02.政権交代
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【日本国/東京都/千代田区/国会議事堂/衆議院本会議場/12月下旬】
『―――右の結果、東郷奏君を、衆議院規則第18条第2項により、本院において内閣総理大臣に指名することに決まりました』
新たに就任した衆議院議長、蒲生がそう宣言すると、議場から拍手が鳴り響く。絶え間ない拍手の中で、新総理に指名された東郷は各所に向かって礼をした。
2018年12月9日―――現行憲法下における2度目の任期満了に伴う衆議院議員選挙が行われた。結果、この1年で躍進を続けてきた東郷率いる革新党が、最多の158議席を獲得して第一党に躍り出る。
これにより国会の勢力図は大きく塗り替えられることとなった。
牧田率いる政権与党、自政党は議席を142議席まで大きく減らし、また、野党第一党の民政党も議席を48議席まで減らした。一方、新たに与党となった革新党は選挙準備に時間がなかったことで単独過半数には届かなかった。そこで、与党であった自政党、光明党に加え地方分権を公約に掲げる分権党と共に連立政権を樹立。衆議院の2/3を優に超える370議席の一大勢力を形成した。
なお、牧田前総理は今回の選挙の責任を取り、自ら党首を辞任。後任には元幹事長で、自政党第三派閥のトップ代紋が就任した。
そして、参議院での首班指名を受け、同日、東郷内閣は成立した―――。参議院は自政党が第一党であったが、政治的混乱を懸念した代紋と八雲、岩橋ら幹部の総意により、異例にも他党〝革新党〟党首を首班として指名している。
「先生、この度は誠におめでとうございます」
「ありがとう。これも鮫島くんが支えてくれたおかげだよ」
新たに総理となった東郷はそう言って秘書である鮫島を称えた。ここは渋谷区にある革新党本部の一室。いまだ興奮収まらない党員の声が、この部屋にまで響いていた。
「少しはしゃぎすぎですね……」
「無理もない。ただ、ここで満足してはいけない」
「と申しますと?」
「我々は大勝したとはいえ、まだ過半数にも満たない。それに、参院には13議席しか持っていないんだ。これでは真に勝利したとは言えない」
東郷は天井を見上げる。蛍光灯のまぶしい光に、東郷は目を細める。東郷はまだ満足していなかった。保守連立政権では自政党や光明党にも気を遣う必要がある。
「とは言え、まずは第一歩だ。幸いにも両院で2/3を超えている」
東郷の言葉に、鮫島が頷く。
「改憲勢力ですね」
「そうだ。この世界ではあっちの世界以上に力が求められている……いつまでも過去の亡霊に縛られているわけにはいかないんだ」
東郷は右手を蛍光灯にかざし、ぎゅっと拳を握りしめた。それはまるで、決意を新たに進みだすように。と、そこで東郷は思い出したように鮫島を振り返る。
「それと、今晩の件、内密に頼むよ」
「承知しております。ぬかりはありません」
「それは結構」
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【東京都/中央区銀座/高級料亭〝和膳〟/同日_夜】
しとしとと雨が降る中、黒塗りの高級車が1台、料亭の車寄せに停まった。運転手が傘を差し後部座席の扉を開ける。横雨に濡れた石造りの地面が、キュッと音を鳴らす。車から姿を見せた男は、スッとジャケットの襟を正した。男の名前は東郷奏。飛ぶ鳥を落とす勢いの新興政党にして政権与党、革新党の党首。そして第100代内閣総理大臣。政界の王子の異名を持つ、若きカリスマ。
料亭に足を踏み入れると、女将が三つ指を立ててお辞儀した。
「ようこそおいでくださりました。お連れ様が奥の間でお待ちです」
そう言って立ち上がり案内しようとする女将を、東郷は右手で制し、笑みを浮かべる。
「案内は結構」
東郷はこの店の常連の一人。政界に入ってからは元より、俳優時代からも見知った店だった。女将はただ黙って頭を下げ、東郷の勝手を許容する。女将の許しを得た東郷は、踏みしめるように廊下を進んだ。そして、最奥まで来て、膝を付く。ほかの部屋と代り映えしない戸の前で、東郷は中にいるであろう人物にそっと声をかけた。
「東郷です」
「どうぞお入りください」
中から返って来た声に誘われ、東郷は「失礼します」と戸を引いた。和を感じさせる室内には、明らかに高級なのであろう調度品が並べられているが、そのどれもが自己主張をすることなく、背景に溶け込んでいる。そんな部屋の下座に、声の人物が正座していた。柔和な笑みを浮かべたその男を見て、東郷は息を飲む。
「な……八雲先生はあちらにお座りください」
東郷が上座を勧めるが、八雲は首を横に振って東郷を見据えた。
「私は一介の議員に過ぎませんのでお気遣いには及びません。東郷くんは総理大臣になったのです。この国の政治の頂点である自覚をお持ちください」
どうぞ、と八雲は東郷に上座を勧める。東郷はしぶしぶといった様子で、上座に腰を下ろす。
八雲紘一。連立政権与党、自政党の幹事長にして、党内最大派閥〝八雲派〟のトップ。長年、永田町の権力の中枢にいた男。しかし、八雲は一切、そんな素振りを見せない。日本酒の入った徳利を傾け、東郷のお猪口に注ぐと、東郷は恐縮しながらそのお酌を受け入れる。
「では、まずは、東郷くんの総理就任を祝って」
八雲は眼鏡の奥で目を細め、柔和な笑みと共に乾杯し、グビッと一気に酒を煽った。林檎のような爽やかな風味が、喉を潤すと同時に喉がカッと焼けるように熱くなる。
「うむ……これはなかなか」
甘美な風味に瞳を瞬かせる八雲に、東郷は改めて頭を下げた。
「この度はありがとうございました。先生のお力添えが無ければ、この連立政権は成立しえなかった。本当に感謝しています」
八雲は選挙戦の前から東郷に肩入れしてきた。自政党の保守派を言いくるめて革新党に鞍替えさせたり、民政党のスキャンダルを東郷に横流ししたり。また、選挙戦においては一部選挙区で立候補者を調整し、革新党の議席拡大に大いに貢献したりもした。そして、選挙結果が出てからは、自政党を纏めて革新党との連立政権樹立に影響力を行使した。
「正直、自政党にはいい思い出がありませんでした。他国にいい顔ばかりすると思えば、悪い意味で保守的で、党内は既得権にしがみ付く年寄りばかり。国益のことなど一切無視の自己保身の塊、と」
「はは……東郷くんは正直ですねぇ。しかし、まあ、耳が痛いと感じるほどには芯を突いている」
東郷の率直な言葉に、八雲は気分を害した様子もなく笑みを浮かべる。
「ですが、八雲先生は違う。常に国民と国家のことを考えて立ち回ってきた。当初、八雲さんは政治の中枢に居ながら何もしていないように見えていました。ですが、それは私の勉強不足でした。新興政党ながら一端の政党を立ち上げて、初めて八雲さんが果たしてきた役割を痛感しました」
東郷は思う。八雲がいなければ、自政党は、日本はもっと酷いことになっていた、と。穏健派の重鎮として八雲が、そして強硬派の岩橋、代紋が、それぞれ影響力を持っていたからこそ、自政党はそれでも日本の国力をここまで維持してきたのだと。だが、八雲はただ穏便に立ち回るだけではないことを、東郷は知っていた。東郷は言うべきか、言わないべきか、脳内でそろばんを弾き、どう猛な笑みを浮かべる。
「そして……大多数の国民と国家の益の前に、ときには荒治療も厭わない強硬さを持っていることも……私はすべて存じ上げております」
東郷の言葉に、八雲は顔面に笑みを張り付けたまま、天井を見上げる。
「荒治療、ですか。はて、なんのことでしょうねぇ」
「別に責めている訳ではありません。私は先生のお考えに近い。大事の前の小事、大多数の益になるのであれば多少の犠牲は必要ですから。私が総理になった以上、この方針は貫きますよ」
東郷は獰猛な笑みを浮かべたまま、酒を喉に流し込む。そんな東郷の言葉に、八雲は意外なものを見たと一瞬、瞳孔を開いた。
「東郷くんが何のことを言っているかは分からないが、しかし、君の口からそんな言葉を聞こうとは思いもしませんでしたよ」
「もっと純粋な若造だと思いましたか?」
「ええ……私は君を少々、見くびっていたようです」
八雲が若干、興奮した声音でそう言うと、東郷は肩を竦めて見せた。
「全ての手段を総動員して国民の生命と財産を守る。これが我が党の最大公約です。大多数の……という言葉が抜けていましたが、まあ、それすらも小事でしょう」
東郷と八雲は大いに語らい、親睦を深めた。この夜、今後の日本の行く末を決める大きな事柄が次々と決められた。無論、閣議や国会での議決を経なければならないが、それは2人の力があればどうとでもなる。
宴もたけなわ。2人の権力者は、立ち上がって互いに固い握手を交わした。
「本日は、有意義な会食になりました」
「ええ。私も久しぶりに熱が入りましたよ」
帰り際、東郷は八雲を見送りながら「ああ、そうでした」と頭を掻いた。
「今度、岩橋先生との会席を設けていただけますか」
「……ええ、分かりました。総理のお気持ちを伝えておきますよ」
帰りの車の中、八雲はニヤリと笑みを浮かべた。
「総理は前評判以上の傑物ですねぇ。彼を自政党に置いていたら腐ってしまうところでした。何せ、政界は腐ったみかん箱も同然ですからねぇ……私を含めて、ね」
次回03.高まる世論
本日or明日中に公開します。




