03.記者と孤児Ⅱ
前回の続きです。
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【中央大陸/ウォーティア王国/交易都市クレル/10月中旬・某日】
とある日の昼下がり。協同通信の記者である伊納は、戦場カメラマンの野口と日本人会の事務所を訪れていた。伊納の左手は孤児の少女ベネットに占領されている。野口は苦笑を浮かべ伊納を見た。
「ベネットちゃん。すっかり伊納さんに懐いていますね」
孤児院からベネットを連れ出した伊納は、その足で服屋に向かいベネットに新品の服を買い与え、食堂で温かいご飯を与えた。そのおかげか、ベネットはすっかり伊納のことを信用したようで、父に甘える子供のようになっていた。
「どうするつもりですか?この子」
野口の問いかけに、伊納は困ったように笑い、空いている右手で後頭部を掻いた。
「俺が育てるしかない、ですかね?」
「育てるって……この子が15歳の成人を迎えるまで後、数年はあるんですよ?伊納さんはそれまで大陸で暮らすつもりですか?」
「いや、でもほかに方法もないですし」
お人よしな伊納の言動に、しかし、野口は反論する言葉を持ちえなかった。あのまま孤児院にいてもベネットは良い扱いはされなかっただろう。あの地獄からベネットを救い出そうとした伊納の行動を、賞賛こそすれ非難などできるはずがない。
だが、あの孤児院にはほかにも同じ境遇の子供がたくさんいたはずだ。その中で、ただ一人だけ救ったところで、何の解決にもなっていない。それはただの偽善にすぎないのだ。それは伊納が一番よく理解
していた。
「おやおや。伊納さん、いきなり厄介ごとに巻き込まれていますねぇ」
「茨木さん……」
伊納たちの前に姿を見せたのは、日本人会で書記を務める茨木だった。茨木がベネットを一瞥すると、ベネットはサッと伊納の後ろに隠れた。
「はは……嫌われちゃったかな?」
「すみません、この子は孤児で」
「事情は職員から聴いています。だけど、問題は養育のことだけではありませんよ」
茨木はそこで一指し指を立てて説明する。
「伊納さんは人身売買、それに横領に問われる危険な状態にあるのです」
茨木の説明に、伊納はゴクリと生唾を飲み込んだ。
この世界―――特に西方世界において、奴隷の存在は一般的なものだ。東方世界でも少なからず奴隷は存在している。ウォーティア王国においても、奴隷は一種の財産として認められている。故に、人身売買それ自体は王国法上、違法性はない。
しかし、伊納は日本人だ。法律は基本的に日本国内にのみ適用されるが、刑法は一部の例外を除き海外で罪を犯した日本人にも適用される。また、日宇基本条約の規定(治外法権規定)に基づき、日本人が関係する犯罪はすべて、日本の法で裁かれることになっている。もちろん人身売買は日本国内法では違法である。
もっとも、クレル爵領内においては独自の法令により、奴隷売買は領政府の許認可制となって久しい。当然、公的資金による支援を受けている孤児院がその許認可対象のはずはなく、ベネットの取引は現地の法でも違法であることを茨木は付け加えた。
また、会社から取材費用として預けられていた資金に手を付けたこと。これは立派な業務上横領の罪に当たる可能性があると茨木は警告する。
「私の行いは……軽率でしたね」
落ち込む伊納の左手を、ベネットが引っ張る。伊納が視線を向けると、心配そうにベネットが見つめていた。
「……大丈夫?」
「あ、ああ。大丈夫だから」
伊納は自答する。自分がしたことは間違っていたのだろうか?……否。ベネットを助けたことを後悔はしていない。してはいけない。伊納はこの状況を切り抜ける方法考える。
「そうだ……これは取材の一環だ」
伊納の言葉に、茨木と野口が首を捻ると、伊納はさらに言葉を重ねた。
「私は孤児院の院長の犯罪行為を目撃した。この悪事を白日の下にせねばならない。私は証人となるであろう孤児を引き取った。取材の代価として孤児院にお金を寄付したが、言葉の壁があったために院長はそれを売買と勘違いしたのだろう」
伊納の言葉に、茨木と野口は考え込む。
「確かにそれなら人身売買ではない……か」
「取材の一環であれば……横領でもない?」
3人は顔を見合わせて、そして頷いた。茨木はせっかくだから、と伊納に向き直る。
「取材の一環であれば、この一件、徹底的に調べてみては?」
「そうですね。そうすればほかの孤児も助けることができる……」
伊納が頷くと、野口も声を上げた。
「戦場カメラマンですが、僕もジャーナリストの端くれです。手伝いますよ」
「よろしくお願いします、野口さん」
それから3人は数日間に渡って、孤児院を徹底的に調べ上げた。
後日、茨木は日本人会を通じてクレル城にことの次第を報告した。すると、その翌日には、クレル城に登城するよう遣いがやってきた。
♢
【同都市/クレル城/謁見の間/10月下旬・某日】
クレル城にある謁見の間に通された伊納と野口、茨木、そしてベネットの4人。緊張した面持ちで、片膝を突き顔を伏せている。慣れない状況にベネットはガクガクと震えるが、伊納も同じような心境であったことは言うまでもない。ただ、記者としての根性で、なんとか平静を装っているにすぎない。
「それで、孤児院がそのような不正を行っていることは事実なのですか?」
高みから凛とした声音で尋ねられた伊納たち。相手はこの町を治める領主、マニーア・クレル爵。王国で最も高位の貴族の一人だ。
ベネットを除く3人の中で、一番長くこの町に住んでいる茨木が、これまでの経験からなんとか単語を理解し答える。
「事実、です。閣下」
マニーアは茨木の言語力の高さに一瞬だけ目を見開いた。ソーマとかいう将校は流暢に北東諸国語を喋っていたが、クロサワ大使はそうではなかったと思い返す。現地調整隊の面々を除くと、茨木が一番、現地の言葉を流暢に話すと言っていいだろう。マニーアは長い銀髪を掻き上げ、ベネットを一瞥する。
「ベネット。あなたが見たままを答えてください」
「ひゃ、ひゃい?!わ、わ、わわわ」
突然、話を振られたベネットは、慌てて喋ろうとするが言葉が頭に追いつかない。
「(ゆっくりでいい。ゆっくりだベネット)」
伊納が見つめると、ベネットは落ち着きを取り戻し、そして、ゆっくりとことの経緯を説明した。それを神妙な面持ちで黙って聞いていたマニーア。ベネットは極度の緊張と、これまでの人生を振り返り、涙を流した。止めようにも止まらない。まるで決壊したダムのように、涙が溢れ出る。
「あ、あれ。お、おかしいな……ごめ、ごめんなさい。ひっぐ」
マニーアは突然泣き出したベネットに、優しい声音で語り掛ける。
「ごめんなさいね。ベネット。話は良く理解しました。この件は私の預かりとします」
こうして、伊納たちは一旦、城を下りた。後日、茨木はクレル城から、ことの顛末を記した書簡を受け取ったことを伊納と野口に報告した。
「孤児院の院長は公金横領と、違法な人身売買の罪で投獄。孤児院は当面、クレル爵領政府が直接運営することが決まりました。孤児の生活環境も改善するとのことですよ」
「そうですか。それはよかった……」
茨木の言葉に、伊納と野口は安堵の息を吐く。この経緯は、2人の共同取材として、本国に送られた。
「ところで、その、ベネットちゃんの件ですが」
茨木がベネットを見ると、すっかり伊納に懐いていた。伊納は覚悟を決めたようで、清々しい顔で茨木を見つめる。
「私が拾った子です。家族と会社には説明しました。私が引き取ることにしますよ」
伊納はぎゅっとベネットの手を握った。
「ここで育てるのですか?」
「いえ。いずれは日本に連れ帰ろうと思います」
「そうですか……難民申請、通ればいいですね」
「ええ。通るように祈っていますよ」
数日後―――。
交易都市クレルは突然、戦場に変わった。西から侵攻してきたスラ王国の軍勢が、西の砦を攻略し、クレルを包囲したのだ。
伊納は、ベネットと共に滞在先の宿で息を殺して脱走の機会を伺っていたが、無情にもスラ王国の兵士が部屋を訪ねてきた。スラ王国軍は人海戦術で各家々を虱潰しに回り、獣人を匿っていないか確認していたのである。しかし、そうとは知らない伊納とベネットは、一体何を探し回っているのかと恐怖した。
「リムカス?ムーリンデレライ?!」
「ノリス!!ムーリン、ポルンブ」
訪ねてきたスラ王国の兵士たちは、部屋をひっくり返す勢いで探し回る。しばらく部屋中を物色していた彼らだが、獣人の痕跡がないことを確認し終えると、手近にあった伊納の財布を持って部屋を出て行った。
―――バタン。
扉が閉まる音が響いてようやく、二人はヘナヘナと床に尻をつく。スラ王国の兵士が部屋を物色している間中、二人は生きた心地がしなかった。
「(……財布は取られたがあれは経費として貰ったもの。命に比べれば惜しくはない)」
それから数日間、伊納たちはあり合わせの食糧で飢えをしのいでいたが、その間に多くの獣人が連行され、あるいは殺されるのを目撃した。また、獣人狩りが終わった翌日には、獣人を匿ったりしたヒト種の処刑を目撃する。
「(あの正野さんも殺された。これで邦人の死を見るのは、いったい何人目だ?)」
永遠に続くのではないかと思われた地獄も、あるとき急に終わりを迎える。けたたましい爆音と共に、広場から兵士たちの阿鼻叫喚が部屋にまで届いたのだ。
「なんだ?!」
―――バリバリバリバリ。
『我々は日本国陸上自衛隊です―――』
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次回、「04.新生合衆国(仮)」今週日曜投稿予定です。
次回で幕間は終了です。引き続き4章をお待ちください……。




