四ノ点 不在-フザイ-
1972年9月16日午前11時19分。
水月村のとある家を訪れた私たち。帽子の行方を尋ねるために村人を探すが、姿形を見ることは無かった。水月村に入ってからか不気味なほどに視線を感じる、人の気配などしないのに。私たちの行動を監視、観察、するかのように。
所々入った罅、屋内はほとんど埃を被っている。いうなれば廃屋に私たちは入った。屋内に入っていくと、目の前に囲炉裏がある。囲炉裏の周りには綿が飛び出し埃を被る座布団が4枚敷かれている。屋内を歩くと今にも床が抜け落ちそうなほど軋む音がする。玄関の右手側には崩れた棚が置いてあり、その置くには釜戸などが置いてある台所であった。
埃で呼吸をするたび咳き込んでしまいそう。囲炉裏や台所のある部屋を抜けた先には短めの廊下が続く。廊下の途中には襖が左右に2枚あるのが見え、廊下の先には崩れ落ちた神棚が置かれている。囲炉裏近く、卓袱台の上には皺が多く入った新聞と灰が残る蝋燭皿が置いてある。新聞の日にちは汚れて読み取ることができない。
私はその新聞に目を通した。
東亰(東京)と大坂(大阪)にて彩りの有る“テレビ”が放送開始となる。庶民には高嶺の花のような存在だが、左記の2地局にて放送が開始される。電気屋には其のテレビを見ようと前日から大勢の人が押し寄せた。
汚れていてほぼ読めないが、この新聞は随分前の物の様。所々、難しい漢字が使われている。読めない箇所が多く私は全て読むことを諦めて卓袱台に戻した。手についた埃を払い。屋内を再び見て回ることにした。囲炉裏などの後ろには本が無造作に積まれていたが、埃に塗れて読む気にはなれなかった。
台所の釜戸を覗いてみたが、中には何もなく。台所を探っても意味はなさそう。私が台所を出ようとしたとき、凛が廊下の途中にある襖の中へ入っていくのが見えた。
廊下も同様で床が軋む音が聞こえ、心を揺らすように感じで、屋内に軋む音が響いている。廊下の端にある行灯は潰れてしまっていて既に使えそうにない。そして襖が開いた部屋の中には凛の後ろ姿が見え、私も入ることにした。
その部屋には布団が二枚敷かれていた。布団にも埃が積もっていた。木枠の障子の向こうには窓があり、障子の数々が破れていて蜘蛛の巣が出来ている。破れた障子から微かに光が射している。
部屋に入ると、机が目に入った。机の上には埃のほか、紙一枚ほどの大きさの埃を退かした跡がついていた。凛は机に置いてあっただろう藁半紙に目を通している。後ろ姿で凛がどのような表情をしているか分からない。私は凛の隣に並ぶように、その藁半紙の中身を見ることにした。
明日ハ巴祭。随分ト長カッタ。巴祭ヲ以ッテ、遂ニ長月ガ巫女トシテノ役目ヲ全ウスル。漸クコノ生活カラ逃ル事が出来ル。
この先は黒く滲み読むことが出来なかった。私と凛は何のことを書いてあるのか理解できずにいた。其れ以外の物はなく、寝室を後にする事にした。その足で凛は向かい側の部屋に行こうとしている。同じところを探しても意味はないと思い、廊下の突き当たりの方を私は探すことにした。
突き当たりには落ちた神棚。潰れた行灯。この廃屋に入ったときより奥に行くにつれて、私の心をざわつかせる。突き当たりを右に曲がると階段があり、階段の脇には廊下が続いている。階段の脇にある廊下の奥には襖がある。奥の部屋へ続く廊下、階段下の壁を見ると階段下倉庫らしき所への扉がある。しかし、その扉には鍵がかかっていた。
階段は上らず、私は奥の部屋へ行くことにした。睡蓮模様が汚れた襖、立て付けが悪く開けるのには苦労した。襖を開けると、その部屋は書庫だった。書庫の中に人がいることは確認できなかった。
大量の本棚、床にも無造作に本が積まれている。どれも古い本で破れている物も多い。背表紙を見ても破れ、劣化し過ぎて何の本なのかも分からなかった。唯一背表紙の文字が読める本を手に取った。
水月村ノ伝承
過去の書記からも水月村はよく災害等に悩まされてゐたと云ふ。大雨に因る氾濫や山崩れ、数々の飢饉。この土地は山崩れに因つて、村人たちが移り住んできた第ニの水月村と云つても良ゐだろう。
村人たちは神様が怒つて居ると口を揃えて云つてゐた。村で採れた野菜や米などを供物として捧げてみたが一向に変わる気配は無かつた。
其処で隣村に住む委託女に相談する事にした。委託女は様々な呼び方があるが割愛。
委託女は何処から調べてきたか分からなゐが以下を話す。
嘗て、水月村が出来る前は小さな集落でしか無かつた。其の集落では水の神の為、稀人を生贄に捧げてゐたと云ふ伝承があつた。生贄が居なゐときは、野生の動物を供物として捧げてゐた。生贄が無ゐ年は飢饉、天変地異が起きることは仕方がなゐ。
次の貢へ進むが、文字が潰れていたり貢が抜け落ちて読むことができない。
私は本を本棚へ戻し、辺りを見渡していたが他に読めそうな本が見当たらない。本棚の隙間からは破れた障子から射す日の光によって床が照らされている。本棚に囲まれた机の上には一枚の手紙が置かれていた。その手紙を拾った其の瞬間に、廊下の向こう側から扉が閉まる音がした。静かな廃屋内に響き渡る音で。
凛・・・?
妹が扉を閉めた音か家人が帰ってきた音なのかは分からないが、音の鳴ったほうへ導かれるように書庫を後にした。拾った手紙を持ちながら。
本棚の隙間から微かに見える窓の外に、人影があったことに薫は気づかなかった。
廊下を渡り、階段下倉庫の前を通り過ぎて廊下を曲がる。凛と共に入った寝室の向かいの部屋は、襖が開いたままで覗いてみると小柄な仏壇が置いてあった。だが、その部屋には凛の姿は無かった。
ふと囲炉裏や台所の方へ視線を向けた先。廃屋を出て行く者の、玄関の扉を閉める小さな手が見えた。凛が誰かを見つけたのだと思い、その後に続いてみたが廃屋の前に誰も居ない。
廃屋の周りを歩いて見渡しても凛の姿は見ることが出来なかった。