食べれるシャボン玉 その3
「これでシャボン玉を作るといい。口に入るくらいの大きさに飛ぶはずさ」
そう言って、おっさんは私にシャボン玉を飛ばす筒と、シャボン液を渡してきた。人差し指ほどの筒で、綺麗な赤色をしている。可愛らしい。
「飛ばしたシャボン玉をそのまま食べたらいいんですか?」
「そうだよ。大丈夫、味の保障はするから。もちろん洗剤の味はしない」
「信じますよ? 嘘だったら、この前みたいに殴っちゃうかもしれませんから」
「それは勘弁してほしいな……」
冗談を交えつつ、私はシャボン液と筒を両手に、何年かぶりにシャボン玉を飛ばそうとしていた。こういうのって久しぶりだな。外でこうして遊ぶのも、小学生以来かもしれない。特に気にしていなかったけど、外で遊ぶことってなくなったと思う。別に嫌いになったわけじゃない。ただ、そういった機会が無いというだけで。誰かとこうして、公園で遊ぶってことを忘れていた。
それなら今日は、この時間は、思いっきり楽しもう、そう思った。
私は、意気揚々とシャボン玉を飛ばした。小さな一口サイズほどのシャボン玉が一斉に空へと舞い上がった。綺麗。ちっちゃくて綺麗なシャボン玉がいっぱい飛んでいる。それだけで楽しかった。
「見とれちゃってると、みんなどっかに飛んでっちゃうよ」
「わかってます。わかってますけど、なんだか、食べるのが勿体無いです」
「まぁね。どう、楽しいでしょ?」
「えぇ、楽しいです」
それは良かった。おっさんはそう言って飲み干した缶コーヒーを両手に持ちながら私を見ていた。
おっさんの言うとおり、見とれている場合ではなかった。どんどんシャボン玉達が割れたり、遠くに飛んでいったり、私の口に入ろうとするシャボン玉がいなくなっていた。やべぇ。
辺りを見渡すと、ひとつだけ、私の近くにフワフワと落ちてくるシャボン玉を見つけた。わざわざそっちから来てくれるなんて、なんと律儀なシャボン玉なんだと思った。まぁたまたまだと思うけど。
折角のチャンスなので、思い切ってそのシャボン玉をぱくっと口の中に入れてしまった。
その瞬間、口の中いっぱいに、かき氷の味が広がっていった。いちご、メロン、レモン、みぞれ……口をちょっと動かすたびに、色々な味を感じた。今まで食べてきたかき氷の総復習のようだ。なんだこれ、すごい。口の中がかき氷の思い出でいっぱいだ。
「口の中いっぱいに、いろんな味がします」
「ん? ちょっと効き目が強かったのかな? そんなに?」
「えぇ、ちょっと落ち着いてきてますけど」
「レシピの中だけの味しかしないはずだったんだけど……もしかしたらお嬢ちゃんの思い出も引っ張り出してきちゃったのかも」
「思い出?」
「そう、かき氷を食べた思い出。魔法で記憶を無理やり引っ張り出してきちゃったのかも。体調は悪くないかい?」
「特に問題は無いですけど」
「そうか、良かった。でもこれ以上は止めておこう。何かあったら大変だ」
そう言って、おっさんは私を気遣いながら、シャボン液と筒をそっと自分の元へとなおした。少しだけだが、おっさんの顔が曇ったように見えた。
「本当に大丈夫ですよ? 美味しかったですし楽しかったです」
「ありがとう。でも軽率だったよ、多少なり、魔法を口にすることのリスクを考えていなかった私のミスだ、申し訳ない」
「そんなこと……っというかそもそもリスクなんてあったんですか?」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
「言ってないわ!!!!!」
結局私は、再び再開した魔法使い(自称)のおっさんの腹を殴ってしまうのだった。
ベンチに座っている女子高生と、その前で土下座をしているおっさんという構図が出来てしまった。傍から見たらひどい絵面だ。
「大変申し訳ございませんでした」
「いや、もういいですから。特に何も起きなかったんですから」
流石にこのままずっと土下座状態が続いても困るので、二人でまたベンチに腰掛けるのだった。
「記憶を呼び起しすぎるリスク?」
「そう、ちょっとだけなら問題ないんだけどね。あんまり一度に大量の記憶を呼び起こすのは、脳に強い負担を与えることになるからね。下手すると大変なことになる」
「想像したくないですね……」
「この魔法でレシピの味を再現するために、ほんのちょっとだけ使っていたはずなんだけど、どうもお嬢ちゃんには効き過ぎたようだ」
「へぇ……」
「もしかしたらお嬢ちゃんは魔法の影響を受けやすい体質なのかもね」
「体質ですか」
「そっ、もしかしたらね」
そう言いながら、おっさんは雑誌の白紙になっていたページに、シャボン液が入った容器を置き、手をかざしていた。すると、かざした手が光り始め、みるみる白紙のページが元の姿に戻っていった。
「ちゃんと元に戻しておかないとね。借り物なんだから」
「借り物を魔法に使っている時点でどうかと思いますけどね」
「ははっそりゃそうだ。まぁそもそも普通の人間には気づけない事だけど」
おっさんはそういって雑誌を鞄にしまうのだった。
それにしても記憶か……確かにあのシャボン玉を口にした時、かき氷の味と一緒に、夏祭りに行った思い出が脳裏をよぎっていた。圭人や千夏、お母さんと啓子さんとも一緒に行ったよな。それに、あの夏の夜空いっぱいに咲く花火はとっても綺麗だったなぁ。そんなことを思い出していた。
「もしかしたら、かき氷を食べたいなって思ったのは、この前おじさんに最後見せてもらった、あのシャボン玉のせいだったのかも」
「あぁあれね、花火を連想したのかい?」
「かもしれませんね」
そうだ、きっとあの光景が強く印象に残っていたのだろう。そうに違いない。まだ夏には早いというのに、かき氷を食べたいと思うなんて。思い出してふふっと笑ってしまった。
――綺麗だね、瑞希――
一瞬、何かが頭をよぎった。なんだ今の、小さい私が誰かの頭の上に乗って花火を見ている光景が見えた……そんな気がした。誰? わからない。今のは一体。その時、急に体に寒気が走ってきた。
「お嬢ちゃん? おい、大丈夫かい?」
急に黙りこみ腕を組んでカタカタ震える私を心配したのか、おっさんが私の肩に手を置いた。
「おとう……あっいえ、大丈夫です」
「本当に大丈夫かい? 急にどうした? 顔色が悪いよ」
「いえ、なんだか急に寒くなって……でも大丈夫ですから」
その時だった。
「なーにが大丈夫よ」
ベンチ近くの自販機の方から、可愛らしい声が聞こえてきた。その姿に見覚えがあった。白いワンピースを着て、綺麗な長髪を靡かせた少女。今朝、公園で見かけたあのこだ。
少女はてくてくと私とおっさんの方へと向かってきた。
「はじめまして、私は魔女のアリス。よろしくね、おねーちゃん」