1、共同生活から始まる何かを期待するのは、自分に余裕が出来た時。
日和 (ヒヨリ):地球日本産女子29歳。異世界トリップ中
デジデリウス(ディズ):自己都合退職予定の騎士。死にかけて改蘇神カアラカイルカインの加護を受ける。
イグナティトゥナダリウス(イティス):エルフの賢者。158歳だが現役らしい。
突然言葉の通じない異世界へ落とされ、冤罪による留置所生活を送り、なんやかんやあって釈放された私、三浦 日和29歳。
異世界トリップと言ったら伸びしろのある10代だと思うでしょ?でも残念。お肌の曲がり角が近いアラサーですのよおほほおいこら文句あんのかかかってこい。
ええと。
その、なんやかんやの際に瀕死・・・というかほぼ1回死んだんじゃないかという状態だったデジデリウスを助けてくださったのは、改蘇神カアラカイルカインという、この世界に2柱いらっしゃる神様のうちの片割れでした。
すわ、異世界人治癒チート発動か?!と、喜びかけた自分をもう一度留置所へ入れて反省させたい。
んで。
その神様が助けてくださった時に、デジデリウスは「加護」と「自動翻訳スキル」、ついでに「上位異世界人の保護者」とかいう謎な称号を与えられまして。さらになんかいろいろ言われたらしいのですが、彼はそれを覚えてはいても内容が言葉にならなくて話せない。と、困惑気味に申しました。それでもなんとか「とにかく上位異世界人を聖地へ連れてこい!」という、御神託だけは私たちへ告げる事ができまして、とりあえず尋問終了。
その他云々を口に出せないのは、きっとこの世界の根源に関わったりするような内容なんじゃないか、というのが美貌の賢者様、イグナティトゥナダリウスの予測です。まあ、とにかく聖地とやらへ行ってみるしかないという事ですね。
だがしかし!
そこで問題となったのが、なんかだいぶイメージと違うけど一応「叡智の種族」エルフであり、158歳にもなる賢者様でも知らない「聖地」とやらの場所でした。
わざわざ連れて来いという事は、その他の場所ではデジデリウスのように死に瀕しない限り接触できないのでしょう。
けれども神に近しい場所。干渉なり、神託が降りやすい場所なんてものがあったなら、それを独占しようとする人なり、国なりが現れることが往々にしてあるでしょうし、そうなれば当然奪い合いになって、最悪、戦争なんてものが起こることもあり得ます。ですから秘されている可能性も高いのですね。
ついでに忘れ去られていたりなんかもするかもしれません。
賢者様は「後者の確率が最も高いな!」と笑っていましたが、断じて笑い事ではない。
そんなわけで、すぐに「いざ出発!」と言うわけにはいかず。
また、同行してくれる予定の保護者、デジデリウスが騎士を辞めるのには、後任が来るのを待ったり、放火によって燃えてしまった詰所の、仮の物を開設したりで、結局1か月ちょっとかかるそうな。この世界で言うところの1か月なので、つまり、少なくとも50日間はこの小さな町に滞在しなければならないと言う事です。
その間、どう生活しようかと悩んだ私は、「私と同棲しないか?」という賢者様の誘いをきっぱりはっきり断りまして。家事清掃といった家政婦のような仕事を住み込みでしつつ、この世界の常識や情勢、地理、言葉なんかを賢者様から習う事になりました。
ちなみに仕事先は賢者様がお借りになった、それなりの大きさな借家。3つの部屋に台所とダイニング、リビング、洗面、トイレがある、平屋の一戸建てです。
あ、トイレは水洗でした!貯水タンクに、水を一定量に保つ魔石が入っていて、レバーを引けば流れるという異世界仕様です。とは言っても、自然分解されるとか、下水道があるわけではなく。流れた先に浄化槽のような排水を溜めておく穴があって、そこから定期的にくみ出す仕組みらしい。
しかしこれも一般的なものというわけではなく。基本的には、水は井戸から汲んでくるものであり、トイレは戸外に独立して建てられた、くみ取り式。いわゆるボットン便所なのだとか。
賢者様の経済力に感謝!
そして残念ながらお風呂はない。
洗濯場はあっても、お風呂場はありません。ないのです。・・・うぅ。
なんでも、飲み水には困らないがジャンジャカ使えるほど水が豊富ではないこの国には、湯につかるという文化が無いらしい。ついでにシャワーもあり得ない。
一応、一定量水が溜まる瓶なんていう魔道具もあるけれども、あくまで飲み水仕様。自室へたらいに入れたお湯を持ち込み、体を拭くだけがこの国の普通なのです。
くそう。泣ける。
え?
同棲とどう違うのかって?
ノンノン。そこには大きな違いが横たわっているのですよ。
だって賢者様のしつこい求愛を受け入れたわけではないし、寮を焼失したデジデリウスも一緒に住んでいる上に、お給料を頂いていますからね。よって同棲ではありません。
たとえこの世界で1週間にあたる5日間。魔道具の使い方を賢者様に手取り足取りみっちり教えていただいた私が、様々な家事お助け魔道具の発動に魔力が無いため毎回賢者様のお力をお借りし、その流れで一緒に料理や掃除、洗濯をし、それからべったり張り付かれて世界を学んでいたとしても。
「イグナティトゥナダリウス!これで俺がいない日中、ヒヨリにくっついている必要がなくなるぞ!よかったな!」
「ただいま」も言わず。
ちょうど夕食の用意が整ったダイニングへ踏み込んできたデジデリウスが、賢者様へ綺麗にそろった白い前歯を見せながら笑いました。ついで私の前へ跪き、私の左手を取ります。
「ただいま。ヒヨリ」
「お、おかえりなさい。デジデリウス」
「プレゼントがあるんだ。受け取ってくれ」
そう言って、何が始まるのかとビクビクしている私の左手首に、水晶のような透明の石が付いた金の腕輪を通しました。そしてそれにデジデリウスがチュッと口づけたら、石がぼうっと光ってすぐ収まり、白く濁ります。
何が何なのかさっぱりわからず、固まったまま立ち尽くす私を見上げ、デジデリウスが優しく笑いました。
「これは魔力を溜めることができる魔石がはめ込まれた腕輪だ。これに魔力を補充しておけば、魔力のないヒヨリでも自由に魔道具を使うことができる。いいか?これには俺が、毎日魔力を補充するからな。俺が、お・れ・が、補充するんだからな。いいな?」
「わ、わかりました」
笑みを消して真顔で言い募るデジデリウスの迫力に負け、反射的に了承します。それに満足したらしく、彼は金の瞳を細めて非常に嬉しそうに微笑みました。
おうふ。イケメンによるスマイルフラッシュで目が潰れてしまいそうですよ。
目がチカチカするのは、顔に血が集まって、のぼせかけているせいでもあると思います。クラクラしつつも早くお礼を言わねばと、私は慌てて口を開きました。
「あ、ありがとうございます。でも、こんな高価そうなもの、いいんですか?」
「そうだぞ。デジデリウス。必要のないものを貢ぐのは止めよ。というか、よくそんな金あったな」
明らかに値が張りそうなことに重みを感じながら腕輪へ目線を落としたら、すでにテーブルについて夕食へ手を付ける気満々の賢者様が呆れたように言いました。
やはり高価なものなんですね!
怖気づいた私が腕輪を外そうと手をかける前に、デジデリウスが立ち上がります。それからすぐ、こちらへ背を向けてしました。
「余計なお世話だ」
むすっとした声音で言い返してダイニングから出て行ったデジデリウスですが、すぐに戻ってきました。洗面所で手を洗ってきたようです。
賢者様をひと睨みした後、私へ微笑みかけながら彼が席に着いたので、私も自分の定位置へ腰かけました。
「今日の日、この時、この糧をお与えになった、改蘇神カアラカイルカインに感謝を」
デジデリウスが目を閉じて真剣な声音で手を合わせ、祈りの言葉を捧げています。以前はあまり信心深くなく、教会へも数える程度にしか行ったことが無かったそうな。
けれども今、彼が生きているのはカアラカイルカイン神のおかげですからね。祈りたくなるのは当然でしょう。
賢者様の方はというと、同じように手を合わせてはいても祈りを捧げるのはカアラカイルカイン神ではなく、自然や生命といった世界そのものに対してなんだとか。
こちらの方が八百万の神々がおわす国、日本の民である私には近いものがありますね。食材への感謝をこめて、その命を頂きますという意味で、食事の前に手を合わせるという一説が有力だったはずなので。
「いただきます」
本日のメニューはサラダと謎の肉ステーキ、キッシュのような卵料理です。
サラダにかけるドレッシングは3種類。賢者様に買い物へ同行してもらって集めた材料を使い、自作しました。キャベツダイエットを頑張った時にいろいろ自作したドレッシングを、こちらの似たような素材を使って再現してみたのですよ。
そんなわけでテーブルの上には夕食と共に、レモンのような柑橘類ベースの黄色い液体と、ほぼ醤油な調味料に炒めた玉ねぎっぽい野菜を投入した茶色い液体、植物油にニンニクらしき匂いの植物を漬けた薄い緑の液体が入った3本の瓶が並んでいます。
どれも好きだけど、サラダに乗っているチーズを味見したらモッツアレラっぽかったから、薄い緑のにしようかな。
賢者様も同じチョイスだったようで、彼がそれをかけ終わったタイミングで話しかけました。
「イグイグ、それちょうだい」
「どうぞ、ヒヨヒヨ」
賢者様を賢者様呼びしていたら、名前を呼んで欲しいと言われまして。そんでもって呼ぼうとするたびに噛んでいたら、「イグイグ」でいいと言われました。賢者様推奨の「イティス」呼びは何故かデジデリウスに却下されましたので、苦肉の策ともいえます。
そんな私たちのやり取りを苦い表情で見ていたデジデリウスが、賢者様へ憐みの目を向けました。
「・・・それでいいのか?イグナティトゥナダリウス」
「何がだ?」
「ヒヨリは意味を知っていて言っているのか?」
「何の?」
ニンニクのような匂いがほんのり香るドレッシングに食欲を誘われていたら、デジデリウスが少々迷った末に口を開きます。
「食事中に悪い。・・・その・・・大人の身長ほどもある長いナメクジの事を、イグイグと言う」
「うん。知ってる」
以前にチラッと聞いたのを覚えていましたから、本当にいいのかご本人へ確認済みですよ。
これで解決かとサラダを口に入れて咀嚼し始めると、デジデリウスの顔が戸惑いを含みます。彼はまた、迷うように視線をウロウロさせた後、私が口の中の物を飲み下してから口を開きました。
「ちなみにヒヨヒヨは「可愛い子鳥」と言う意味だ」
「はぁ?!」
思わず、ガタンっと音を立てて立ち上がります。勢いが良すぎたのか、座っていた椅子も後ろへ倒れてしまいました。
私はテーブルへ手をついた姿勢で、目からビームが出たらきっと一瞬で蒸発するくらいの怒りを込めて賢者様を睨みます。焦点は優雅に口の中を空にし、ワインで喉を潤してからデジデリウスを見ました。
「だってお前が「イティス」と呼ばせるのを禁じたではないか」
「だっ!駄目に決まってるだろう!」
「でもな、デジデリウス」
ガタガタ音をたてながら椅子ごとデジデリウスの方へ移動した賢者様が、彼の耳元で何やら囁きます。眉を寄せた表情になったデジデリウスが、同様に賢者様の耳元で囁きます。何度かそれを繰り返した後、顔を見合わせて大きく頷いた2人が、物凄くいい笑顔でこちらを向きました。
「よし、ヒヨリ。俺の事は「ディズ」、イグナティトゥナダリウスの事は・・・」
「私を「イティス」と呼んでおくれ。可愛い小鳥」
「・・・私の事はヒヨリと呼んでください」
彼らの呼び方はなんだっていいが、自分の呼び方は指定したい。
ちょっと不満げに口を尖らせた賢者様、改めイティスは「わかったよ。ヒヨリ」と言って、食事を再開しました。どうやらイティスは、芸術品並みの美貌のせいで冷たい印象を受けるのに反して、自分の呼び名にあまり頓着しないくらい寛容な性格らしい。
それはこの1週間で嫌と言うほど感じたのでいいとして。
問題は妙なこだわりを持っているらしいデジデリウス、ディズの方です。
そもそも私と、雇用主であるイティスの2人で暮らす予定だったこの借家に、彼が無理やり転がり込んできたのも「未婚の男女が1つ屋根の下で暮らすなんて!」とかいう理由でした。燃えた寮の代わりに用意された長屋の方が詰所に近く、逆にこの借家は町の反対側と言っていいほど離れているにもかかわらず、です。
というか、「男女」が「男男女」になっても問題が解決していない気がするのは、私だけなのだろうか。
ついでに言うと・・・なんとなく、ディズは私に好意を持っているのだろうな・・・と感じることが頻繁にあるのですよ。先程のプレゼント然り。
けれどもその好意をはっきり口にすることはなく、イティスと共に買い物へ出かける私たちを羨ましそうに見る癖に、自分から誘ってくることもありません。かと言って、怖気づいて口に出せないわけでもないようで、時折何か言いかけては罪悪感にまみれた顔で去っていくのです。
わからぬ。ディズ心は乙女心より難解なのか。
「でもなんで?前は嫌がったでしょ?」
「それは・・・まだお互いに親しくなかったからだ」
「ふうん。」
何だろう。この違和感。
ディズのこだわりを超えた、何か・・・私の知らない常識的なものがあったりするのではないだろうか。
疑問を抱いたとしても、この世界の常識を教えてくれる存在であるディズとイティスがタッグを組んでいる以上、私にそれを確かめる術がありません。それでも、どういう系統の常識なのかを量る方法はあります。
「だったら内緒話するくらい親しくなったディズとイティスも、お互いにそう呼び合ってもいいんじゃないの?」
「「・・・・・・・・・」」
途端に硬直する2人。怪しい。
フォークに突き刺した肉を口へ運ぶ姿勢で止まっているディズと、口にキッシュが入ったまま咀嚼を止めたイティス。順に視線を巡らせて、しれっと首を傾げて訊ねました。
「なに?何かあるの?」
「いやいやいやいや!ない!全くない!なっ?い、い、いいイティス・・・」
「んっんぐっ・・・そうだな!で、でででで―――ディズ」
すっごい嫌そうに呼び合う2人。
もしかして、この世界において愛称は、異性に許す類の物ではないのか。
もしくはただ単に、仲が良さそうなのは表面上のみで、2人がそこまで打ち解けていないだけかもしれないけれど。
「まぁ、無理に呼び合う必要は無いと思うよ。私は呼ばせてもらうけど、いいの?」
何か裏があろうとなかろうと、デジデリウスと賢者様イグナティトゥナダリウスの名前が長い上に噛みそうであることは事実。短い愛称を呼んでもいいというのであれば、やぶさかではありません。
「もちろんだ!」
「そうそう!問題ない!」
例え異性に許す系統のものだとしても。2人同時に許しているのだから、「アタシたち結婚してるのうふふ」とかいう重さのものではないでしょう。・・・ないよね?
異世界にありがちな真名云々でもあるまいし、魂を縛るとか、命に係わる様子の無いので、まあいいか。
気にはなるもののやはり確かめる術のない私は、こちらを窺うような視線を向けてくる2人を無視して、ニンニクっぽい匂いのするサラダを口へ運んだのでした。
ペトラは残念なイケメンが好物です。ごめんなさい。
続きは明日。