21.交易都市奪還
遅くなりました汗
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【日本国/東京都/千代田区永田町/総理官邸/執務室/開戦6日目】
緊張の面持ちで祈るように手を握る牧田総理。視線の先にはソファに深く腰をかける岩橋防衛相の姿があった。
岩橋は緊張した様子はなく、のんきにスマホを弄っている。牧田の視線に気付いたのか、岩橋は眉間に皺を寄せてスマホを懐に直した。
「そう視線を向けるな」
「岩橋さんはよくもそう平然としていられますね」
「落ち着けよ。俺らがそわそわしてもどうしようもないだろうが」
「そ、そうですが……」
RRRRRRRRRR―――。
そのとき岩橋の公用携帯が鳴った。突然の着信音に、牧田の心臓が鼓動を早める。
「岩橋だ。おう、おう―――」
しばらく話をした後、岩場は携帯を置いた。
「な、なんと?」
気になる牧田に、岩橋はニカッと笑みを受かべる。
「作戦は成功。敵将ハイヤード侯と遠征軍幹部の身柄を拘束したそうだ!」
「ほ、本当ですか?!……それで、邦人の安全は?!」
「それが……そっちの方はちと状況が悪いらしい」
曰く、交易都市クレルに居住していた300人のうち、今日、保護できたのは50人弱。残り250人の安否はまだ分かっていない。救助された伊納というジャーナリストによれば、殺された邦人も少なからずいるようだ。牧田はその報告に、ため息を吐く。
「私が判断を誤ったばかりに……」
「牧田さんのせいじゃねぇよ」
岩橋は苦虫を噛み潰したような顔で天井を見上げる。思い浮かぶのは眼鏡姿のいけ好かない野郎の微笑だ。
防衛省は開戦の兆しをだいぶ前から掴んでいた。その情報は総理である牧田にも伝えてあったが、牧田は理由を付けては退去勧告を渋っていた。その裏には党内最大派閥を率いる八雲の影があると、岩橋は確信していた。
「(奴め、大陸利権に目が眩んだか、それとも来月の選挙戦を意識したか。問い正しても結局、何も分からず仕舞い。どちらにせよ、これだけの被害を出したんだ。来月の選挙は無理だろうな)」
今回の惨劇―――世間では〝クレル大虐殺〟とか〝クレル事変〟と呼ばれている―――を受け、国内世論は「反スラ王国」一色となっている。
現地にいたジャーナリストが撮影した映像が地上波のみならず、インターネット、SNSなどで拡散され、その凄惨さに多くの国民が怒りを表したのだ。
野党は内閣の判断の遅れを「人命より利権を取った」と批判し世論に迎合し、自政党内の不干渉主義派は鳴りを潜めた。東郷率いる右派系野党〝革新党〟は、ほかの野党と同じように「人命より利権を取った」と自政党を批判するとともに、国民の命を守るための「改憲と積極的な軍事行動」を叫んでいる。
混とんとする政治情勢の中、革新党は着実に株を上げていた。元俳優でルックスがよく、国民人気のある東郷が演説に立てば、どこからともなく群衆が集まり騒ぎになるほどだ。
「(今回の一件で国内から不干渉主義派は一掃された。世論は反スラ王国に傾き、革新党が支持を伸ばしている。左派も現政権を批判こそすれ、護憲を前面には押し出さなくなったか……。八雲は意図していたのか?この状況を?……まさかな)」
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【同都市/クレル城/地下牢/10月下旬・某日】
クレル城地下にある地下牢。ここは政治犯などを収容するために設けられていた。環境は劣悪だがその中でも少しだけましな牢獄の椅子に、両手両足を鎖で拘束された男が力なく腰かけていた。
「まさか、この牢獄に我が入ることになろうとはな……」
男の名はデミル・ハイヤード。スラ王国東方遠征軍を率いる将軍にして侯爵。彼は侯爵としてこれまで好きなように振る舞い、また、占領地ではさながら王のような扱いを受けてきた。そんな彼も今や捕らわれの身だ。
「ご機嫌麗しゅう、閣下」
突然の来訪者に視線を上げるハイヤード侯。視線の先にはいつかの男が立っていた。背後には前回も同席していた通訳兼武官なのだろう将校が直立している。
「貴殿は確かニホン国の使節……クロサワ殿ですかな?」
「覚えていてくれて何よりです」
「……何しに来られた?処刑でも言い渡しに来たのか?」
黒沢は「いいえ」と首を横に振ってハイヤード侯の言葉を否定する。
「貴方は簡単には死ねないと思いますよ?いずれ戦争犯罪者として法廷に引っ張られるのでは?」
「では何しに来られた?我をあざ笑いに来たのですかな?」
「まあ、そんなところです。以前より貴方の視線が低いのは新鮮ですね」
以前と変わらない笑顔を向ける黒沢に、ハイヤード侯は力なく笑った。
「そうですか」
黒沢は踵を返そうとして、一言。
「ああ、そうでした。貴方の仲間の一人が口を割りましたよ。自衛隊の真似をして村や町を襲ったらしいですね。それに、ポーティアの悲劇―――我が国の総理襲撃も貴方たちの策略だとか?」
去り際に放たれた爆弾発言に、ハイヤード侯の顔付きが変わる。ハイヤード侯は興奮した様子で、黒沢に近づくと、拘束されている手で鉄格子を鷲掴みにする。ガシャンと金属の鎖が擦れる音が、狭い地下牢に反響した。
「なんだと?!それは本当か!!」
通訳兼武官として控えていた相馬二等陸尉は、黙って9㎜拳銃の銃口をハイヤード侯に向けた。
「黒沢さん!危険です。下がってください」
「大丈夫ですよ。この方は牢獄から出れない」
黒沢は落ち着いた声音で、ハイヤード侯に向き直ると、「本当ですよ」と笑みを浮かべた。
「なんなら、この国で深く付き合いがある貴族の名前も教えてくれたそうです。それはもう、ベラベラと―――」
「な、なんと言うことだ……シード、貴様」
ポーティアの悲劇や自称日本軍事件の真相、南部辺境貴族との繋がり。すべてを知っているのはあの男しかいない。最も信頼する部下にして、知将―――シード。
「我は奴に裏切られたのか?」
倒れこむように椅子に座るハイヤード侯に、黒沢は興味を失った。
「捕まっている騎士隊長レイン、投石機隊長ファルコは口を割らなかったそうですね。これが、せめてもの救いになれば―――」
黒沢はそう言い残すと、相馬を連れて地下牢を後にした。
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【同都市/10月下旬・某日】
スラ王国軍の突然の侵攻から9日。交易都市クレルの城壁には再びウォーティア王国旗が掲揚された。
自衛隊によってハイヤード侯と幹部数名が拘束され、さらに市街地戦では数の利をうまく活かせず各個撃破されたスラ王国軍。このときの戦闘により、およそ1万の将兵の命が失われた。
スラ王国軍は、運良く生き延びた軍幹部の指揮のもと、ほぼ敗走に近い形で逃げるように撤退した。しかし、背後からのウォーティア王国軍の追撃により、さらにその数を減らし、最終的には約8万程度しか撤退できなかった。
主要メンバーのうち、将軍ハイヤード侯、軍師シード、騎士隊長レイン、投石機隊長ファルコの4人は捕縛されている。
一方、脚竜隊長マグナムと魔法師隊長ライムの2人は混乱する残存兵力を率いてクレルを脱出した。既に、彼らは国境を越えて本拠地があるモルガンに戻っているだろう。
地下牢に監禁されていたマニーア・クレル爵含む高官は解放され、久しぶりに城の主人が執務室に戻った。
「マニーア様……ご無事でなによりでございます」
目に涙を浮かべ、メイドのサリアが安堵の声を漏らす。
「何よ、大げさね。でもよかったわ、あなたも無事で」
マニーアはそう言うと、ぎゅっと優しくサリアを抱きしめた。たった数日の出来事だが、これほどまでに命の危機を感じたことはない。
しかし、今はゆっくりしてはいられない。早急に片付けなければならない仕事が山ほどあった。解放されたばかりの商工官メディス、財務官サンド、騎士団長バッハを呼ぶと、さっそく仕事を割り振っていく。
「皆、無事でなりよりね。でも、今は無事を喜んでばかりはいられないわ」
「ええ、やることはいくらでもあります。敵は敗走したとは言え、まだ8万もの兵力が残っています。態勢を立て直し次第、再侵攻を企てるでしょう」
バッハの言葉に、サンドとメディスも頷く。
「メディス卿の言う通りです。奴らが再侵攻する前に、城壁の補修や再侵攻への備えをせねばなりません」
「それに経済の復興も喫緊の課題です。この戦いで失ったものは余りにも大きい」
三者三様の答えにマニーアは笑みを零す。大変な状況ではあるが、彼らがいればなんとかなると、本気でそう思えるからだ。
「細かな調整は3人に任せるわ」
一方、その頃。城下では自衛隊とウォーティア王国軍が共同で治安維持を行っていた。
自衛隊と王国軍の通訳には、茂木準陸尉、城ケ崎二等陸曹、松野二等陸曹が選ばれた。彼らはかつてウォーティア王国に潜入調査をしていた過去があり、現地の事情により精通しているとの判断による抜擢だ。なお、現地調整隊所属の隊員は、その功績の大きさから全員が昇進を果たしている。
「うへぇ、これは酷い」
城ケ崎の呟きに、茂木も同意する。
「うむ。この戦闘による死者は両軍民合わせて2万5000人弱にもなるだそうだ」
「こ、この短期間にそんなにですか?!」
「ああ。邦人も54人が犠牲になった……死傷者は合わせて162人だ」
今回の戦闘において、ウォーティア王国側は軍人5000人、民間人6000人ほどが死亡したと言われている。また、現地に居住または滞在していた日本人300人のうち、約2割に当たる54人が死亡、108人が重軽傷を負った。さらに、侵攻してきたスラ王国軍においても、戦闘によって軍人1万5000人が死亡、5000人が捕虜として拘束されたと言う。
いずれにしても、この戦闘で多くの血が流れたことは言うまでもない。
中央広場に放置されていた遺体は、既に郊外に運び出されて土葬されている。しかし、そこに残った汚れが、確かにここで虐殺が行われていたことを如実に証明していた。
「そんなにも……ここで」
「は?城ケ崎ってばニュースも見てないの?」
城ケ崎の言葉に、松野は心底馬鹿にしたような声音で絡んでくる。
「わ、悪いかよ!」
「そんなんじゃ自衛官やっていけないわよ」
「おま、馬鹿にしやがって」
「―――あ。私、あっちの喧嘩の仲裁してくるから」
「おい、待てよ!!」
走り去る松野の背中に伸ばしかけた手で、城ケ崎はガシガシと頭を掻いた。2人のやり取りを見ていた茂木は声を上げて笑う。
「いや、悪い。おまえたちは仲がいいよな」
「どこがですか?!いつも馬鹿にされてるだけですよ!」
茂木は「そうか?」というと、スッと笑みを消し、真面目な顔で空を見上げた。
「―――なあ。城ケ崎。日本はどこに向かうんだろうな」
「え?」
「この一件で本国では反スラ王国感情が高まってる。それに併せて右派が支持を広げてるって話だ。来月の選挙、ひょっとすると革新党が政権党になるかもしれん。そうなれば、俺たち自衛隊は軍隊になるかもな」
茂木はポケットから煙草を取り出すと、愛用のライターで火を着けた。煙草の煙が輪っかを描いて、空へと消えていく。城ケ崎は煙草の代わりに、ミントガムを口に入れた。城ケ崎は煙草は嗜まない。
「前にも話したかもしれませんが、俺の実家、東北なんですよ。例の震災で自衛隊の人に助けてもらって、それで自衛隊に入隊したんです」
「そうだったな」
「戦争は嫌ですが……国民を守るためなら、俺はどこへだって行きますよ。だって―――」
「だって?」
「だって、俺たち正義の味方、自衛隊じゃないですか」
ニカッと笑みを浮かべて正義の味方と言い切る城ケ崎に、茂木は危うく煙草を落としそうになる。
「おまえ、そんな臭いセリフ……」
茂木は「嫌いじゃないぞ」と城ケ崎の肩を叩いた。
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【ウォーティア王国/王都ウォレム/王城/執務室/11月上旬・某日】
ウォーティア王国の政治の中枢。王城にある執務室で、国王モード・ル・ウォーティアは、宰相兼枢密院議長ポール・プレジールからの報告を受けていた。
「敵と内通していた、南部辺境の6貴族を捕縛いたしました」
「よもや我が国の貴族が敵に内通していたとは」
「どうやら、自称日本軍事件においてはスラ王国の兵士に兵糧支援も行っていたようで」
国王モードはどうにか眩暈を抑えようと、指で目頭を揉んだ。プレジールの報告は続く。
「また、ポーティアの悲劇の職務怠慢を理由に先日まで謹慎処分を受けていた近衛騎士ジャックですが、彼は南部辺境貴族タイラー家の者です。また、彼の副官であったロゲールは、南部辺境貴族の纏め役ピエール・オリヴァーの息子です。恐らくは、ロゲールを通じ、ジャックを含む南部辺境出身の騎士がニホン国宰相暗殺を手助けしたものと思われます」
「なんということだ……それにも南部辺境貴族が絡んでいたとは」
「実行犯役となった平民をバラン牢獄から脱走させたのもロゲールだとか。もっとも、平民たちは口封じのために殺害したとのことですが」
次々と明るみに出る南部辺境貴族による悪事に、国王モードは眩暈を超え、頭痛がするのを感じていた。
「それで、宰相フジワラ殿を殺害したのは結局、誰だったのだ?ニホン国が言うには、慣れた手つきで殺害されていたということであったが?」
「ピエール・オリヴァーが言うには、くすんだ赤髪の男と、黒髪の小柄な女が先導していたとのことです。女の方は南種系―――西方の出身だったとか」
「ひょっとすると、実行したのはそいつらかもしれぬな」
「可能性は高いかと」
国王モードは椅子から立ち上がると、プレジールに黒沢との接見の席を設けるように指示を出した。
「御意」
ことの真相は、黒沢を通じて、日本国政府上層部にも伝わった。話が明るみに出ると、日本国内の世論はますます反スラ王国に傾く。
その頃、日本国内では既に11月冬の選挙選が始まっていた。
最後までありがとうございます!
3章はこれにて完結です。
次回、幕間と4章に続きます。
しばらくお待ちください。




