05.砲火、見えざる敵
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【日本国/東京都/千代田区/総理官邸/会議室/4月中旬】
総理大臣の東郷は、肥前統合幕僚長から黒船作戦についての説明を受けていた。
「酷い戦いになりそうだな」
「はい、総理。酷い戦いです」
肥前は直立のまま、最高指揮官である東郷の言葉を待つ。東郷の右隣に座る出雲防衛相は、背広の襟を正し、咳払いとともに資料を丸めた。
「これは虐殺だな。肥前くん」
出雲の言葉に肥前は神妙な面持ちで頷く。やはり政治的には許容できないか、さも在りなん。と肥前は思う。敵とはいえ、あまりにも多くの血が流れすぎるのだ。しかし、出雲は「責めているのではない」と肥前の考えを否定した。
「後顧の憂いを断つためには必要なことだ。ただ、この作戦を遂行する自衛官の心身への影響が心配でね……」
以前、自衛隊が中央大陸に上陸したばかりの頃、多くの隊員が罹患した心の病。心的外傷後ストレス障害(PTSD)。先のクレル戦役でも十数名の隊員が心に傷を負っていた。しかも、今回の主力は中央大陸で長く活動してきた旧中央即応集団ではなく、新たに配置されたばかりの第10師団。本作戦が及ぼす影響はさらに深刻だろうと、出雲は腕を組む。
「作戦遂行上やむを得ないかと」
肥前の言葉に、出雲は「うーん」と唸り、東郷に視線を移す。
「総理、本当によろしいのですか?戦争を終わらせるだけなら、F2戦闘機による空爆と、第1空挺団による敵首都強襲により、国王の身柄を確保する―――いわゆる斬首作戦でもよいのではと愚行しますが」
敵の流血を抑え、速やかに戦争を終結させるのであれば、国王の身柄の確保し休戦に持ち込めばよい、と東郷に問う。だが、東郷は首を横に振って出雲の言葉を否定する。
「それは悪手だ。別の王が立つ可能性もある。敵の力を徹底的に削ぎ、牙を抜くためには、到底かなわないという戦果を見せつける必要があるのだ。10万の大軍はその贄としては十分。それに……」
東郷は言葉を区切り、おもむろに椅子を立つと、スクリーンに投影された東方世界の地図に指を伸ばした。東郷が指し示す場所は、現在、スラ王国が戦争をしている北方のモルート王国。
「モルート王国は農業大国。我々はこの国との通商を望んでいるが、クレル爵の話では、スラ王国はこの国から多くの食糧を輸入していたという。流石に、戦時下で交易はしていないだろが、人口に対して食糧の供給が追い付いていない状況は変わらないはずだ。とすれば……」
東郷は大山脈の西、西方世界を指し示す。
「スラ王国は現在どこから食糧を輸入しているのか。スラ王国を転覆させてしまったらどうなるか。結果は明白だろう?」
東郷の説明に、出雲はハッと顔を上げ「そうだな……」と声を絞り出す。東郷は、席に戻ると、足を組み両手を広げて天井を見上げて。
「やるしかないのだよ。虐殺を」
シンと静まる室内。集まった閣僚や、官僚は一言も声を発することができず、プロジェクタの唸る音だけが響いている。東郷は、直立したままの肥前に顔を向け、深く頷いた。
「本作戦を許可する。全力を持って敵を叩き潰してくれ」
東郷の言葉を受け、出雲は深く一礼し、肥前は最敬礼をした。
「総理のご英断に沿えるよう、全身全霊で臨みます」
肥前は、「では」と言って幕僚を率連れてを会議室を後にした。東郷が机の下で握りしめていた手は、小刻みに震えている。その震えを必死に抑え込もうとするが、意識すればするほどに、手の震えは酷くなる。
「これで私も大量虐殺の汚名を背負うことになる。国民と国益のためにすべてを捧げる覚悟はできていたはずなのにな……まだまだ青二才だってことか?」
東郷はハハハと乾いた笑い声を上げるが、出雲をはじめ集まった閣僚は誰も笑みを浮かべることはできなかった。八雲さんもこんな気持ちだったのだろうか。東郷は心の中でそっと呟いた。
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【中央大陸/ウォーティア王国/国境(西の砦付近)/4月中旬_同日】
スラ王国軍の動向を絶えず監視する無人ヘリが、敵の先発隊が国境を越えたところを捉えた。
『目標、国境線を越え西の砦に向け侵攻。先行する兵力は5千弱。騎乗した魔法師が砦に魔法攻撃を開始した』
『こちら総監部。了解した』
この情報は、西の砦近郊に展開していた無人偵察機隊から、すぐさま大陸方面総監部に伝わり、統合幕僚監部を経由して、内閣危機管理センターにも共有される。
その頃……西の砦では。
「……どういうことだ。誰もいない?」
砦の内部に侵入したスラ王国軍の魔法師グエンは、乱れる息を整えながら杖を構える。しかし、砦の中に人の姿はなかった。門を抜けた先の広場はガランとしており、人はおろか碌に物も残されていない。
実はこのとき、この地に展開していたウォーティア王国軍と自衛隊は砦を放棄して撤退していた。そのため、スラ王国軍側は一人の死傷者も出さずに、難なく西の砦を手中に収めることに成功したのだ。
「おいおい、敵は腰抜けか?」
「事前情報の割に二ホンって国も大したことねえなぁ」
そう言って笑う仲間を横目に、グエンは油断することなく周囲に視線を配る。2人は先のクレル戦役を経験していない。だから呑気に笑っていられるのだ。と、グエンは心の中で毒を吐く。
そこに、第1魔導遊撃隊長のライムが、軍靴をカツカツと鳴らしながらやってくる。上官の登場に、グエンたちは手を止めて慌てて敬礼した。
「隊長閣下に敬礼!!」
ザッ―――。
直立不動のまま敬礼するグエンたち。
周囲にいたほかの兵士たちも、作業の手を止め、ライムに敬礼する。
ライムは広場を一瞥すると、その場にいる全員に聞こえるよう、魔法で声を響かせた。
「あなたたちはなんて愚かなのかしら!!」
突然の罵声に首を傾げる兵士たち。しかし、グエンはライムの怒りに気づいていた。
「あなた名前は?!」
「は、はい!バチェルです、閣下」
「敵は腰抜けと言っていたわよね?」
ライムが帯同していた杖の先を向けると、その魔法師の男は声を裏返してコクコクと頷く。
「人はおろか物資が何一つ残っていないこの砦を見て……よくそんなことが言えるわね、え?」
「そ、それは……」
「偵察隊は数日前、この砦に二ホン軍とウォーティア軍が仲良く駐留していたと報告しているわ。それなのに何故、ここに敵がいないのかよく考えなさい」
「侵攻を知っていた……事前に?!」
「ようやく気付いたのね。敵は我々の行動を把握しているわ。まずは砦から距離を取る……ここは危険よ」
ライムの予感は的中していた。しかし、既に敵―――自衛隊は、長大な砲身を砦に向けていた。
交易都市クレルから約10㎞の場所にある小高い丘の上に、大陸方面隊第10師団隷下、第10特科連隊は布陣していた。
『第1特科大隊、準備よし』
『第2特科大隊、同じく準備よし』
『第3特科大隊、いつでもいけます』
隷下3個大隊からの報告を受け、野戦陣地に詰める連隊長の池上一等陸佐は無線で待機を命じる。しばらくして、師団本部から状況開始の命令が下ると、待っていたとばかりに右手を振り上げる。
『155mmりゅう弾砲用意―――』
155mmりゅう弾砲(FH70)の砲身は、既に目標―――西の砦に向いている。
『目標、西の砦。ていっ!!』
池上の号令の下、3個大隊から一斉投射されたりゅう弾が、けたたましい轟音と白い噴煙を上げ、滑空する。放たれた弾は、一路、敵の集まる西の砦とその一帯に向け飛翔した。
次の瞬間、放たれたりゅう弾は西の砦上空にあった。そして、そのまま、吸い寄せられるように、砦に落下する。
DOGAAAAN―――。
突然の爆発と、爆風に吹き飛ばされるスラ王国の兵士たち。単身で高火力を発揮する魔法師も、蓋を開けてみれば唯の人。騎馬隊兵士も、魔導隊兵士も関係なく、155㎜りゅう弾砲の餌食となった。
至るところで噴煙が上がり、真っ赤な血飛沫が上がる阿鼻叫喚の中、ライムは酷く痛む右腕を左手で抑えて立ち上がる。見ると、右腕の肘から下は失われ、ドバドバと血が流れていた。視線を転じると、砦の外壁は崩れ落ち、一部の尖塔は脆くも崩壊していた。
「ちっ……」
ライムは腰から回復薬の入った小瓶を取り出すと、あまり得意ではない回復魔法を右腕に掛けた状態のまま、小瓶の蓋を口を使って器用に開け、中に入っていた液体を患部にぶちまけた。
「うぐ……利くわねえ……」
回復魔法は得意ではないが、回復薬との相互作用でなんとか止血だけはできたため、改めて周囲の状況を確認する。巻き上がった粉塵が視界を遮るが、確かにそこには地獄が広がっていた。
―――うぅぅぅ……。
―――いはい、いはいよぉ。
―――ぐっ、ぐほ。うぐぅうう。
崩れ落ちた瓦礫に埋もれた者、熱に焼かれ黒焦げになった者。屈強な兵士がか弱い呻き声を上げ、力なく横たわる光景。ライムが空を見上げると、無数の黒い影が、砦に覆いかぶさるように落ちてくるのが見えた。本能的にそれは浴びてはいけない何かだと察したが、逃げ場などどこにもなかった。
「(ああ……主よ。なぜ、我らがこのような)」
PYUUUUUUUUU―――。
DOGANNNNNNN。
そこでライムは記憶を失った。
次に目覚めたとき、視界に飛び込んできたのは見慣れた顔。眼鏡の奥に涙を浮かべ、心配そうに覗き込む銀髪の少女は、第2魔導遊撃隊長のセーラだった。
「っ!!た、たいちょぉぉぉぉぉお」
泣きながら抱き着くセーラ、振りほどこうともがくが、身体に力が入らない。そう意識したせいだろうか。今まで痛みを感じなかった全身が焼けるように痛んだ。
「……ったいわ!離れなさい」
必死に痛みを訴えると、セーラはハッとした表情を浮かべ、ライムから飛び退いた。
「ご、ごめんなさい」
「それより……ここは?あの後、どうなったの」
ライムの問いに、セーラは唇を噛み、淡々と事実を口にした。
「ここは後方、野戦病院の天幕です。西の砦とその周辺は更地となり……ライム隊長の部隊はほぼ全滅、後続の第2兵団も同じく壊滅状態になりました」
「……なぜ、こうも簡単に」
ライムの言いようのない怒りに、セーラは俯く。
「敵は見えざるところから攻撃してきます。私たちが気付いたときには既に遅いのです」
「そう……見えざるところから、ね。……ねえ、セーラ、私たちが戦っている二ホンって、一体、どんな国なのかしらね」
ライムの悲壮を感じさせる言葉に、セーラは返す言葉が見つからない。
「ねえ、セーラ。鏡を頂戴。私、どうなっているの?」
「……それは」
「いいから、早くして」
ライムの激しい口調に、セーラはおずおずと手鏡を差し出した。だが、ライムの状態を思い出し、セーラは目を瞑ったまま、鏡の面をライムに向けた。
「……っ、そう。もう、私、戦場には立てないのね。そしてお嫁にもいけない」
全身を包む包帯は血と汗に汚れている。そのフォルムから察するに、右腕だけでなく、太腿から下の半身も失っていた。おそらく、先の攻撃で失ったのだろう。普段の強気な態度は鳴りを潜め、鏡には誰だか分からない重傷の患者が映っている。
「お気を確かにお持ちください、隊長……」
「ええ」
「敵は必ず、私がこの手で」
「ええ」
ライムは力なく返事を返すことしかできなかった。先の砲撃で、砦にいた兵士と、周辺に展開していた兵士6千人が戦死し、およそ、5千人の兵士が重軽傷を負いここに運ばれたのだという。ライムの率いる第1魔導遊撃隊はその多くが命を散らし、生き残った者もほとんどが欠損を抱えた。
「(もう……どうでもいいわ)」
ライムは静かに涙を流した。
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