ディー 2
カイルは、ディーの祖父の弟にあたる人物だった。
刀鍛冶だが、村人の注文に応じて鎌や鍬や蹄鉄などを作ったりもするらしい。
妻とふたりの時間を持ちたいから、徒弟たちと住み込んだりせずに職場と家をわけているのだと、真面目な顔で説明してくれた。
リュシラのほうはお針子だったが、村の娘たちに刺繍を教えたりもしているようだ。
ふたりとも農業で生計をたてているわけではなく、近所の農家や定期市で食材を買い求めることも多かった。
農村の暮らしについては、馬車の中でカイルからさんざん講義されたおかげで、慣れるのにそれほど時間はかからなかった。
食事だっていままでとは大違いだったが、それもじきに慣れてしまった。
夫婦は驚いていたようだが、きっと慣れることに関しては、大人より子どものほうがずっと得意なのだ。
子どもだからこそ上手にできることもあるのだと思うと、ちょっと気分がいい。
ただ……ひとつだけ、どうしても慣れられなかったものがある。
夫婦の養い子である男の子の存在だ。
子どもがいること自体は、やはり馬車の中で教えてもらっていたから知っていた。
ぜひ遊び相手になってやってくれと言われていたから、そうしようと思っていた。
ところが、なんとその子は生粋の人間ではなかったのだ。
あろうことか魔性の血が混じっていたのである。
事実を知ったのは来てから数日後のことで、そのとき彼らは全員で朝食の最中だった。
毎朝の定番はオート麦をどろどろになるまで煮込んだ粥に、多少の塩と野菜を加えたものだ。
もうちょっといろんなものが入ってるといいな……そう思いながら粥をすすっていたとき、ラキスと呼ばれている幼児が、突然立ち上がってもぞもぞ動き出した。
背中に手を回したりお腹をさわったりと落ち着きなく動きながら、行ったり来たりしはじめる。
ずいぶん変わったお行儀だ。こういうのが田舎の風習なのかな?
だが風習ではなかった証拠に、険しい顔になったリュシラが子どもの行儀の悪さを指摘した。
子どもは困ったようだった。
そして背中にさわるのをあきらめると「虫が入っちゃった」と呟きながら、いきなりその場で着ている衣服を脱ぎ捨てた。
目の前にさらされた素肌を見て、ディーは危うく食べていたものを出しそうになった。
自分の頭がどうかしてしまったのかとさえ思った。
思わずリュシラのほうを振り向くと、彼女は片手で目をおおい、ため息をついている。
カイルが、口の中でもごもごと言い訳をした。
「おまえがもう少しここに慣れてから、話すつもりだったんだが……」
そのときディーが迷わずやったことはといえば、席を蹴って外に飛び出すことだった。
冗談じゃない。よりによってなんで自分が、半魔なんかと暮らしていかなければいけないのか。
このまま都まで行って、女王様に訴え出てやる。
方向も考えず、がむしゃらに走りまくった。もうこれ以上息が続かないと悟ったところで、ようやく足をとめた。
しばらくの間、両膝に手をついたまま動けずに呼吸をととのえる。
そしてようやく顔をあげたとき、周囲の景色が、まるではじめて見るものであるかのように目に飛び込んできた。
延々と続く、石ころだらけの狭い道。
舗装された石畳とは似ても似つかぬ、知らない土地の田舎道。
伸び放題の茂みがあちらこちらから道にせり出し、ぽつぽつと建つ民家のまわりでは、放し飼いにされたたくさんのヤギが、ガチョウたちといっしょに歩き回っている。
民家の向こうにある麦畑はひたすら広く、四方を囲んでいるのは緑でいっぱいの山々だ。
車輪とひづめの音が近づいてきたので、馬車かと期待して振り向くと、干し草を積み上げた荷車を、ロバがのんびりと引きながら通り過ぎた。
王都がどんなに遠い場所であるのかを、いまさらながらディーは思い知らされた。
どんなに走ったって、女王陛下のところになんか行きつけっこないのだ。
それと同時に別の事実にも気がついた。
たとえ都にたどりついて女王様に訴えることができたとしても、そのあとは? 実家に帰る?
まさか。せっかくあの家から出られたばかりだというのに。
いま引き返せば、カイルたちはもう一度自分を中に入れてくれるのだろうか──呆然と立ちつくしたままディーは考えた。食事中に勝手に家を飛び出した、かわいがっている養い子のことを明らかに拒絶した。
カイルもリュシラも、きっと自分がしたことを許してくれないだろう。
それでも、いま帰る場所といったらあの家しか思いつかない。
実家に戻るくらいなら、魔物の子と暮らすほうがまだましだ──。
走ったばかりの一本道を、重い足をひきずるようにして引き返す。
見覚えのある一軒家の茅葺屋根がようやく確認できると、自然とうなだれてきて地面ばかりを見て歩いた。
どんな顔で入っていけばいいのだろう。
迷いながら前庭で足をとめ、のろのろと顔を上げると、戸口の前に並んで立っている夫婦の姿が目に入った。
「お帰りなさい」
と、リュシラがやさしく言った。
「スープを追加したの。たくさん走ったから、おなかがすいたんじゃないかと思ってね」
暖炉と煙突がある都の家とはまるでちがう、囲炉裏の煙でいぶし出された部屋の中。
豆とキャベツと塩しか入っていない素朴なスープは、とてもおいしかった。
何度もおかわりをして、夢中で食べた。
夫婦はその様子を満足そうに眺めながら、彼が食べ終わるのを辛抱強く待っていた。
そして一息ついたところで、経緯を説明してくれた。
半魔の子を育てている経緯は、大変簡単なものだった。
「川から流れてきた子がかわいかったので、拾って育てることにした」という、それがすべてであるらしい。
意外だったのは、ラキスがいる食卓でそういう話をしたことだ。拾った子であることを隠していないのだ。
「どう見たって親子には見えない。外見も年齢も」
と、カイルが言った。
「嘘をつくのが苦手だしな。おまえもまあ、さぞ驚いたことと思うが、おれが言いたいことは変わっていない。つまり、そのうちでいいんだが……よかったら遊んでやってくれないかな、この子と」
隠しだてしないことを、ディーはとても気に入った。大人はあたりまえのように隠したり嘘をついたりするものだと思っていたが、そうではなかったのだ。
それで純粋に疑問に思ったことを訊いてみた。
「それがぼくの任務?」
夫婦がぎょっとしたような目をこちらに向けた。
「えっと、つまりそのために引き取ったってこと? 任務ならがんばってできるようにするけど」
正面に座っていたカイルが立ち上がり、ディーのほうにまわってきて肩に手をおいた。
リュシラはとなりにすわっていたので、身体をこちらに向けてすわり直した。
それから、ふたりで熱心に言いきかせた。
そんなつもりで引き取ったわけじゃない。いっしょに暮らしたかったから招いただけだ。
がんばって好きになろうなんて思わなくていい。
ただ、ほんの少しでも好きになれると感じた瞬間がやってきたら……そのときは自分の気持ちを拒まないでほしい。
どうか否定せずに受け入れてほしい。