った。
「リンドウ、サカイ。これだけを覚えていてほしい」
手に持つそれらを俺とアスナ、それぞれに渡しこう言った。
「死んだ者を生き返らせる術はない。もし仮に、それを可能にする方法があるとするなら、等しく対等な代償が必要となる」
一日目、目覚めの日。味などどうでもよく、底なしの空腹に襲われ、目についた肉を喰らった。美味くはなかったが、空腹を和らげることができた。
二日目、三日目。両日共に、腹が満たされるまで喰い続けた。もとよりスクナが捕まえてきた堕ちた神は、先に喰らった肉と同等またはそれ以下ではあったが、喰らうにつれて味の差が分からなくなっていった。
四日目、五日目、六日目。三日共に、深い眠りについた。目覚めの反動なのか、すぐに目が覚めた。けれどその時にはすでに、三日もの時間が過ぎ去っていた。
七日目、最後の日。食欲も睡魔も消え失せ、後に残ったは己の記憶だけであった。憎きあの顔が脳裏を掠める。自分の姿を見て、逃げるあの男の顔が。
―――― 愛しい人よ、こんなひどいことをするのであれば、私は一日に千の人間を殺すでしょう ――――
―—————— 愛しい人よ、それなら私は産屋を建てて、一日に千と五百の子どもを産ませよう ――――
―————— そう......ならば憎き人よ、私はありとあらゆる生ある者すべて、根絶やしにしましょう ――――
「姫よ、黄泉軍の準備が整ったぞ」
「言われずとも分かっている」
そう言いイザナミを部屋を出る。その後ろから一定の距離を開け、リョウメンスクナは付いて来る。空は赤と黒が混在し、夕とも夜とも取れる。だがこの黄泉の国において、そういった概念は存在せず、等しく時間は止まったままだ。ただしそれは、イザナミによって生み出された者達に限定されており、仮に生者がこの場所に足を踏み入れると、ある条件を満たしていなければ一切の理由なしにイザナミの配下として、亡者へと変えられることとなる。
風に運ばれ届く亡者の断末魔がイザナミの耳に届く。彼女にとってのそれは、大変心地よく、苛立つ心を落ち着させ、冷静な気持ちにさせた。
「人間共はどうしている?」
「一週間もの猶予を与えている。我輩達を迎え撃つ準備はできていると思うぞ」
「そうか、ならばいい」
「一つ訊いてもいいか、姫よ。なぜ、目覚めの日に人間共を根絶しなかったのだ?」
「......」
それには答えずに、イザナミは壇上に上がった。上がるとすでにそこには、キドウマル、イバラキドウジ、ツチグモの三人が控えていた。そして手すりに手を置き眼下に目を向けると、無数の蠢く何かがいる。それらは一匹一匹が亡者、鬼と呼ばれる黄泉軍である。それは地平線まで続き、その先でも今まさに生まれ続けていた。
「スクナよ、お前は私にこう訊いたな。『なぜ、目覚めの日に人間共を根絶しなかったのだ?』と」
右手に神器アメノムラクモノツルギを出現させる。
「唯一私から生み出されたお前であれば、私がそうしなかった理由を知っているはずだ」
「子が生みの親に似るとでも思うのか? ならば姫の本当の子の方が、姫の言うその理由を知っているはずだ」
「そうだろう。だからあの子らは、私が目覚めたその日から今日まで、何も手を出さなかったのだと思う」
そこまで言うとアメノムラクモノツルギを天高く掲げ、すべての鬼に聞こえる声で、声高らかに宣言する。
「聞けええぇぇ亡者達よおおぉぉぉ!!」
統率された兵士のように、地平線まで埋め尽くすすべての亡者達は、支配者であるイザナミの声に律する。するとイザナミは、アメノムラクモノツルギを扉の先へと向けた。
「黄泉神イザナミノミコトが命ずる、黄泉軍よ、生者達の住まう世界へ、進撃せよ!!」
「「「「「「「「「ウオオオォォォォォォォォ!!!」」」」」」」」
空間が振動し、大地は大きく揺れる。生者達の住む世界に向け今、黄泉軍が進撃を始めた。こうなってしまえば、それらすべてを半永久に殺し続けるか、支配者であるイザナミを倒すか、またはイザナミの命令のどれかでしかこの進撃を止めることはできない。
その進撃を見ながら、イザナミは言う。
「意識がはっきりしない状態で、人間共を根絶したとしても私の心は満たされることはない」
「はっ、なるほど。自覚した上で、それを実行したいというわけか。これでは子が生みの親に似るというのは、あながち間違いではないぞ」