ディー 3
遊ぶことが義務ではないと明言してもらえたので、正直ディーはほっとした。
もちろん夫婦がそれを望んでいるのは明らかだったので、そうできないことを心苦しく感じるときもあった。
だが、できないものはできない。そのうちできるようになるとも思えない。
とりあえず、最低限の世話だけでもやるようにしようと心がけてはみた。
高い所にある物を取ってやったり、熱い鍋からスープをよそってやったり──ただしそれらをにこりともせずに行うため、ラキスがありがたがっているとはあまり思えなかった。
むしろ、びくびくしているようだ。
年齢のわりに背が高く体つきもしっかりしているディーにくらべ、ラキスのほうは小柄でいかにも華奢だった。
自分より頭ひとつ分以上も高い場所から見下ろされると、威圧感を覚えて怖くなるらしい。
半魔に怖がられるなんて……ディーは複雑な気分になったが、そばに寄ってこないのは好都合だったので深く考えないことにした。
ただ、びくびくしているわりに、ラキスにはときどき意表をつくような行動をとるところがあった。
あるとき、珍しく自分からそばに寄ってきたと思ったら、いきなり手をのばしてディーが着ているチュニックの裾をめくりあげた。
そして脇腹をじっとみつめながら、がっかりしたように呟いた。
「やっぱり、つるつるだよね……」
ディーは思わず硬直し、跳ね上がった心拍数をもとに戻すのに苦労した。
そんなディーだったが、半魔の子に対してこまやかな気持ちが芽生えたことが、まったくなかったわけではない。
四人そろって川釣りに出かけたときのことだ。
川遊びをしたことはあっても釣りの経験のなかったディーは、興味深々でカイルの横にすわり、慣れた手並みを見学していた。
細くて丈夫な柳の枝の釣り竿に、亜麻糸をより合わせて作った釣り糸。
鉄の釣り針を狙った場所に放り投げたら、あとはじっくり腰をすえて待つだけだ。
だが待つまでもなく、たちまち糸がぴんと引っ張られ、あわてて立ち上がったカイルの腕に力がこもった。
初夏の川面を、銀色の水しぶきが一直線に走る。
ひときわ大きなしぶきとともに、縞模様の体のパーチが、きらめきながら跳ね上がってきた。
ディーは歓声をあげた。
「わあ、あっというまだ」
「今日は幸先がいい」
おおぶりな獲物を桶にうつして、カイルも上機嫌だ。
「狙いもぴったりだったな。大きな岩の後ろあたりだっただろう? ああいう場所は流れが遅くなっていて、魚がたまっていることが多い。段差のできた下あたりとか川岸が曲がっている部分とかも……」
ひとしきり講義してから、おまえもやってごらん、と釣り竿を握らせてくれた。
ディーは目を輝かせて、想像以上に重みにある竿を握りしめた。
けれどそのとき、少し離れてこちらを見ているラキスの姿が目に入った。
なんだかうらやましそうな顔をしている。
ふと気がついた。自分がいるこの場所は、いままではあの子の場所だったんじゃないだろうか。
お父さんをとっちゃったかな……どいてあげなきゃいけないのかな。
だが、子どもは向きを変えると、リュシラがいる浅瀬のほうに行ってしまった。
カイルはといえば、釣りのこつについての講義を再開している。単純に釣り仲間をふやせることがうれしいらしい。
リュシラも気にしていないようだし、まあいいか……。
ほっとしながらそう思って、再び川面に向き合ったとき、対岸近く、流れが急になっている付近を、流木が通り過ぎるのが見えた。
かなり太い枝が、風雨にさらされぼろぼろな状態で流れていく。
そして、ぼろぼろなのは枝ばかりではなかった。
枝にひっかかった異形のものが、波間に見え隠れしながら同時に遠のいていった。
一瞬だったが、鱗が見えた気がした。人に似た形をしていたような気もした。
半分くらいはすでに骨だったような──でも、もう確認はできない。目に映るのは、青く澄みきった清流だけだ。
カイルもディーも反射的に振り返り、ラキスの姿を探した。
幸いリュシラが子どものそばにいて、遊んであげている最中だった。浅瀬の水をパシャパシャとかけあって、楽しそうだ。
「ああいうの……珍しいことじゃないの?」
カイルが動揺していないことに気づいて、ディーはたずねた。
「珍しいといえば珍しいが、驚くほどじゃない」
上流の村がよほど荒れているのだろう、と落ち着いた調子でカイルは言った。
もう廃村になっているという話も聞く。
国境もそう遠くない辺鄙な場所まで、女王陛下の手がまわらないのは、残念だがしかたない。
「……あの子もあんなふうに流れてきたの?」
「まあな」
「よく溺れなかったね」
「特技があったからな。流したほうには誤算だっただろうが、おれたち夫婦には恩恵だったね」
半魔の子に出会ってからはじめて、ディーの心に同情のようなものが生まれた。
好きこのんで混血に生まれたわけではないし、何ひとつ悪いことをしているわけでもない。
それなのに生きたまま川に捨てられるなんて……。
だが、そのすぐあとに、彼は捨て子の特技とやらを目撃することになる。
カイルたちの説明によれば、魚とは違って、ずっと潜っていられるわけではないらしい。
らしいが、だからどうだというのだ。やっぱり人間ではないじゃないか。
せっかく芽生えたやわらかな気持ちは、あっというまに立ち消えた。
あいつが受けた仕打ちはそれなりに正しかったのだと、ディーは強く思い直した。