姉と弟、そして義兄 Ⅰ
父親と正志は、先ほどからソファーに座ってテレビを見ている。
古庄がいないと、心なしか家族も少し肩の力が抜けているみたいで、真琴はいつもの家の雰囲気の中にいるような気持ちになった。
母親も台所の片づけが終わると、リビングのソファーに腰を下ろしてフッと息を吐く。
「正志ちゃん。今日お姉ちゃんが作ってくれたイチゴのムース、久しぶりに食べたら美味しかったでしょ?あなた、好きだったわよね?」
そんな風に母親から話を振られて、正志は見ていたテレビから真琴の方へとチラリと視線をよこした。
「……別に。お姉ちゃんは、僕に食べさせたいんじゃなくて、アイツに食べてもらいたかったんだよね?」
正志は依然そう言って、突っかかった。どうしても古庄の存在は、彼の中では認められないみたいだ。
真琴は正志の座るソファーに脇に立って、優しく語りかけた。
「……正志ちゃん。そんな言い方されると、お姉ちゃん、悲しい。和彦さんはあなたのお義兄さんになる人なのよ?」
真琴は何とか正志を諭そうとしたが、これに対して正志はとうとう逆上した。
「…なんだよ。お姉ちゃんは悲しいかもしれないけど、僕だって!僕の気持ちはどうでもいいの?」
真琴は正志に睨みつけられて、ハッとする。高校生とはいえ、まだ思考は幼い正志に、今回のことは強烈過ぎたのだろう。
だけど、大事な正志には、ちゃんと古庄のことを理解してほしい。言葉を尽くして言い聞かせれば、きっと正志は解ってくれると思った。これまでもそうやって、姉弟の絆を培ってきたように。
「ごめんなさい…。あなたをないがしろにするつもりなんてなかったんだけど…。でもね、私は結婚をして幸せになれたから。それを否定しないで。正志ちゃんも私の幸せの中の一部なのよ?」
「…幸せって。お姉ちゃん、アイツと結婚して幸せになれると思ってるの?お姉ちゃんはアイツにダマされてるんだよ。今はいいけど、そのうちきっと泣かされるんだから!」
「和彦さんはそんな人じゃない。とても誠実で立派な人よ?それに、何のために私をダマすの?私たちの間に、嘘なんてないわ…」
真琴はそう言いながら、上着の裾をギュッと握った。
正志を説得するどころか彼の言葉に翻弄されて、涙が込み上げてくる。
「ほら!そんな風にお姉ちゃんは信じ込むから、ダマすのなんて簡単なんだよ。もし浮気をしても、お姉ちゃんが奥さんだったら隠し通せると思ったんだよ」
「正志!いい加減にしなさい!!」
姉弟のやり取りを傍で黙って聞いていた母親は、見るに見かねて口を出した。
そうやって母親が助けてくれても、真琴の中の悲しみはどんどん大きくなっていく。
「どうしてそんなこと言うの?正志ちゃんがそんな風に、人のことを侮辱する子だなんて思わなかった…。そんな正志ちゃんは、好きじゃない…」
そう言葉を絞り出すと、堪えきれずに涙が零れ落ちた。
「そう!お姉ちゃんが好きなのは、アイツだけなんだよね?でも、それって、アイツの見た目にのぼせてるだけなんだよ!!」
「……正志!!」
正志がそれ以上ひどいことを言わないように、母親は大きな声を出して制した。
けれども、それくらいで正志の暴走は食い止められなかった。今度は矛先を母親へと向ける。
「なんだよ!じゃあ、お母さんはどう思うの?言ってみてよ!!」
「……正志。少し黙りなさい」
テレビを見ていた父親が、正志を一瞥して一言そう言った。
普段口を出さない父親のこの一言には、異様な威圧感がある。正志はグッと言葉を呑み込んで、それ以上何も言えなくなった。
「お風呂ありがとうございました。すみません、最初に入らせていただいて。気持ちよかったです」
辺りを取り巻いていた沈黙を破って、古庄の声が響いた。
さっぱりして、まだ髪を濡らしたままの古庄がリビングに姿を現す。 父親のパジャマは少し丈が足りないにもかかわらず、古庄は思わず見とれてしまうほどだった。
古庄が近寄って来たので、真琴はとっさに頬を伝う涙を拭う。でも、今一緒にいたら、泣いていたことを古庄に気取られるだろう。
「…私も、お風呂。入ってきます」
顔を見られないように、真琴は古庄と入れ違いでリビングを出た。
自分の家族のもとに、古庄を一人で残して来るのは心が残ったが、今は却って心配させてしまうと思った。