リュシラ 2
実際にあとをつけたのは、その数日後である。
たまたまカイルも非番だったので、夫婦ふたり、足音を忍ばせながらついていった。
少年たちは無言でどんどん進んでいく。せっかく連れ立って出かけるのだから、おしゃべりでもしながら楽しく歩けばいいものを……リュシラは余計なことで気をもんだが、横にいるカイルも徹底的に無言なので、男なんてこんなものだと思い直した。
子どもたちは春の緑が息づく林道を進み、林を抜けると今度は上り坂を選び、そこでいちだんと足を早めた。
ついていく老夫婦は坂道にうんざりして、もはや気配を消す努力も忘れがちだった。
だが、木こりや山菜とりの村人がときどき坂を下ってきて、顔を合わせそうになるので油断はできない。
大声で挨拶などされたら、せっかくの尾行が台無しだ。
大木の影に隠れて村人が通り過ぎるのを待ちながら、夫婦は情けなさに大きなため息をついた。
肝心の尾行相手たちは、明らかにうきうきした足取りで、まったく後ろを気にしていないようだった。
先が楽しみでしかたない雰囲気だ。しかし、この先には子どもが喜ぶようなものなど何もないと思うのだが……。
と、少年たちが急に道をそれて、木立の中に入り込んだ。
あわててあとを追うと、木立はすぐにまばらになり、向こう側に草地が広がっているのが見えた。
そしてその手前、大きなブナの木陰にいるのは──。
一頭の天馬だった。
木漏れ日の下で、翼を白鳥のようにたたみ、豪華な羽毛のマントを背中に羽織っているように見える。
萌える緑にかこまれて、白い翼とふさふさしたたてがみが、明るくきわだつ。
子どもたちがそばに近づいていっても、まったく嫌がらず、逃げようとする様子すらない。
カイルもリュシラも、聖獣をこんなに近くで見るのははじめてだった。
カイルは剣士だったころに何度か見た覚えがあるが、リュシラなど、人生で目にした機会は一度か二度だ。
いつだったか思い出せないほど昔、天馬が多くあらわれるという湖水地方を旅したとき……そのときだって、岸辺の森にいるところを遠くから眺めるくらいだった。
感嘆の唸り声とともに、カイルが呟いた。
「信じられん……」
すると、少年たちが飛び上がるようにして振り向いた。
そして両親の姿をみつけたとたん、ふたりそろって青ざめた。
「誰にも言わないで」
泣きそうな声でラキスが言った。同じ調子でディーが続けた。
「この子なんの悪さもしないから、狩らないであげて」
大人たちは、何を言われたのか一瞬わからなかった。
だが、ややあって気がつく。天馬を魔物だと思っているのだ。
たしかにこの村では、馬の形態をとった魔物が出没したという事例が伝えられている。だから、そうした魔性のものと取り違えてしまったのだろう。
「それは魔物じゃない」
と、カイルが正しい知識を教えた。
「え?」
「天馬は聖獣だ。狩るなんてとんでもない話だ。心配しなくていい」
子どもたちは顔を見合わせた。
「そうなんだ……」
ディーが、ほっとしたように息をついて笑顔を見せた。
だがラキスは、安心すると同時に失望したようだ。肩を落として天馬に寄り添うと、前脚に遠慮なく抱きついた。
「なあんだ。おまえ魔物じゃないんだってさ、リド」
カイルがまたも感嘆の唸り声をもらした。
今度声に出して呟いたのは、リュシラのほうだ。
「信じられない……聖獣は人になつかないことで知られているのに」
「そうなの?」
驚いたようにラキスが顔を上げる。
「そうよ。あなたすごいわ、ラキス。いったいどうやって近づいたの?」
「ただ話しかけただけ。簡単だよ」
がっかりしていた子どもの顔が、得意げに輝いた。
翼をなでていたディーが口をはさんだ。
「ラキスだからできたんだ。最初ぼくがやってみたときは、振り向きもしなかったもん」
その口調にうらやましさは微塵も感じられず、むしろ誇らしげでさえあったことが意外だった。
リュシラは思わずディーの顔を見直した。
いつのまに、こんなに受け入れたのだろう。はじめて素肌を見たときに、あれほど嫌悪感をあらわにして部屋を飛び出して行った子が……。
「どれ、やってみるか」
と、カイルが呟いた。そして天馬に歩み寄り、大胆にも背中をさわろうとした。
天馬はたちまちにして遠ざかり、草地の向こうに消えてしまった。
リュシラはがっかりしたが、大人が失敗したことで子どもたちの顔がさらに輝いたのは、言うまでもなかった。