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ディー 4

 関係に変化が起きたのは、その夏がもうすぐ終わろうとするころである。

 はじめて子どもたちだけで留守番を任された日のことだ。


 顧客の葬儀に夫婦で参列することになったが、遠方だったので子どもを連れていくと動きづらい。

 半日程度、ふたりで待たせておいてもいいだろうというのが、カイルの意見だった。

 リュシラはそれほど楽天的ではなかったが、ふたりだけで過ごせば少しは打ち解けるかもしれないという、淡い期待は捨てきれなかった。


 そこで当日、夫婦は注意事項を何度も言い含め、子どもたちのための昼食をととのえた。

 ふだんは食事前に出すことの多いテーブルを前もって組み立て、炉の火を落としてから出かけていった。


 ディーは緊張して夫婦を見送ったが、幸いにもラキスと遊べとは言われていなかった。

 それで、言いつけられた用事をいろいろこなすことに気持ちを集中して過ごした。

 用事というのは主にあちこちの掃除なのだが、強風の翌日だったので実にやりがいがあった。

 木の葉や砂やほこりが吹き込んだままになっている家の中を、片手に箒、片手に布巾でバタバタと動き回る。


 それでも家の中はまだましで、やっかいだったのは庭にある鶏小屋のほうだ。

 飛び散った羽を咳こみながらかき集めていると、ニワトリたちがいっせいに家の戸口に向かって行進を開始してしまった。

 柵の戸はうっかり開けっ放し、暑い日だったので玄関の扉も全開だ。

 行進はもちろん家の中にまでおよび、せっかくきれいにした土間に、羽毛とほこりがまたもや舞い散った。


 ラキスはといえば、突然の行進に目を丸くして喜びながら、ニワトリをかまいはじめた。

 そんなことをしたら、ますますほこりが立つではないか。

 ディーは箒を握りしめたままイライラしたが、鶏たちを小屋に追い立てるときには、幼児の手でも、ないよりましだった。


 ひと騒動がやっと終わって部屋に戻ると、子どもはテーブルの席にすわって何やらいじりはじめた。

 見ると、テーブル上にはいろいろなものが並んでいる。

 庭から拾い集めたらしいたくさんの小枝、道具箱から引っぱり出してきた小刀と麻紐。

 それからリュシラが大事にしている小麦粉の入った壺。

 ディーが鶏小屋にいる間に、ひとりで工作をしていたようだ。

 そのかたわらに、カイルの愛読書である分厚い本がおかれていた。


 それは、いろいろな種類の刀剣が描き込まれている図版集だった。

 実家の蔵書のように立派な装丁ではなく、いかにも安手なつくりの本だ。

 でも、ていねいな絵を見ているだけでわくわくしてきて、字が苦手な小さい子でも楽しめる。

 この調子で一人遊びを続けてくれれば、昼食までは放っておいてもよさそうだ。


 そう思ったディーは、ほっとして寝室のほうに行くと、今度は窓の桟やら床やらを濡れ布巾でふきはじめた。

 こんなに掃除ばかりしているのは、はじめてだったが、なんだか半魔の子とふたりきりでじっとしているのが落ち着かないのだ。

 だが残念なことに、工作は案外すぐに終了してしまったらしい。

 ほどなくラキスは寝室のほうにやってきて、背中を向けているディーの後ろをうろうろと歩き回りはじめた。


 落ち着かない。

 なんというか……半魔というより、リスやうさぎなどのかわいらしい小動物みたいな、この気配はいったいなんだろう。

 ディーは無視しようとしたがうまくいかず、しかたなく振り向いて声をかけてみた。


「何か用?」


 すると寄ってきた子どもは、もじもじしながら、手にしていたものを差し出した。


「……作ったの」


 小さな手が握っているのは、やや長さのある細い枝だった。小刀で丈を調節しようとしたのか、ところどころに傷がついている。

 下のほうには、ごく短い枝が十字に重ねて紐で結ばれている。長い側だけがやけに白いのは、小麦粉をこすりつけてあるためらしい。


 工作の成果のおもちゃが何であるのかは、すぐに察しがついた。剣だ。

 ディーは思わず白い部分をみつめ、こんな遊びに貴重な粉を使ったら、リュシラに怒られるのではないだろうかと考えた。

 その半面、色を変えたのは良い工夫だと思いもしたので、ごく何げなくこう言った。


「よくできてるね。ちゃんと剣に見える」


 ラキスはびっくりしたようだった。大きな目をみはって、彼の顔を見返してくる。

 それからふいに、光が差し込むような笑顔になった。


 ディーはたじろいだ。

 上着をめくられたときと同じように意表をつかれて、無意識に身体を離す。

 そして子どもを通り越し、その勢いのまま急ぎ足で戸口に向かい、家の外まで出てしまった。


 何にたじろいだのかはわからない。

 ただ、見なくてもいいものを……見ると自分に都合の悪いものを見てしまった気がしたのだ。


 意味不明な動揺をおさえようとして、前庭の向かい側にある井戸のほうに歩いていった。

 カイルが甕に汲みおいてくれた水は、熱心な掃除のおかげでもう空っぽになっている。

 ニワトリ騒動で大汗かいてしまったし、井戸の水で顔や手足を洗ってさっぱりしよう。


 村の井戸は共用だが、家のすぐ真向かいという近さなのがありがたかった。

 ごく小さい屋根の下に滑車がつられて、ふたつの釣瓶つるべを両端につけた綱がぶらさがっている。

 片方の釣瓶をおろすと、滑車をはさんだもう一方の釣瓶が上がってくる仕組みだ。

 ディーは綱に手をかけて、自分に近いほうの釣瓶を下におろそうとした。


 そのとき、家にいると思っていたラキスがふいにあらわれて、ディーのとなりに並んだ。

 足音が軽すぎて全然気づかなかったが、もしかして追いかけてきたのだろうか。

 先ほど寝室でうろうろしていたときにくらべると、最初からけっこう距離が近い。


 ディーが距離をとるべきかとらないべきか迷っていると、子どもは井戸の縁に両肘をついて、中をのぞきこんだ。

 井戸の中は薄暗くて、ひんやりした風が吹き上がってくるようだ。

 気持ちがいいのかもしれないが、あまり乗り出すと危ないから、おとなしく後ろで待っていてもらいたい──。


 と、言おうとしたが、遅かった。

 子どもはたちまちバランスを崩し、目の前にある釣瓶にすがろうとした。

 もちろん、そんなものをつかんところで役立つわけはない。

 一瞬のうちに釣瓶ごと転落した。


 壊れてしまいそうな勢いで滑車が回り、片側の釣瓶がすごい勢いで跳ね上がってきた。

 ほぼ同時に派手な水音が反響し、ディーは仰天した。

 どうしよう! 大人に助けてもらわなきゃ。大人ってどこ?


 あわてふためきながら、下をのぞきこむ。

 大きく揺れる暗い水面。沈んでいないのは釣瓶だけで、それにすがっていたはずの子どもの姿はどこにもない。


 だが、そのとき──水面がさらに激しく揺れたと思うと、びしょぬれになった頭がぷかりと浮かび上がってきた。

 怪我をしている様子もなく、見上げてくる小さな顔は意外なほど平然としていた。

 そして平然とした顔のままで、なんと今度は自分から水に潜っていってしまった。


 ディーがまたもや仰天したのは言うまでもない。

 いったい何が起きたのか。大人ってどこ?

 あたふたとまわりを見回すと、井戸屋根の柱にくくられている縄梯子が目についた。

 こんなときの備えにちがいない。あわててそれを投げおろそうとしたとき、突然、あることを思い出してはっとした。


 水の中でも息が続くんだっけ。息ができる、だったかな? 

 なんだ、馬鹿みたい。びっくりして損しちゃった。


 ほっとしながら縁に両手をかけて、しばらくの間、水面を見下ろしながら子どもを待った。

 きっと冷たい水が気持ちよくて潜ってしまったのだろう。いいなあ、こっちも水浴びしたいくらいだ。

 などと最初はのんきに考えていたが、待ち時間が長引くにつれて妙な気分になってきた。


 井戸の底から上がってくる、ひんやりと湿った風。

 それと同時にディーの心の底から上がってくる、ひんやりと湿った問いかけ。

 いったいいつまで潜っていられるのか。いつまで生きていられるのか。

 魔物って、化け物って、いったいいつまで──。


 縄梯子を地面に置くと、ディーは陰の多い側にまわり、足を投げ出してそこにすわった。

 釣瓶が落ちているのだから、上がりたくなったらそれを動かして知らせてくるだろう。

 そうしたら梯子をおろしてやればいい。


 それまで少し休憩だ。



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