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カイル 3

 そうは言っても、それでは完全に人間かと問われると肯定できないものがある。


 三人で川べりに行ったときのことだ。

 カイルは子どもをとなりにすわらせながら釣り竿を握り、じっと獲物を待っていた。


 子どもはクッションの上で膝を抱えて、水面近くまでおりてくる鳥たちを、うれしそうに見ている。

 視線の先にいるのは、翡翠色の宝石みたいなカワセミだ。目にもとまらぬ速さで水の流れに寄り添うと、たちまち小さな魚をすくいあげて舞い上がった。


「鳥さん……青いのに赤いねえ」


 みとれていたラキスが、うっとりした声で呟いた。

 カワセミの羽根は裏側があざやかな橙色なので、はばたくと両方の色が見えるのだ。

 カイルにはもうあたりまえとなった風景だが、小さい子どもの目には、まるで宝物をみつけたように感動的なのだろう。 

 そんな声を聞いているうちに、ひどく複雑な気分が湧いてきて、カイルは思わず釣りをそっちのけにしながら考えた。

 もしもあのときリュシラが下流にいなかったら。いたとしても、こちらを見ていなかったら……。


 この考えは、赤ん坊に情を移しはじめたという自覚が芽生えたあたりから、しばしば彼の心を悩ませてきた。

 リュシラにそれを打ち明けたこともあるが、彼女は笑ってこう答えた。

 たしかに川に落としたのは許しがたいけど、あなたは必ず追いかけて拾い直したと思うわ。わたしが拾わなくてもね。


 そうだろうか……そうであればいいのだが。

 しかし、初動の間違いはともかくとして、それ以降のおれの態度はそんなに悪いものでもない。

 少なくとも、こいつが必要としているものを、おれはちゃんとあたえることができている……。


 自分で自分にうなずきながら、ふと横を見ると、肝心の子どもの姿が消えていた。

 カイルは我に返ってあたりを見まわしたが、どこにも気配を感じられない。

 リュシラも見当たらないから、ふたりでどこかに行ってしまったらしい。

 不審に思いながらも、妻といっしょならまあいいかと、再び釣り竿を握り直した。

 しかし、いくらもたたないうちに、やはり不審な色でいっぱいのリュシラの声がした。


「どうしてひとりなの? あの子は?」


 振り返ったカイルは、驚いて言い返した。


「てっきり、おまえといっしょだと」

「わたしは、洗濯物が流されてしまったので拾いに行っていて……」


 一気に青ざめた夫婦は、三歳児の名を呼びながら走りまわったが、そんなに長い時間ではなかった。

 もっとも危険な方面を、先に当たらなければならなかったからだ。

 カイルは静まりかえった水面をにらみつけ、靴を脱ぎ捨てるやいなや川に入っていった。

 子どもの姿を求めて、足が立たない深みの部分に潜っていく。

 そして、その行き先は間違っていなかった。


 ラキスは川床に沈みこみ、両足をゆらゆらと水の流れにまかせていた。

 最初にその足をみつけたときは、もうだめかと思ったが、まったくもって無駄な心配だった。

 子どもは両手で川床の岩をしっかりとつかみ、浮き上がらないように身体を支えながら、岩陰をのぞきこんでいる。

 魚を見ているのだ。

 地上で蟻の行列をみつけたときと同じように、水中につどう魚たちを夢中になってみつめている。


 カイルにさえきびしい水圧も水流も、水の温度も呼吸不足も、何ひとつ気にしていないようだった。

 そして、自分以外の気配に気づいたのか、ふと顔をあげて視線を彼のほうに向けた。

 きょとんと見開かれた瞳は、さえざえと光る緑色だった。


 流木をつかみあげたときと同種の衝撃──それが、カイルの正直な気持ちである。

 水をがぶ飲みしそうになり、あわてて脱出して泳ぎ帰ると、岸にいた妻が両手を握りしめて息を吸い込んだ。

 いまにも叫び出そうとしている。悪い結果をみつけたと勘違いしているのだ。


 だが彼女が叫び出す前に、遠くの水面から、小さな頭が元気に飛び出してくるのが見えた。

 はずんだ声が水上に響く。


「おさかな、きれい!」


 こちらに向かって大きく手を振っている子どもの姿を、リュシラが目を丸くしてみつめた。

 カイルは唸り声をもらし、思わずこう呟いた。


「……たいした特技だ」





 瞳の色は、陸にあがってみれば、変化したのが嘘のように落ち着いたはしばみ色に戻っていた。

 夫婦は子どもをつかまえて、いまのような真似は今後一切しないようにと、よくよく言いきかせた。

 どれくらいわかっているのか疑問だったが、とりあえず言い含めるくらいしかできることがない。


 しかし困ったのは、そんなことがあったせいで、ますますほかの子どもと遊ばせるわけにはいかなくなったことだ。

 もしも村人たちに半魔とばれてしまったら、日々の育児が難しくなることだろう。

 ここはとても住みやすい村で、住民たちも気がいい働き者ばかりだった。

 自然の恵みも豊かだし、領主も人々の暮らしを思いやっている。魔物に対する結束も固い。


 その半面、半魔という存在への抵抗感と忌避の姿勢は、かなりのものだった。

 村によっては、魔性の者とうまく共生しているところもあると聞くのだが──残念ながら、ここはそういう土地柄ではない。 


 ラキスは野山で動物たちところげまわって過ごし、ひとりのときは石蹴りをしたり地面に何やら絵を描いたりして、満足そうに見えた。

 カイルが、草の蔓や柳の小枝などで馬のおもちゃをつくってやると、楽しそうに長い時間、小さな馬と遊んでいた。

 だが子どもというのは、やはり子ども同士の親交を深め、社会を学びながら育っていくべきではないか。

 そうしてこそ、精神的に成長できるというものだ。

 どうやって友達をつくってあげればいいのかということが、夫婦共通の悩みとなった。


 はるか昔に縁を切ったはずの実家から迎えの使者が来たのは、ラキスが六歳になった夏のことである。

 リュシラは慇懃に使者をもてなしたが、ついていこうとはしなかった。

 自分が原因となって夫を一族から引き離した身なのだから、顔を出す気になれないのも無理はない。


 カイルが行く気になったのは、彼自身が求められているわけではないことがわかったからだ。

 引っ越せとか仕事を変えろとかいうのではなく、単に頭数をふやすために血縁を一堂に集めたいらしいと察しがついた。

 かつての彼なら、どんな理由があっても出向かなかっただろう。

 しかし最近、彼は自分の住む世界の狭さに気づいて、いささか焦りを覚えていた。


 鍛冶場と家との往復だけの暮らし。

 余生を送るにはそれで十分かもしれないが、子どもを、まして男の子を育てる以上、もう少し生きる範囲を広げなければいけないのではないか。


 辺鄙な村で生まれ育った人間なら、そんなことは考えもせずに暮らしていけたかもしれない。

 だが剣士として諸国を渡り歩いたことのある彼は、この世界がとても広いということを知っていた。


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