10.変わる王国
(前回まで)
この世界の元首として初めて日本国を公式訪問したウォーティア王。両国間で取り交わされた日宇基本条約により、両国の間に正式に国交が結ばれた。また、日本政府は政府開発援助(ODA)を活用し、ウォーティア王国への支援を行うことを表明した。一方、ウォーティア王は故藤原前総理の合同葬に出席し、その場で異例の謝罪を行った。
♢
【ウォーティア王国/王都ウォレム近郊/9月中旬】
一匹の老いた馬を連れた農夫が石造りの街道を進む。所々に草が生えたその道はだいぶくたびれて見えるが、この世界基準でいえば石で舗装されているだけマシである。
農夫は老いた馬を気遣ってか必要最低限の荷物だけを馬の背中に括り付け、決して馬に跨ることはしなかった。
パッカパッカと馬の蹄が石を踏みしめるその音は、どこか牧歌的で平和なものである。
「もう少ししたら町だぞ」
農夫は自身の馬に話しかけるも、馬はうんともすんとも言わずに黙って足を動かす。馬が人語を解したらそれはそれで怖いのだが。
そんな調子で街道を西へ歩いていると、どこからともなく地響きのような音が聞こえてきた。最初は気のせいかとも思っていたが、それは王都に近づけば近づくほど大きくなっていく。
「なんか音がしねえか?」
しかし馬はブルルと唸るだけ。しばらく歩みを進めると、地響きの正体が姿を現す。
「な、なんだ?!」
驚く農夫に、通りすがりの旅人が答える。旅人はどうやら王都から来たようだ。
「あれはジュウキって言うらしいぜ」
「ジュウキ?」
「おっさんもニホンって国の話くらい聞いたことあるだろう?」
「ああ、風の噂で聞いただけだが」
そういえばしばらく前にそんな国の話を聞いたことがあった。農夫はうんうんと首を縦に振った。
「あれはそのニホンが寄越した魔物らしいぜ」
「ま、魔物?!あんな数の魔物を使役して何をしてるんだ?!」
「なんでも道を作ってるんだと」
「みちぃ?道ならここにあるだろう?」
旅人の言葉に農夫は首を傾げ、地面を指さした。
「いや、俺も詳しくは知らねぇんだが、王都はその話題で持ちきりなんだ」
農夫は無数の魔物とその中で働く作業着姿の男たちをしばらく眺めていた。
「なんだかよくわがらねぇけど、新しい道をこいつと歩けたら気持ちいだろうなあ」
そう言って農夫が老いた馬の鼻筋をやさしく撫でると、その馬は嬉しそうに顔を農夫に擦り付けた。
そんな平和な光景を横目に、作業着姿の男たちは額の汗を拭う。大陸の夏も日本とほぼ変わらない。カンカン照りの太陽が、男たちの地肌を小麦色に焼き上げる。
「暑いっすね、先輩」
若い男の声に、先輩と呼ばれた男が手を止めた。先輩といっても歳はそう変わらないように見える。
「ああ。ただ、日本ほど湿度が高くないのが救いだ」
「そうですね。にしても、こんな辺鄙な場所に道路を敷いてどうするんですかね?」
男はそう言って首を傾げた。ここは王都近郊とは言え、周囲にあるのは点在する森と村、後は畑くらいのものである。大きな町がいくつもあるわけではない。男の疑問はもっともであったが、彼の先輩はあきれ顔で「新聞を読め」と突き放す。
「新聞……先輩、大人っすねぇ」
「煽られてる?」
「まさか。不学な俺にぜひご教授を」
先輩は溜息を吐き、しぶしぶといった感じで説明を始めた。
「これは一種の経済対策を兼ねてるんだ」
日本は〝大陸政策指針〟において、今後5年間で10兆円規模の政府開発援助(ODA)をウォーティア王国に対して提供すると発表している。
この政府開発援助というものは純粋な国際貢献というわけではなく、巡り巡って日本にも一定のメリットをもたらす。
例えば、今回のウォーティア王国での道路敷設は日本政府の支援で始まった事業であるが、実際に工事を受注しているのは当然といえば当然だが日本企業ばかりである。
企業は儲けをあげ、儲けは社員に還元され、社員は経済を回す。この正の循環は、暗雲が立ち込めていた日本経済に大きな光をもたらすだろう。
また、王都ウォレムから港町ポーティアに至る土地は既に王国最大の穀倉地帯だが、日本としてはこの優良な大地に現代的な大規模農業を普及させ、日本向け食糧の一大生産拠点にする計画も並行して進めていた。その中でアスファルト舗装の道路が果たす役割は極めて大きい。
先輩の説明に男は「なるほど」と柏手を打つ。
「ざっくり言うと、国は自分たちの利益のために道路を敷いてる。ってことっすね?」
「だいぶざっくりだが、要はそう言うことだ」
♢
【ウォーティア王国/交易都市クレル/9月中旬】
日本国の援助で東の穀倉地帯に道路が敷設され始めた頃、西の交易都市クレルとその周辺一帯を統治するマニーア・クレルは頭を抱えていた。
交易相手国であったスラ王国が、同じく交易相手国であった隣国モルガニアを武力で制圧したのが1年半前。以来、クレル爵領は経済不況に晒されている。
「領内の現状を報告してちょうだい」
マニーアが斜め右に視線を向けると、座っていた大柄の男がムクリと立ち上がる。彼はクレル爵領の商工部門を統括する、商工官メディス。財務官サンドと騎士団長バッハと共に、若きマニーアを補佐しクレル爵領を運営する重鎮の一人だ。
ちなみに、彼ら三人は皆一代限りではあるが準三等爵位を持つ立派な貴族の端くれである。叙爵したのは国王ではなく、先代のクレル爵。
通常、叙爵は国王の専権事項だ。しかし、ポーティア爵とクレル爵は王家ウォレム家と連合し、建国に貢献した功を称えられ、特別に準三等爵位の叙爵が許されている。
商工官メディスは羊皮紙を広げた。
「まず、経済の動向について報告します。知っての通り、交易都市としての優位性を喪失した我が領は、過去に例を見ない不況に陥っております」
「交易路を寸断された我が領は、それこそ羽を失くした鳥ね」
「おっしゃる通りでございます」
メディスの肯定も、今ばかりは嬉しくないとマニーアは苦笑する。そこに、騎士団長バッハが手を挙げた。バッハはマニーアの縁戚にあたるらしい。短く刈り揃えられた銀髪が、ニ人に血の繋がりがあることを主張する(といっても、この国で銀髪は珍しくはない)。
「発言してもよろしいでしょうか」
バッハの言葉に、マニーアは発言を許可する。
「他の産業に力を入れる話はどうなりました?」
バッハの質問に、メディスは頭を掻く。この話は1年ほど前に、メディス自身が提案した政策だったからだ。
「結論から言いますと、順調とは言えない状況です」
「なぜです?我が領の毛織物は外国でも飛ぶように売れるとか」
「確かに我が領は毛織物業が盛んでした。しかし、それは過去の話です」
クレル爵領は交易業だけでなく毛織物業や林業も盛んだったが、その材料である羊毛は隣国モルガニアからの輸入に頼っていた。
「商人の備蓄もあり最初こそ良かったのですが、今では材料が不足している状況で」
「では、林業は?確か、我が領は多くの木材や木工道具を生産しているはずです」
「林業も輸出を前提とした産業でしたから。国内や他領を経由して北の国々に輸出してはいるのですが……」
かつての隣国モルガニアは草原の国で常に木材が不足していたし、大部分を砂漠と草原に覆われたスラ王国もまた大量の木材を消費していた。だからこそ、木材に価値があった。しかし、今はどうか。国内には山や森は腐るほどある。当然、わざわざ遠くから木材を買う人はいない。
木工道具は良い稼ぎにはなっているのだが、如何せん、失った交易業による収入を補うほどの利益にはなっていない。また、北の国々への輸出は、間にある領地に取られる税金も多い。はっきり言って、大きな旨味はないのだ。
シンとする室内。
しかし、唯一、財務官サンドだけがニマニマとした笑みを浮かべていた。明らかに様子のおかしいサンドに、マニーアは遂に頭がやられたんだわ。と戦慄する。
「サ、サンド?財政は厳しいかも知れないけれど……気を確かに持って」
マニーアの心配もどこ吹く風。サンドは満面の笑みで立ち上がる。
「閣下。お喜びください」
「ど、どうしたの?」
「我が領に光明が差したのです」
「もったいぶらずに教えなさいよ」
マニーアが怒る仕草を見せると、サンドはようやく経緯を説明した。
「あのニホン国から役人が来ているそうです。今、私の部下が対応しているのですが、なんと、ニホン国はコルの町に興味を持っているようです」
コルの町は、交易都市クレルの北西に位置する大湖に面した港町だ。正確にはコル三等爵領なのだがその爵位は現在クレル家が持っているためクレル爵領の飛び地扱いになっていた。長らく交易都市クレルが繁栄していたために、その開発は低調だが、現在ではクレル爵領の税収の少なくない部分を彼の町が補っている。
コルの町を拡張し、大湖経由の交易路を開拓することについては、前々から議論には上がっていたのだが。
「あそこの周辺は魔物が生息する手付かずの森があるのよね」
「ええ。スラ王国と緊張している今、当事者の我が領が軍を前線から移動させるのはまずい。と判断して、まともな開発に着手できていませんでしたね」
マニーアが顔を顰めると、騎士団長のバッハも口を開いた。バッハは騎士団長として、領軍を指揮する立場にある。
「そうです。そのため、長らく指を咥えて見ていることしかできませんでした」
しかし!サンドは雄弁に語る。
「王政府の要請があればニホン軍が魔物を駆除すると。そしてコルの町の開発にニホン国は援助を惜しまないとも申しているようです」
サンドの言葉に、マニーアは目を輝かせる。ニホン国の使節とは年の初めに、王都で談笑したことがある。たしか、クロサワという名前の方が使節団の団長で、通訳をしていたのはニホン軍の将校ソーマだったか。
「しかし、そんな上手い話があるのですか?いえ、勿論、商工官としてはうれしい話ですが」
「正直、騎士団長としてはあまり他国の軍に頼るのは気が引けますね」
メディスとバッハの懸念に、マニーアも頷く。だが、そんなことを言っている余裕は、残念ながら無かった。
「今は経済の立て直しが最優先よ。ニホン国の申し出を受けましょう」
翌週、クレル爵領政府はウォーティア王国政府を通して、コルの町周辺の害獣駆除を日本国に要請した。要請を受け、日本国政府は自衛隊に対し、即座に害獣駆除のための災害派遣を命じた。
更に翌月、クレル爵領政府は日本国の大手建設会社に事業を発注。勿論、その資金の一部には政府開発援助(ODA)が使われているが、発注元は日本の政府や自治体ではないため、入札も随分と簡素かつ迅速に行われた。
そのため、日本国内ではウォーティア王国で行われている様々な事業が「利権」の象徴として、政府批判の的にもなっていたが、大手が下請け、孫請けと発注を行う中で、多くの日系企業が事業に参画できているのも事実。
農業基盤整備は日本の食料庫を確保するために、港湾施設整備は大湖を介した貿易のために、そして道路敷設はそれらの輸送のために。ウォーティア王国に資本を投じる中で、日本はしっかりと実益を確保していた。
そして、この間、多くの日本人労働者が王国に渡った。建設、運送関係の労働者に、各種技師、そして王国に渡った邦人向けの小売業者。
彼らは、ときに港町ポーティアを拠点に、ときに王都ウォレムを拠点に、そして交易都市クレルを拠点とした。9月末時点で王国全土に約3000人の日本人が滞在。交易都市クレルでは約300人の日本人が生活していた。
余談であるが、政府は当初、地球原産のウイルスがこの世界に及ぼす影響について懸念していた。現に、研究のため日本を訪れた狼人種のモアは幾つかのウイルスに対する免疫がなかったため、ワクチン接種を行っている。
しかし、その後の研究で、ヒト種については地球原産のウイルスの多くに免疫を持つことが分かっている。なぜ、免疫があるのかは解明されていない。もっとも、この世界に地球に無かったウイルス等がいまだ発見されていないこともまた、奇妙な話であった。
ただ、今は病気を気にすることなく往来できることを、〝神の祝福〟とでも捉え歓迎するほかに無い。
最後までありがとうございます。
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(次回)
8月21日(土):「11.日の丸油田」投稿予定です。
※なお、もうしばらくで〝スラ王国〟が動き始めます……?!




