これから
魔法使いと聞くと、私はシンデレラを思い出す。舞踏会へ行きたがるシンデレラを、魔法の力で手助けしてあげる。そんな魔女に、子供の頃の私は強い魅力を感じた。自分の為ではなく、他人の為に魔法を使うところに好感を持ったのだ。私の憧れであり、理想だった。それだけ夢中になっていたということだけど。もちろんシンデレラの話自体も大好きだ。
そんな私にとって、魔法使いとは特別な存在だった。それが、まさかこんな形で遭遇するなんて。……いや、私は信じない。だってあれだけ憧れていた存在が、まさかおっさんの姿で現れるなんて。
おっさんはスーツ姿にトレンチコート。髪はセミロング、髭は綺麗に剃られている。右手にはシャボン玉を飛ばす為の枠、左手にはシャボン玉の液体が入っているであろう容器を持っていた。それと傍らには小振りな鞄が置かれていた。
今は四月の末。まだ少し肌寒さは残っているものの、日中は陽が射していると暖かい。春には変な人が増える。そんなことをどこかで聞いた覚えがある。さっき、おっさんを変質者だと思ったのは、コートを見て露出狂が着てるような服だなと思ったからだ。(トレンチコートを愛用している全国のおっさんごめんなさい)
夕暮れ時、公園にはそんなおっさんと高校生の私だけがいた。
「おじさんはね、魔法使いなんだよ」
「いや、聞こえてます。聞き返したわけじゃないですから。初対面のおじさんに、さっきから変なこと言われ続けて頭が混乱しているだけですから」
「そうか、それは悪かった。一度深呼吸するといい」
落ち着くよ、と言われた。あんたに言われたくないわ! でも確かに、私は一度落ち着くべきなのかもしれない。おっさんのペースに乗ってはいけない。手に持っていた鞄を地面に置き、私は両手を上げて背を伸ばし深呼吸をする。
「はぁ……想像していたのと違った……」
おっさんに対する鬱憤と愚痴が一緒に吐き出された。
「私のことかい?」
「ええ、だって誰がどう見てもただのサラリーマンじゃないですか」
魔法使いといったらローブに三角帽、片手に箒と相場が決まっている。私にしてみたら、おっさんはどこにでもいそうな、ただの普通の人にしか見えない。
そりゃ、そんな格好でいたら通報沙汰かもしれないけど。いや、最近ならコスプレしている変な人で済むのかのかな? どちらにしろ、公園に不審者がいるって近所の奥様方の噂になって、警察の御用になるのがオチだと思うけど。
私の考えは当たらずとも遠からずのようで、おっさん曰く、
「あれは礼装みたいなものだからね、普段は着ていないだけだよ。人の目もあるしね」
と、いかにも魔法使いらしい答えを返してきた。
「……だからといって私、まだおじさんのこと魔法使いだって信じてませんから」
「そうか、じゃあ君にとって、魔法使いはどういった人のことをいうのかな?」
おじさん知りたいな、とニコニコしながら私の方を見つめてくる。
私の想像していた魔法使い? そんなの決まっている。困っている人の前に現れ、魔法の力でどんな願いでも叶えてくれる、心優しいお婆さん。シンデレラに出てくる魔女のような。そんな私の理想の魔法使いをおっさんに語った。といか愚痴った。あなたとは違うんだと。
「ですから、私は今自分の憧れていた魔法使いが目の前にいるのに、想像と大きくかけ離れていてショックなんです。受け入れたくないんです」
「ははは、それは悪いことをしてしまった。出会ってから、ずっと君をがっかりさせているな私は」
「別にそうでもないですけど……シャボン玉は本当に綺麗だと思いましたし。ただ魔法使いだと言われても……」
「――よしっ! じゃあもう一つ、君に特別なシャボン玉を見せてあげよう。しっかり魔法が込められているってことがわかるようなものをね!」
そういうと、おっさんは鼻歌を歌いながら、さっきまで跨っていた、パンダの遊具近くに置いていた鞄の中身を物色し始めた。急にどうしたのだろうか。一人でやる気満々になっているんだけど。
そうこうしていると、おじさんは鞄の中から小さな瓶を一つ取り出した。それを見て、私はお母さんが使っている香水瓶を思い出した。ただ、それよりもっと神秘的で、惹きつけられる何かを感じる。
「これはね、知り合いの魔女から仕入れている魔法薬なんだ。これをさっきのシャボン玉液と調合する。すると、おじさん特製スペシャルシャボン玉液の完成ってわけ」
「おじさん、その魔女の話を詳しく」
「これ、そっちの話題はまた今度」
魔女の存在にテンションが上がったのにスルーされてしまった。私そっちの方が気になります!
なんて思っているのも束の間、おじさんはそそくさと、さっきまで吹いていたシャボン玉液が入っている容器に、取り出した小瓶の中身を数滴垂らした。すると、容器の中から炭酸水が弾けるような音が聞こえてくる。パチパチパチパチ。
「この音が鳴り止むと出来上がり。さて、そろそろかな」
音が鳴り止む。すると、おっさんは右手でシャボン玉を飛ばす為の枠を取り出し、瓶の中へと挿す。
「準備はいいかい」
おじさんは、枠を瓶から抜き、口に咥え少しずつ息を吹き、風船を膨らませるようにシャボン玉を大きくする。サッカーボールくらいの大きさに膨らんだシャボン玉を、おじさんはふっと息を吹きかけて枠から放す。そのシャボン玉は、私に向かってふわふわと飛んできた。
「お嬢ちゃん、このシャボン玉に触ってごらん」
「えっ割れちゃいますよ?」
「大丈夫。おじさんを信じて」
触ったと同時に割れて、服が濡れたらクリーニング代を請求してやる、と小悪党みたいなことを考えつつ、私は少し不安ではあったものの、こちらに向かってくるシャボン玉に手を伸ばした。
不思議な感覚だった。シャボン玉は割れない。というか私は飛んでくるシャボン玉を、両手でキャッチしていた。
「―――――なっ!?」
「驚いたかい?これはね、絶対に割れないシャボン玉なんだ」
誰でも一度は想像したことがあるのではないだろうか。割れないシャボン玉。シャボン玉は綺麗だが儚く脆い。だから割れずにいてほしい。そんなことを私も思ったことがある。それが今、この自称魔法使いのおっさんの手によって生み出された。
「風船……じゃないよね?」
あまりの衝撃に、やはり私はすぐ目の前のびっくり仰天出来事をマジックか何かだと疑ってしまう。
「違うよ、なんだったら確かめてみるといい」
そういうことならと、私はシャボン玉を両手で掴み、手を上げ思いきり地面に向けて叩き付けた。シャボン玉は、地面に叩きつけられたにも関わらず、割れる様子は一切無く、ボールのように高く跳ね上がった。しかしボールと違うのは、落下の速度がボールのそれとは全く異なり、フワフワ空を漂ったのちに、私の手元まで戻ってきた。
「割れないシャボン玉……」
さすがに私もこれには驚いた。魔法みたいだなと。両手に握られたシャボン玉は、ぷにぷにしたさわり心地でちょっと冷たい。……なんだこのぷにぷには! ずっと触っていたい!! そんな不思議な気持ちにさせる。私は夢中になって割れないシャボン玉をぷにぷにぷにぷにし続けた。
「……これ持って帰ってもいいですか?」
「悪いけどそれは出来ない。それはここで楽しむものだから」
「んーそっか。残念だな……」
家でテレビでも見ながらぷにぷにしたかったなぁ。そんなことを考えながら夢中になってぷにぷにし続けている私。
「どうだい? 楽しんでもらえたかな?」
「ええ、自称魔法使いさんにしては中々やりますね」
と、私は少し嫌味っぽく呟いた。ただ、このことに関しては心の底からすごく感動していた。信じたくなかったけど、信じてもいいかなって思えるくらいに。ぷにぷに。
「ははは、それはなによりだ」
おっさんは嬉しそうに私に笑顔を向ける。本当に嬉しそうだ。すると、おっさんはぷにぷにし続ける私の傍に近づき、少し聞いてくれるかな? と、声を掛けてきた。
「おじさんは、君の憧れていた魔法使いとは全く違う。君が困っているから現れたんじゃない。君の願い事を叶えるわけでもない。心優しいお婆さんでもないね。ただ、それでも君と出会えたのは何かの縁だ。今日ここで、シャボン玉を吹いていて正解だったよ」
急に改まってそんなことを、年上のおっさんに笑顔で言われ、私は少々照れくさかった。
「い、いえ、こちらこそ……」
なんて、気の利いた返しも出来ずにどぎまぎしながら答えた。おっさんは優しいお婆さんではなかったけど、優しいおっさんではあったみたい。……お父さんってこんな感じなのかな。そんなことを思った。
夕日が沈み始め、空が赤く染まる。そろそろ帰らねば。お母さんの帰宅は遅いけど、晩御飯の準備をして、お風呂を掃除して、洗濯物を取り込んで、勉強して……やること多いな私!
「あの、これお返しします。楽しかったです。それに失礼なことしたり言ったりしてごめんなさい」
「いやいや、おじさんに付き合ってくれただけで十分だよ。それにまだ、このシャボン玉の『特別』を見せてないからね」
ん? どういうこと? もう十分すごいと思うんだけど。
すると、おじさんは私が返した、絶対に割れないシャボン玉を夕日に向かって飛ばした。シャボン玉は赤く染まり、まるで今まさに沈んでいく太陽が、また昇り始めたかのように見える。赤く染まった空に、太陽が二つ現れた。そして、空高く昇っていく太陽こと、絶対に割れないシャボン玉は、途中で動きを止めた。
今日は本当に、シャボン玉日和だ。そうおっさんは呟き、隣にいる私に、
「あのシャボン玉から目を逸らしちゃいけないよ、一瞬だからね」
と、耳打ちした。一体何が起きるというのか。私は夕焼け空をじっと眺める。すると、おじさんが小声で何かを呟いた。
「ありがとう、楽しかったよ」
その瞬間、絶対に割れないはずだったシャボン玉が、夕焼け空一面に弾けとんだ。弾けたシャボン玉、その一粒一粒に夕日が差し、キラキラと輝いている。それが大量に降り注ぐこの光景は、まるで天から降り注ぐ、無数の流れ星だった。
「綺麗……」
絶景とはこのことだろう。私は無数に降り注ぐシャボン玉の流れ星を、じっと眺めていた。子供の頃から住んでいるこの町。見慣れた風景。なのに今日は、どこか別の遠い世界へと足を踏み込んでしまったのではないだろうか。そんな錯覚に陥っていた。
「懐かしいな、この魔法も」
と、おっさんは何かを思い出したのか、ノスタルジックに浸っていた。
――一瞬の出来事だったのに、とても長い時間を過ごしたよう気分だった。私の心臓はまだドキドキしている。興奮さめやらぬ。そんな私を見て、おっさんはしてやったりな顔をしている。ぐぬぬ。
「……さっきおじさんは、起きないと思っていたことが目の前で起きた時、素直に受け止めたほうが人生はもっと楽しくなるって言ってましたよね。……少しわかった気がします」
「そうか、それは良かった」
「これが全部夢だったらちょっと泣きそうです」
「大丈夫、夢じゃないよ」
おっさんは優しく声をかけてくれた。私の憧れだった魔法使い。最初は信じたくなかった。私の中の魔法使いのイメージを壊されたくなかったから。
だからあの時、シャボン玉は灰色がかってしまったのだろう。不安と恐怖。自分の中に閉じこもってしまうと、周りが見えなくなってしまう。おっさんの説教は、自分の中に閉じこもっていてもいい、選ぶのは自分だから。でも、周りにあるたくさんの楽しいことに目を向け、向き合ったら、もっと毎日が楽しくなるんだよ、とでも言いたかったのだろう。私の推測だけど。
「おじさん、次会った時は私にも吹かせてよ」
「あぁ、また今度ね。いつ会えるかは保障出来ないけど君のことだ。また私を見つけてくれるだろう」
そんな口約束をし、私は鞄を拾って帰る支度をした。目の前のおっさんはやっぱりどう見てもサラリーマンのおっさんだ。でも、私を楽しませる為に魔法を使ってくれた優しい魔法使いなのだ。
「じゃあね、おじさん。今度ももっと凄い魔法見せてよね」
「そうだね、楽しみにしておくといい」
そんな他愛もない会話をして、私は公園を後にした。
公園を出ると、そこはいつもの帰り道。さっきまでのことが、本当に夢だったのではないだろうかと思ってしまう程、何気ない景色が広がっている。私はふと我に返った。魔法使いに会えた。それにまた会う約束をした。……こんなことってあるのだろうか。春は出会いと別れの季節だとはよく言ったものだ。これが最初で最後の出会いだった……なんて考えたくないけど。
それにこんなこと誰にも言えない。私が信じなかったように、きっと誰も信じてくれないだろう。高校生活二年目初っ端から不思議ちゃん扱いされたくない。そんなことを考えていると、いつの間にか家に着いていた。
家事を一通り済ませた後、自分の部屋に戻り、ベッドに寝転がった。楽しかったなぁ……。あの公園での出来事を思い出していた。絶対に割れないシャボン玉って言ってたのに、結局割れちゃってるじゃない。そんなことを考えて一人で笑っていた。
少し休憩した後、私は図書館で借りてきた本でも読もうと鞄を開けた。その時、中で何かがキラキラと光っているのが見えた。まさかと思って掴んでみると、ビー玉くらいの大きさのそれは、ぷにぷにした触り心地で色鮮やかに輝いていた。それに、爪を立てても割れることは無かった。
「やっぱり、夢じゃなかったんだ」
私の日常に、非日常が加わった。
おっさんと少女の出会い編 完
こんな感じで、おっさんと少女がシャボン玉を通して、非日常の世界を楽しむというのが、この作品のコンセプトになっています。まだまだ続いていくのですが、如何せん小説を書き始めたばかりで、早く更新することが出来ないと思うので、気長に待っていただけると幸いです。それではまた、次のお話で。