責任転嫁
。
「金竜の鉤爪」
影井兄は金色に染まる左拳で弟の仇だと思い、殴ろうと拳をオスカー目掛けて振り下ろそうとした。
その間オスカーは、相手は全部で六人で前衛はこの五人が務め残りは一人は後衛だけだろうと考えると、迫る影井兄の攻撃をするりと避け、その手首を握り地面に突き刺した。急激な負荷が影井兄の拳を襲い、指が何本か折れてしまった。
影井兄は痛みにのたうち回っているが、すぐに彼の拳はユキの治癒魔法により治されていく。だがケガが治ったとしてもその痛みまでは取ることができず、影井兄はオスカーから距離を取るようにして後ろに下がる。
この時影井兄のバックアップをするため、弟、マサト、クロサキそしてジーンも加わっており、そのためオスカーはそちらの対応に急がなければならなず、彼は影井兄を追うのを諦めることにした。
影井弟の『銀竜の鉤爪』も軽やかに避けるオスカーは、マサト達の攻撃は新しく手にした短剣で捌いていく。またその間おそらく数撃ほど攻撃を受けてしまったが、彼からすればそのほとんどが致命傷にすらならなかった。
どうやって倒そうかと思いオスカーは悩んだ。殺すのは容易いが、そうなると部屋が今以上にボロボロになる可能性があった。元の状態に修復できればいいが、もしできなかったらリーバイの矛先が今度は自分に向かうのではないか。優位に立っているのは自分ではあるが、意味のない戦闘は避けるには限る。では一体どうすればよいのか。これ以上部屋を壊さずに、六人を殺す方法が何かあるだろうとかオスカーは考えた。
そうしている間にも、視線の端にマサトの剣が見えたのでそれを自身の短剣で叩き折り蹴り飛ばした。感触からして肋骨を二、三本折ったかなと思いながら、ジーンの攻撃を避け、クロサキの剣をマサトと同じように叩き折っていると、やはりというべきか負傷したマサトはユキの治癒魔法によって無傷の状態になった。
問題は前衛などではなく後衛か、では聖女を殺そうかと考えた。だがなぜか躊躇してしまった。理由は分からない。聖女が女性だったからなのか。たしかにこれまで自分が直接的に女性を殺したことはなく、仮にあったとしたらそれは間接的だった。いやもしかすると自分が忘れているだけで、それより以前にはあったかもしれない。
痛みから復活した影井兄の左拳をまたしても地面に突き刺したところで、仕方ないとオスカーは思い至った。冷静に考えれば誰にだって考え付くことができることだった。動くのであればその自由を奪えばいいと。
初めその異変に気付いたのはユキだった。戦闘に不向きな天職が故に常に一歩引いたところでバックアップに努めていたユキだからこそ、五人の動きが鈍り始めたことに気付けたのだ。動きを阻害する魔法かと思い、状態異常を完治する魔法を使用したのだが一向に良くなる兆しが見えず、むしろ一層悪くなっているように彼女には見えていた。
その時になって五人も自分達を襲うそれに気が付くことができたが、もうその時にはすべてが手遅れだった。見ると手先の一部が毒の一種だろうか紫色に変色し始めており、それは視覚できるほどのスピードで手から浸食し始めていた。
そしてついには完全に体の自由が奪われ、六人は崩れ落ちてしまった。
「毒って怖いよね。あっという間に全身に巡って、それに気づいた時にはもう終わっているんだから」
オスカーは短剣を壁に掛けながらそう言った。
彼が使用したのは『神をも殺す毒牙』、神力の一種だ。毒の威力は神獣であれば一時間、人であれば十分として生きることができない危険すぎる猛毒だった。しかしこれには大きな弱点が一つある。それは驚異的な毒力と引き換えに密閉した空間でなければその真の効果を発揮することができないというものだ。これさえクリアすることができれば何者にも脅威となるだろうが、これは周囲の環境に依存する神力であったため限られた場所でしか使うことができないのだ。だからオスカーは、その点を補うために自身の魔力を部屋全体に行きわたらせ、戦闘によって部屋が必要以上に破壊されないように強化し、隙間という隙間をすべて自身の魔力で塞ぐことと考えた。そんなオスカーの努力の甲斐あってたった今、死が蔓延する部屋が完成したのだ。
「はい、僕の勝ち。そして君達の命は、もって五分ぐらいだ」
勝負に勝ったのが嬉しいのかオスカーは笑った。
「何か遺言とかあるかい? 僕優しいからさ、しっかり君達の遺言を伝えてあげるよ。まあ伝える相手も殺すけどね」
「......んで」
「ん? そこの君、遺言は何かな?」
その声はマサトのものだった。彼は顔を上げると、オスカーを真っ直ぐ見つめ言った。
「なんで、ユウトを殺したんだ......」
「マサト君......」
「お前の身勝手な理由で、なんで......なんで俺の親友が殺されないといけないんだ!」
その叫びが部屋に木霊した。張り詰めた空気の中誰も口を開こうとしない。だがオスカーにその叫びは届かない。
「ユウト? それってさっき言ってた、スドウっていう人と同じなのかな。もしそうならごめん、知らない」
「とぼけんなよ......! お前が、殺した人のことをなんでお前が忘れることができんだ!」
「はあ? 知らないものは知らないんだけど」
「忘れんなよ! 半年前、そこにいるフユジマと影井達を操って殺した奴がいるだろうが!」
オスカーはマサトが言った、自分が操ったと思われるユキと影井兄弟に目を向け、三人をじーと見つめた。すると記憶の蓋が少しずれ、マサトの言う半年前のその出来事を思い出した。だからオスカーは、ああと言いそれを認めた。
「ああ、そういえばそんなこともあったね。それで何だっけ、どうしてそのユウトっていう彼を殺したのかっていう話だけ」
天井の隅の方を見て少し考えると、オスカーは当たり前のことのように言った。
「うーん、たまたま、かな?」
「たまたま、だと......?」
「うん。たまたま偶然目についたから、殺しとこうかなって思った。理由は......それぐらいかな」
オスカーのその発言にマサトは体を震わせ、彼の中に神力をも跳ねのけるほどの力が生まれることとなる。
「てっめええぇぇ! ぜってーぶっ殺す!!」
マサトがそうなったわけは、彼の持つ復讐者の称号がその真価を今発揮しようとしたからであり、それは親友を殺したのは目の前にいるこのオスカーであるというのが彼の中で明確になったからだ。しかしそれは、無慈悲にも神力の前に消え失せた。考えるまでもなく神力というのものはそれほどまでに強大なものだ。それによる恩恵も神力の前には等しく無価値だったのだ。
マサトの様子に、オスカーは分からないとばかりに眉を寄せた。
「どうしてそんなに怒るんだい。理不尽が蔓延る、自分の思い通りならない、世の中そんなもんだよ。リーバイもそうだけど、君にとってそのユウトって彼は大切だったんだろ? ならどうして彼の近くにいなかったんだ。もしいたら、僕から殺されずにすんだかもしれないのに。責任転嫁っていう言葉を君は知らないのかい?」
それが事実かのようにオスカーは言った。オスカーの言い分を聞き、ジーンは心の底から軽蔑した。
「私は部外者だが、相手の気持ちを知ることができないお前はクソ野郎だ」
その瞬間、オスカーの体が固まった。そしてゆっくりとジーンの方を向いたその顔には、先ほどまで浮かべていた笑みなどなく、彼を恐怖のどん底に落とすものが張り付いていた。
「......あ? 今お前なんて言った。俺がクソ野郎って言ったか?」
一変したオスカーに怯むジーンであったが、それでも彼は言い放った。
「そうだ。お前は自分勝手で、相手の気持ちを微塵も感じようとしない最低のクソ野郎だと言ったんだ。聞こえなかったのか?」
「......ああ、もういい」
オスカーの顔に陰が差した。
「奇跡なんてもの信じる奴の命なんて、世界が味方だと思い込んでいる奴の命なんて、もうどうでもいい。今すぐ消えた方がいい」
いつのまにかその手には、血が滴る赤黒いの剣が握られていた。自分のことをクソ野郎といったジーンに剣先を向けた。
「後悔して死ね」
剣を振り上げそれをジーンに振り下ろそうとしたまさにその瞬間、部屋が異常に明るくなったことに誰もが気付いた。それは照明のせいなどではない。窓から差し込む光量が急激に上がったのだ。それの正体を自身の目で理解したユキは防御魔法を使い、自分を含め六人を覆う巨大な光り輝く壁を出現させた
「女神の慈愛」
それが六人を囲むように展開したのと、辺りが火の海へと変貌するのはほぼ同時だった。そのような状況を作り出した正体は、巨大な火の玉だ。それは『黒竜の息吹』という特定の種族しか使うことができない強力な技であった。威力は個体差によるが、神獣がそれを使うとなると一国は軽く滅ぼせることが可能であり、それよる火災を鎮火するとなると最低でも一月はかかるとも言われていた。
異常事態に気付いた兵士達がすぐに集まってきたが、その原因となったモンスターが何なのか理解し、恐怖で体を震わせた。すると誰かがそれを指差し、大声で叫んだ。
「帝災級のジルニトラだああああぁぁぁぁ!!」
「ゴガアァァァァァァ!!!」
複数の国家を滅亡させるだけの力を持つ脅威に与えられる災害レベル。上から四番目の当たる帝災級に、ジルニトラは認定されていたのだ。歴代魔王の一人はその力を恐れたため、ジルニトラを襲うことを禁止する法律などを作ったという逸話があるほどに、ジルニトラは魔大陸において恐れられていた。
それほどの脅威であるモンスターがいると知った兵士達がこうなるのも仕方ないだろう。集まってきた兵士達は一瞬で散り散りとなり、あとには残った武器しか残っていなかった。
しかしそんなことジルニトラとってはどうでもよかった。問題はあれがどうなったかどうかの方が大事だった。
「あのまま逃げればよかったものを」
先の一発を片手で退け、オスカーは無傷だった。彼の言うように、ジルニトラはこの場を去ろうとしていた。自分とオスカーとの間に絶対的な壁があり、それは自身を負かしたルシアーナでさえ敵わないと思わせるほどの力の差を感じ取ったからだ。それを感じ取ったジルニトラはすぐさま逃げようとした。けれど結局はそうはしなかった。ルシアーナとの契約のこともあるが、それ以上にかつて自分を守ってくれた黒竜神に顔向けできない、そう思ったからだ。
そうして戻ってきて放った『黒竜の息吹』を前に無傷のオスカーにこれでは倒せないと考えたジルニトラは、ある部分に強化魔法を掛け、オスカー目掛けて突っ込もうと見せかけて、己の中で最も硬くかつ強化魔法によりこの世にある鉱物の中でも最強クラスに属するほどまでになった尾で、オスカーは叩きつけようとした......が。
「竜神の鉤爪」
影井兄弟とは比べ物にならないぐらい見事にオスカーの両手は竜の手へと変質していた。その手でジルニトラの尾を掴むとオスカーは地面に向かって彼を投げ飛ばした。地面に激突しよろめくジルニトラの頭を掴み、今度は一回だけでなく何度も何度もその顔を地面に叩きつけたのだ。
ある程度叩きつけたところで、オスカーはジルニトラの顔を持ち上げ覗き込んだ。
「おい、ガキがあんま出しゃばんなよ? 殺すぞ」
「グルルルル......」
「反抗的な目だな。やっぱ殺す」
『竜神の大牙』を発動し、オスカーはジルニトラを殺そうとした。この時オスカーは、『神をも殺す毒牙』のもう一つの弱点のことを忘れていた。それは100%発揮されるのは密閉空間であり、それが密閉でなくなった場合それを受けていた対象はすぐにその影響下から抜け出すことができる、そのことを。
「ああ......頭に血が上ったせいかな。忘れていたよ」
自身の貫くジーンの剣によって、オスカーはそのことを思い出した。抜かれた剣には血がべっとり付いているが、オスカーからすればそれでも問題なかった。この場にいる者全員殺すぐらいの力が、彼にはまだ残っていたからだ。
「さあ始めようか、戦いの続きを」
「いや、お前はもう終わりだ」
剣を抜いたジーンはオスカーに対しそう言いのけた。目を丸くするオスカーは、自身の体が灰になり始めているのにすぐには気が付かなかった。
「俺から何回攻撃を受けたか覚えていないだろう? ぴったし四回だ」
ジーンが使っていた剣は、アルタイルにおいて創造級の武器に分類されるものだ。その名を『シケン』といい、一滴でも流血するぐらいの傷を与えるたびにその対象となる者に死の恐怖心を植え付け、最終的にそれが四撃に達したその時には、その対象は必ず死ぬ『四死』という力を備えていた。
「お前は死ぬ。俺達の勝ちだ」
灰となった腕から落ちた腕輪をジーンは拾った。遅れてきたマサトにジーンは腕輪を渡し、受け取ったマサトはそれを剣で叩き切った。真っ二つになった腕輪から黒い煙が漏れ、腕輪は黒から白へと変色した。それを名残惜しそうにオスカー見ていた。
「ああ、また、約束守れなかったかー。まあ、これは、仕方ない、ね......」
そう言い残し、オスカーは灰となり、消えた。
大きく抉られた地面が目につく。驚くべきことにそのすべてが拳と脚だけで作られたものであるという点だ。これを強調するために付け加えることがあるとすれば、それは何か特別な力に頼ったものではなく己の純粋な力であるということ。
その現状を作った張本人、戦神リーバイ。純粋な力での勝負において、彼に勝てる者はまずいない。磨き上げられたその肉体から繰り出されるすべてが極限まで高められた武の極致であり、それを前にして彼の前に立つことが許された者など存在しなかった。
「さて、何か言い残すことがあるか? 天使族よ」
「......」
首を掴まれているルシアーナは満身創痍でそれに答える気力も残されていなかった。
「弟を殺したことを謝れば、考え直してやらないこともない」
そんなこと微塵も考えていないことなど、その顔を見れば明白であった。彼はただ、ルシアーナが自分の大切な弟を殺した過ちを後悔させたいという気持ちしかなかったのだ。だからルシアーナは残された気力を振り絞り掠り声でそれに答えた。
「こ、殺しなさい......」
「はっ、愚かな。最後の機会を自分で潰すとは。だがその気高き心だけは称賛してやる」
言い終えるとリーバイは手に力を籠めた。
「では望み通り殺してやろう」
「うっ......!」
次第に首を絞める力が強くなりルシアーナは呻き声を上げ、持っていた白刀もその手から滑り落ち、徐々に意識が遠のきかけていた。その時ルシアーナは心の中で、ごめんなさい、あなたとの約束、守れそうにないわ、と零した。
最後リーバイは、完全にその息の根を止めようと自身の出しえる最大級の力をその手に籠めようとした、ちょうどその時だ。
「......!」
何かに気付きリーバイは懐から腕輪を取り出した。元々の色は黒であったのだが、いつのまにか黒から白へと変わっており、リーバイはそれを見て腕輪が解呪されてしまったということを知った。
だがどちらにせよ彼からすれば腕輪がなくとも問題なかった。腕輪の有り無しに関わらず彼は強すぎるのだ。鍛え抜かれたその体にダメージを与えられる術はほどんどなく、腕輪を守ろうとした理由はただ国民を統率するのに便利だったから、それぐらいだった。
それとは別に気になったことがオスカーのことだった。リーバイはオスカーとの間で、口約束ではなく縛りが存在する約束を奴を交わしたのだ。それがある以上腕輪を放り出して逃げることは不可能。であるなら一体何があったのだというのだ、もしや、と考えたところでリーバイはそれ以上の思考を放棄した。
この際オスカーの身に何が起こったのか、リーバイにとってそれは関係のない話だった。弟の仇を取れればそれだけで十分であったからだ。
解呪された腕輪を握りつぶし、改めて目の前のルシアーナを殺そうと意識を向けた。
「今度こそ終わりだ。『無と有の始まり』」
『永久不滅の牢』を破壊した時は二割の力だったが、今回は正真正銘全力を籠めた『無と有の始まり』。その直線状にあるすべての有を無へと還し、仮に大地に打てばこの大陸はその存在を消し、空に打てば世界の境界に穴をあけ世界の崩壊に繋がる。
この時点でリーバイの勝利は確定だった。それは防ぐ手立てをルシアーナは持っていなかったからだ。だからそれが成功するのはルシアーナの意思とは関係なくあくまでも確率。それが成功しなかったならばルシアーナは間違いなく死んでいた。
リーバイの拳がルシアーナに触れるその間際、勝負の行方は決定された。世界が優先した命はリーバイ、ではなくルシアーナの命であった。
リーバイの拳を片手で受け止めると、もう片方の手で彼の腕をルシアーナは切り落とした。ほぼ反射でリーバイは蹴りを入れようとしたがそれは空振りに終わる。いきなりのことに何が起こったのかリーバイはすぐ把握できなかったが、少し離れたところに立っているルシアーナの後ろ姿を見て確信した。
「ここにいるということは、ルシアーナは死にかけたのか」
本当の戦いはこれからか、と......。