07.新内閣と遠征軍
(前回までのあらすじ)
政治的な駆け引きによって誕生した牧田新内閣。一方、東郷ら若手議員は党幹部の方針に反発し新党を結成。ますます混迷する政治の世界。そんな中、ウォーティア国王の訪日に向けての準備は着々と進んでいた。
♢
【日本国/東京都/千代田区永田町/総理官邸/総理執務室/4月中旬・某日】
「準備は進んでます?」
「抜かりなく」
「そうですか……」
政務担当首相秘書官、岸和田の心強い言葉に牧田はホッと安堵の息を漏らす。そわそわとどこか落着きが無いのは、慣れない椅子のせいなのかそれとも性格のせいか。
「……就任早々、隣国の王を招くなど不安ですねえ」
牧田はそう言って溜息を吐く。
全ては、ウォーティア国王が自ら日本に行くことを提案してきたことから始まった。国王の訪日は、先の事件によって先延ばしにされていた国交樹立と、藤原前総理の弔問が主な目的であった。
しかし、王に危害を加えるような輩がいないと言い切れないのが正直なところ。牧田の不安に岸和田も眉を下げた。
「世論は混迷を極めています。不安になるのも当然です」
「私にはもう動向が読めませんよ、ええ」
藤原総理亡き現在、国内世論は〝干渉主義〟と〝不干渉主義〟で意見が割れている。そこに右派陣営と左派陣営が各々の視点から参戦し、語弊を恐れずに言えば敵味方入り乱れる、そんな様相を呈していた。
干渉主義派は言う。
「大陸諸国との交流を拡大。大陸情勢には多少の危険を負ってでも介入すべき」だと。
「ここで介入しなければ次の標的は日本になる―――by右派」
「影響力を持たなければ日本は長期的に衰退する―――by右派」
「国際協調、人道主義の観点から連帯を示すべき―――by左派」
「ただし武力による解決には反対。外交努力で解決しろ―――by左派」
実際、スラ王国という脅威が野放しにされている大陸情勢の放置は、巡り巡って日本の首を絞めることになる。
確かにこの世界の国々の文明水準は日本よりも大きく遅れていることは否定できない。だが、現時点で日本に友好的な国を非友好的な国に乗っ取られたとき、果たして日本の国益は守られるのだろうか。
旧友好国に資源が見つかったら?
食糧生産技術を与えたら輸出してくれる?
日本の製品を買ってくれる?
一度舐められたら最後、成す術はない。盤を引っくり返すには、それこそ戦争するしかなくなるかもしれない。それでは本末転倒だ。つまり長期的な視点に立てば、ここで引き下がるのは悪手である。
この干渉主義は政権内ではメジャーだった。
一方、不干渉主義派は反論する。
「大陸諸国との積極的交流を中断。大陸情勢への介入はせず。東岸地域の開発に注力すべき」だと。
「総理を襲撃するような民度の低い国に関わるな―――by右派」
「数世紀遅れの文明と外交ごっこをして得る物があるのか―――by右派」
「自政党政権はこれを機に武力示威による外交を始めかねない―――by左派」
「他国の戦争に国民を巻き込むな―――by左派」
この不干渉主義―――日本版モンロー主義とも言われる―――はここ最近、政権内でも勢力を強めており、政策決定において既に無視できない状況になっていた。
勿論、大陸利権に日の丸が刺さるというのは、長期的なスパンで見れば非常に魅力的な話ではある。だが、逆に言うと短期的にはあまりに旨味が少ないように感じられる。
石油を掘っているのか?ノー。
大量の食糧を日本に輸出可能か?ノ、ノー。
十分な貨幣経済が成り立っているか?んんん。
それどころか、大陸にはスラ王国という宗教絡みの面倒くさい国もある。下手に首を突っ込むと戦争になるのではないか?わざわざ異世界の国を助ける義理がどこにある。戦争になれば唯でさえ貴重な国内の備蓄資源を浪費することになるのだから。
当然、石油やリン等の資源豊富な日本の生命線―――東岸地域―――に手を出せば対応せざるを得ないが、それさえ弁えていれば何をしようと目を瞑ろう。そしてまずは態勢を立て直す。大陸利権に触手を伸ばすのはそれからでも遅くはない。交渉相手はスラ王国に据え変わっているかもしれないがそれは問題ではないのだ。
牧田は頭を抱えた。既に薄かった頭髪が、ここ最近更に薄くなっているのは気のせいではないのだろう。
「国王を招くのはいいのですが、不干渉主義派を刺激しないでしょうかねえ……」
牧田の問いに岸和田も言葉に詰まる。ウォーティア王国との国交樹立は既に最終局面にあったし、国王の訪日は藤原前総理の弔問も兼ねている。ここで訪日の中止だとか、交流の中断だとかは相当にハードルが高い。
「正直に言えば、結論を保留したいところです。しかし、ウォーティア王国との国交樹立は前総理の悲願でもありますので……」
「そうですよねえ。分かっていました、ええ」
国交樹立を新たな日本の門出にしよう。そういう思いで藤原は動いて来た。その思いを一番近くで感じ取ってきたのは盟友の岩橋だ。彼は干渉主義派として是が非でもこの国王の訪日を推進するだろう。
だが、世論のみならず政権内でも不干渉主義派が台頭してきているのが現状。国論分裂を恐れて纏まった新総理、その難所を越えた矢先の新たな国論分裂の危機。
「無論、総理は牧田さんです。決断するのも」
「そんな!私にはとても荷が重い」
牧田はしょぼんと首を落とした。
「私は器じゃないんです、ええ」
♢
【中央大陸/旧モルガニア/王都モルガン/王城/応接の間/4月中旬・某日】
ウォーティア国王の訪日に向け、日本政府とウォーティア王国政府が準備に追われる頃。ウォーティア王国南西部に隣接する旧モルガニアにも客人が訪れていた。
応対するのは王城を我が物顔で占拠するスラ王国東方遠征軍の将軍、デミル・ハイヤード候。
「遠路はるばるよく来られた」
重厚な扉が開く音と共に姿を見せたハイヤード将軍に、ソファで寛いでいた客人が立ち上がる。応接の間で対応するということは、少なくとも謁見の間で偉そうに踏ん反り返って良い相手ではないということ。
「これは閣下、本日はお日柄もよく」
代表の男が口上を述べるや否や、ハイヤード将軍は右手を挙げ言葉を遮った。
「堅苦しい挨拶は不要です」
「……これは失礼いたしました、閣下」
「それで用件は何ですかな。日本国の使節殿」
ハイヤード将軍は「どうぞ」とソファに腰掛けるよう促し、日本国の使節が座るのを目視してから腰を下ろした。この場に居るのは、外交官の黒沢 晃、通訳の相馬三尉、そして護衛の山田一曹の3人。それに、ハイヤード将軍が信頼する部下、軍師シードも同席していた。
「用件は単純です。陛下との謁見を仲介していただきたい」
「謁見、と。一介の将軍が相手では話にならないと」
そう言って目を細めるハイヤード。その眼光は鋭く常人であれば委縮してしまうところだが、黒沢は顔色一つ変えることなく頷いた。
「誤解を恐れずに言うと、つまりはそう言うことです」
黒沢の慌てるどころか寧ろ肯定する言葉に、ハイヤードは舌を巻いた。唯の馬鹿者か、それとも。ハイヤードが返す言葉を探していると、黒沢は更に言葉を続けた。
「我が国は再三に渡って、貴国との国交樹立の意思を示してきました。併せて、自称日本軍事件への貴国の関与も指摘してきた。しかし、貴国からは何の返答も無い。これはどういう了見でしょう?」
時折頷きながら聞いていたハイヤード。黒沢の言葉が終わると同時に、姿勢を正した。
「貴国の宰相からの親書は、都度、陛下に献上しています」
「では何故、何の返答もないのですか」
「それは分かりかねます。私は一介の将軍に過ぎないのですから」
意趣返しのつもりか、ハイヤードはそう言って不敵な笑みを浮かべた。日本からの親書は国王にきちんと届けている。それに返答がないのはこちらの与り知らぬ話だと突っぱねる。
結局、この日も話は平行線のまま。黒沢たちは何の成果もなく引き上げた。
黒沢たちが退室した後、シードは周囲に誰もいないことを確認して扉を閉めた。この応接の間には今、ハイヤードとシードの2人しかいない。
「人払いは?」
「済ませてございます」
「うむ。ならばよい」
ソファにどっかりと腰を沈め、ハイヤードは天井を見上げた。
「中々にしつこい連中だ」
シードは扉の前に立ったまま、「左様ですな」と頷く。黒沢たちがここを訪ねてくるのは今日で4度目だ。勿論、彼らの親書は国王の下に届けてはいる。届けてはいるが返答がないのは、「二ホン国の処遇については東方遠征軍に任せていただきたい」との書簡を添えたからだろう。
「陛下は私に二ホン国に対する外交の全権を与えられた。つまりは、彼らとの交渉はすべて私の一存に委ねられているのだ」
「連中にそのことをお話しにならなくて良いので?」
悪い笑みを浮かべてそう言うシードに、ハイヤードはふんと鼻を鳴らした。
「シードよ。率直に問う。我が国がウォーティア王国に攻め入ったとき、二ホン国は出張ってくると思うか?」
ハイヤードの言葉にシードは暫し考える素振りを見せるが、実際には既に結論を導いていた。
「出張っては来ますまい」
「訳を聞こう。何故そう思う?」
「私の策が自ずと答えを導いております」
シードの回りくどい言葉に、ハイヤードは片眉を僅かに上げる。
自称日本軍事件(日本に汚名を着せる工作)を発端とする両国の関係悪化を狙ったシードの策略。
反日感情を誘発するまでは良かったものの、日本が即座に火消しに走ったことで関係悪化にまでは至らなかった。これは、日本の情報伝達速度を過小評価したシードの落ち度にも原因がある。が、結局、この世界の基準(観察者たちは除いて)ではそこまで想定することは難しかったのだろう。
だが、シードはこの策が失敗した時のために、プランBを用意していた。それが、平民と南部貴族を使った藤原総理の襲撃である。流石に宰相を殺されたなら、日本も何かしらの制裁や要求をするものとシードは考えた。
だが。
「結局、奴らを衝突させることは出来なかった。そればかりか、町や村の襲撃工作が我々によるものと看過されたのだぞ?!」
ハイヤードは声を荒げ、応接の間に据え置かれた机に拳を叩きつけた。その怒りを直接受けてなお、シードは怯む様子も無く、至って冷静に補足する。
「されど。宰相襲撃について言及しないところを見るに、彼らはウォーティア人に宰相を殺されたと思っているはずです。にも拘らず、彼らは何の行動も起こさないばかりか、犯人の処罰さえ相手国に投げている」
シードの言いたいことを察したハイヤードは、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
「つまり。二ホン国はウォーティア王国との衝突すら避けている。と?」
確認する様に言葉を紡ぐハイヤードに、シードはコクリと頷いた。
「連中の軍事力はあるいは、張子の虎ということも」
しかし、ハイヤードは慎重な姿勢を崩さず、もう一つの可能性を指摘する。
「それは我々の関与に気付いていない。という仮定の下に成り立つ話であろう?もし、それすらも見抜いていたのだとしたら結論は崩壊する」
ハイヤードの指摘に、シードは「左様でございます」とあっさり考察の不備を認めた。ハイヤードは訝しむように視線を向ける。どうせ続きがあるのだろうと顎をしゃくると、シードはニヤリと口角を釣り上げた。
「されど。それこそ我が国との衝突を望まない証拠ですぞ?ニホン国は我々の行く手を阻みはしないでしょう」
シードの言葉にハイヤードは「うーむ」と顔を顰めるが、信頼を置く軍師がそう言っているのだからそうなのだろう。何か引っかかる物を感じながらも、無理矢理に自分を納得させた。
「良かろう。侵攻準備を早めろ」
「畏まりました、将軍閣下」
最後までありがとうございました。
次回もよろしくお願いします。




