舌打ちの意味
「おい!いつまで寝てるんだ?朝飯食べるんだったら、さっさと起きろ!」
朝の幸せな微睡を破って、いきなり布団を剥がされて、古庄は飛び起きる。
そんな驚いた弟の顔を、晶はニヤリと笑って見下ろした。
――…このやろ…。いつまでこの家に居座ってんだよ。早く嫁に行けよ……!
古庄はそう思いながら、サディスティックな姉を睨みつけたが、心の内はとても、口に出しては言えなかった。
それに、古庄家が持つ広大な農地と山林との管理を、実質的に行っているのは、この晶だ。
古庄は教師になってしまったこともあり、この実家に戻ってくるのは難しい。現実を考えると、この晶にこの家を出て行ってもらっては困ってしまうのだ。
――だいたい、こんな見るからに男みたいな女、誰も嫁にはしてくれないか……。
そう思うと、晶には晶のコンプレックスのようなものもあるのかもしれない…。
古庄は息を吐いて立ち上がり、布団を片付け始める。
そんな古庄を横目で見ていた晶が、自分の欲求を押さえられずに口を開いた。
「昨日はあれから…?焼肉小屋にでも行ったのか?でもあそこは、中に入ると焼肉の匂いが染みついてるし、ウッドデッキじゃ寒すぎてできなかっただろう?」
「……何が?」
布団を畳み終えた古庄が、怪訝そうに晶へと視線を返した。
「何が…って、真琴ちゃんとの“やらしい”こと」
「………はあ?!」
古庄の顔が、みるみる間に真っ赤に変わっていくのを、晶は笑いを噛み殺しながら冷静に観察している。
「…じっ、自分こそ、どんな“やらしい”こと考えてるんだよ!あんな所で、そんなことするわけないだろ?」
焦ってそう言い返しながら、古庄は晶の洞察力に恐れを感じた。何で、自分の考えていたことが判ってしまうのだろうと…。
とにかく、晶と会話をしていると、いつもこんな調子でからかわれてしまう。晶はその時々の古庄の反応や様子を見て、楽しんでいるのだ。そう、子どもの頃から。
早く晶の傍を離れようと、古庄は足早に周り縁の廊下を歩いて、居間へと向かう。障子を開けると、居間の向こうの台所に立つ真琴の姿が認められた。
救いの神を見つけたような気がして、古庄の心がホッと落ち着く。いつも居心地の悪かった実家のこの居間も、まるで別の場所のように思われた。
「ああ、晶が和彦を起こしてきてくれたわ。さあ、食べましょ!」
「はい」
真琴が母親と共に、お盆に朝食を載せて運んでくる。
「おはようございます。和彦さん」
「おはよう」
〝一緒に料理をする〟という母親との約束が果たせて、真琴はとても満足そうだ。
自分の家族と楽しそうにしている真琴を見ると、古庄も和んだ気持ちになってくる。自分の家族に対してこんな気持ちになったのも、古庄の記憶にはないほど、遠い過去のことだった。
穏やかで楽しい朝食が済んだ頃、晶が財布から一万円を取り出し、母親に渡す。
「母さん。それじゃ、これ。約束のもの」
「ああ!そうね。お父さんも、忘れないうちに下さいよ。一万円」
「ああ、…うん」
目の前でそんなやり取りがなされて、真琴の目には何気なく映ったけれども、古庄は眉間に皺を寄せて、不穏な顔つきになった。
「……今度は、何を賭けたんだよ?」
「さあ?何だったかしらね~」
古庄からの詰問に、母親は相変わらずの態度でかわそうとする。
この家族たちは、古庄のラグビーの試合の結果や大学試験などの合否、30歳までに結婚するか…などなど、何かにつけ事あるごとに、古庄をネタに賭け事を繰り返していた。
母親の態度の反面、古庄に対して恐れることのない晶は、ありのままを暴露する。
「お前が前の結婚を止めた時に、お前は『ホモなんじゃないか』っていう疑惑が出て、ホモかそうじゃないかを賭けてたんだ。真琴ちゃんと結婚したってことで、『ホモじゃない』って結果が出たってことだな」
「…ってことは、親父も姉貴も、俺がホモだって思ってたってことか?」
実の息子や弟を、そう簡単に〝ホモ〟にしてしまうなんて、どういう家族たちだろうと、古庄は憤りを隠せない。
不機嫌になっていく古庄の声に、父親が決まり悪そうに肩をすくめる。
しかし、真琴は心に引っかかっていたものが取れて、安心したように息を抜いた。
「ああ、それで。最初にお会いしたときの『舌打ち』は、そういうことだったんですね!」
父親と晶が顔を見合わせて、申し訳なさそうに声を上げた。
「あれは、悪かったと思ってる。つい、この賭けのことが頭を過ってしまって…」
「そうそう、でも、こんなに可愛いお嫁さんを連れてきてくれて。真琴ちゃんのことは大好きだからね!」
と、真琴に嫌われたくない父親が、真琴の手を取って一生懸命言い繕った。
「ええい!気安く触るなよ!」
古庄が父親の手を払って、真琴を自分の方に引き寄せる。
「真琴は、俺の大事な嫁さんなんだからな!!」
真琴を腕の中に囲い込んで、古庄は家族に向かって宣言した。
両親と晶は、その言動の意図が分からず、ポカンと口を開ける。
「もちろん、それは解ってるよ。だから、私たちも真琴ちゃんを大事にしてるんじゃないか」
晶がそう言うのに対して、古庄は心の中で異を唱えた。
――…だから、その大事にするやり方が、普通と違ってるんだろ…!!
ここにいては、真琴が何かされて翻弄されるのが気にかかって…、やっぱり古庄の心は休まらない。
こんなところは、さっさと退散して、早く二人きりになるに限る。
「さっ、真琴。もう帰るぞ!」
古庄が真琴の手を取って立ち上がり、居間を出て行こうとしたその時、晶の腕が伸びて古庄の首を絞めた。




