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リュシラ 3

 天馬はひとところにそう長くとどまらない。

 カイルとリュシラがリドを見たのは、昼間に一度、そして夜に一度だけである。


 だが、その夜の一度がすばらしかった。なにしろ数頭の天馬が群れていたのだから。


 群れがいると教えてくれたのはやはり子どもたちで、夜につどっているのを見たことがあるという。

 なんと彼らは、親たちが寝ついたところを見計らって家を抜け出したらしい。

 なんてことをしてくれるのだ。ここは平穏な村だが、危険な獣やさらに危険な魔物がいつどこで現れないとも限らない。それなのに暗い中を子どもだけで出かけるなんて。


 さんざんお説教したが、説教しながらも夫婦の今後の予定は決まっていた。

 もちろん、暗い中、家族みんなで出かけるのである。群れがいると聞いて我慢していられるほど、カイルもリュシラも大人ではない。


 その夜は曇って月明かりが望めなかったため、二、三日待ったあとの星月夜に、四人そろって出発した。

 夜道のためのランタン以外にも荷物がたくさんあった。行ってすぐに天馬に会えるとは限らないから、夕食を持参して気長に待とうということになったのだ。


 全員がすわれる大きさの敷物を用意して、柳で編んだ手さげの籠には、リュシラお手製の食べ物をつめこんだ。

 水はそれぞれが革の水筒に入れて持ったが、カイルだけは麦酒用の水筒も忘れなかった。

 彼は野犬に出くわしたときの用心にと、鍬や棒などもしょっている。

 少年たちが持つふたつのランタンに導かれながら、一家は前回と同じく林を抜け、ゆるい坂道をのぼり、木立の向こう側に広がる草地までやってきた。


 そこは山裾だが、ちょっとした草原と呼んでもいいような広さのある場所だった。

 羊たちが放牧されれば絶好の食事場所にちがいないが、今年はまだ手つかずのようだ。

 おかげでいまだにクローバーが一面に敷きつめられて、こまかく白い花々が、緑の上にたっぷりと散っている。

 けれど、天馬の姿は一頭も見当たらなかった。


 今日はいないのかなあ、と、少年たちが不安そうな声を出した。

 まだわからないわ、とリュシラが言い、とにかくお腹がすいたので食事しながら待機しようと、広げた敷物に腰をおろした。

 籠から取り出したのは、ライ麦パンを分厚く切り、さらにまんなかに切れ目を入れて具をはさみこんだものだ。

 具は燻製にした豚肉や酢漬けの野菜、チーズ。大人用のパンには、もちろんマスタードが塗ってある。

 アーモンドとクルミをすりつぶして蜂蜜で練り上げたペーストは子どもたちの大好物で、ふたりとも声をあげながら飛びついた。


 風もなくおだやかな春の夜だった。

 頭上には満天の星。星の光を消さないくらいの、ちょうどいい半月。手元にはランタンの灯り。

 たとえ天馬がいなくても、こんな夕食もたまにはすてきかもしれない。


 リュシラは食べ終えただけで満足したが、男性たちは退屈しはじめたようだ。

 地面に顔を寄せて、幸運の四つ葉をみつけられないものかと探し始めている。といっても夜なので、閉じてしまった葉が三枚か四枚かを見分けるのは大変だ。


 あまり遅くならないうちに帰宅しないと……クローバーの花も昼間より小さくしぼんで睡眠中だし、ふだんなら、みんなもう寝ている時間なのだから。

 リュシラは思いながら顔をあげ、何げなく草原のほうに目を向けた。

 ほとんど期待はしていなかったが、向けたとたんに思わず小さな声をもらした。


 草原のまんなかあたりが、月の光をあつめたようにほの白く輝いている。

 天馬の群れだ。


 五頭……いや、六頭。それぞれが夜空に向けて、思い思いに翼をのばしている。

 たたずんでいるだけのものもいれば、草をはんでいるものもいる。

 いつのまに──まったく気がつかなかった。


 探し物に夢中だった三人が、声を聞いて顔をあげ、三者三様に大きく息を呑みこんだ。

 流れ落ちる月の光をうけとめて、天馬の翼が濡れた銀色に光っている。まるでそれ自体が、淡い光を放っているかのようだ。

 長い首が優雅に動いて、ときどき星の空を仰ぎ見る。

 時間の流れまでが、そこだけゆるやかになったように感じられる。


 少し小柄な一頭が、こちらを眺めているのが目についた。あれがリドだろうか。

 子どもたちが手を振った。だがそばに行こうとはせず、神聖な時間の邪魔をしないよう子どもなりに気を遣って、ただ見守っているだけだった。


 リュシラは言葉もなく、吸い込まれるようにその情景をみつめていた。

 一生のうちでこんな景色に出会える日が来るとは、夢にも思ったことがなかった。


「忘れないようによく見ておけよ、ふたりとも」


 子どもたちに話しかけるカイルの声が聞こえてきた。

 何言ってるのというようにラキスが言い返している。


「忘れるわけないじゃない、こんなにきれいなのに」

「ところが、きれいなものほど忘れやすいんだ。嫌なことは案外覚えているものだけどな」


 カイルは彼らをのぞきこんだ。


「だから、きれいなものや美しいと思うものを自分の心から離すな。しっかりつかんでおけよ、忘れないように」


「若いうちは汚いものも見たほうがいいわよ」

 リュシラは思わず口をはさんだ。


「きれいなものばかり見ていたら、ろくな大人にならないわ」

「まあ、それはそうだが……しかし、きれいなものというのは別に外見だけの話じゃないぞ」


 カイルが気楽な口調で反論した。

 深い考えがあってしゃべっているわけではなさそうだが、続きを思いついたようで、めずらしく話を引きのばした。


「たとえばこの前、猫が出産するのを見たよな。生まれた仔を見てどう思った?」


「どろどろしてて気持ち悪かった」

 ディーが大変正直に答えた。ラキスも言った。


「ちょっと、こわかった」

「そうだよな。でもおれなんかは、ああいうのを見て美しいと感じる。美しいと思ったものを、ってのはそういう意味だ」


 リュシラは、少年たちが自分のほうをじっと見ているのに気がついた。

 何かがふれてきたので下を見ると、ディーが彼女の袖をつかんでいる。

 ラキスがディーの手を払いのけ、今度は自分が袖を引いた。むっとしたディーがラキスの頭を乱暴にはたいた。


 たちまち、リュシラの袖を奪い合ってのひっかきあいになった。

 業を煮やしたカイルが、妻の腕をつかみながら声をあげた。


「やかましい! 気安くさわるな、これはおれのだ!」


 遠くにいた天馬の群れが、いっせいにこちらを向いた。

 白い翼が、伸びをするかのように高く広がったと思うと、数頭とも同時に舞い上がった。


 またたくまに上空まで上がった白馬の一団は、さらに高く星の空を翔けのぼり、そしてふいに大気に溶けこむようにして見えなくなった。

 あとに残ったのは、しんと静まり返ったいつもの星月夜だけだった。


 四人は、ぽかんと口をあけてその様子を見上げていた。やがてリュシラが叫んだ。


「あんたたちはいったいどういうつもりなの? せっかくの光景が台無しだわ」


 草原をあとにして家にたどりつくまでの間、彼女の怒りはおさまらなかった。





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