4、共同生活から始まる何かを期待するのは、危険の香りがする。
ディズの夜勤も3日目。
眠そうに彼の部屋へ入っていく背を見送り、食器を片付けた私とイティスは、買い出しの為に市場へ向かいます。
リッチな賢者様のおかげで、一般家庭にはない冷蔵庫的な魔道具も借家に設置してあるのですが、この買い出しは私の社会勉強も兼ねています。よって共同生活が始まってからずっと行っている、日課のような物ですね。
そんな実地訓練の賜物なのか、拙いもののなんとか日常会話はできるようになってきました。
賢者様なイティスと、カアラカイルカイン神に授けられた「自動翻訳スキル」を持つディズの2人と話すだけならば、別に勉強する必要なんてないのですが、それでは自分1人の時に何もできないアラサーが出来上がるだけですからね。それに例の異世界人特典らしき、目を合わせると同時通訳される能力を使わなくてもよくなってきたのは結構うれしい。
あれ、たまに心の声を読んでしまう事があるみたいで、声に出している内容と違ったりするのです。
日常会話へたまに含まれる、美貌の賢者様イグナティトゥナダリウスと一緒に住んでいる私への嫉妬とか、ディズとイティスの仲を勘ぐっている好奇心とか、そういったものは、聞いているこちらがいたたまれなくなります。賢者様の本性を知っているがために。
『おねえさん、この、赤い、野菜、トマを、1つ、ください』
幼児以外の女性は『おねえさん』と呼ぶといい、と教えてくれたのはイティスです。
ニュアンス的にお世辞が含まれているような気がするのですが・・・まあ、処世術のような所もあると思いますので、素直に皆『おねえさん』呼びをしています。その甲斐あってか、この八百屋のおかみさんはいつも『今日中に食べてね!』という程に熟れきった果物ではありますが、おまけに付けてくれたりします。
結構、この世界に馴染んできたのではないかと思う今日この頃。
もちろん、元の世界へ帰る希望を捨てたわけではありません。
でもその希望に縋り切って、帰れなかった時に困るような事態になるのは避けたい。よって今後もこの世界に馴染むための勉強や、実地訓練は続けていく予定です。
『あいよ!こっちのキュベを、トマ、と、炒める、うま・・・美味しいよ!』
そう言って満面の笑みで濃い緑の、キャベツに似た葉野菜を差し出すおかみさんは、言葉が不自由な私にもわかりやすいようにゆっくり話してくれる、心優しい人です。例えその瞳に、賢者イグナティトゥナダリウスのスキャンダラスな私生活への興味が溢れていたとしても。
『では、それ、も、いただく、します』
『いただきます。だよ!毎度あり!』
提示された金額を雇い主であるイティスから頂いた生活費から支払い、持参した布製の買い物袋へ入れます。
この八百屋さんはほぼ全て品物をこの辺りの平均的な価格で販売しているので、まずはそれを覚える事。値切りは難易度が高いのでまだしないように、と指示されています。ここのおかみさんは優しい方ですが、調子に乗って他でやらかした場合、トラブルになる可能性もありますし、ね。
少し離れた所から見守ってくれていたイティスへ視線をやると、小さく頷いてから寄ってきました。
家の中だと鬱陶しい程にベタベタしてくるエロフさんですが、外へ出るとこうして教えたことが実践できているのか適切な距離で見守り、必要とあれば助けてくれる、非常に模範的な紳士へ成りすまします。
「このバァナを1房くれるか?・・・ディズが好きなんだ」
『っ!!あ、あいよ!!』
顔に『キタ―――――!!』と書いてある感じに嬉々としたおかみさんが、オレンジ色のバナナっぽい果物を1房、イティスへ手渡します。それを愛おしそうに深緑の瞳を伏せて受け取り、ほんのり頬を染めておかみさんへ微笑みかける、イティス。
バァナを隣にいた私へ持たせた彼は、まるで高貴なご令嬢へ触れるような洗練されたしぐさで、興奮のあまり鼻息を荒くしているおかみさんの手を取り、そっと代金を握らせました。
「ありがとう」
『はっ!はぁい!ま、まいどありぃでございますぅぅぅ!』
おかみさん!完全に騙されとりますよ!!
賢者イグナティトゥナダリウス・・・恐ろしい子!
毎度毎度、よくやるな・・・と思いながら、私は受け取ったバァナを買い物袋へ突っ込みます。腕に下げるには重くなった袋を肩へかけ、根掘り葉掘り聞き出そうとするおかみさんを意味深な笑顔でかわすイティスの服の裾を引きました。
『イティ・・・イグナティトゥナダリウス様』
無駄に演技の才能を発揮し、体まで張って男色を匂わす賢者様が、外で彼の愛称を私に呼ばせない理由は、きっと碌なものではない。
雇い主と雇われ家政婦という主従関係を崩して接してくるのは彼ですが、外でもその馴れ馴れしさを発揮して面倒な嫉妬を買う事は避けるべきです。それに彼がその態度をとる分には問題なくとも、雇われている立場の私がするのは非常識である上に、彼のファンたちから非難を浴びるのは必至。
私は長ったらしい彼の名前を噛まないよう、慎重に口にした上で敬称付けして呼び、今日の買い物は済んだのだから帰ろうと、目で訴えました。
「そうだね。早く帰って、彼が好きなバァナのケーキでも焼こうか」
基本、何でもできる賢者様はお菓子作りだってお手の物です。
それが出来上がるまでの過程でお菓子より甘~い恋人ごっこをしてきますが、今週は夜勤のディズが部屋で寝ているからでしょう。お触りなしですから、長期彼氏不在のため枯れ切っていたせいで過剰反応する私のときめきを無駄に刺激してくる要素が少なく、食後のデザートを素直に期待することができます。
イティスはまだハアハア言っているおかみさんへ軽く会釈をし、私の背に軽く手を添えて帰り道へと誘導してきました。いつの間にか、私の肩から重たい買い物袋が取り上げられていて、苦も無くそれを持ちながら私をエスコートする様に、周囲の女性陣から桃色のため息が漏れます。
『はぁん。素敵ぃ』
『まるで物語に出てくる理想的な騎士みたいなデジデリウス様もいいけど』
『美貌の賢者様も魅力的よねぇ』
『そんなお2人が1つ屋根の下・・・グフグフ』
おぉ・・・最後の貴女、腐人界の人かい?
外面完璧紳士な賢者イグナティトゥナダリウスの人気もすごいですが、前歯が復活してイケメンマシマシなデジデリウスの人気も高い。
王都出身かつ王城勤務だった職歴からか、笑顔でスマートに対応してくれる上に、腕っぷしが強く、酔っ払いや横暴な冒険者などから助けられた事のある女子が多く存在します。今まではそこで「いい人」止まりだったらしいのですが、王都でいろいろあった際に失った前歯が戻り、同時にファニーフェイスがハンサムへ戻った影響で人気が爆上がりし、今やこの町のイケメン2大巨頭とまで言われていらっしゃるのでございます。
まぁ、王都でもこんな感じに人気で、散々食い散らかしていらっしゃったそうですから?
いいんじゃないですか?
私なんて放置して、リア充返り咲きしてくださいよ。
家でのんきに寝ているだろうディズを思い浮かべて、若干イライラしながら帰途を急ぎます。どこか満足そうなイティスも遅れることなく、私の隣をキープしてやや速足でついてきました。
お主。やるな。
まるで競歩の様になりながらも借家へ到着すると、家の前を掃いていたお隣さんが声をかけてきました。
『こんにちは賢者様!少し前に、背の高い男性が貴方を訪ねていらっしゃいましたよ。デジデリウスさんが対応して―――』
「ありがとう!」
話の途中で遮った賢者様は笑顔で隣人へ背を向けると、私の手を取って走り出しました。
訪問客がいるという借家から、離れる方向へ。
「なになに?!どうしたの?!」
もつれそうになる足を必死に動かし、イティスについてい走る私をふり返ることもなく。彼は町の外周を囲う塀まで走り続け、私の身長ほどの高さの塀まで来てやっと止まったかと思えば、私を抱え上げて軽々とそれを飛び越えました。
「ひぃぃぃっ!」
やはりお姫様抱っこは憧れ止まりの方が精神的にいい!
思わずイティスの首にしがみつきましたが、それを咎めることもなく、彼は再び走り始めました。
そうして暫く走り続けた後、ついに息が上がってきたイティスが足を止め、木々の間から遠く微かに見える町をふり返ります。次いで周囲を探るように見回し、深いため息を吐いてから、やっと私を下ろしてくれました。
不安定な姿勢で運ばれた影響からか、膝がガクガクいって上手く立てなかった私はその場に座り込みます。そんな私を見下ろして、それからそっと目を伏せたイティスが呟きました。
「デジデリウス・・・尊い犠牲だった。」
「えぇっ?!」
なんなの?何が起こっているの?
わけがわからなくてオロオロする私を放置し、イティスがその辺にあった枝を拾って、街道の土の上に何やら描き始めました。淀みなく描かれるそれは、直径1メートルくらいの円の中に、丸やら三角やら文字やらが複雑に並んでいます。
やがて完成したらしい円から少し離れ、今度は小さな声で呟き始めました。
「自動翻訳スキル」を持っているという彼の、今の言葉が理解できないのは、きっとなんらかの呪文を唱えているからでしょう。
精霊に愛されるものが多いというエルフは、精霊術に長けた者も多いとのことで、イティスも精霊術を得意としています。賢者という肩書は伊達ではないようで魔術も結構使えるそうですが、働きの対価が少しの魔力で済む精霊術の方が燃費がいいらしく、そちらの使用頻度の方が高いのだとか。
ただし、精霊はその司る属性が存在しない地域にはいないことが多いので、例えば砂漠のど真ん中で水が欲しければ、魔術を使う必要があります。
その際に唱える呪文が、私には理解できないのです。
これは異世界人であることも理由の1つではあるそうですが、そもそも世界の理に触れる魔術や、理に沿って存在する精霊を行使する精霊術を使うには、師に付いて学ぶのがこの世界の常識。呪文を真似たところで、理解していなければ発動しないらしい。
実は先日のウォーターベッド事件の後、同居人2人に私の異世界人特典的な不思議な力の存在を白状させられました。
この異世界人特典。中級魔法までなら使えるというディズも、賢者様なイティスでも、しきりに首を傾げるほど理解不能な力のようです。そもそも、この世界の理を完全に無視しているのだそうな。
もう賢者様にわからないのですから、解る人なんていないんじゃないのかな。
でも、まあ。別に害のある力でもないし、人前で使わない方がいいと注意された程度でした。
ちなみに目を合わせると心が読めるのは、内緒にしました。だって、気持ち悪いでしょ?
そんな感じに現実逃避していたら、イティスの呪文が完成したようです。
7色に妖しく光る円の中からぴょこっと飛び出してきたのは、ダチョウに似た鳥型の生き物でした。ダチョウより大きくて配色が派手で、頭に冠羽までありますが、ガン飛ばし系の目つきとフォルムは大差ない感じ。
確か「クエクエ」という名前の魔物で、好物の「クエスキ」とかいう果物を与えると簡単に従魔にできるため、騎獣として一般的に普及しています。馬ほど早くなく、持久力も劣りますが、餌であるクエスキが比較的安価かつかさ張らないので、重宝されているのだとか。
「クエッ」
名前の由来は推して知るべし。
「意外に庶民的なんだね」
あらゆる面で経済力の高さを主張してくる賢者様にしては、地味な従魔だと。遠回しな感想を述べたら、イティスが遠い目をしました。
「あぁ・・・他は皆、喰われた」
サラッと恐ろしい事を告げられて固まっている間に、クエクエの上へ抱えあげられました。そしてすぐ、後ろにイティスが乗ってきます。
結構な高さに恐怖を抱く暇もなく、イティスの掛け声に反応してクエクエが走り出しました。
「えぇっ?!イティス!どこへ行くの?!ディズはどうするの?!」
「諦めろ!」
片手を私の腹に回し、もう片方で手綱を操るイティスは、町から離れる方向へとクエクエを走らせます。抗議の為に振り向いた先のイティスは、全く余裕のない表情をしていました。
続きは明日。