魔法のシャボン玉
「私のシャボン玉にはね、魔法がかかってるんだよ」
「……」
あまりに突拍子も無いことを言われ、私は言葉を失った。何言ってるんだこのおっさん。いや、こんなこと言われて『そうなんですか! それはすごいですね!』なんて信じるおバカさんもいない。
「むっ、その顔は信じてないようだね」
当たり前です。これでも私は高校生。将来は魔法使いになって、この世界を平和にしますと夢見た少女はもういない。……この話題で何度お母さんにいじられたことか。私の恥ずかしい過去は置いといて、
「信じるわけがないじゃないですか、そんな非現実的なこと」
私は冷たく答えた。この世に魔法なんて存在しない。それは漫画や小説の中での話。空想、絵空事なのだ。
「信じるか信じないかは君次第だ。でも、そんなことは起きないと思っていたことが目の前で起きた時、素直に受け止めたほうが人生はもっと楽しくなると思うよおじさんは」
説教臭かったかな? ごめんね、とおっさんは私に謝った。
「……じゃあこのシャボン玉にはどういう魔法がかかっているんですか?」
私はおっさんに問いただした。おっさんが飛ばし続けているこのシャボン玉にはどんな魔法がこめられているのか。あの色とりどりの、鮮やかなシャボン玉には、
「――えっ」
私は目を疑った。さっきまであんなに綺麗だったシャボン玉が全て、灰色がかっている。一瞬のうちに世界が変わってしまった気がした。何が起きたのか私にはさっぱりわからなかった。怖い、なんだか気味悪くなってきた。シャボン玉も、おっさんも。魔法とか言ってたけどまさか私、なにかされるのではと。
「お嬢ちゃん、落ち着いて。何か嫌なことでも思い出したのかい? だったら思い出して。さっきここへ来るまでのことを。何かいいことでもあったんじゃないのかい?」
「ここへ来るまでのこと……」
私は授業が終わり、友達と教室で少し談笑した後、みんなと別れ学校を出て、すぐ近くの市営図書館へと足を運んだ。お目当ての小説を借り、私はウキウキしていた。読書好きですと胸を張って言えるほどまだ本は読んでいないが、最近の楽しみの一つなのだ。
部活動に入っていない私は、家に帰ったら家事をして勉強をする、もしくは録画したドラマを見返すくらいしかすることがなかった。友達がいないわけじゃないよ? そりゃたまには友達とも遊ぶけど、なにしろ我が家は私とお母さんだけですからね。
お母さんは仕事で忙しいので、必然的に私が家事をしないといけない。なので、小さい時から鍛えられてきた私の家事スキルは、そんじょそこらの子よりも高いのだ。どやぁ。
高校生になったので、私はこの家事スキルを活かせるアルバイトをしてお金を稼ごうかとお母さんに相談したが一蹴された。そんなことする暇があるなら家事と勉強をしっかりしてくれと。
お母さんからの切実な願いだった。
そういった事情もあり、今は小説に夢中になっているのだ。家で出来ること、家事と勉強に差し支えのない楽しみとして。
そう、今日の帰り道はとてもわくわくドキドキ、どんなお話が待っているのか楽しみでいっぱいだった。あの時見かけたシャボン玉は、まさにそんな私を映したようなシャボン玉だった。
「そう、そういうことだよ。おじさんのシャボン玉はね、見た人の心を映すことが出来るんだよ」
「――何勝手に人の心の中覗いてるんですか!!」
私の渾身の右ストレートは、おっさんのみぞおちに綺麗に決まった。
「…………」
大変だ。おっさんをノックアウトさせてしまった。急に変なことを言われ、恥ずかしかったからとはいえ、さすがにやってしまった感でいっぱいだ。
「だ、大丈夫ですか?」
大丈夫なわけないが、自分の責任からちょっとでも逃れたい私は、おっさんの安否を気遣っていた。
「いい……パンチだったよ……がくっ」
「がくっとか自分で言わないで下さい! ……ごめんなさい、私のせいでこんなことに」
「いや、謝ることはない。寧ろ私のせいで君を怖がらせてしまったみたいだからね」
よいしょっと、とおじさんは何事もなかったかのように立ち上がり、体に付いた砂埃を叩き落とした。
私の気遣いとは裏腹に、おじさんはピンピンしていた。さすが男の人。というか心配して損した気がするんですが……
「おじさんとの会話でなにか嫌なことを思い出させちゃったみたいだね。ごめんよ」
「いえ、別に……というか本当に私の心の中を覗いたのですか?」
「覗いたのはシャボン玉さ。君が見たであろうシャボン玉を、私も同じように見たのさ」
どういうこと? 私が見たシャボン玉もおじさんが見たシャボン玉も同じなんて当たり前じゃないの?
「シャボン玉はね、見ている人によって見え方が違うんだよ。千差万別。誰もが同じものを見ているわけではないんだ。だけど私は、それを見ることが出来る。その人が見たであろう色を確認することによって、その人が今どんな気持ちなのかを推測することが出来るというわけ」
「はぁ……さっき私が見たシャボン玉は」
「灰色がかっていたね、それと少し黒く霧がかってもいた。あれは不安と恐怖を示す色だ。だから謝ったんだよ。怖い思いをさせてしまったと感じたからね」
おっさんの言うことがズバリ当たっていたので私はドキッとした。まるで占いがピタリと当たったような感覚だ。しかし、それが魔法によるものだと言われても、私にはピンとこなかった。おっさんはもしかしたら占い師なのではと思えてきた。シャボン玉占い師。なんだかありそう。
「当たってます。確かに私は灰色のシャボン玉を見ました。でもそれはおじさんが私にそう見えるようにシャボン玉を作った可能性もありますよね」
「ほほう」
「最初からそう見えるようにして、魔法なんて言葉を使って誘導したんです。私がそうだと信じ込ませるよう。つまりあなたは占い師さんです!」
私は意気揚々と叫んだ。どうだ私の名推理は! と言わんばかりのドヤ顔をしておっさんの顔に向かって指を指した。
「残念ながら占い師でもないし、君を誘導するようなことはしていない。嘘もついていないよ」
まさかの否定だった。
「だったら……おじさんは何をしている人なんですか?」
最初から変な人だなとは思っていたが、そろそろ何をしている人なのかくらい教えてくれてもいいのではないだろうか。プロのシャボン玉師? そんな職業あったっけ? そんなことを考えていたら、おっさんが一言。
「おじさんはね、魔法使いなんだよ」
「はい?」
自称魔法使いのおっさんは、嬉しそうに私に向かってシャボン玉を飛ばして見せた。そのシャボン玉は、最初に見た時のように、色とりどりで、鮮やかなシャボン玉に戻っていた。