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リュシラ 1

 何やら外が騒がしい。リュシラは刺繍していた手を休めて外を見やった。


 日光がよく差し込む窓ぎわの作業台は、リュシラが手芸をするときの指定席だ。

 手元が暗いと仕事がまったくはかどらないので、家の中で一番日当たりのいい場所を選んでいる。

 その席からは前庭がよく見渡せるのだが、いまその庭先で、少年たちが言い争いをはじめていた。


「ディーが先に足を使ったんだ。ぼくじゃないもん」

「先にやったのはおまえだろ。いい加減なこと言うな、バカ」

「バカはそっちだ、バカ!」


 非常にうるさいうえに低俗だ。自分がしゃべった言葉はことごとく自分に返るのだ。

 そろそろ言ってきかせなければ。

 それにしても、二年前は挨拶すらかわせなかったふたりが変われば変わるものだ。

 もっとも仲がいいわけではない。会話術は、けんかするときのみ発揮されているように見える。


 少年たちは先ほどから剣の稽古をしているのだが、もめている原因は、どちらが先に蹴りはじめたかということらしかった。

 彼らに剣を教えると言い出したのはカイルだ。

 いっしょに遊べなくても、剣の稽古という名目があれば共同作業するだろうという発案である。

 それに体力をつけるのにもちょうどいい。


 だがそれこそ名目で、本心は単に自分が教えたかったのだというのが、リュシラの推測だった。

 手ほどきをしているカイルは生き生きとして、十も若返って見える。腕だってさほど落ちていない。

 鍛冶場の仕事で筋肉を鍛え上げているからだろう。


 言い合っていた少年たちは、しばらくすると気を取り直して対戦の稽古を再開した。

 少し傾いてきた日差しの中で、ディーの淡い茶色の髪が、さらさらとなびいている。

 伸び盛りの十歳、しなやかな長い手足が自由に動きまわる様子は、森を駆ける若鹿みたいだ。


 八歳になったラキスはまだまだ仔鹿の風情で、ディーがその年齢だったころとくらべても、かなり幼いように感じられる。だが、それでもここ最近で急に背丈がのびてきたようだ。

 体重がたいしてふえないことをカイルは気にしているが、鍛冶屋の体格をめざしているのでない限り、心配することもないだろう。


 それにしても、この年齢差で剣の打ち合いがちゃんとできているということに、リュシラはいつも感心する。

 ラキスの反応と動きの良さがあればこそだろう。

 もちろんディーは、ある程度の手加減はしているようだが──たとえば身長にものを言わせて頭上から殴るようなことはしない──その手加減も以前ほど明らかではなくなってきた。


 あれは半年ほど前だったと思うが、珍しくディーが日課の稽古をしようとしなかったことがあった。

 ひどく元気がないので、どうしたのかとたずねてみても、なかなか答えようとしない。

 しばらくして、ようやく口を開くと呟いた。


「あいつの背がのびたら、かなわなくなるかもしれない……」


 聞けば、前日の終わりの稽古で、はじめて一本取られたのだという。


「すごく速くて、一瞬、剣が見えなかった」


 カイルの手ほどきを受けはじめたとき、ディーはすでに基本の型を知っていた。実家で教え込まれたらしい。

 いっぽうラキスはまったくの初心者だ。二つ年下、しかも習いはじめて日も浅い相手から取られたとなると、ショックを受けるのも無理はないだろう。

 じゃあなおさら練習しないと、と言うと、彼はさんざん言葉を探したあげく、


「練習しても無理なことってあるよね。だって、たとえばどんなに走るのが得意な人でも……逃げていく犬や猫にはかなわないんだし……」


 ここまで言って黙りこんだ。苦労して探した比喩だが、適切だと思えなかったらしい。

 リュシラは助け船を出した。


「魔性の血のおかげで速いんだってことね?」


 ディーが驚いたように目を上げたが、リュシラはこうしたことを隠そうとは思わなかった。

 家族しかいないのだし、どんなに否定しても事実は事実なのだから。


「そうだとしたら、ふたつの方法があるわね。かなわないとわかっているから、もういっしょに稽古はしない。自分より素早い相手と対戦するのは訓練として最適だから、いっしょに稽古する。義務じゃないんだもの、好きなほうを選んでいいのよ」


 どうやら彼は後者を選んだようだ。その結果、稽古のはずが毎回のように蹴ったの殴ったのという話になり、やかましいことこの上ない。

 ちなみにディーの運動能力が低いのかといえば、そんなことはけしてなく、むしろその正反対だった。

 村の少年たちが相手にならないのは当然として、正式な訓練を受けている領主の息子たちとくらべても、格がちがうと言いたいような素質を感じる。

 素人のリュシラだけでなくカイルも同意見だから、まちがいないだろう。


「何すんのさ、卑怯者」


 庭先では、別格の少年ふたりがまたもや稽古を中断していた。

 ラキスがころんだので、ディーが年上らしく手を貸そうとしたところ、相手の木刀が飛んできたのだ。

 反射的に打ってしまったラキスの顔には、反省の色が見えたが、びくびくしながら言い返した台詞といえばこうだった。


「じ……実戦だったらディーの負け」

「実戦だったら、おまえなんかあっというまに踏んずけられて終わりだ!」

「ふ、ふ、踏んずけられたりしないもん」

「するに決まってるだろ、チビなんだから」


 リュシラはため息をつくと、針山に針を戻して立ち上がった。

 気が散って、とても仕事になどならない。

 ふたりとも日頃の生活態度は落ち着いているのに、対戦すると、どうしてこうも負けず嫌いになるのだろうか。


 疲れた肩や首をまわしながら、リュシラは炉のほうに近づくと、やかんから湯をついでゆっくりと飲んだ。

 ほっとしながら腰掛けにすわり、指先で目がしらをもみほぐす。

 夕暮れどきになると針仕事がつらいのは以前からだが、最近では昼間も根詰めて続けることができなくなってきた。

 ラキスたちは、刺繍の様子をときどき面白そうに眺めているが、子どもに針を持たせるのはまだ早いし……納品まで期間がないから、明日は村の娘たちにでも少し手伝ってもらおう。


 ふと気づくと、うるさかった子どもたちの声がぱったりと聞こえなくなっていた。

 ふしぎに思って庭に出てみると、いつのまにか姿が消えている。もうすぐ日暮れだというのに、いったいどこに行ったのだろう。

 ふたりは夕飯の時刻には戻ってきたが、言い争いの影もなく、瞳は妙に輝いていた。 

 おかしい。ここ何日か、どうも態度があやしげだ。


 こういうあやしさにリュシラは覚えがあった。たとえば大人たちが楽しみのために隠していたとっておきの糖蜜を、勝手にふたりでなめまくったり──。

 要するに、ふだんは仲良くする気がまったくないくせに、悪いことをするときだけは共謀する。

 今回は、ぜひ実行前に止めなければ。


 今度こっそりあとをつけて行き先を確認してみようと、リュシラはひそかに考えた。



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