五ノ点 崩落-ホウラク-
1972年9月16日11時34分。
廃屋に入って私たちは家人を探すべく屋内を見て回っていた。私が書庫の机上にあった手紙を取った瞬間、聞こえた音の先へ向かった。同じく屋内を見て回っていた妹が屋外へ出て行くのを見て、その後を追ったのだが、妹の凛は居なくなっていた。
走って村中を見て回った。しかし、凛の姿は無い。私は焦り、動揺している。帽子を探す為にここまで来たが、妹を探すことになるとは思いもしなかった。父と別れ、どれくらい時間が経ったのか分からないが金澤家まで戻り助けを呼ぶか迷ってしまう。まだ遠くまで行くはずは無いのだが、永遠に会えないような焦りが押し寄せてきた。
息が上がり、心臓が破裂しそうなほどの鼓動がわかる。村中見回ったはずだが、凛の足音すら掴めないままでいた。あのとき、別行動せずに一緒に居ればはぐれること無かったのに、と後悔する。
どの家も廃屋と化していて正直、区別がつかないでいる。最初に入った家も、既に分からない。枯れた井戸や木製の柵で囲まれた朽ち果てた木、苔に覆われた塚碑、雑草が生い茂る裏道。どこを通ってみても誰も居なかった。
息が少々落ち着いてから再び村の中を探し回ったが、人一人見かけることは無かった。このままでは完全に、凛の足取りを掴めず日が暮れてしまうと思い、やはり大人の力を借りるべきだと考えた。
ここでふと祖父の言葉を思い出した。
森の中へ入ることは許されない。
朝まで考えていたことなのに、時間が経つと忘れるとはこういう事。私は自分自身を呪うかのように、馬鹿、馬鹿、馬鹿と心の中で叫んでいた。森の中へ入ると迷ってしまうという意味だったのか、とそう思った。あの警告看板はそういった役目をしていたのだと。
この村へ続いたトンネルを目指し、来た道を走る。口から心臓が飛び出そうなほどの動悸が止まらない。今はそんなことを考えている余裕はない。早く金澤家へ戻らなければ。凛の身に何かあったら、私のせいだ。
トンネルへ向かっている途中、池に石を静かに投げ入れるような、蛇口から一滴ほど水が垂れ落ちるような音がした。
私はその音には気に留めず、トンネルへと急ぐ。ここまで村中走り回って、およそ35~40戸ほどの村であると分かった。遠くには片方に奉、もう片方に納、奉納と書かれた崩れかけの石柱がある。その奥には鳥居がある。木々によって、ここからでは更に奥は暗くて見えない。
幾分走ったあたりか、見覚えのある通りに着く。きっと村の入り口から歩いてきた道だろう。土地勘のない私にはこの小さな村でも迷路のように思え、必死に走ったからか汗で身体に服が貼り付いて気持ちが悪い。
私のせいで、凛が居なくなってしまった。私のせいで、私のせいで、私のせいで・・・。
村の出口に向かって行った、足が今にも攣りそうなほど。ここまで走り続けたことは今までにない。もしかしたらトンネル前で、待っているかもしれない。淡い期待を、というより願い、望みを想いながら。
初めて村に踏み入れたとき、地蔵が置いてあり。その地蔵は最上町で見た、藁傘の地蔵。しかし、この村に置いてある地蔵は随分と朽ちて傘の部分は失われていた。
地蔵の前を通りすぎたとき、地蔵と目が合ったような感覚に陥った。そんな筈は無いのに。
確かに通った道を歩く。私の足取りはゆっくりと、足を引き摺るように、トンネルへと向かう。トンネルを出てすぐの蔦が絡みついた水月村と書かれた標識。やっと辿り着いた。
しかし、凛が居ないかという考えよりも先に、目の前の光景に愕然とするしか無かった。
トンネルが崩れ、その上には土砂が積もっていた。
村や廃屋を探索中、トンネルが潰れるほどの出来事があれば気づくはず。森の中を通って行こうと考えたが、林も土砂で薙ぎ倒されて通れるとは考えられない。通れたとしても、再び土砂が崩れる可能性もある。待ち構えていた事実に絶望するしかなかった。
今後どうするか、頭を働かせていた。応援を呼ぶにも、助けを呼ぶにも手段がない。このままでは凛だけではなく、私も・・・・。
諦めては駄目だと、まず凛を探すことにしよう。それから二人で・・・。考えを廻らせていると、遠くの方から錫杖の鐶の音が鳴っているのが聞こえる。それも複数の鳴る音が聞こえ、人が居たのだと安心した。
方角からでいうと北東あたり、鳥居があった付近だと思う。私は消えた音を頼りに鳥居を目指す。人がいたという安心感はあったが、凛が居なくなったことの危機感にまだ囚われている。
木枠の柵が続く道、林の奥には大きな池があるのが見える。奉納の朽ちた石柱を超えて、50米先に他の廃屋と比べると大きな屋敷が見える。その中へ袈裟で身を固め、錫杖を持つ男性たちが入っていくのが見えた。
しかし、その袈裟を着た男性たちの姿は背景を見通すほど透明であった。